私は宮仕えの文官である。名前はあまり呼ばれない。
私は宮仕えの文官である。名前はあまり呼ばれない。
今日も同僚と取り留めの無い雑談をしながら仕事をしている。
あっ、これ計算間違ってる。会計課のやつ仕事さぼったな。
爵位持ちのボンボンばかりの会計課は、仕事をテキトーにやって回してくるから困る。
いつもと変わらない仕事。いつもと変わらない雰囲気。いつもと変わらない……いや、前のデスクの人、いつもより化粧濃いな。この後合コンにでも行くのか?若作れてないぞ。
「おい、殺すぞ」
「すいません」
鬼のような形相で殺害予告をされてしまった。
なぜ思考がばれているのか 。女のカン、という奴だろうか。しかし女というにはあまりにも……また鬼のような形相で睨まれた。深く考えると今度は予告では済まなさそうだ。やめておこう。
「それでいい」
……もはや何も言うまい。
私が悉く思考を読まれることに怯えながら仕事を続けること数十分、いつも通りのはずのこの事務所にノックの音が響いた。
「おい」
「はい、私が対応します」
今日の前のデスクの人はとても怖い。素直に従おう。
そういえば前のデスクの人の名前知らないな、二年近く同僚として働いているはずなんだが。
そんなことを考えながら、ノックされた扉を開けた。
「ごきげんよう!こちらにアンドリウス・デ・マレン様はいらっしゃるかしら?」
後ろで同僚たちがざわつきだした。
そうだろう、だって訪ねてきたのは陛下が溺愛している、それはもうかわいらしいお姫様なのだから。
今年で14歳になると伺っていたが、その割に発育が……おっと背後から圧力が。これは前のデスクの人が睨んでますね間違いない。
「……もしもし?聞こえなかったのかしら?」
「失礼。アンドリウスは私でございますが、どのようなご用件でしょうか?」
「まぁ!あなたがアンドリウスなのね!すぐに執務室まで行くわよ!パパが呼んでるわ!」
そういって私の手を取って駆けだす殿下。うーん、噂に違わずお転婆って感じだ。
扉が閉まる前に聞こえた同僚たちはさらにざわついていた。急展開だったものね。気持ちは分かる。
「あいつそんな名前だったのか……。知らなかった」
「俺も知らなかった」
「私も」
おい。
胃が痛い。本当に執務室に入らなければいけないのだろうか。
執務室への呼び出し。つまり陛下からの呼び出しであるわけだが、如何せん呼び出されるようなことをした覚えは無い。クビだろうか。それはとても困る。
「いつまで扉の前で立ち止まっているのかしら?パパも暇じゃないの、入るわよ!」
ジーザス。心の準備を終える前に殿下に扉をあけられてしまった。それはそれとして、いくら親子とはいえ執務室に入るのにノックは必要だと思うんだが、どうだろう。
「……マリー。いつも言っているが部屋に入るときはノックぐらいしなさい」
「いつもはしてるわ!パパがいることが分かっているからしていないだけよ!」
「その言葉遣いも……まぁそれは後で教育係に伝えておく。それで、後ろの青年がアンドリウスか?」
「そうよ!」
陛下の確認に返答しようとしたが、殿下が意気揚々と答えてしまったため、礼を返すにとどまる。
「マリーはいったん部屋に戻っていなさい」
「私もいたらダメなのかしら?」
「ダメというわけではないが、稽古の時間までもうあまり時間もないぞ」
「あら?本当ね!それじゃあ失礼するわ!」
颯爽と去っていく殿下。
嵐のような方だ。
「そんなに部屋の隅ではなんだ。ここのソファーに座るといい」
「失礼いたします」
言葉は震えていないだろうか。陛下とサシで向かい合うとかちょっと聞いてないぞ。
陛下も早く要件を述べてはくれないだろうか。胃が痛いのを通り越して吐き気もしてきた。
「気を楽にするといい、悪い話をするわけでは無い」
無理をいわないでほしい。
「さて、君を呼び出した用なんだがね、簡単な話だ。近日中に我が国から勇者が現れるから、そのパーティの一員として魔王討伐に携わってほしい。まぁ、これは王命だから拒否権は無いぞ」
