猫惹き声
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
お前さ、「動物と意思疎通ができたらな」と思ったこと、ない? お互いに理解できる言葉でやり取りして、「これはやっちゃいけないよ」と注意をするし、向こうの言い分だって聞く。
ままならないことで、神経をすり減らされることもなくなるだろう。洗濯物や、車のフロントガラスに落とされる、フン爆弾とかな。
その一手として、動物の言葉を話そうと試みたことがあるんだが……いやはや、えらい目にあってさ。やっぱ他の生き物の領分へ、必要以上に入っちゃだめだわ。うん。
――何? その時の話をしてほしい?
はあ、お前も物好きだねえ。まあ、気楽に聞いてくれ。
俺が小さかった頃、UFOが世間を騒がせていてな。宇宙人に遭った時のため、自分たちが考えた宇宙人の言語を、文字に書いたり、しゃべったり。コスモなコミュ力を磨こうと、一生懸命だったんだよなあ。
だが当時の俺は、何かと相手を小馬鹿にしたいお年頃だった。
「宇宙人だ、なんだといってもよお。俺たち、同じ地球にいる奴らとすら、まともに会話できないこと、多いじゃん。外国人然り、犬猫然り……そんなレベルの奴が、宇宙人と話をする資格があるって、本気で思ってるわけ?」
そんなことをクラス全員の前で、ぶち上げちまったのが運の尽き。「そんじゃ、お前がしゃべってみろよ」と、言い出しっぺの法則で蜂の巣にされる。
俺は結局、動物の言葉をしゃべって、言うことを聞かせている姿を見せろ、と圧をかけられた。
ここで頭を下げとけば、面倒も抱え込まなかったのに、若かったなあ。
「んじゃ、やってやるよ! お前ら、そんだけ言ったんだから、出来たら何を賭けてくれるんだ? お金か? 命か? ん〜?」
もう、負けん気全開よ。
とはいえ、勢いだけの言葉じゃない。俺には俺なりの策があったんだ。
学区のはずれにある、ペット屋の店主さん。以前、俺の家で姉貴がハムスターを購入する時、一緒についていったことがある。
その時、俺は見たんだ。そこの店主さん、客に対しては普通に話すんだが、その会話を遮るようにけたたましく鳴く動物がいると、鳴き声をまねて静かにさせる。
「ちょっとした、一発芸ですよ」と、驚く俺たちに、こともなげに語って見せた姿が印象的でな。無意識のうちに、あの人と同じレベルに立てない奴が、地球の外から来る奴と話すことなんかできやしない、と思ったんだ。
店が見えてくると、俺はそっと近くの物陰に姿を隠し、様子をうかがった。
宣伝のためか、店はその軒先へ、定期的に動物の子供たちをケージの中へ入れた状態で出している。今回は子猫たちだった。
やがて店主さんが、ベージュのエプロンを身に着け、外に出てくる。ケージに取り付けられている自動給水機のかさを確かめた後、喉から猫に似た鳴き声を出した。
すると、三段ケージの中で、思い思いにくつろいでいた猫たちが、一斉に店主さん側の金網へ、張り付かんばかりの勢いで集まってきたんだ。「にゃあにゃあ」と順番に鳴いて、店主さんの声へ答えているように見える。
それに対し、店主さんはにこりと笑いながら、「にゃあにゃあ」と返し、店の中へ引っ込んでいく。
――これだ。猫たちを惹きつける鳴き声。これを手に入れたいんだよ。
俺は帰宅途中の道路で、さっそく実践してみる。
車道を「こそこそこそ」と、せわしない足運びで横切った白猫が、俺のいる歩道に足を掛けたところで、わざと足音を立てながら近づいていく。
猫の足が止まり、こちらを向いた。その目を見返しつつ、俺は店主さんが聞かせてくれたような鳴き声を、できる限り真似してみる。
――逃げられた。
猫はさっと顔をそむけたかと思うと。道路を渡った時よりも、気持ちスピードアップして、目の前の生け垣の下へ潜り込んでしまう。
かといって完全に逃げ去ったわけではなく、垣根の下でらんらんと目を光らせて、今一度、俺をにらみつけているようだった。
「やべえよ。やべえよ。この人間、なんかやべえよ」
そう言われているような気さえした。
以降、トライアンドエラーは続く。俺は毎日、下校すると例のペットショップ付近に、張り込んだ。
自分だけの力で成し遂げることを至上とする俺は、店長さんに直接師事することを、よしとしなかった。
教えを乞うても、いつなんどき、店長さんがそのことを、ぽろりと客に漏らすことか。それがクラスメートに知られたら、俺のすごさは半減するだろう。
あくまで盗む。指示は受けない。誰の意見にも頼らず、自分だけの錬磨で手にした成果こそ最大の勲章のはずだ。
それでも、耳で聞いた声を思い出すだけでは、なかなか成果は出ない。
業を煮やした俺は、ついに、手の中で握り込めるほどの大きさのボイスレコーダーを用意。精度を高めるために、これまでの隠れ場所を離れ、店に肉薄したのだが。
「――何をしているんだい?」
店長さんに見つかった。
