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第4ヶ条

 日本の夏って何でこんなに暑いのだろうか。思わずそう言いたくなるほどの日差しが頭上から降り注いでくる。


 夏休みまで残すは1週間を切ったある日の放課後。俺は1人で近所の公園のブランコに腰を掛け、スイカの形をしたアイスにかじりついていた。


「…今日も安定して美山さんは可愛かったなあ。」


 なんて、しみじみと独り言を吐きながらアイスに食らいついたその時、背中に衝撃が走った。


「ぐふっっ。何だっ…って花陽かよ。」


「この世の哀愁を全て背負ったような雰囲気を出しながら1人で何してんの。」


 エナメルバックを掛けて、額にはうっすらと汗を浮かべているその様子から、どうやら花陽は部活帰りのようだ。


「何にもしていない。しいて言うならアイス食べてる。」


「それは分かってるよ。馬鹿じゃないの。あ、この暑さで思考回路まで完全に溶けっちゃったの?可哀想に。」


 俺はありのままを伝えただけなのに、このスピーディーかつサディスチックなツッコミは幼馴染だからこそ為せる技か。


「何という酷い言いようだよ。いや、美山さんを送った帰りにあまりに暑かったからちょっと休憩してたの。」


 俺の返答を聞いた花陽は満足そうな笑みを見せると、わざとらしく2度頷いた。


「そうかそうか。何だかんだビビちゃんと上手くやっているようだねえ。」


 そして急にハッとした表情をした。何というか表情がコロコロと変わるやつだ。昔から喜怒哀楽がはっきりと顔に出る花陽は見ていて飽きない。


「伊笠ってまだビビちゃんのこと美山さんって呼んでるんだ。」


 うっ。それは。本当は俺だって美山さんのこと美森って呼びたい。そう思ってはいるのだけれど。


「…なんというか、恥ずかしかったり、変えるタイミングが分からなかったり。」


 なんてゴニョゴニョ言っていたら、花陽がまた俺の背中をビシッと叩いた。


「そこは伊笠が頑張らないと。大丈夫。彼氏から苗字じゃなくて名前で呼んでもらえて嬉しくない女の子なんていないって。」


 妙に自信満々の花陽は腰に手をあて、間違いない、と大きく頷いた。


「本当かよ。…花陽は花陽って呼ばれて嬉しいの?」


「え?」


「ん?」


 花陽が止まった。そして、目が丸くなった。あれ。おーい、花陽さん。


 数秒の後、我に返ったように花陽の表情が再び動き出した。


「んー、…伊笠に呼ばれると…“普通”かな。」


「いや、俺に呼ばれたらじゃないよ。彼氏に呼ばれたらの話でしょ。」


 俺の音速に近いツッコミに、花陽は恥ずかしそうに小さく舌を出す。


「そうだった。そうだったね。いやー、生まれてこのかた彼氏なんて存在が私の隣にいたことなんて無かったから。」


 などと釈明する花陽に対して小さく溜息をついた時点で気付いてしまった。俺が握りしめていたアイスが棒だけになっていたことに。そして、数分前までそこにあったはずのアイスは液体となり、俺のズボンに染み込んでいっていることに。


「あ。」


*****


 次の日の放課後。美山さんを裏門で待っている最中に昨日の公園での花陽との会話を思い出す。


「名前か。うーん、今日頑張ってみるかな。…美森って。」


 おおお。何か独り言で呼んでみても恥ずかしさが抜けない。これは中々の勇気がいるのではないか。いや、花陽も言っていたけど、俺が頑張らないと現状は変わらない。


 でも、もう少し練習しておこうかな。


「…美森。」


「はい?」


「え?」


 慌てて振り返ると美山さんが小さく首を傾げながら立っていた。もしかして、さっきの練習を聞いた?聞いたのか?


「や、やあ。暑い日が続くねえ。さ、帰ろう。」


 俺はその話題に触れずに、歩き出す。…今、チャンスだったのではないのか。いや、まだ機会はあるはず。そう自分に言い聞かす。


 美山さんもいつも通り俺の半歩後ろについて歩き出した。


「ねえ、伊笠君?」


 俺は緊張して機械のように固くなった首を美山さんのほうに向けた。


「さっき私の下の名前を呼んでくれてた?」

 

 はうっ。俺が想定していたよりも、かなり早い段階で次のチャンスが訪れてきた。


「…呼んだ。その、私たち晴れて彼氏彼女なんだから、美山さんのこと、…美森って呼びたいなあ、と。嫌かな?」


 ちょっと言葉遣いが変になった気がしなくもないが、気にしない。


 半歩後ろで歩く美山さんの足が止まった。そして、普段は凛々しいその目尻を下げ俺を見つめる。


「嫌じゃない。」


 そう言うと、美山さんは俺の隣に並んだ。制服のスカートが小さく揺れる。


「距離が縮まった感じがして、うん、嬉しい。」


「…美森。」


 美山さん、いや、美森の可愛さに今度は自然にその名前が俺の口から出た。


「ふふっ。」


 美森は少し恥ずかし気に、そして嬉しそうに小さく笑う。


 こんな幸せな時間を俺は過ごしていいのだろうか。そう思えるくらいに心が溶ける。


「なに?アナタ。」


「ふふっ。」


 俺も美森に微笑み返す。…まて。アナタ?


「アナタ?」


「あれ?おかしい?」


 美森は至って真面目な表情で首を傾げた。さすが。さすがは美森だ。


「んー…、アナタって呼ばれる日を美森と迎えたい気持ちで一杯なんだけど、それは少し、ほんの少し時期が早いような。」


「そういうものなんだ。」


「ヒナオでいいよ。いや、ヒナオがいいな。」


 美森は頬を少し赤くしながら頷いた。


「…ヒナオ君。」


 溶ける。これは完全に溶ける。俺の心は若干十数年の人生で一番の幸福を感じながら溶けていった。


 お互いの呼び名が変わったその日の帰り道。俺はまだ慣れないながらも、いつも以上に彼女の名を呼んでしまった。


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