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02 旅立ちは朝日とともに

 

 鍛冶屋の朝は早い。


 日が昇る前にたたき起こされた俺は、巨大な桶を手渡された。

 あくびをしながら目をこする俺にリグレットは、水をくんでくるよう指示を出す。

 朝もやけの中、リグレットが指差した小道を下っていくと、涌き水を貯めた小さな池があり、その湖畔には、水をすくうための手桶が転がっていた。

 木製の桟橋に膝をついて静かな水面を眺めてみる。昨日と変わらない冴えない少年の顔がそこにあった。リグレットとも、シルヴィアとも似てもにつかない。やはりリグレットの言う通り彼女達と血の繋がりはなさそうである。

 水面が輝き始めた。

 見上げると、岩山の向こうから朝日が顔を出していた。

 一つため息をついた俺は手桶で水をすくい、樽に注いでいく。


 なみなみと水が注がれた桶を小屋の外に置いた俺は、側の切り株に座り額の汗を拭った。

 記憶はないが、きっといつもしていた仕事だったのだろう。正直、水が入った桶の重さに気持ちが折れそうになったが、なんとか持ち上げてみると、自然と体が動いた。気がつくと、自分の体に意外と筋肉がついていることに気がついた。昨日の決闘の時もそうだったが、アルフレッドという少年はかなり体を鍛えていたのだろう。

 両手を握ってみる。

 体の中から力が沸き上がってくるようであった。


「準備運動は終わったか?」


 視界に人の影が入る。見上げると、リグレットが朝日を背に立っていた。

 慌てて立ち上がる俺に、リグレットは手を差し出す。

 その手には昨日決闘で使った木刀が握られていた。


「始めるぞ。早く用意しろ」


 俺に木刀を握らせたリグレットは、ぷいと背を向けると、小屋の前の空地に向かって歩いて行った。


 とても嫌な予感がする。


 リグレットの全身から陽炎のように沸き上がる禍々しいまでの殺気。

 しかし、逃げるわけにはいかない。

 俺は立ち上がり、リグレットの背中をトボトボと追い掛けた。



 リグレットは、朝日の光の中で立ち止まると、足元に転がっていた薪を無造作に拾い上げ、俺に体を向けた。

 無造作に結い上げられたリグレットの銀髪が、冷えた風にサラサラと揺れている。


「朝の稽古だよ」


 顔にかかる銀髪を書き上げたリグレットは、右手に持った薪を振りながら俺に笑いかけた。


「け、稽古ですか?」


 俺は彼女と距離を置いて立ち止まる。


「そ。さあ、本気でかかってきな」


 とは言うものの、リグレットはまるで戦闘意欲がないように、だらりと薪を持った手を垂らして立っているだけである。

 本気でかかっていくにしても……


「じゃあ、こっちから行くよ」


 言うがいなや、俺の目の前にリグレットの銀髪がせまっていた。

 反射的に頭を守るために立てた木刀にリグレットが振り下ろした薪が直撃する。その場で身を屈めた俺をリグレットが見下ろしていた。耳元で木刀と薪がぶつかる音がいまだに頭の中に残響している。

 木刀を持つ手がしびれていた。


 もし、反射的にこれで頭を守らなければ……。

 

「ほら、ちゃんとしないと死んじゃうよ」


 攻撃前と同じように、だらりと腕を垂らしたリグレットは、俺を見下ろして唇を歪ませる。

 とにかく距離をとらなくてはいくない。

 俺は生唾を飲み込むと、木刀を握りなおし、地面を転がり、リグレットから距離をとった。

 全身を砂まみれにしながら立ち上がると、彼女はさっきの位置でこちらを見ていた。


「どうした? 攻撃してこないと稽古ならないだろ」


 リグレットは、くくっと笑いながら薪を握る手に力をこめる。

 アルフレッドは毎朝こんな稽古をしていたのだろうか。

 立ち上がった俺は、痺れの残る手で木刀を握りしめる。

 手加減などとんでもない。さっきの一撃で、この稽古は命懸けの稽古であることがわかった。

 呼吸を整えた俺は、両手で木刀を握りしめると、リグレットの頭部に向かってそれを振り下ろした。


 空?


