第8話 葛藤
目の保養、目の保養。
現在、検問所の所長室では、オレとヒルダ、そしてサフィアが同席し、お茶を飲んでいた。
あの後、オレに同行人がいたことを知ったヒルダが、是非挨拶をさせてくれと申し出てきたのだ。
先を急ぐサフィアは申し出を断るのでは、とオレは考えていたのだが、意外にも彼女はこれを承諾し、今に至る。
「お初にお目にかかります。わたくしは魔人族、ヒルダ・リーシュ・ノルティアと申します。この検問所の所長という役職を賜っております」
「サフィアよ。見ての通り、旅の魔法使いをしているわ」
「ええ、ベルゼ様よりお話は聞いております。よろしくお願いします、サフィア様」
ベクトルの違う美人が互いに挨拶を交わす。ヒルダは妖艶な微笑みで、サフィアは仏頂面ともとれる微妙な表情だ。それでもこの二人が並んだ光景は、なかなかどうして、眼の保養になる。
努めて平静を装い、テーブルに置かれた紅茶のカップを手に取り、自らの口へと運ぶ。淹れたてのそれはオレの鼻孔をくすぐり、甘美な味わいが舌の上に広がった。
「ふむ。うまいな。いい茶葉を使っている」
「……ホントね。今までに飲んだどの紅茶よりも、おいしいわ」
見れば、サフィアもオレと同じように紅茶を口に運んだようだった。
彼女が上品に紅茶を飲む様は、まるで貴族の令嬢のようにお淑やかで非常に絵になる。思わず見惚れてしまいそうになるのを理性で抑えつつ、対面のヒルダに向き直った。
「その紅茶は、王都から取り寄せた有名な茶葉を使っていますの。わたくしも愛飲する品ですので、お二人のお口に合って幸いですわ」
「ほう。それはよいことを聞いた。王都に寄った際には、オレも買い求めてみよう」
紅茶にはそれほど詳しくないが、今飲んだこれはまた飲んでみたいと思わせる一品だった。王都にはいずれ足を運ぶ予定だ。その時には是非ともこの紅茶の茶葉を探そうと心に刻む。
「……ベルゼ様は、この後は水の街ヴィタレントへ向かわれるのですよね?」
「ああ、そうだ。水の街といえば、街中を巡る川に水車が有名だろう? その街並みをオレも見てみたいと思ってな」
「そうなの?」
きょとんとした声に反応してそちらを向くと、サフィアがこちらを見て首を傾げていた。
「ん? 知らなかったのか?」
「ええ。だって、そんな情報、どこにも出ていなかったもの」
水の街の名物が川と水車であることは元いた世界では有名な話だったので、何も考えず口にしてしまった。今のオレはサフィアからしてみれば同じ現実世界に住む一人のゲームプレイヤーである。そのオレが、自分も知らないこのゲームの街の情報を知っていることに疑問を持ったのだろう。
だが、隣街の情報がその街で一つも聞けないということはあるまい。街人に水の街とはどんなところかと聞けばすぐに答えが返ってくるはずなのだ。
「それはお前の情報収集が足りなかっただけだろう」
些か強引だが、こう言っておけばなんとかなるだろうか。
「……そう、なのかしら」
思い当たる節があるのか、サフィアは口を閉ざしてしまう。
(実際には僕らもそんな情報収集はしていないんだけど?)
