プロローグ
長編の投稿は初です。よろしくお願いします!
「ついに……ついに完成したぞ!」
薄暗い部屋の中に、興奮したオレの声が響いた。
机の上に広がった何十枚もの上質紙を、立ち上がった姿勢のまま眺める。
「苦節十年……! 夢にまで見た魔法が今! 完成した!」
つらい日々だった。心が折れそうなときもあった。
それでも諦めずに魔法式を組み続けた甲斐があったというものだ。
――この世界の魔法は、非常に論理的な計算式によって発現する。
この計算式を魔法式と呼び、その魔法式を記録した魔道具に魔力を注ぐことで、魔法は発現するのだ。
魔道具は一般的に杖や本などの形をしているが、どんな形の魔道具でもできることは同じだ。
魔法式の記録と削除、魔力の貯蓄と解放、魔法の発現と解除の3種類6機能。
はるか大昔には魔法を発現させるために呪文の詠唱が必要だったそうだが、今はこのように魔道具を使う方法が一般化している。なぜなら、こちらの方がメリットが大きいからだ。
――コンコン。
オレがこの魔法式を完成させた喜びに身を震わせていると、部屋の扉がノックされる音が聞こえた。
「魔王さま。お食事の用意ができましてございます」
完成させた魔法式が書かれた紙を束にしながら、オレは声の主に返答する。
「執事か。ここを片付けたらすぐに向かう」
「承知いたしました」
そう言って、執事は部屋の前から去っていく。
ふう、とつい溜息を吐いてしまう。
別にやましいことをしていたわけではないが、この部屋でオレがしていることは、他の者には秘密にしている。
なぜなら、この魔法式によって発現する魔法の名は、《境界門》。世界と世界を繋ぎ、術者を異界へと誘う魔法だからだ。
机の上の魔法式が書かれた紙を片付けると、オレは部屋を出て階下へ向かった。
階下では夕餉の準備が進められているだろう。
執事に、メイドに、数人の使用人たち。
彼らは、魔王であるオレを慕って付いてきてくれた者達だ。
《境界門》による異界への渡航そのものは、憚られるものではない。
むしろ、史上誰にも成し得なかった究極の魔法の一つを完成させたのだから、偉業とさえ言っていい。
では、何が問題なのか。
オレが魔王だからだ。魔族の王でも魔物の王でもなく、魔法使いの王として世界に君臨した最後の魔王。もう十年も前に滅びた、魔法国家ユルドフェルシルの王族、その最後の生き残りだからだ。
この家の執事や使用人達は、国が滅ぶときに一緒に逃げ延びた者たちだ。中には魔族やエルフ族、獣人族の者も居る。
彼らは一様に願っているのだろう。
オレや、オレの子孫がいつか、魔法国家ユルドフェルシルを再興させることを。
だからこそ、すでに魔王ではなくなったオレを、十年経った今でも『魔王さま』と呼んでくれているのだと思う。
だがもし、オレが《境界門》で異界へ行こうとしていることが皆に知られればどうなるだろうか。
彼らは必死でオレを引き止めるだろう。他に王族の生き残りがいない以上、国家の再興は難しい。
ユルドフェルシルを侵略した隣国、騎士国家ドルトグランデルは強大な国だ。
『王家の生き残り』という大義名分がなければ、そんな強大な国を相手に旗揚げなどできようはずもない。
オレがいてさえ不可能に思えるそれを、オレなしで成し遂げられるとは思えない。
故に、オレはこの魔法の研究をひた隠しにしてきた。
表向きには魔法の研究とだけ言ってある。嘘ではないだろう。どんな魔法の研究をしているのか、その一切を伏せているだけで。
夕餉が配されたテーブルにつき、皆が椅子に座ったことを見届け、食前の祈りを捧げる。
そして祈りが終わると、それぞれが談笑しながら食事に手をつけ始めた。
あたたかな光景だ。
国が滅んでから、ここで生活を始めて、もう十年にもなる。
いまでは、彼らがオレの家族だと言ってもいいくらいだ。