 一瞬で視界に空が広がった。朝日を受けた綿雲が黄金色に輝いている。

 ドスンという音とともに、鈍い衝撃が全身を駆け抜けた。

 脳震盪を起こしたらしく、思考ができない。何が起こったのか理解出来ず空を見上げていると、リグレットの顔が見えた。


「大丈夫かい?」


 彼女の声で我にかえる。慌てて回りを見てみると、俺は地面に仰向けに倒れていた。

 また地面を転がり、彼女から距離をとる。

 どうしてあんなことに。


 考えている暇は無かった。膝をついて立ち上がる俺にリグレットが近づいて来ていた。

 立ち上がった俺は、さっきよりもコンパクトに振り上げた木刀を彼女に向かって振り下ろす。


 腰の辺りに強烈な痛みを感じた瞬間、また視界は空一色になっていた。

 立ち上がろうとするが、全身の骨が痛みに悲鳴を上げていた。


「朝ご飯できたよ」


 間の抜けた声が聞こえた。首だけを声の方に向けると、小屋の入口からシルヴィアが顔を出していた。


「朝の稽古は終わりだね」


 リグレットは言うと、手に持っていた薪を地面に放り投げ、小屋に向かって歩いていく。


 助かった。


 俺は地面に寝転んだまま、木刀から手を離す。


 …… "朝"の稽古か。


 ズキズキと痛む腰を手で押さえながら上半身を起こす。

 

 まだまだ稽古は続いていく、ということか。


 フラフラと頭を揺らして、稽古の状況を思い出してみる。

 二度とも木刀を振り下ろしたはずが、いつの間にか地面に寝かされていた。手の痺れから、俺が振り下ろした木刀はリグレットの薪に当たっているはずである。

 そして、この腰の痛み。地面に打ち付けた痛みとは違う。

 服の裾を上げてみると、右腰の辺りに真新しいアザができていた。

 とりあえず、木刀を振り下ろした瞬間に寝かされている、この状況をなんとかしなければいけない。


 が、まずは腹ごしらえである。


 俺は全身が引き裂かれるような痛みに耐えながら、立ち上がる。



           * * *



 山のように盛られたサラダを食べた俺は、リグレットと二人、小屋の裏手にある釜小屋に向かった。 剣術の稽古ではなく、村から注文を受けた、農具の修理をするらしい。


 崖下に立てられた釜小屋は、丸太屋根から突き出たレンガ製の煙突から、雷雲のような真っ黒の煙を空に立ち上らせていた。

 俺は、早朝に運んだ桶を抱えて釜小屋に足を踏み入れる。

 何気なく小屋に入った途端、空気の壁にぶつかる。体に纏わり付く高温の空気が小屋の中に澱んでいた。一斉に吹き出した汗を拭うために、両手で抱えていた桶を床に置く。


 薄暗い小屋の中、リグレットは、棚から手の平程の大きさの鉄板を取り、小屋の中央にある金属の台の上に置いた。 

 金台の横の椅子に座った彼女は、足元に並ぶペダルの一つを踏み込む。

 台の奥の扉が開き、赤々と燃え盛る釜内部があらわになった。

 強烈な熱風が吹き付け、俺は思わず顔を背けた。


「火の色をよく見な」


 リグレットの言葉に俺は、目を細めながら釜の扉を見る。


「いいかい。釜の温度は火の色で判断するんだよ」


 言い終えたリグレットはペダルから足を上げた。

 釜の扉が勢いよく閉じ、小屋の中はまた薄暗くなる。

 片腕しか使えないリグレットのために作られた仕組みなのだろう。


「そこの鋏でこの板を押さえておくれ」


 リグレットが指差した先には腰までの長さの金属の鋏が立て掛けられていた。俺は頷き、その長い柄を握り、金台の上にのせられた金属の板を先端に付けられたペンチのような部分で挟み込む。


「いいかい。鍛冶で大事な事は、金属の状況をいかに五感で感じるかだよ」


 リグレットは再びペダルを踏み込む。


「よし。そのまま中に入れて」


 頷いた俺は、金属を釜の中に入れた。


「炎の色、音、臭い。よく覚えておくんだよ」


 リグレットの言葉通り、俺は青みかかった釜の中の炎、火花がはぜる音、金属の燃える臭いに神経を集中させる。

 