「は?」
「ちなみに君が選ばれた理由はくじ引きだ。魔王討伐に携わる人物を選出するのに、運も重要な要素である……と宰相に言われたのでな」
「は?」
あれよあれよと一ヶ月後。
その間にしたことと言えば、教会へ赴き、冒険者適正を確認したぐらいか。
体を鍛えたり技能を身につけたかったが、普通に仕事があった。本当に私を勇者パーティに入れるつもりなのかを疑うほどに、普通に仕事があったのだ。正直頭おかしいと思った。
……さて、冒険者適正については基本、幼年期の段階で家族に連れられて調べるモノだが、私や私の家族は、将来は宮仕えの文官コースが安泰であろうと考えていたため、冒険しないのに適正なぞ調べる必要も無いとして、27歳の今でも知らなかった。
しかし、私は結果を見た瞬間に膝から崩れ落ちた。
最適であるとされたのはファイターだったのだ。
痛いのはいやだし、魔法使いとかで後ろからチクチクしていたいと考えていた私は、痛くて当たり前のステゴロを強要される、私的なりたくないジョブランキングのトップを飾るジョブの才能をピンポイントで持っていた。
しかもまさかのSランク。
結果を見た司教様は大興奮。Sランクは神の啓示により存在は認知されていたが、歴史上ただ一人も存在しなかったオーバーランクなのだそうだ。
基本的にどれだけ優れた実力者でも、適性ランクがBないしAだといえば分かるだろうか。そういうことだ。
魔法使い適性はCランク。もちろん、ファイターになることを捨ててこちらを選ぶことを許されるはずもなく。
打ちひしがれる私は、いわゆる転職用の聖なる光を浴びながら涙を流した。
こうして宮仕えの文官としてのアンドリウスは休職し、近接戦闘では勇者以上のエキスパートとして勇者パーティの一員となったのだ。喧嘩一つしたことないのに。
今日から旅が始まるのだと親や少ない友人に別れを告げ、待ち合わせ場所で待つこと数分。そこではじめて勇者のエレン、僧侶のローレルと顔を合わせた。
そのときに行った簡単な自己紹介で、昨日まで王城で文官として仕事に励んでいた旨を伝えた時の『え?こいつマジ?』の顔は忘れられない。私もそう思う。
勇者パーティなんて言ってはいたが、いるのは勇者、僧侶、ファイターの三人だけ。
しかも、私だけが成人済みのおじさん予備軍であり、二人はまだ18歳なのだという。
少しどころか、かなり戦力が足りていないように思えたが、都合の良い人物がいなかったとのこと。元々文官である私を採用するぐらいなのだから、都合が悪くても採用しろよとは何度も思ったがそうはいかないらしい。
道中は親睦を深めるため雑談をしながら歩いていた。
その中で、エレンは勇者適正がAランクであり、勇者適正は複合ジョブのため、剣士と魔法使い、付与術士の三つが扱えるらしく、そのどれもがAランク相当。曰く、それらを上手く利用して誰がみても分かるような勇者ムーブが得意らしい。
ローレルは僧侶適正がAランクで、コレもまた複合ジョブであり、聖職者がAランク、魔法使いにBランク相当の適正があるらしい。
やはり二人ともとんでもない素質の持ち主だ。
そして、私はファイター。格闘一本である。ただしSランク。前例のない謎のオーバーランクだ。二人は不安げな顔を一転させて、どこか期待を抱く表情になっていたように思う。私自身は不安しかなかった。
初戦闘は、王都を出て三時間ほどしてからだった。
ドラゴンが突如空から襲いかかって来たのだ。
旅の始まりにいきなりドラゴン。私をくじで選出させた宰相の言葉を借りるのであれば、確実に『運のない勇者パーティ』であることが確定した瞬間だと思う。
空から降り立つ空の絶対王者ドラゴン。その羽ばたきの風圧で、私たちは少し吹き飛ばされた。その瞬間私は、まず勝てないだろうし、どうにか逃げられないものかと怖じ気づいた。しかし、二人を見れば、抜剣して戦う気満々の様子。
