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青春ショートケーキ

ショウネンセイシュンカ

作者: 狂言巡

 瞼を突き通して降ってくる空の青さは、まるで人間を焼き殺そうとしているかのようだ。馬鹿の自覚がある柳律俊(やなぎりっしゅん)は小さくうなり声をあげて、目をぎゅっと閉じた。水曜日の三時間目。寝ころんだ背中に、じりざりしたものを感じる。ワイシャツの白さが、起き上がった時に何色に変色しているかが気になる。旧校舎屋上の吹きっさらし、けれど涼しい風はここまでやってこない。

 汗が噴き出してきそうな、されど梅雨期間。思い切り投げだした手足に、わずかな振動する何かが伝わった。近づいてくるその音に目を開ける気は起きず、弛緩したままそれを迎えた。


「みなのもの! さしいれじゃー!」

「……おあ!?」


 急に顔の上に何かがばさばさ降ってきて、わいは悲鳴を上げた。ギザギザした異物が鼻っ柱にぶつかって、つんとした痛みが走る。咄嗟に起き上がると、自分に爆撃を食らわした馬鹿がひやひやと大笑いするのが見えた。


「何すんねん痛いやろ!」

「だから差し入れっすよ、律俊サン」


 鼻を抑えて怒鳴ったわいに、ふざけた調子で黄桜梅園(きざくらうめぞの)が返す。見回すと確かに、そここには菓子パンや駄菓子がいくつか散らばっていた。


「これでもさ、缶とかペットボトル系は落とさなかったんだから感謝しろよー」

「何に対して?」

「俺のココロクバリに」

「お前、心配りを漢字で書ける?」

「……クバルって漢字、西の中に棒線いったっけ?」

「教えまへーん」


 気が利かないなあとか言って、黄桜が座った。わいは、勉強については諦めが早い友人にへらっと笑ってやった。……つか、『配る』って、小学校の二年生くらいで習ったと思うのだが。もうすぐ七月。気象庁はまだ梅雨明け宣言をしていないが、あの黒っぽい雲が進撃してきそうな予感は、空のどこにも潜んでいない。


「あーあーもっ、あっついなあ!」

「屋上もそろそろ限界かもなぁ。夏とかマジ殺人的やし……」

「じゃあ俺たちはこれからどこでサボればいいんだー」

「せやからこそ誰も近寄らんで穴場なんじゃないすか黄桜サン」

「そーですね律俊サン」

「あいつ、こんのか?」

「来るんじゃないか? あいつ社会科嫌いだし」


 わいは黄桜の持ってきたパンを一つ手に取って破った。今回は黄桜の奢りである。前に、わいも朧もこいつに金を貸したから。正確な金額は覚えていないが、きっとどんぐりの背比べ程度。これでチャラだと、バカなわいらは何度もこれを繰り返している。姉貴には真似できないなと笑われた。今日手にしたパンはメロンパン(中にクリームなし)だった。


「律俊さー、背中すごいぞ」

「あー寝っ転がっとったしな。髪もすごくなってるだろ」 「うん、芸術的」


 黄桜は何だかすごく甘そうなパンを選んだらしい。チョコと生クリームとカスタードと苺クリームって……わいは夏になりかけている空気にまじる、その甘ったるさ四重苦から逃げるようにのけぞる。甘いのは嫌いじゃないが、ここまで匂いが甘いのはどうも。黄桜が気づいたらしく、へらへらしながら手に持ったパンをこっちに伸ばしてきた。わいは思いっきり顔をしかめて、座った脚を伸ばして敵を蹴り飛ばす。痛いと黄桜は笑った。ドエムか。

 悩みが多いらしい水曜日の三時間目。クラスが違うわいら――わいと黄桜ともう一人――三人の嫌いな科目が見事に揃っていて、最近では三人まとめて屋上へサボタージュしにきている。別にわいらがいわゆる不良とかそういうわけではなくて。この学校の生徒なら色んな奴が多かれ少なかれ、そういう時間を持っているのだ。よっぽどクソ真面目系か、教室から出たくない系でなければ。

 そんなこんなで、わいらはこの時間を三人でまったり過ごしている。ちょうどお腹が騒ぎ出す時間帯だから、こんな風に食べ物を持ち込んで。見下ろす眼下の校庭では、一年がちまちまと体育の授業で、羨ましいような面倒臭そうな、妙に気になってしまう。ホイッスルの音とか、中途半端に空気の抜けたボールが蹴られて振動する変な音とか……。今はサッカーをしているらしい。