「剣術は金属を打つ事に似ている」


 金属製の小鎚を手に持ったリグレットは、言いながら俺を見ていた。


「相手の剣の軌道を読むことはできない。でもね、体の軸、筋肉、癖を見ることが出来たなら、その軌道を予測する事が出来る」


 リグレットは握った小鎚を見つめていた。


「ペレスとの決闘の時、あんたはそうして彼の剣をかわしていたんだろ」


 俺は昨日の決闘を思いだし頷く。たしかにペレスの剣は見切っていたが、そこまで深くは考えていなかった。分かりやすく言えば体が勝手に動いた、というのが一番近いだろう。


「"ベネディクト"の炎が見えたあんたの目はね、きっと特別なんだと思う」


「特別、ですか」


 リグレットは頷くと、また俺を見上げる。


「"ベネディクト"の炎が何を表しているのかは分からないけどね」


 釜の扉が開く。

 焼け付くような熱気が小屋の中を覆い尽くしていく。


「取り出しておくれ」


 リグレットに言われるまま、鋏を使って釜の中の金属を取り出す。

 台の上のそれは真っ赤な光を放っていた。

 釜の扉を閉めたリグレットは、小槌でその金属を打ちはじめた。

 彼女が小鎚を振り下ろす度に金属がぶつかる音が響き、火花が辺りに飛び散っていく。

 リグレットが金属を打つ様子を眺めていた俺は、彼女が何か小さな声でつぶやき続けている事に気がついた。

 唇の動きを目で追うが、言葉を読み取る事はできなかった。

 再び釜の中に金属を入れるよう指示する彼女に尋ねてみる。


「言葉を掛けながら打っているのですか」


 腰に吊していた木筒の水を口に含む彼女は、俺に向かって頷いた。


「硬化の魔法を掛けながら打ってるんだよ」


「魔法ですか」


 あまりにも自然に魔法という言葉が出てきたことに驚く。


「この金属はね、畑を耕す為に使うからね。硬化の術式を掛けながら打ってあげてるだよ」


 説明しながら、リグレットは、そうか、とつぶやきながら頷く。


「ほら、あんたの後ろに本があるだろ」


 

