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人々は愛に飢えていた。
だからなのだろう。
仮想世界が成立してすぐに彼女たちは生まれた。
『あなたも気軽に好きな恋を始めましょう』
その人々を惑わすことになる謳い文句を掲げて売り出された製品。
それこそ少年が作り上げた彼女たち【仮想姫】だった。
当時のことを少年は忘れてはいない。
一瞬でも夢がかなったと思えたあの瞬間。みんなの笑顔が見られて、みんなが幸せになれたんだって思えたあの時の気持ちを少年が簡単に忘れられるはずがなかった。
その先にある絶望を知らなかった彼にとってそれはいつまでも忘れることのない幸せな出来事になるとそう確信していた。
あの真実を知るまでは・・・・・・
それを知った時、彼の心境は酷いものだった。
かなった夢が大きかった分、絶望もまた大きく少年にのしかかる。
人の本質が見えていなかった過去の自分に少年は大きく後悔した。
いつの間にか、人々は楽をして手に入れることのできる愛を知って、もっと深い愛を求めるようになっていた。
慣れるとそれは当たり前に変わる・・・・・・・
悪夢の原因・・・・・・
あの事件・・・・・・・・
信じたくない光景・・・・・・・・
母さん・・・・・・
『あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ』
忘れたい過去
受け入れたくない真実
少年を待っていたのは、そんな夢を無くすことしかできない現実。
それを、思い返してはまた悪夢を見た。
なぜ・・・もっと早く気づけなったのだろうか・・・・・
なぜ・・・あの時、俺は止めることができなかったのだろうか・・・・・
考えたって答えは出ない。
出ている答えに他の答えを求めたって意味がないことを彼は知っている。
だから、今ではもうそんなことを考えることも無くなってしまった。
代わりに抱くのは後悔の念。
それに彼は覚えているはずだ。
あの時、どんなに訴えかけたってあいつらは・・・・・・・・・・・・・・
「なあ、みんなだってそう思うだろ?」
「・・・・・・・・」
「黙ってないでなんとか言ってくれよ。みんなだってこんなの間違ってると思うだろ」
「・・・・・・・・・」
「みんな?」
利用するだけ利用して・・・・・・・・
「みんな本気なのか?」
「・・・・・・・・」
俺を捨てる気だったってことを・・・・・・・・
「・・・・ウソだろ」
少年の――――――――夢乃深夜のかすれたようなその声は誰に届くでもなく、その場をさまよってあっけなく消え去ることを選んだ。
醜い人間たちによって彼の夢は崩れ落ちた・・・・・・
☆ ☆ ☆
「全く・・・せっかく学校に来たんだから、ちゃんと授業に出なきゃだめですよ」
「わかってますよ。先生」
放課後、職員室に呼び出された深夜は、先生に少し小言を浴びせられるとあっけなく解放された。
小言の内容は、午後の授業に出なかったこと。
『理由は分かりましたけど・・・それでも授業をサボちゃダメよ』
と、おそらく深夜のクラスを担任に持ってしまったせいで彼の行動への不満をぶつけられているであろう【仮想学】の先生は、深夜に当たり散らすことなく優しく促してくれた。
しっかりと事情を聞いて判断してくれる先生。
彼女には、昔からずっとお世話になっていて迷惑をかけてしまうのは申し訳ない。
そんな気持ちでいっぱいになりながら、職員室を出て廊下を昇降口へ向かって歩く。
目に映るオレンジ色に染まる空。
グラウンドから聞こえてくる青春の声に耳を傾けながら進むその足取りは諦めてしまった希望へと進んでいるように思えて、その理由が窓から差し込む夕焼けが原因だと知って少しホッとした。
窓から見える美しいくらいきれいなニセの風景に惑わされるなんて自分らしくない。
それを知っているからこその感情は学校の出口に着くころには消え去っていることを理解する。
仮想世界に自分がわくわくするなんてそんなことあってはならない。
俺の仮想世界にある物は罪だけでなくてはいけない。
だから、いつものようにあくまで無関心に昇降口に着いて靴をとる。
世界に彼の安らぎは存在しない。
それは、この世界の中でなら例外なく深夜に向かって叩き付けられる事実だった。
こんな普通の学校生活にも安息の地などありはしない。
『きゃあああああああああああ』
グチャっと鈍い音が聞こえて、深夜は靴を履くために下ろした視線をゆっくりと上げた。
視線は、一瞬だけ校舎の外を映して自分の靴に戻る。
爆発しそうな怒りを抑えるには1度、視線をそらすしかなかった。
「これに馴れるってんだから、人間は腐ってる」
愚痴のような一言は、自分も例外ではないことを言い聞かせるように、こうはなるまいと決心させるように口からもれた。
それから、冷静を保って音のした方へと歩き出す。
さっき落ちてきたもの。
地面に叩き付けられた衝撃で頭から血を流し間接は変な方向へと曲り、動けなくなっている『女の子』を見下ろした。
息も絶え絶え、助けを求めるように手を伸ばそうとする女の子。
しかし、誰一人として彼女に救いの手を差し伸べる者はいない。
それは、彼も例外ではなかった。
「・・・・・・・・あ・・・・・あ・・・・・」
苦しそうにもがき苦しむ彼女を見て、やりきれない気持ちを隠せない。
しかし、彼女に手を差し伸べても彼女は助かることは無い。
そんなことよりも彼女にしてあげられる最善の策があった。
それは・・・・・・
「ごめんな」
おもむろに彼女の首を掴むと手に力を込めた。
バキッと音が鳴るまで締め上げる。
彼女を救う方法・・・・・
それは、殺してあげること・・・・・・
苦しそうにもがく彼女を見るのは忍びなかったが、仕方がない。
助からないものは楽にしてやった方がいいに決まってる。
首の骨が折れたのを確認して手から力を抜く。
「本当にごめんな」
そして、始まったのは【再構築】。
先ほどまでそこにあった体はなにもなかったようかのように消え失せて、新しい彼女が目の前で作り上げられていく。
それを確認して深夜は、その場を離れる。
【仮想姫】が死ねばその体は消え去り新しく体が作り上げられる。
彼女たちの生みの親なら知っていて当然の事。
・・・・・・当然の事?