「……お?」


 ふと、黄桜が顔を上げた。釣られたわいに、黄桜が笑って囁く。


「春喜の奴、来たみたいだぜ」


 言われて耳を澄ませば、確かに階段の方から音がした。踵を踏んだ上履きを引きずる音だ。疲れたような、でもどこかかるがるとした音は、あいつ特有のものだ。鞄を引きずり、薄暗い校舎から出てくるのを、わいらはへらへら笑いながら迎えた。朧晴喜(おぼろはるき)は外の眩しさに顔をあげ、心なしか苛立った様子で太陽を睨みつける。腰パン見えかけたパンツは、今日は青色ですか。


「春喜~、パンツが見えているぞ、まいっちんぐ~」

「それ、お前の姉貴にも言われた。黄桜は今日オレンジだろ

「え、今日体育なかったのになんで知ってんの?」

「お前のも見えとんねん」


 朧はいつもより格段に低いかすれ声で、ぶっきらぼうにやり返す。その浅黒い目の周りに、どす黒く青タンができている。口の端もちょっと瘡蓋できているし、不機嫌の理由はこれらしい。


「まあたパパさんと喧嘩か?」


 わいが聞くと朧は一回頷いて寝ころぶ。朧はしょっちゅう父親と喧嘩しては地味な怪我をするのだ。パパさんはいい人だけど、某野球漫画の父親のような熱血系だし、朧もいい奴だけど、奴のおとんとうり二つの性質でよくガチンコ対決になるらしい。でも虐待とかじゃないから、心配する必要はない。お互い本音をぶつけあって、お互い痛い目にあって反省する。最後にはお袋さんが二人に雷落としてはい終了。騒がしいが楽しい家庭だと僕達は笑うけれど、本人達は至って大真面目らしい。


「仲良くしろよー親子だろ?」

「やだよなんでオレあんな人の息子なんだよ……全然似てねぇし、きっとオレって橋の下から拾ってきた子なんだぜ」

「何言ってんだよ、あそこまでそっくりな親のどこが里親なんだよ」

「はぁ!? オレあんな性格悪くねぇし!」

「だってさあ、前に俺がお前の夕ご飯をご馳走になった時、食べる順番とかしょう油とる時とか肘ついて食べるの注意される時のタイミング全部一緒だったじゃん」


 マジでか、どんな寸劇だよ。超見たい。


「つかそれ性格じゃねぇよ」

「律俊は、顔はお袋さん似だよな~」

「はぁ? もっとキッツイ顔やんけうちのおかん」

「お前もそうとうキッツイ顔してんだよ」

「ところでさ春喜。今度の親子喧嘩の原因はなんですかー?」

「それですかー」


 本題を出した黄桜に、朧はさっと顔を伏せた。無言で落ちていたのりしお味のポテトチップスを拾って引きちぎる。一枚齧って、いつでも吊り上がった眼でこっちを見た。


「……別に聞いて面白い理由じゃ、ねッスよ」

「面白くなくていッスよ」

「うーん……」


 朧は唸って、そのまま動かなくなる。下を向いているから表情は見えなくて、わいらは続きを待った。しばらくしても何も言い出さないので顔を覗き込むと、朧は寝たふりをしていた。なので、わいらは結託して朧に攻撃した。わいはヘッドロックを仕掛けて、黄桜は脇腹をぎゅうっとつつく。朧は爆笑して、踵の潰れた上履きを飛ばした。


「バカ、何すんだ!」

「寝たふりしてないで早く喧嘩の原因を教えなさい」

「おしえなさーい」

「だーかーらー面白くないんだって!」

「いーからいーから!」

「……これだよ!」


 吐き捨てるように朧はぺたんこのスポーツバッグから何か取り出した。くしゃくしゃに丸まったそれに、嫌な過去がフラッシュバックする。


「え、あ、あー……」


 わいと黄桜はうへへえと肩をすくめて顔を逸らした。それは数日前の、全生徒が手にして、おそらく大半のヤツが落胆し絶望させられたもの。……中間テストの、成績表だったのだ。