 リグレットは小屋の入口の横に設置された棚を指差した。

 見てみると、金属製の小さな道具にまじり、分厚い大きな本が無造作に置かれていた。

 重厚な表紙を持つその本は煤でひどく汚れていた。


「その本一冊が"硬化"の魔法だよ。全てを暗記して詠唱しなくちゃいけないんだ」


 俺は鋏を壁に立て掛け、本をパラパラとめくってみる。

 どのくらいのページ数になるのだろうか。ページ一枚一枚にびっしりと細かい文字が書き込まれている。 これを全て覚えるとなると……


「高度な魔法になるとそんな本が十冊くらいになるんだよ」


 本を眺めていた俺の背後から熱風が降り懸かる。


「さあ、続きを始めるよ」


 本を閉じた俺は、鋏を持ち頷く。



          * * *


 昼食であるサラダを食べた俺は、体中の痛みに耐えながら、重いカゴを背負い、シルヴィアの後を歩いていた。

 結局、昼食前の稽古ではまた踏み込む度に空を眺めていた。


「シルヴィア、もう少しゆっくり」


 カゴを背負い直した俺は、畦道をスキップするように歩くシルヴィアに声をかける。


「お兄ちゃん、ほらあれ」


 金色の髪を風になびかせた彼女は、丘の先を指差していた。

 そこには、巨大な風車の羽根が見えていた。

 あれが……


 今回の依頼人であるペレスの親父が管理する風車であった。



          * * *



「うむ。やはりレイザン殿はいい仕事をしなさる」


 見上げるような風車の下で、俺が担いできたカゴを男性が覗き込む。

 ペレスの父親なのだろう。小肥りの体付きと顔がよく似ている。

 一つ一つ、金属を手に取り太陽の光にかざした男性は、満面の笑みを浮かべるシルヴィアに代金を渡した。


「ありがとうございます。ヘイマン様はお得意様ですからね」


 ヘイマンと呼ばれた男性は、鼻の下を伸ばして下品に笑う。


「そう言えば、風車の歯車の調子が悪くてな。ちょっと見てくれないか」


「よろこんで」


 営業スマイルを崩さないシルヴィアは、汗を拭う俺をその場に残してヘイマンと風車に向かって歩いていった。


 やれやれ


 側にあった岩に腰を下ろした俺は、滴る汗を拭った。

 なんとなく眺めていた地面に人影が見える。

 顔を上げると、ペレスが立っていた。


「よう」


 思わず立ち上がり、構える俺に、鍬を持ったペレスは言う。

 昨日とは別人のように穏やかな表情だった。相変わらず小肥りではあるが、帽子の下の小さな目に殺気は微塵も感じない。


「まあ、そう構えるなって」


 ペレスは言いながら、不器用に笑いかける。


「今から思うと不思議な事なんだけどな」


 俺は頷き、また岩に座った。


「栄光旅団に入れないって決まった途端になんか力が抜けちまってな」


 右手を握りしめたペレスは、へへっと恥ずかしそうに鼻頭を擦る。


「何でも望みが叶うって話だったけどさ。俺にとっちゃ風車守の仕事も悪くねえかなってさ」


 眩しそうに風車を見上げるペレスの腕に昨日のような炎は全く見えなかった。


 熱が冷めた、ということなのだろうか。


「何でも望みが叶う?」


 そういえば栄光旅団について俺は何も知らない。


「おうよ。まあ、いろんな噂はあるんだがな。栄光旅団に入団して魔王を討伐した暁には、なんでも望みが叶うらしい」


 明日から栄光旅団参加に向けて旅立つにもかかわらず全く知らなかった。

 

 …… 望みか。俺の望みは何なんだろう。

 取り敢えず、転生する前の俺が誰だったのか知りたい、とは思うが、知ったところでどうなるのだろうか。


「俺には命を賭けて魔物と戦うような根性はないさ。まあ、せいぜい頑張れよ」


 自嘲するように笑ったペレスは手を振りながら風車に向かって歩いていった。

 栄光旅団。小屋に戻ったらリグレットに聞いてみよう。


 ペレスとすれ違い、こちらに走ってくるシルヴィアを見ながら俺は立ち上がった。



          * * *



「栄光旅団かい」

 

 リグレットはサラダを頬張りながら俺を睨む。

 夕食前の稽古で更にアザを増やした俺は頷く。


「確かに、魔王を討伐すれば何でも願いが叶うって言われてるね」


 顔程の大きさの葉っぱをフォークで突き刺しながらリグレットは言う。


「栄光旅団は南の辺境地域から出発してね、各地で旅団員を集めながら北を目指していくんだよ」


 リグレットから聞いた話をまとめてみる。


 二十年くらいに一度起こる"魔力の爆発"。それに呼応するように、南の国で勇者が生まれるらしい。

 勇者は大陸を北に向けて縦断し、最後に"魔力の爆発"の元と言われる魔王を討伐する。

 ただ、その後の勇者達についてはその記録を見つける事ができなかった。

 果たして彼等は望みを叶えたのか。

 リグレットが言うには、公にされていない記録があり、神聖皇帝殿の書庫や、大陸最大の宗教団体ロアスタ教が管理する聖樹大神殿の大図書館に保管されているという。


「まあ、私も栄光旅団に参加したことはないからねえ。あ、そうそう」


 シルヴィアが煎れた食後のお茶を飲んだリグレットはカップをテーブルに置いた。カップに入っているのは湯気を立てる白い液体。シルヴィアいわく「コフィン」という、ミルクを沸騰させ、大量の砂糖を入れ、ハーブを乗せた、この世界では最もありふれた飲み物らしい。


 

「栄光旅団が皇都に来るのはまだしばらく先だからね。明日出発して皇都に着いたら、まず町の魔物討伐団に入りなさい」

 