そう思うと、これからオレがやろうとしていることに深い罪悪感を感じてしまう。
彼らの気持ちを、オレは裏切ろうとしているのだから……。
「魔王さま? どうかなさいましたか?」
隣に腰掛けていた使用人の一人が、微動だにしないオレを訝しんで声をかけてくる。
明るい緑の髪色の、活発そうなエルフの娘だ。
「……いや、なんでもない。ちょっとした考え事だ」
そう言って、オレも皆と同じように夕餉を楽しみ始めた。
今日の献立は、魚の煮物、新鮮野菜のサラダ、吸い物、揚げ物。
この揚げ物は、コロッケか。じゃがいもと挽肉の旨味がぎっしり詰まっていて実に美味い。
「どうですか? 今日の料理は、私も手伝ったのです」
「うむ、美味いな。……おかわりはあるのか?」
「もう、魔王さまったら、食いしん坊ですね」
エルフ娘は、少しはにかみながらおかわりのコロッケを取りに席を立った。
その後姿を見送りながら、やはり考えてしまう。
――このまま、この世界を離れてもいいのだろうか、と。
夕餉の後、もう一度魔法式の研究に使っている部屋に戻った。
完成した《境界門》の魔法式が書かれた紙束を見つめ、考える。
せめて、この家の使用人たちの次の職を見つけてやらねば。
幸いにして、元々王家に仕える者として雇っていた者達であるため、彼らの能力は高い。
職に就きさえすれば、食い扶持を稼ぎ、日々を暮らしていけるだろう。
この家は、部屋数もあることだし、彼らの住居として譲り渡してもいい。
どうせ異世界に渡る身だ。この世界での財産など、異世界では何の価値もないのだから。
そこまで考えたところで、ふと、部屋の前の気配に気付いた。
「誰だ?」
振り返り、その気配に問う。
扉を開けて姿を見せたのは、執事だった。
「魔王さま。ついに、完成したのですね?」
「うん? なんのことだ?」
《境界門》のことか? だが、なぜ執事がそのことを知っている?
「……十年間、いえ、そのずっと前から、身命を賭してお仕えして参りましたわたくしに、隠し通せるとお思いですか」
「だ、だから、何のことだ?」
そういえば、そうだ。
執事の老獪さは、子どもの頃から身に染みて知っている。
「何かを誤魔化そうとするとき、左手の親指を強く握りこむ癖、結局直りませんでしたね」
「!!」
もう、何を言っても無駄なのだろう。
オレは嘆息しながら、力を抜いて、傍の椅子に腰掛けまがら呟いた。
「まったく……敵わないな」
「恐れいります」
執事が恭しく礼を返すのを見て、本当に敵わない、と諦めの境地で白状することにした。
「ああ、完成した。ちょうど、今日の夕餉の前にな」
「……《境界門》、でございますね?」
「いつ気付いたのだ」
「それはもう、十年前、魔王さまがこの部屋で研究を始めたそのときから」
「すべてを隠していたつもりだったのだがな」
オレは魔法式が書かれたその紙束を掴み、眺めるように目を細める。
「幼少の頃、魔王さまは異世界というものに興味津々でございました。王妃様に異界の冒険譚をねだる魔王さまが、周囲の面々を大層困らせていたのを覚えています」
「……」
「中でも、半ば伝説とされている魔法群についてのご興味は、東の海の底よりも深そうでした」
《境界門》は、究極の魔法の一つ。一つということは、他にも究極の魔法とされているものはある。
例えば、新たな生命を創造する魔法、《生命の樹》。
例えば、竜の息吹にも匹敵する威力を持つ火の魔法、《火竜の息吹》。
例えば、触れるものすべてを黄金に変えてしまう魔法、《純金の錬成》。
神話に登場し、数多くの物語にも時折描かれるこれらの魔法は、その魔法式が完全に失われている。
失われている、ということは過去に存在していた、ということだが、それを証明する物的証拠は存在しない。
それこそ、冒険譚や英雄譚の中でしか見られない魔法なのだ。