すまん、今のはオレのミスだ。許せ。
「サフィア様は水の街がどんなところなのか、ご存知なかったのですか?」
向かいで聞いていたヒルダが驚いたように言う。
「……ええ、お恥ずかしながら」
照れるようにそう返すサフィアの様子がおかしくて思わず顔がニヤけてしまい、サフィアにキッと睨まれた。何故だ。
「水の街は、とってもきれいな街ですよ。街中を流れている川も、透明度が高く川の底が見えるほどなんです。晴れの日は川面に光が反射して、まるで街全体がきらきらと輝いているように見えるんです」
街の中に川があるというよりは、川の中に街があるといった方が正しいかもしれない。だが、歴史的には街の中にあった川が度重なる洪水や諸々の影響で今のように大きくなったり枝分かれしたことが原因だ。だから多くの人は今でも『川の中に街がある』とは言わず、『街中に川が流れている』と表現する。
「産業としては、紡績業とパンが有名ですね。ベルゼ様も仰っていましたが、街中にいくつも水車がありまして、小麦を挽いたり糸を紡いだりしているんです。大きな商店では、パンと衣服を同じ店で販売していたりするんですよ」
「そうなのね。なら、ヒルダさんのおすすめの店を聞いておきたいわ」
「……はい? わたくしのおすすめ、ですか?」
サフィアの要望は、ヒルダにとっては突然の申し出だったのだろう。呆気にとられたように、今までの丁寧過ぎる口調が崩れてオウム返しをしてしまっている。
「これほどおいしい紅茶を知っている貴女なら、きっと水の街の品物についても詳しいのではなくて? 私の趣味にも合うものだったし、ヒルダさんのおすすめならハズレはないだろうなって、そう思ったのだけど……ダメ、かしら?」
最後のサフィアの言葉は寂しさを含んだように小さかった。彼女としては、きっと現実の友人と話すような感覚でおすすめの店を聞いただけだったのだろう。
だがその問い掛けはヒルダにとって耳慣れないものだったようだ。それ故に、ヒルダはサフィアの質問の意味を捉えかねていた。
仕方ない、お節介かもしれないが、助け舟を出すか。
「ふむ、それはいいな。オレは水の街である人物に会うために手土産を持参するつもりなのだが、生憎とオレは水の街の地理や品物の情報に疎い。教えてもらえると助かる」
ある人物というのは水の街にある魔法使いギルドの長のことだ。ウィゼットからの手紙には紹介状も添付されていたので、会いに行かないという選択肢はない。手土産云々というのはここだけの作り話だが、その真偽はヒルダには知る由もないだろう。
「そういうことでしたら、お力添え致しましょう」
ヒルダからお菓子で有名な店を紹介してもらう。店の名は『水飴亭』といい、店の名にもある水飴の他、クッキーや白パンが看板商品なのだとか。
ついでとばかりに仕立て屋もいい店はないかと尋ねた所、『蚕と花』という店を紹介された。ヒルダ曰く、貴族向けではなく平民向けの仕立て屋で、デザイナーのセンスが光る一品が置いてあるそうだ。貴族向けではない、ということがポイントが高い。
その後も歓談は続き、一時間余りが過ぎる頃にオレたちはお暇することにした。水の街の情報以外にもたくさんの情報を持っていたヒルダは、流石は所長職を賜るだけのことはあると言えるだろう。
「では、最後に一つだけ」
「何かしら?」
ヒルダの言葉にサフィアが返答する。女性二人の姦しい会話にあまりついて行けなかったオレは、ヒルダの顔を見返すだけだ。
「最近、ここを通る方が噂しているのですが、なんでも水の街へと向かう街道に『動く陽炎』が出るそうです」
「動く……何ですって?」
そのあまりにも突拍子のなさに思わず問い返したサフィアだったが、当のヒルダは平然とした表情でその噂話を語った。
「『動く陽炎』です。最初こそ『揺らめく影』やら『謎の影』と呼ばれていましたが、いつの頃からかそう呼ばれるようになっていました。わたくしも実際に目撃した訳ではないのですが、噂の限りでは新種のモンスターなのではないかと」
「ふむ……」
陽炎というものは、ただの自然現象だと記憶している。異なる密度の空気が混ざり合う際に光が屈折して、まるで向こう側が揺らいでいるかのように見える現象だ。
だがそれは、日射しが強く風がないなどといった特殊な条件下でしか起こらない現象であり、この水の街と風の街をつなぐ街道ではほとんど起こりえないもののはずだ。まして、それが動くなどというのもありえない。確かに新種のモンスターの存在を疑うのも無理はない話である。
「もし都合がよろしければ、噂の真相を確かめられてはいかがでしょうか?」
そう言って、ヒルダは悪戯が成功した子どものように軽く微笑んだのだった。
ヒルダに暇を告げたオレは、サフィアを連れて検問所を出た。
彼女はヒルダが『動く陽炎』を話したあたりからずっと考え込んでいる。
「おい、水の街へ向かうんだろう。そんなところに突っ立ったままじゃ、いつまで経っても水の街に着かないぞ」
「……ええ、そうね。ごめんなさい、ぼうっとしてしまって」
サフィアが歩き出したのに合わせて、オレも街道を歩き出す。
現実世界のようにアスファルトで舗装されていない道は、馬車が作る轍と幾人もの旅人によって踏み固められたただの地面でしかない。所々に雑草や小石が無造作に散らばっているため、注意していないと不意に躓くこともある。
呆然と何かを考えながら歩く様子のサフィアだが、このままでは彼女が小石か何かに躓いて転んでしまうと心配して、オレは声をかけることにした。
「そんなに、『動く陽炎』のことが気になるのか?」
そう言ったオレを、サフィアは胡乱な目付きで見つめてきた。
(美少女のジト目って、いいよね!)