このままだと王都にドラゴンが出現することになる、ここでなんとしても撃退しなければならない。ということだろう。
さすが勇者。正義感が強い。でも低レベルパーティが魔王軍の幹部級といわれるドラゴンと戦うのは蛮勇が過ぎると思うんだ。
私が、いやいや戦いたくない、と考えていると、よりにもよって私のところへドラゴンが飛びこんできた。飛びこむ、というよりも、あれはドラゴンダイブと呼ばれるれっきとした攻撃技だろう。昔飲み屋で高ランク冒険者が語っていた。
回避は間に合いそうになく、エレンとローレルは若干援護は難しそうな距離感で。
思わず悪あがきとして情けない拳を正面へ繰り出したところ、ドラゴンが大きく後退し、倒れ、絶命していた。
意味が分からない。コレは私が原因なのだろうか。
そうであれば、ファイターというジョブ名、間違えているのではないだろうか。
私は目の前に倒れ伏すドラゴンを尻目にそう思った。
「えぇ……」
「怪我は……なさそうね」
二人とも、心配半分ドン引き半分といった様子だ。
「……いえいえ、私はただとっさに拳を繰り出しただけなので。このドラゴンが特別弱かっただけではないでしょうか」
「弱っていてもただ殴りつけるだけでドラゴンが絶命するわけないじゃない。貴方何をしたのよ……」
呆れように呟くローレル。気持ちは分かる。
言動こそ落ち着いているが、私も内心では驚愕している。
まず、私は殴っていないのだ。
当たった手応えもなく、ただ拳が空を切っただけ。それなのに何故ドラゴンは死んでいるのだろうか。
「それにしても、マレンさんは何をしたんですか?あの一瞬、拳がぶれて見えなかったんですけど」
エレンにそう言われ、まさかと一つ思いつく。
少し離れるように言ってから、腰を落として人気の無い森の方向へ拳を繰出す。
数瞬遅れて吹き飛ぶ木々。地面もえぐれ飛び、さながら大きな災害が起きたような光景が眼前に広がった。
予想が当たってしまった。
前例のないSランクの力なのだろうか。標的に触れずとも、拳圧のみでドラゴンブレス級の事象を引き起こすファイターとは一体。思わず閉口した。
「まぁ……こういうことらしいですね」
半ば呆然としながら振り返ると、ハイライトの消えた二人が私を見つめていた。
「僕たちこの旅に必要ですか?」
そんなことは言わないでほしい。
それからというもの、旅はかなり順調だった。
立ち寄った村では、近くに大規模なゴブリンの巣ができてしまい夜も眠れないと言われ、見つけた巣に向かって全力で空振り。更地が広がりすべてが終わった。パーティの二人の瞳は濁っていった。
エルフ族のもとへ公爵級の大魔族が現れた際は、すぐに駆けつけて対峙し、余裕綽々に私の拳を受け止めようとしたようだが爆発四散して終わった。
しかし自然の守護者であるエルフ族から、どうしようもない状態を除いて、自然の広がる環境で拳を振るわないように願われた。拳一つで環境破壊だもの、恩人であるためかオブラートに包んだ言い方ではあったが、すぐに理解した。もちろん承諾した。二人の瞳が輝いた気がした。
エルフ族に願われて拳を自主的に封印した私は、二人の戦闘を後ろから見守るようになった。
戦闘役が二人だけでも、支障をきたすことは一切無く、魔王城への旅路に変化はなかった。なにせこの二人もハイスペックなのだ。ちょっと私がオーバーパワーだっただけで、十分に英雄としての素質のある子たちである。
しかし、こう、若い二人に任せっきりで後ろでくつろぐおじさんというのは外聞的にどうかと思い、何かできることは無いかとエレンに尋ねたところ『マレンさんは後ろで待機してて!』ローレルには『町中で私たちの保護者として振る舞ってくれればそれでいいの!』と、言われてしまった。
かなり必死の形相だったことを覚えている。
半年もたつ頃には、三人しかいないパーティでのお荷物な現状に私もいたたまれなくなり、過剰な攻撃にならないような技を開発した。
――あれほど簡単に拳圧が飛ぶのなら、指でも可能なのでは?