「たしかに、そんなこともあったな」
そんな十年以上も前の、幼きオレのわがままをこの執事が覚えていることにオレは思わず苦笑する。
「止めるか?」
「いいえ。この家の者は皆、覚悟はできております」
「……初耳だぞ?」
「わたくしが、それとなく伝えておりましたので」
「真に彼らのことを考えていたのは、執事だったということか」
オレがため息混じりにそういうと、執事はきっぱりと断言してきた。
「それは違います!」
半ば焦るような表情で、執事は膝を折り、頭を垂れる。
「……魔王さまが、彼らの希望であることは変わりません。例え、魔王さまに御家復興のご意志がないのだとしても」
もちろんわたくしにとっても、と執事は小声で付け加える。
「国が滅ぼされたあのとき、魔王さまとともに逃げ出した我らは、絶望に打ちひしがれていました」
その時のことは、オレも覚えている。
「その時魔王さまがおっしゃった言葉、覚えておられますか」
「……いや」
「諦めるな、生きてさえいれば、必ず道は開かれる……とてもチープで、どこかで聞いたことのあるような言葉でした。魔王さま以外の誰かがもし同じことを言ったとしても、誰もその場を動かなかったでしょう」
「そんなことは……」
「いいえ。あの時、あの場で、誰よりも辛かったのは、魔王さまです」
執事は顔を上げ、その瞳をブレさせることもなくオレを真っ直ぐ見つめ、言葉を続ける。
「国が敗れ、家族は皆殺しにされ、城下にも敵国の兵が大勢いて、そこから逃げ伸びることも難しい状況であったにもかかわらず、その言葉を口にできた魔王さまに、皆救われたのです」
「オレはただ、皆を失いたくなくて、必死だっただけで……」
ユルドフェルシルの王族は、オレ以外皆殺しにされてしまった。
だから、一緒に王城を逃げ出した皆を守れるのは、オレ以外にいないと思った。
……いや、違う。
これ以上、誰かに死んで欲しくないと思った。オレ自身が、オレ自身のために、誰にも死んでほしくないと思った。ただそれだけの言葉だったはずだ。
「失礼を承知で申し上げますが、そのときの魔王さまはまだ年端もいかないクソガキでした」
「本当に失礼だな!?」
「そのクソガキが、自分の涙を堪えながら、皆を励ます言葉を口にしたのです。誰もが絶望を感じ、死を覚悟していたその中で、ただ一人、魔王さまだけがまだ諦めていなかった。生きようとしていた」
死ぬのは嫌だと、あの時はそれだけを願っていた。死なないためには、皆の力が必要だったから。
「だからこそ、なのでしょう。わたくしを含め、その場にいた全員が、一致団結できたのは。この幼き魔王をここから生き延びさせなければいけない、と共通意識を持った。そして、多少の犠牲は出たものの、奇跡的に逃げ延びることができた。……皆、感謝しているのです。あの時逃げていなければ、全員がその場で死んでいた。ここ数年の穏やかな日々も享受することはできなかった、と」
オレは、言葉を出せなかった。
彼らが、この執事が、そんなことを考えていたなんて知らなかった。
ならば、オレはやはり……。
「魔王さま。どうか、夢を諦めないでください」
執事の言葉が、オレの胸を貫いた。
今、オレはさっきまでの執事の言葉で、ほんの一瞬ではあったけれど、異世界へ渡るという夢を諦めそうになっていた。
きっと、そうではないのだろう。
十年前のクソガキのように、「諦めるな」とこの執事は言いたいのだ。
「夢を諦めた後、魔王さまは何をなさるおつもりでしょうか。また、研究に没頭するのですか? もしくは、今度は体を動かし、日銭を稼ぐために仕事でも探すのでしょうか。いいえ。賭けてもいいですが、そんなことにはならないでしょう」
「なぜ……だ?」
「夢を諦めた者に残されるものは……、何もないからです」
「何もない?」