「お、おもしろくねぇぇぇー……」

「だから言ったろ。これ見せたら、ケンカになった」

「見せなきゃよかったのに」

「見つかった」

「どんだけ悪かったんだよ」


 わいらは朧の成績表を覗き込んだ。こいつは、典型的な――興味の科目は得意だけど嫌いな科目はダメダメなタイプなのだ。どん底に埋まっている不得意教科をまあ上の方にいる得意教科が補っている。この点数をグラフにしたら、さぞかし綺麗なギザギザ線によって上下が二分された表になることだろう。


「すごいぞ、保健体育が百点満点だ! エロいんだ!」

「躰に詳しいと言えよ! ……見ろこの社会の点数」

「……え、丸が一つすか」

「すごいよ春喜、ちゃんぴおーん、じゃない? いくら嫌いでもここまでする勇気は俺にないわ」

「まさに愛と勇気だけの結果やわ」

「白紙で出したからな、思いっきり敬えお前ら」

「いや全力でさげずむ」


 ……黄桜、お前よく知ってたな。国語のテストで【鶴の一声】を【つるのたけし】とか書いていたくせに。


「いやいや、でもオレ、春喜を馬鹿にできないんだけど……」

「何でや?」

「オレ今回、総合点春喜より下……」

「え!? すっげぇ尊敬するわ!」

「マジかい……〇点はなかったんやろ?」

「一点ならあった、理科」

「そっちの方が逆にすごいわ」

「あーあー、どうせ律俊は俺らなんかと比べ物にはなんない点数なんだぜー」

「とりあえず赤点はゲットしとらんわ」

「うわ殺してぇ! 黄桜、柳に馬鹿うつせ!」

「よっしゃ! 喰らえ律俊! バカ光線!」


 何だよ黄桜、そのポージング……ウルトラマンかジョジョの真似に失敗したみたいな。


「中途半端にダサい」

「うん、いくらバカでもオレもやりたくねー」

「何でだよ」


 何となくバカ話が途絶え、わいらは外の音に耳を貸し出すことにした。校庭で騒ぐ、一年の声。 まわせまわせ! おっしゃ出たぞ、こっちだ! そっち行ったぞ! そのままいけ! 止めろ止めろ止めろ! シュートッ!  気付くと、わいらの口はみんなして開いていた。金魚か。バカっぽいんじゃなくてバカです? それから、お菓子やパンを頬張るために利用される。朧が、青あざのある目の周りを擦りつつ、話題をふってきた。


「……でもさぁ、こんな、嫌な教科はめんどんから何点でもいいとか、嫌いな先公の授業は出ないとか、やってられんの今のうちだけだよなぁ」


 わいは黙って頷いた。アザだけでなく口の端が切れて暗い顔をしているこいつは誰だっけ。一瞬だけ思ってしまった。


「だなぁ二年の最後になったらみんな真面目に授業受けるんだぜ、オレら。三年に入ったら毎日塾かも」

「やだねえ何か。〇点取ってチャンピオンとか笑えなくなるの。俺らもさあ、先生にゴマすったりすることになんのかな、な律俊」

「いやいや、わいの読みやと理科の化粧ババアは今ここの勤務八年目だから、そろそろいなくなると見た」

「都合のいい展開だな、もっと怖い先公が来たらどうすんだよ」

「「…………」」


 黙って見上げた空は、区切りも果てもない。夏に向けて勢力を拡大していく青空は、いっそ憎たらしいほど暑い!


『うっぜっえぇぇ~~……』


 三人して呟いた台詞が全くの一緒で、しかもタイミングもばっちり。そのことは若干のブルー気分は吹っ飛ばした。でも、内容が内容だからすっきりともいかないけど。

 じりじり。

 太陽がわいらを焼き肉にしてる。食べ終わったパンの袋が、かすかな風に吹かれて飛ぶでもなく移動する。わいは何となくとても何かやらかしたくなって、持ってきた鞄の中を漁る。目当ての物はすぐ見つかった。朧の手の中で同じものがうなだれてる、成績表だ。わいは、こいつらよりは高得点を確保してる身だが、それでも前よりは下がってた。親が海外赴任中で助かったぜ。


「何だよ柳、自慢したいの? 喧嘩なら買うぞ」

「違う、いらないから、これ」

「どゆこと?」

「捨てようと思って、ここから」


 わいは人差し指でフェンスの向こう側を指さした。相変わらず、下から一年の喜怒哀楽が聞こえてくる。鋭いホイッスルの音。誰かハンドでもしたのだろう。


「はぁ? 名前見られたら、俺らがここにいるのバレちまうじゃねぇか」

「じゃあ千切って捨てる」


 わいはその白い紙きれを真っ二つに破った。後で提出しなきゃいけないんだっけ? 確証はもてないのでまあいいか。それを重ね、もう一回破る。何回も何回もそれを繰り返し、やがて成績表は原型をとどめない紙吹雪の材料みたいになった。名前の部分は特に念入りに千切っておく。

