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都心から離れた海の近い町。
そこにたたずむ少し古めの外装をした1件の店がある。
【sleeping princess】と名のついたその店は、世界で今や知らないものはいない【仮想姫】の休憩所。
仮想世界が生み出した少女たちの癒しの場所。
・・・という謳い文句をつけた【仮想姫の修理屋さん】
そこでは、調子が悪くなった仮想姫の調整や修理を行っている。
都心で開けば大儲けできるだろう職人がひっそり始めたその店は彼にとって理想の立地で理想のスタイルらしい。
そして、毎日のように飛び交う声は喜びや感謝ばかり・・・だったらよかったのだが、他の修理屋ならともかく、ここに限ってはそんなことあるはずもなくて、今日もやっぱり聞こえてくるのは客の大きな怒鳴り声だった。
「これは、一体どう言うことなんだ!」
店先で暴れられないように連れてきた応接室で、客の男性が両手を勢いよくテーブルに叩きつける。
ぶつけられた怒りは、頬にある手のあとのせいではないらしく。
どうやら、俺の説明に大層ご立腹なさっているせいらしい。
その事は、彼から向けられる表情と眉間に寄せられたしわがはっきりと証明してくれている。
そんな、客に対して普通なら謝ってその場をしのいでしまうのが正解と呼べる行動であることは知っていた。
しかし、いくら客が怒りを向けていたとしても店のルールを曲げる気は毛頭ない。
俺は座っている椅子に背を預けたまま、あくまでも冷静に自分と客の男性の間を阻むテーブルに置かれた1枚の紙を男性の方へと近づけた。
「そこに書かれた通りだよ。お前の【仮想姫】はここで保護する」
「納得できるわけないだろ!」
せっかく読みやすいようにと近づけた仮想紙が、男性の右手によってテーブルから弾き出され、立ち上がった彼の怒りだけがこちらへと向けられた。
男性もそろそろ我慢の限界らしい。
全く、人間ってやつは短気だね~。
怒りたいのは俺の方だってのに・・・・・・
ヒラヒラと宙を舞っていた仮想紙が、ようやく着地点を俺の足元へ決めて床に降り立ったのを確認して、男性が払いのけた仮想紙を拾い上げ、あるはずのない不備を確認するように書かれた文をわざと声を上げて読み上げる。
あくまで冷静に・・・
冷静にだ。
「『※修理した後、仮想姫が帰宅を拒否した場合に保護権利は修理屋のものとする』・・・ほら、契約書にちゃんと書いてあるだろ」
「だからどうした? あいつは俺の【もの】だ!!」
しかし、すでに彼の心は俺の説得を招き入れる気など全くないらしく、結局は煽りという形で俺の声を否定した。
「だいたい、何で主である俺が【仮想姫】の気持ちを考慮してやらなきゃいけない?」
「この店のルールだからだよ」
「この店内でのルールが社会全体に通用すると思ってんのか? バカな奴だな」
馬鹿はお前だっての・・・・・・
人は焦ると他人を否定するようになる。
これがいい例と言うものだろうとか、くだらないことを考えながら、俺は1つのメモリーを机に置くことをしぶしぶ決意する。
「いい加減黙ったらどうだ?」
置かれた【ソレ】に男性の視線が止まる。
まさか・・・って顔してるな。
そうさ。
その通りだよ。
本当ならこんなものを使いたくはないのだが、これを見せなければこの場を納めることができない以上、仕方がないとそう自分に言い聞かせて、俺は背を預けていた椅子から離した。
『知らない』なんて口にしたら殺してやろうかと思ったが、そんな余裕は提示された時点でなくなっていたらしい。
机にのった【ソレ】を見て、顔には出していなかった焦りが一瞬で彼の表情に現れる。
「黙って帰れば見逃してやるよ。でも、まだ騒ぐってんなら・・・分かるよな?」
返ってきたのは返事ではなくペンの音だった。
仮想空間を利用して電子データに直接書き込んでいるはずなのに鳴るいつもの不思議なその音に俺はようやく安心を覚える。
「ようやく納得してくれたか?」
「してると思うか?」
「思わないな」
それは終わりの合言葉。
この店に来た大半が口にするお決まりの台詞だ。
男性は、立ち上がると応接室にある2つの扉のうち出口とは逆の方へと歩き出す。
「待てよ」
俺の声に彼は足を止めると振り返る。
顔色はまだ悪いままだった。
「まだ何かあるのか?」