「ええ。夢もない、希望もない、生きる意味もない。ならばそれは、死ぬことと同義です。わたくしたちは、魔王さまに死んでいただく訳にはいかない。ですから」
執事は一旦言葉を区切り、再度頭を垂れながら、続きの言葉を紡いだ。
「わたくしたちのために、夢を諦めないでいただきたい!」
しばし、沈黙が流れる。
オレが声をひねり出したのは、たっぷり五分も経過した後だった。
「わかった」
執事が顔を上げる。
その執事の顔を見て、これでよいのだと理解する。
「お前のことだ。何もかも、手は打ってあるのだろう」
「はい」
「この家のことも、使用人たちのことも」
「……はい」
「なら、後は任せた。オレは明日、《境界門》を使用し、異世界へ渡る」
「仰せのままに」
再び頭を下げた執事の足元に、小さな雫が落ちた。
オレはそれを見なかったことにして、執事に退室を命じ、出立の準備を整えることにした。
翌日は、曇天だった。
旅立ちの日くらい晴れてくれよとも思ったが、そう都合よく何もかもうまくいっていたのではイージーすぎる。
たぶん、大なり小なり、人生なんてそんなものだ。
《境界門》の魔法は、すでに昨夜のうちに魔道具に記録させてある。
問題は魔法を発現させるために必要な魔力だけだが、これも魔力を蓄える性質をもつ魔結晶を用意したことで解決の見込みだ。
今いる場所は街の外にある荒野。
付いて来たのは、屋敷の住人全員だ。
オレとの別れを惜しんでか、一様に悲しげにしている中、執事だけはいつも通り慇懃な態度を貫いている。
「魔王さま、準備は整ったのですか?」
「ああ。……手間を掛けさせて、すまないな」
「いいえ、当然のことをしたまでですよ」
この場所まで皆を誘導してくれたのも、魔結晶を用意してくれたのも、何を隠そう執事なのである。
王族として慕われていると思う反面、この執事には一生頭が上がらないだろうな、とも思う。
とは言え、あとはもう、魔道具に魔力を注ぎ込むだけだ。
少し離れた場所にいる屋敷の住人からは、「いってらっしゃい」といった気丈な言葉や、「魔王さまぁ」と嗚咽混じりに呼ぶ声も聞こえてくる。
別れの言葉は済ませた。
感謝の念も伝え終えた。
それと同時に、謝罪と、願望を伝えた。
この世界を離れることに対する謝罪と、どうか幸せに暮らして欲しいという願望。
彼らの今後に影が差しませんように、と祈りを捧げ、天を仰ぐ。
雲間から差し込む陽光が、荒野に降り注いだその時、オレは魔法を発現させた。
「《境界門》!!」
魔道具の周囲に配置した魔結晶が、暗くくすみ始める。
魔結晶に内包された魔力が魔道具に吸収され、輝きを失いつつあるのだ。
すべての魔結晶から光が失われたあと、オレの肉体にも変調が起き始める。
まずは、虚脱感。
肉体から魔力を吸い尽くされたことで、極度の疲労状態にも似た症状になる。
そして、意識が朦朧とし始める。
《境界門》の作用により、意識が異界へと渡ろうとしているのだろう。
……意識、が?
待て。
待て待て。
《境界門》とは……どんな魔法だった?
世界と世界を繋ぎ、術者を異界へと誘う魔法。
それは、術者を肉体ごと異界へ召喚するものではなかったのか!?
――気づいた時には、手遅れだった。
オレは唐突に理解する。
この魔法は、失敗作だった、と。
この魔法により異界と異界の境界を渡れるのは、オレの自我のみ。
魔法発動の代償により肉体は消滅したが、オレの意識もどうなるかはわからない。
ただ漠然と水中を漂うような感覚だけがあり、意識がはっきりとしない。
本当に異界へ行けるのだろうかと、そんな不安が渦巻く。
永遠にも思える時間の中、ついに光明を捉えた気がして、オレは意識を手放してしまったのだった。
次回の更新は06/27(月)の予定です。
※2016/12/23(金) 表現の一部を修正しました。