 黄桜と朧は何とも言えない顔で止めることもなく僕の手際を見ている。わいはそれをお椀っぽくした両手に乗っけて立ち上がる。途中で風に飛ばされないように注意しつつ、フェンスの近くまで歩いたところで、後ろから朧の慌てた声が聞こえた。


「……おい待った、柳! 俺もやりたい!」


 背中からはビリビリと紙のようなものを破る音。ついで、黄桜の大きな笑い声。


「えー、あー……お、俺も俺も! ハブなんよ!」


 がさがさと鞄を漁る音。わいは笑って、両手を空へ捧げたままで二人に叫ぶ。


「早くしてくれよ! 手汗かいてきた!」

「俺準備完了!」


 朧が叫んで、わいの隣に走ってくる。紙切れが数枚、彼の手からフライングしていった。骨ばったタコだらけの手が、隙間をなくすようにきっちりと閉じて即席紙吹雪を溜めこんでる。


「待て待て待てー!」


 少し遅れて黄桜も朧の反対側に並んだ。わいらの姿は、校庭から見えているだろうか? 別に構わないけれど。青空を背中にしょいこんで、わいらはにやにや笑い合って、両手をさらに高く上げた。あ、何かこういう映画あったよな? 紙じゃなくて神の首を返すシーン。


「じゃあ、行くぜ!」

「いち、にの、」

「「「さんっ!」」」


 真っ白な紙切れが、わいらの手から校庭へ降り注ぐ。ひらひら、ふわふわと僅かな風と重力に身を任せる紙吹雪。わいらからはすぐ見えなくなってしまったけれど、サッカーに勤しむ下の一年の喧騒が一旦途絶えたので、彼らのところまで届いたとみる。よしよし。身を乗り出すわいらの真上を、いつもよりか低く飛んでいる飛行機が、轟音を立てて空を切り裂いていった。


「……思ったより、派手になんなかったな」

「おう、もっとぶわーって行ってくれんのかと思ったのに」

「でも、つまんなくはなかったな」

「「確かに」」


 わいらは頷き合って、少し笑って顔をひっこめた。きっともうすぐ、退屈な水曜日の三時間目が終わりを告げるだろう。次の時間は、確か技術だった気がする。


「――帰るか」

「黄桜、ごちそうさん」


 わいらは鞄を拾い上げ、ゴミは一旦鞄にイン。そしてフェンスに背を向ける。そして何食わぬ顔で屋上から退場する。それぞれの教室に、黄色い線の内側に入る。校庭に落ちている謎の紙吹雪なんざ、ぜーんぜんわいらは知りませんよって顔をしながら。わいは校舎に入って、雨から解放された青空を扉の向こうに閉じ込めた。途端にこっちは暗くなって、明るさに慣れた視界は緑色のセロファンを貼ったかのようだ。それについて少し意見を述べた後、またわいらは笑った。

 そして時は過ぎて、放課後、帰る時。通りすがりの、ジャージを着た女子らが何か話しているのを何となく小耳に挟んだ。


「あれ、何ですこれは……成績表? 千切れてますけど」

「勇気あるねぇ、石菖さん、これ明後日までに提出じゃなかった?」

「とてつもない冒険心を持った人だったんでしょうねえ」


 黒髪チビとまだら髪が通り過ぎて、校庭を横切って行く。わいらはそれをきいてにんまりと笑った。  勇気があるって。冒険心だって。やっぱり提出物だったんだという焦りもあるけど、まあ。バカ上等のわいらですから。最高の褒め言葉を受け取っておこう。見上げた空は、此処からでも青く。明日にでも気象庁は、梅雨明け宣言をするだろうか。そしたら本格的に夏の始まりだ。あまり関係ないだろうが、わいの誕生日も近い。

 夏になったら、わいらはますます調子に乗って大騒ぎするのだろう。バカ三人は大きく伸びをして、自分の影と成績表紙吹雪を踏みしめて歩き出した。夏になりかけた空に捧ぐ。青臭いショウネンセイシュンカ!

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