おぉブラボー!と、私は心の中で自分に拍手をした。
結果は成功だった。
いわゆるデコピンの構えから発生する、後方からの破壊力抜群でみえない攻撃。敵は爆発四散する。
後衛にいるため被弾の可能性は限りなく低く、痛いのはいやだという私の考えと攻撃方法が見事に一致した、我ながら天才的な技の開発だった。
同行する二人に見せたときには、若干諦めたような顔をしながら『この攻撃なら……まぁ……』と戦闘に関わる許可をいただいた。久しぶりに二人の瞳が濁った気がしたが、気のせいだろう。
『あの威力はおかしいよ』
なんて言葉は聞こえていない。
中・遠距離の攻撃方法を手に入れ、後方から指でちまちまと魔王軍を蹴散らしながら進むこと約1年。
勇者の旅を応援する民草には『勇者の寄生』や『ただの保護者』と言われていた私も、相対する知性のある魔王軍の連中からは『不可視の弾丸』だの『手加減で爆発四散させる男』と呼ばれるようになっていた。評価が極端すぎる。
そして、いま私たちは魔王と向かい合っていた。
魔王は、今まで魔王軍の幹部だと言っていた魔族連中とは、相対して受けるプレッシャーからして格が違った。
これが魔王か。全力で戦わなければ、と私が気合いを入れていると、エレンとローレルに肩を掴まれ後方へ下げられた。
そう、魔王というラスボス戦ですら、私の開幕からの参戦は認められなかったのだ。
痛いのを覚悟で前衛になろうとしたのに、さすがにどうかと思う。
「早いものだな。今代の勇者は優秀なようだ」
玉座に座りこちらを見据える魔王が、ふと、こぼれるように呟いた。
その目はエレンとローレルに向いており、後衛に下げられた私のことは一瞥しただけであった。
「……マレンさんがいたからな」
「……えぇ、本当に楽な旅だったわ。苦戦が無いもの」
言葉だけ見れば感謝されているようだが、実際は二人からチクチクとしたトゲを感じた。
きちんと二人が成長できるように、敵の主力は任せて露払いを主に担当していたはずだが、いけなかったのだろうか。
「打倒するための全力の技が、溜めナシの指二本で出る攻撃と同じ威力なのをさんざ見せつけられてるんですよ!僕は勇者なのに!」
「怪我を負う直前に目の前の敵が消えるから得意な回復魔法、一度も使わなかったわよ!」
「良いことじゃないですか」
「「――ッよくない!」」
ギャーギャーと口論を始める私たち。
およそ決戦の前とは思えぬ会話の応酬を、魔王はニヤニヤと笑いながら見ていた。
「ほう?下げられた男はただの荷物持ちなのかと思っていたが、貴様らの中で最も力のある存在なようだな。……良いだろう。貴様、我に全力の攻撃を放って見せよ。それで貴様らには勝てぬ存在がいるという絶望を教えてやる」
その思わぬ提案に口論を収めて私たちは魔王をみやった。
「魔王軍のウワサは知らないのか!?マレンさんが『手加減で爆発四散させる男』だぞ!」
「ちょっとその呼び方はやめてください」
「†不可視の弾丸†」
「あの」
エレンも魔王を説得しないで。ローレルは煽らないで。キャラを間違えないでほしい。
「はっ、配下の連中は所詮雑魚よ。あの程度の連中の評価などアテにはなるまい。ほれ、攻撃してこい」
玉座から降り、レッドカーペットの上を悠々と歩いて広間の中央で構える魔王。
軽口をたたいていた二人も、体制を整えた魔王を前にして緊張を隠せないようだ。
「それじゃあお言葉に甘えて……。あ、私はファイターなので近寄りますね」
二人の間を抜けて魔王の前へ、攻撃しやすいように構えて、力を込める。
「では、いきます」
そうして筋肉を爆発させるように稼働させ、魔王の頭を蹴り飛ばした。
脚の筋力は腕の3倍と聞く。コレを知った日に、私は無闇に脚での攻撃はしないようにしようと誓ったのだが、相手は魔王。そして、おそらくタダで受けてくれるのはこれっきりだろうと思い、はじめて脚で攻撃してみたのだ。
結果、暴風とともに吹き飛ぶ魔王。城もろとも広間は崩壊し、慌ててエレンとローレルを抱えて城を脱出。魔王が吹き飛んだ方向へ駆けた。
崩壊した城から二百メートルほどだろうか。
散乱する瓦礫の中で、魔王は泡をふきながら白目を向いて瀕死になっていた。
城内での威厳は見る影も無い。
「瀕死とはいえ、アレを食らって生きてるのか……」
エレンが戦々恐々としながら呟いた。
私も、まさか生きているとは思わなかった。はじめての蹴撃とはいえ、長いイメージトレーニングとSランクファイターの恩恵が完全に乗った一撃だったのだが。
フリーで攻撃させてもらえてよかった。と、考えていると、ローレルがバカにするように私たちを見ながら言った。
