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第9ヶ条

 人間の三大欲求のうち今の俺が最も欲しているもの、それは食欲だ。


「ああー、お腹空いた。朝はバタバタとしていてよく聞いていなかったけれど、今日は親は仕事で遅くなるんだった」


 美森との初デートの充実感で満たされていたけど、やっぱり空腹には勝てなかったようだ。


 時計を見れば夕刻18時30分。キッチンから冷蔵庫に至るまで目ぼしいものはないかと物色をしてみたけれど、見つかったのはテーブルの上に置いてある西瓜1つのみ。


「しょうがない。コンビニに行ってくるか」


 初デートの余韻が十分に残っているためか、コンビニに向かう足取りが軽い。今日は自分に対するお祝いとして弁当とは別にケーキも1つ購入し、ルンルンで家路を歩く。


 もう数十メートルで家に着くというところまで来たとき、見覚えのある人影が立っていた。


「あれあれ、花陽じゃないか。どうした?こんな夕方に家の前で1人突っ立って」


 ちなみに俺と花陽の家は3軒となりにあるという近さ。幼馴染の家ととなりどうしというのはアニメや漫画のなかでは定番だけど、実際に3軒となりのご近所さんというのも近いものだ。


「何かやけに饒舌だね伊笠。謎の高テンションだし」


 花陽は部活帰りそのままであろうジャージに半袖Tシャツ姿で家の門に寄り掛かっていた。


「そうか?やっぱり今日という素晴らしい1日を過ごせた喜びが滲みでているのかもな」


「はい?訳が分からない上に絶妙に気持ち悪いよ」


 今日に限っていえば幼馴染が発してくるサディスチックな言葉も全然平気だ。俺は無敵だ。


 そんな陽気な俺をみて花陽は1つ溜息をついた。


「ビビちゃんと仲直りできたんだね。今の伊笠の様子をみる限りでは」


 そう花陽は夏休みに入る前に図書室の前で俺と美森が変な雰囲気になったことを当事者として凄く気にしてくれていた。


「おうよ。仲直りどころかさらにその先の世界にまで行ってしまったぜ」


「伊笠から犯罪の香りが漂うというのは心の中にとどめておくとして、それなら良かったよ」


「いや、心の中にとどまってないから。口に出てるから。そして犯罪の香りとか全く漂っていないから」


 普段より2倍は早かったであろう高速のツッコミに、花陽は今までの険しい表情を崩してフフッと笑った。


「いつもより切れ味鋭いツッコミをありがとう。やっぱり伊笠はそうじゃなくちゃね」


 花陽はウンウンと大げさに頷いた。


「ありがとう。ってか本当にこんなところで何をしているの?」


 会話は一周回って当初の疑問に戻ってきた。


「え?…何って、何してたのかな私」


「いやいや、急に怖いよ。理由も分からずに家の前に立ってたって。部活の疲れで記憶も飛んじゃったのかよ」


 花陽は先程までとはうって変わって、今度は『うーん』と大げさに手を顎にあてて悩み始めた。いや、しぐさがあざといぞ、あざとすぎる。


「…気になったのかな?」


 それは小声でまるで自分に問いかけるかのような言い方。


「気になった?」


「あっ。いやいや、じゃなくて。そうじゃなくて」


 急に慌てて何かを否定し始めた花陽に若干ついていけてない俺。


「そうだ。今日ね、スイカを伊笠の家に持っていったの。そうしたら、お母さんが『ヒナオは出かけてて今はいないよ』って言われてね。スイカはね、親戚から貰ったもので、伊笠もスイカ好きだったな、と思っててね」


 急に早口でまくしたてられた俺の気分はどうだ。文法もめちゃくちゃな気がするしさ。いくら国語が苦手な花陽だからって。


「それでね、それで」


「いや、分かったから大丈夫。確かにスイカおいてあったし、あれは花陽が持ってきたものなんだな。ありがとう」


 情報の上乗せを試みる花陽を止めて、俺は感謝の意を伝えた。


「ああ、うん。良いってものよ」


 花陽は少し落ち着いたかと思ったら、次は両手を腰に当てて胸を突き出し誇らしそうな表情を浮かべた。いや、花陽の感情はジェットコースター並みに動きすぎだろう、と幼馴染の驚くべき変化の様にたじろいでしまった。


「いやー、本当に花陽は昔から変わらないよな」


「何がよ?」


「そのコロコロと変わる表情とお節介な性格。見てて飽きない」


 俺の言葉に花陽のほっぺたがお餅かのように大きく膨れる。


「何それ、私のこと馬鹿にしてるでしょ?」


「ちょっとだけ」


 花陽は『もう』とだけ言うと、そっぽを向いてしまった。しかし、俺にはわかっている。これは本当に怒っているわけじゃないことを。


「しょうがない。許してやるか。伊笠だしね。…アイス3つつけてくれたらね」


 …ほらね。こうやって俺からアイスをせびろうとする手口なのだ。


「まったく。まったくだよ。いつもの花陽のやり口だ」


 ニヤニヤしながらやれやれと肩をすくめる俺を見て、花陽は急にまっすぐに視線を俺に合わせてきた。


「…?」


「あんまり急に変わりすぎないでね。私、追いつかなくなっちゃうよ」


「え…、あ、ああ」


 変に真面目なトーンで言うものだから、意味があまり分からなかったが思わずそう返事をしてしまった。


 花陽と別れた後、自宅にて花陽が持ってきてくれたという西瓜を早速食べてみた。


「…塩、かけすぎたかな。ちょっと辛いや」


 今夏はじめて食べる西瓜は少し、ほんの少しだけ塩をまぶしすぎたようであった。

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