「ふざけてる」
深夜は走り出していた。
この町を早く出たくて
早く仮想を解きたくて
早くこの眼鏡を外したくて
自分の罪から逃げるように駅へと走った。
「はあはあはあはあ」
息を切らせて乗った電車は人がほとんどいなくて、深夜は空いている席に座って、目を閉じる。
手にはまだ、さっきの首の骨を折った時の感触が残っていた。
「・・・・・・」
声が出ないのは、ショックとかそういうものではない。
ただ、自分の無力さに対しての言葉が見つかっていないから・・・・違う。それは言い訳でしかない。
本当は、彼自身の願いが生んだこの世界に対する罪から逃げたいと口にしてしまいそうで声を発することができないからだった。
「・・・・ふう」
気持ちを落ち着かせて1日中、定位置にあった眼鏡を外す。
それと同時に目を開けた。
変わる世界。
電車の窓から見える風景はさっきとは違っていて、偽物とは違う・・・・・世界の本物を彼の視界に届けてくれていた。
「ほんとに人って不思議だよ」
さっきまで夕焼け色に染まっていた空は昼間と変わることなく澄んだ青空で日の傾きなんて全く感じない。
さっきまで残っていた手の感触もすぐに何もなかったことに変わる。
「これが、人の求めた傷つかない世界だってのか?」
傷つかない世界。
『欲ばかりの人間たちが求めた先にある世界はこんなものだ』
都心に行くたびに忘れていたその言葉を何度も思いだす。
あれが、爺さんが言った彼に対しての慰めの言葉ではない真実を表すものだと知ったのもかなり前の事だった。
「もうさ・・・・・・いい加減にしてくれよ」
あれだけ奪っておいてまだ自分から希望を奪おうというのか?
もう、希望を持たないと決めた彼に対する絶望的事象は彼自身に小さな希望を持たせては心を食い殺す。
やめろ・・・・・・
もうやめてくれ・・・・・・・・・
それは、彼の願い。
かなわぬ願いをも蝕んで彼を追い詰めるかのように仮想世界は人々に日常を与え続けていた。
都心から、電車を乗り継いで1時間と30分ほど、それから徒歩で数十分も歩けば、彼の住む自分の店に着く。
その間、彼は手に持った眼鏡を一度も定位置へと持っていくことは無く。ただ、ひたすらに店を目指して早足に歩いていた。
駅を出て数分の道のりは山のように険しくなっているところや何かが祭られていうであろう『神社?』などがいくつかあるが、毎日のようにそれを見ている彼にとってそれはもう日常で目にとまることは無い。
それは、都心の人々が仮想姫に向けていた視線と同じものなのだろうが今はどうでもいい。
彼も人間なのだとそう理解していればあたり前なのだと、そう思ってくれれば、それでいい。
そうして、歩いた結果。いつもよりも早い時間に自分の店に着いた深夜は、今日は開けることのないと考え、かけていった『本日閉店』のプレートに手を伸ばし・・・気がついた。
「あいつ、今日も来てたのか」
プレートにある悪戯。
それは、彼女の訪問を意味する。
それを見て彼の足は自然とあの場所に向かっていた。
「あいつ、アホだろ・・・」
今日は学校に行くから店は開けないという話を昨日したのにそれでも店に顔を見せるその人物は、おそらく深夜にとって1つの癒しになっていたのかもしれない。
そうでもなければ、こんな悪戯を見てもきっとここに足を運ぶことが無いことぐらい自覚していた。しかし、それを認めたくない彼は恥ずかしいという感情に負けて、何かと理由をつけてそれに付き合ってやってるふりをしていた。
「どうせ、ここにいるんだろ」
店から少し歩いたところにある岩場。
海に面したその場所は夕日がきれいに見える深夜と少女のとっておきの場所だった。
「やっぱここにいた」
少女の姿を目にとらえて、ため息。
今日は本当にため息の多い日だ。
「なな!!! 俺、昨日言っただろ。今日は店を―――――」
深夜の声に反応して、海を眺め深夜に背を向けていた少女が彼へと顔を向けた。
振り向いた時、ちょうど波が岩場にぶつかって水しぶきを上げ、なびく少女の白いワンピースとで1枚の絵を描いているように見えた。
それであとはこの少女、倉島七葉が静かな女の子だったら文句はないが、現実とはそううまくいかないもので・・・・・・
「あ、深夜お兄ちゃん!!!」
七葉は、深夜をその大きな瞳に映すと、無邪気に彼の方へ走ってきて抱きついた。
「おい、なな・・・・」
「お帰りなさい。深夜お兄ちゃん」
ぎゅっとして両手を離さない七葉に対し、深夜はあたふたしながら対応する。
「離せって」
「ななね、お兄ちゃんがいなくて寂しかったけど、泣かないで待ってたんだよ」
「わかった。わかったから離せ」
「でね。ここで待ってれば、きっとお兄ちゃんが来てくれると思ってずっと待ってたの」
「話を聞けって!!!」
見事に話のかみ合わない二人。
遠目から見ていれば、兄妹のように見える。
本当に幸せそうな光景。
そんな彼らの日常を壊したくない。
そう思ってしまうのは、それが起こると知っているから?
それとも、そうなってほしくないと思っているから?
どちらにせよ、その願いは届かない。
彼の願いは叶わないようにできている。