その時の俺の位置は、ケージに一番近い壁のへり。店の正面から見た場合はバレバレで不審者丸出しだが、店長さんが出てくる店の内側からではちょうど死角になって見えない。その至近距離で声を収め、研究材料にする計画だった。
いつもだったら猫たちに声かけて、それで終わりの店長さん。なのに今日に限って、唐突に俺が待機する壁をのぞき込んできたものだから、心臓に悪い。
「見た顔だな。確か……数年前にハムスターを買いに来た子と、一緒にいたっけ?」
――なんで覚えてんだよ。キモイわ。いや、それよりバレたことのがまずい。さっさととんずらしないと。
店長さんの制止の声を振り切りつつ、レコーダーの録音停止。俺は飛ぶように、自宅へ直行した。
それから数時間。俺は部屋で店長さんの声を、何度も再生。もう一つ自分の声を録音したレコーダーも使って、じょじょに声質をチューニングしていく。
そして数時間をかけ、完全に店主さんの声を再現できたと確信した俺。感覚を忘れないうちにと、家の外へ飛び出した。
いつぞや猫に無視された、あの道路。まだ明るさが残っている歩道の上に、茶色い毛に覆われた猫が一匹、ガードレールの下で毛づくろいしているところだった。
俺はすうっと息を吸い込むと、及第点だった録音を思い出し、声を出す。
猫はすぐに反応を示した。毛づくろいをぱたりとやめると、頭を上げて俺を見つめてきたんだ。
もう一度。今度は身体も起こして、俺にてとてとと近づいてきて、足元にすり寄ってきた。
それだけじゃない。生け垣の下から、ブロック塀の上から、続々と猫が顔をのぞかせる。警戒しているとは、この時の俺は思わなかった。むしろ物欲しそうな感じさえしたんだ。
――ついにやってやったぜ。ざまあみろだ。
俺は心の中でガッツポーズ。明日の下校際にでも披露してやるか、と算段を立てつつも、連続で鳴き声を出す。
歩行者の姿が見えないのをいいことに、どんどん猫を足元に集める俺だったが
「やめとけ! 危ないぞ!」
いくつかある路地の一本から、人の声。そこから顔を出したのは、ペットショップの店長さんだったんだ。
それに前後して、車が急ブレーキを踏んだようなけたたましい音が、俺の耳を叩いた。
車道を向いたけど、車の影がない。でも、足元の猫たちは一斉にぴんと尻尾を天へ逆立てながら、俺の家と反対方向をにらんでいる。
「いかん!」と、駆け寄ってきた店長さんが俺を路地へ引き込むのと、俺を取り巻くように集まった猫たちのうち、一番外側の連中が空を舞うのは、ほぼ同時だったよ。
猫たちの身体は順番に、周りのブロック塀を超えるほど宙に浮き、そして叩きつけられる。
単なるジャンプじゃないことは、彼らが空中で手足をひたすらばたつかせたのと、まともに着地できた者がほとんどいなかったことから、明白だ。
波を打つように宙を舞った猫たちは、いずれもすぐに起き上がること、かなわなかった。
あっけに取られた表情で、その光景を見つめる俺に、店長さんが苦々しげな顔で尋ねてくる。
「君、あの声が何を意味するか、分かっていたのかい?」
「猫を呼び寄せる声でしょ?」という俺の返答に、店長さんは「話にならない」とばかりに首を横へ振った。
「あれはね、『守ってやるから、そばにいろ』って意味合いだ。寂しがり屋の猫にとってこれ以上の殺し文句はない。
猫たちがやたらと未知や、周囲を気にするのはなぜか知っているかい? 外に出ると、彼らは常に、何かに追われて気が休まらない。中には私たち人間にとって、得体のしれないもの相手の時だって」
店長さんがあごをしゃくる。そちらを見た僕は、息を呑んだ。
倒れていた猫たちが、一斉に立ち上がり、僕をにらみつけている。目も口も大きく開いて、「シャー!」とか「フー!」とか、荒い息を漏らしていた。
「守ってやる、といった奴に裏切られたんだ。怒るのも当然だよ」
そういうと店長さんは、俺が聞いたことない猫の声で、彼らに語り掛ける。
店長さんの声を聞きながら、しばらくはいらだたし気に左右へ尻尾を振りつつ、顔をしかめていた彼ら。それがじょじょに尻尾の動きを止めたかと思うと、一匹、また一匹と背中を向け、去っていく。
彼らがをなだめすかした店長さんは、「ふうう」と深いため息をついた。
「あの鳴き声は、相応の覚悟がある者しか、使ってはいけない。下手を打てば、猫を追う者か、あるいは猫そのものか……いずれかの手で命を奪われかねないんだ。
どうしても使いたいというのなら、君がもっと大きくなってから。それまでは封印だ」
いいね? と念を押し、店長さんは路地の向こうへ歩いていく。その背中が、俺にはやけに大きく見えたよ。
店長さんとの約束の通り、俺は猫との会話を断念。クラス全員の笑いものになる道を選んだ。
あの声は、今も使っていない。いざやろうとしても、すっかり声変わりしちまったからな。かなり調整しないと、だろ。
久しく実家方面へは帰っていないが、あの店長さんは今もペットショップで、彼ら動物たちを守り続けているのだろうか。