「帰るならちゃんと店の出口から出ていけよ」
「出口って・・・こっちだろ?」
「まあ、そうなんだけどさ」
男性の向かう先にある扉は確かに外に繋がっている。
しかし、俺の指はそれとは逆の扉を指し示していた。
「どういう風の吹きまわしだ?」
「別に」
その意味を知ってか、彼の先ほどまで青ざめたような顔色が一転して元の冷静さを保っていた時に戻る。
そんな彼に向けて俺は、サインの入った契約書を指で弾いた。
データ化されたそれが俺と男性の間に作られた仮想空間を一直線に進み彼の前で止まる。
「ただ、相手がどう思おうと主人として別れを言うことぐらい許されるんじゃないかと思ってな」
『保護に際し、今まで主人だった者は最後まで主人としての責務を全うすること』
契約書の最後の行に書かれていた1文を目にして、それでも彼は店の出口ではなく自分で決めた扉を選択し、ドアノブへと手をかける。
「深夜。昔から変わらないな、その人に甘い性格」
「そうか?」
「ああ、お前は人に甘すぎる。だから・・・」
『あんな失敗するんだよ』
それだけ残して、彼は扉の向こうへと消えていった。
「わかってるよ」
その言葉は彼の耳に届くことなく自分の胸を締め付ける。
痛い
痛い
痛い
「でも、仕方ないだろ」
人は欲しがりで
人はずるくて
人は嘘つきで・・・
それでも、信じてみたいって思ってしまう
それが人間ってやつなのだ。
信頼なんて肩書きを相手に押し付けてちょっとでも自分に対して都合の悪いことがあれば、【信頼】という言葉を武器に相手を追い詰める。
信頼ってのは当て付けで自己満足でだだの欲しがりだ。
そんな欲しがりを相手に押し付けて、自分の武器に変える人間って生物はすごくずるい。
ずるくて・・・でも、なにも言えない。
そして、実感する。
自分も人間なのだと・・・・・・
自分以外に誰もいなくなった部屋で1人、大きく息を吐くと店先の方からトントンと扉を叩く音が聞こえた。
「どうした?」
「深夜お兄ちゃん。もう大丈夫?」
「ああ」
扉の向こうから聞こえた声で入ってくる人物の見当がつく。
そして、開かれた扉からひょこっと顔を見せたのは俺の予想していた少女。
七葉は、トテトテと走り寄って来ると当たり前のように俺の膝の上に小さな体を乗せた。
「お兄ちゃん。さっきのお客さんは?」
「あいつならもう帰ったよ」
「えー、久しぶりにお話したかったのに」
膝の上で俺を見上げるようにただをこねる彼女の頭を優しく撫でてやる。
「あいつならまた来るだろ」
「そうかな?」
あいつがこの店に来て、トラブルを起こすのは今回が初めてではない。
いつも何かしら修理を頼んでは時々、今日のような案件を持ってくる。
だから、いつものようにそのうち顔を出してまた俺に締め上げられるだろうことは容易に想像できた。変な昔馴染みを持ってしまったものだ。
「ああ。だから、その時にいっぱい話を聞いてもらえばいいさ」
「うん!」
撫でられるのが気持ちいいのか、膝の上で大人しく相づちを打つ彼女を横目に俺は空いていた逆の手で机に置かれているメモリーを摘まむように持ち上げた。
「それ、なあに?」
「これは、下らないことを考えた人間のゴミの結晶だよ」
「ごみのけっしょう?」
持ち上げた【ゴミの結晶】に興味を持つ少女に対して簡単に答えるとそのままメモリーを2度と使われることのないように持っている手で握りつぶした。
「あ、そんなことしていいの?」
「ああ、これは不要物ってやつだからな」
「ふようぶつ?」
言葉の意味がよくわかっていないようで、俺の発する言葉を繰り返しながら、頭に【はてな】を浮かべていた。
「ななは、まだ知らなくていいんだよ」
そうだ、彼女が人間の欲望を満たすために仮想姫に残虐的な行為を行えるようになる違法プログラムの存在を知る必要なんてない
「それより、なにか用があって来たんじゃないのか?」
「あ、そうだった!」
俺の発言になにかを思い出したらしく、彼女は膝から降りるなり、頭を撫でていた俺の右手を両手でつかんだ。
「前にお兄ちゃんが言ってた【おとくいさま?】って人が待ってるの!」
「おう、もうそんな時間だったか」
能天気にそう答えると、「待たせちゃダメだよ!」と急がせるように掴んだ手を引っ張る少女。
そんな彼女の様子に思わず笑みを浮かべながら俺は彼女に手を引かれ店先へと連れられていくのであった。