「すぐに旅団に入るんだと思ってました」


 俺は甘すぎるコフィンを飲み込む。


「栄光旅団はみんな入りたがるからね。入団試験があったはずだから、自分で情報を集めるんだよ」


「はあ」


 なんとなく投げやりなもの言いをするリグレットに少し腹が立つ。

 

「じゃあ、夜の稽古を始めようか」


 コフィンを飲み干したリグレットが、カップを置きながら立ち上がる。


「頑張ってねお兄ちゃん」


 カップを下げるシルヴィアが俺に笑顔を見せる。まさに天使の笑顔に見えた。小さな口を押さえてクスクスと笑っている。

 前言撤回。あれは悪魔の笑顔だ。

 フラフラと小屋の出口に向かう俺は、ドアの側に立て掛けていた木刀を握り、ドアを開けた。 小屋の外はすでに日が落ち、月明かりだけが広場を照らしていた。

 肌寒い風に髪を煽られているリグレットが見える。

 そして、その輪郭がぼんやりと紫色に輝いていた。ペレスとの決闘の時に見た光と同じだった。


「私の稽古はこれで最後だよ」


 にじり寄る彼女の右手には金属の刀が月の光をテラテラと反射していた。


「やっぱりあんたには見えてるみたいだね」


 立ち止まる俺をリグレットの瞳が見据えていた。


「よく見るんだよ」


 リグレットの言葉に頷いた俺は、深く息を吸い込み、彼女を凝視する。

 少しして、彼女の体をうっすらと覆う紫色の炎にゆっくりとした流れがある事が分かった。それは、だらりと垂れ下がった左袖辺りから沸き上がり、全身に広がっている。


「さあかかってきな」


 俺は、木刀を握る手に力を込めた。

 朝からずっと彼女と稽古を続けてきたおかげで、少しずつ彼女の動きに目がついていくようになっていた。

 打ち込む瞬間に地面に転がされるトリックについても、うすうす理解し始めていた。だが、それを避ける術が見当たらない。


「じゃあ、行きます」


 俺は木刀を振り上げると、一気に彼女との間合いを縮める。

 彼女の体を覆う炎が激しく動いていた。左袖から生まれた炎は、渦を巻くように彼女の頭部に集中していく。

 木刀を振り下ろすと同時に、炎は滝から流れ落ちるように彼女の右腕に流れていった。

 振り下ろした木刀は彼女が持ち上げた刀に、ガチンとぶつかり、鈍い音を立てる。

 彼女の炎は、右腕から腰に向かい、そして両足に広がっていた。

 ほんの半歩程、左足を前に出し、次の瞬間にみぎひざを俺の腰に向かって蹴り上げていた。

 炎の動きがなけれらば、その動きは目で見ることは出来なかっただろう。

 彼女は、俺の筋肉の動き一つ一つから剣筋を読みとり、最小限の動きで軸をずらして、俺の重心に対し、最小限の力を加えていたに過ぎなかった。


 腰のアザはこの膝の打撃で出来ていたのだろう。

 彼女の膝の軌道から体の軸を無理矢理ずらした俺は、顔面から地面に転がる。そして、起き上がり様に、水平方向に木刀を振るう。

 手応えは無かった。

 一瞬彼女を見失った俺は、自分が月明かりの影に入っている事に気付き、空を見上げる。

 