「あなたたち知らないの?魔王は勇者が聖剣でとどめを刺さなきゃ死なないのよ。だからマレンさんがどんなにえげつない一撃を見舞っても、瀕死にこそなれ、絶命はしないのよ」
ほら、早くやりなさいよ。と、ローレルはエレンを魔王の前へ押した。
この時のエレンは何を思ったのだろうか。
凄まじく微妙な顔をしながら、聖剣を魔王の胸に突き立てた。
勇者パーティの一員としての旅からおよそ2ヶ月が過ぎた。
たった1年で魔王を討った、歴史上類を見ない英雄。
そんな評価を受けながら王都へ凱旋した。二人は。
そう、私の民草による評価は『勇者の寄生』のままだったのだ。
仕方の無いことだと思う。魔王軍に言われていたように、旅の道中の私は基本的に不可視の攻撃しかしておらず、端から見たら未成年の後ろでのんびりしてるおじさんだったから。つらい。
しかしまぁ、生きて帰ってきたことを喜んでくれた家族の姿を見ただけで十分というモノだ。
陛下からの魔王討伐による報酬も、二人と比べて微々たるモノだった。それでも私や、私の家族が幸せに暮らしていくには十分だろうと思えるほどはもらえたのだが。
しかし、この評価に待ったをかけた人がいた。エレンとローレルだ。
特に、エレンの剣幕がそれはもうすごかった。
『マレンさんがいなければ出発の日に全滅もありえた』
『あの人がお荷物な訳がない、むしろ自分たちが後方待機をお願いしていた』
『魔王を瀕死に追いやったのは彼』
『ていうか僕はとどめ指しただけなのでこんなに報酬をもらいたくない。こころがくるしい』
すべて事実だが、最後の言葉を聞いていて涙がこぼれそうになった。
そういえば、魔王戦は私が一撃入れてとどめに聖剣を突き立てただけでしたね。
エレンの言葉を聞いていた貴族や民衆は、勇者といえど子どもが大人に発言を強制されているのではないかと騒ぎ立てた。
しかし、エレンの『疑うのであれば証明していただきましょうよ!空に向かってあのときの一撃をやってください!』という発言により、騒然としていた場は一旦落ち着き、そのまま私が実践する運びとなった。
証明するにしてもファイターだろ……?
なぜ空に向かって……?
という声が聞こえる中で、安全のためだとして民衆に大きく距離をとってもらった私は、あの日のように構え、空へ向かってハイキックをした。
あの日以来の蹴撃は、二度目ということもあり、あの日以上の威力だったように思う。
この日、歴史に『空を割った男』として、アンドリウス・デ・マレンの名が記されることが決まった。
私は宮仕えの文官である。様々な人に名前を呼ばれるようになった。アンドリウス・デ・マレンだ。
今日も同僚と取り留めの無い雑談をしながら仕事をしている。
あの日、エレンに催促されるままに実践した後、貴族から民衆から家族まで、手のひらを返したように英雄だと囃され、陛下からは今後どうするのかを尋ねられたが、私は休職中の身。
また文官に戻ると伝えた。
武官や冒険者にはならないのかと、会う人会う人に言われたが、私はもとより文官であることが性に合っているのだ。
文官として復職してから、変わったことは2つある。
1つ目は、名前を同じ課の人間に覚えられたことだ。
若干私への態度も変わるかと思っていたが、そこは何も変わらず。以前のように課内で中堅として立ち回っている。
それにしても、今にして思えば、お互いに名前を知らない淡泊な関係だったと思う。私も鋭意名前覚え中だ。
2つ目は、会計課の貴族連中が仕事をさぼらなくなったことだ。
仮にも英雄扱いされる人間が、自分のした仕事のチェックをしているという事実に恐れているらしい。良いことだと思う。最初からやれ。
いつもと変わらない仕事。いつもと変わらない雰囲気。いつもと変わらない……いや、前のデスクの人、では無いな。名前はミサさんだったか。いつもより化粧濃いな。この後合コンにでも行くのか?若作れてないぞ。
「おい、殺すぞ」
「すいません」
鬼のような形相で殺害予告をされてしまった。
なぜ思考がばれているのか 。女のカン、という奴だろうか。しかし女というにはあまりにも……また鬼のような形相で睨まれた。深く考えると今度は予告では済まなさそうだ。やめておこう。
「それでいい」
……もはや何も言うまい。
私が悉く思考を読まれることに怯えながら仕事を続けること数十分、いつも通りのはずのこの事務所にノックの音が響いた。
「おい」
「はい、私が対応します」
今日のミサさんはとても怖い。素直に従おう。
そんなことを考えながら、ノックされた扉を開けた。