アホなことを言っている浩輝は放っておき、彼女の返答を聞く。
「逆に聞くけど、あなたは興味ないの? 新種のモンスターかもしれないのよ? 倒せば、レアな素材アイテムが手に入るかもしれないじゃない」
「興味が無いと言えば嘘になるが、今は水の街に行くことを優先しているからな」
サフィアには秘密だが、オレには離れた場所まで一瞬で移動する《転移》という魔法がある。水の街に着いてしまえば、いつでも思い描く場所に瞬間移動することができるので、当然この検問所にも簡単に戻ってくることが可能だ。
気になるようなら、後日戻ってきて確かめればいいだけなので、オレは水の街に向かうことを優先していた。
「……」
サフィアの蒼い瞳がオレを見つめる。彼女が何を考えているのかは、オレには推し量ることはできなかった。
(多分だけど、葛藤しているんだろうね)
葛藤? 迷っているということか?
(ディアにはわからないかもしれないけど、僕らはゲーマーだ。僕らの中には、早く先に進みたいという気持ちと、他人よりも強くなりたいという気持ちが同時に存在している)
それは、わからなくもない。オレにもそういう気持ちは当然ある。
(ディアの言う通り、今は水の街に進むことの方が合理的だ。でも、その間にその新種のモンスターが誰かに発見されて、自分が先に手に入れられたかもしれないアイテムを他人が先に手にしてしまったら、と考えてしまう)
オレもその可能性は考えた。だが考えた結果、そうなったらそうなったで仕方がない、と結論付けた。オレの中ではレアアイテムよりも、水の街に向かうことの方が、優先度が高いからだ。
(もちろん、たくさんの人がこのゲームを遊んでいるから、そういうこともあるってことは、僕も彼女もわかっている。わかってはいるけど、目の前にチャンスがあるのなら、どうしたって欲は出る。自らチャンスを手放すなんて、誰だってしたくないだろ?)
……それが、ゲーマーというものなのか? ゲーマーとは、そういう風にものを考えるのか?
(ゲーマーだから、じゃないよ。ゲーマーでも、ディアのように合理的な考えでゲームを進める人もいる。ただ……僕なら、今の彼女のように少し葛藤するだろうなって思うかな)
なるほど。それだけ聞ければ、十分だ。
「サフィア、『動く陽炎』の真相を確かめたいなら、行ってもいいぞ」
「え?」
今のオレと彼女は、道を同じくしているだけでパーティーを組んだりはしていない。彼女がオレの行動に合わせる必要は元々なく、彼女の行動を制限することもオレにはできない。
だからといって、ここで別れて「あとは頑張れ」では、彼女を同行者として誘った時の目的に反する。それでは、オレと彼女が仲を深めることなど一生出来やしないだろう。
これは、そのための提案だ。彼女の願いを叶えつつ、オレ自身も目的を遂行するための提案。
「ただし、その場合はオレにも一枚噛ませろ。もしレアアイテムを手に入れることができたら、山分けだ」
「……いいの?」
「もちろんだ。さあ行くぞ。こうしている間にも、誰かが『動く陽炎』のことを探っているかもしれないからな!」
「ええ、そうね!」
オレの提案にそう応えた彼女の笑顔は、オレをドキリとさせるに相応しい可憐なものだった。
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