 上空から振り下ろされた刀は、俺の鼻先でピタリと止まっていた。


「よく避けれたね。合格だよ」


 リグレットは刀を鞘に納めながら言う。

 今だ腰が抜けて動く事が出来ない俺は、彼女の流れるような仕種を目で追うことしかできなかった。


「まあ、そんだけ見えてればビルドウルフ位なら倒せるだろうね」


 刀が鞘口を叩く金属音を合図のように、俺は長い息を吐き出した。


「リグレットさんも、その、ベネディクトを」


 なんとか吐き出した言葉にリグレットは動きを止めて俺を見下ろす。


「私のベネディクトは左腕と一緒に食べられちゃったけど。まあそんなとこさね」


 月明かりを照り返す彼女の瞳が光を増して見えた。


「稽古は終わりだよ。明日は早い。もう寝な」


 手を振った彼女は俺に背中を見せて小屋に向かって歩き出す。


「リグレットさん。あの時の"約束"って何だったんですか」


 その背中にずっと疑問に思っていた事をぶつけてみた。

 リグレットは歩みを止めると、頷き俺の方に振り向く。


「適当にやってペレスに負けなさい。決して死ぬんじゃないよ」


 リグレットはそう言って微笑むと、また小屋に向かって歩き出した。


 うなだれた俺は、地面の土を握り締めていた。


 俺が降りてくる前、この体で生きていた人間がいた。アルフレッド。そういう名前だったらしい。きっと彼はリグレットの片腕として鍛冶を手伝い、シルヴィアと村に商品を売りに行っていたのだろう。

 かつてベネディクトを所持していたはずのリグレットならば、転生の意味を理解していたはずである。

 アルフレッドの死を彼女は受け入れたのだろうか。

 俺には分からない。死んだはずの人間が蘇り、別人格として生きていく。その事は周囲にどんな影響を与えるのか。


 もし、願いが叶うならば、アルフレッドを生き返らせてあげたい。そして、俺が何者だったのか知りたい。


 月明かりに浮かび上がる粗末な小屋。吹き抜ける冷たい風に虫の泣き声だけがいつまでも響いていた。




          * * *



 早朝、まだ日が登る前に、小屋から出発した三人は、朝霧の中、村外れの荷受け広場に到着した。


 広場には、毛むくじゃらの動物二頭とホロが付いた荷車が止まっていて、その車輪の側で男性が煙草を吹かしていた。


「あんたがアルフレッドかい」


 吸っていた煙草を地面に投げ捨てた男性は、俺の前に近寄る。


「よろしくお願いします」


 頭を下げた俺を値踏みするように睨んだ男性は、ふんっ、と鼻を鳴らすと、荷車を指差した。


「ゲスターだ。行商をしている。荷物を積みな。すぐ出発する」


 男性の指示とおり荷車を見てみると、すでに樽や木箱が満載されていて、やっと人一人が座れるスペースが申し訳程度に開けられていた。

 まあ、もともと荷物はほとんど無い。着替え数着が入った革袋を木箱の上にほうり投げ、荷車に飛び乗った。


「お兄ちゃん、これ」


 シルヴィアが、白い革袋を荷車の上の俺に差し出していた。

 受け取ると、ずしりと重い。中を見てみると、本らしきものが数冊入っていた。


「魔物図鑑とか、地図とか入れておいたから読んでね」


「おう。ありがとうな」


 目的地である皇都まで数日かかると聞いている。本はいい暇つぶしになるだろう。


「私からはほら」


 リグレットは、布で巻かれた棒を俺に差し出した。何気なく受け取った俺は、その重さに驚き、慌てて両手で抱き抱えた。


「筋トレ用の剣だよ。切れ味は最低だけど、恐ろしく頑丈に出来ている。そいつでぶったたけばかなりのダメージが与えられるはずだよ」


 巻かれていた布を少しだけ開けてみると、細かな装飾が施された柄が見えた。


「ありがとうございます。リグレットさん」


 布を巻き直し、頭を下げる俺に彼女は、小さな革製の巾着袋を差し出していた。


「足りるかどうか分かんないけどね。まあ、当初の生活費ぐらいにはなると思うよ」


 ずしりと重い巾着袋の中には、銀色の硬貨が十枚程入っていた。


「ありがとうございます。大切に使います」


 巾着袋の口を閉めると同時に、荷車を引く動物のいななきが響いた。


「じゃあ、行ってきます」

 

 巾着袋を胸に抱いた俺は、二人に頭を下げた。


「兄ちゃん! 栄光旅団に入れなかったら帰ってきてね」


 まあ俺に出来る限りはがんばってみる。


「ここがあんたの故郷だからね。またこき使ってやるよ」


 それもいいかもしれない。


 でも……


 朝霧が晴れ、丘の向こうの風車が見えた。

 小さくなっていく二人に手を振りながら俺はもう一方の手でリグレットが渡してくれた剣を握りしめる。


 栄光旅団がやってくるという皇都まで一週間。

 長い旅が始まる。

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