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01 転生は決闘から始まる

  

 目を開けると、眩し過ぎる太陽の光が飛び込んできた。


 聞こえるのは、人々の歓声。

 臭うのは、血の臭い。


 これは、俺の血か。


 額に手を当てると、その指にネットリとした血液がまとわりつく。

 片膝を草地につけ、手の平から視線を上げていくと、両手を空に突き上げて、ガッツポーズをしている小肥りの少年が見えた。年齢は十七、八くらいか。

 茶色い革製の兜、鎧を身につけ、片手には短い木刀を持ち、それを天に掲げている。


 まわりから聞こえる歓声はどうやら彼に送られているらしい。


「どうする? アルフレッド。剣を置くか?」


 視線の外から老人の声が聞こえた。

 俺は立ち上がろうとして、よろめき、再び膝を地面につく。

 額から流れ落ちる血液を木刀を持った手で拭う。ねっとりとしたあったかい血液が手の甲にこびりついていた。


 俺は肩を揺らして呼吸を整えていく。


 とにかく状況を把握しなくてはいけない。

 まず、アルフレッド……。どうやらこれが俺の名前らしい。俺、そんな名前だっただろうか。


「どうした、アルフレッド。もう終わりか?」


 目の前の小肥りが、肩に木刀を乗せて笑っている。


「ペレス、早くやっちまえよ」


 周辺から聞こえる声に、俺はゆっくりと周りを眺める。

 どこかの田舎の村だろうか。俺と小肥りを取り囲む様に立ち並ぶ人々。

 老若男女が、粗末な布の服を着て声援を送っている。彼等の向こうには、石レンガで出来た建物が見えた。どうやらここは、どこかの村の広場のようだ。

 俺は自分の体を見下ろしてみた。目の前の小肥りと同じ格好をしている。

 状況はまったくわからない。息を整えながら、今わかる状況をまとめてみる。とにかく俺はどこかの村の広場で、どこの誰とも知れない小肥りと決闘のような事をしている、そして彼の攻撃により、大きなダメージを受けた、ということか。


「貴様みたいな流れ者に資格なんてねえ。そのままくたばれ」


 小肥りは、叫びながら木刀を振り上げ、俺に向かって走ってくる。


「なんなんだよ」


 俺は反射的に地面を転がり身をかわす。俺の下にあった岩が、ペレスの木刀により粉々に砕けていた。

 割れた岩から木刀を抜いたペレスは舌打ちをしながら、また俺をにらむ。


 木刀で岩が割れるのかよ。


 彼の怪力に舌をまきながら膝を付き、立ち上がろうとした俺は、ペレスを見てある事に気付いた。


 あれは何だろう。


 よく見ると、ペレスが岩から引き抜いた木刀が紫色の炎のような物をまとっている。


「なにぼうっとしてやがる。死にやがれ!」


 さっきのが必殺の振り下ろしだったのだろう。必死の一撃を回避されたペレスは怒り狂ったように木刀を振り回す。

 息が整うとともに、ペレスの動きがよく見えてくる。木刀の威力自体は馬鹿にならないが、彼の体のキレはイマイチらしい。

 そして、不思議なことに彼の振り回す木刀の太刀筋がなんとなく読める。振り上げた木刀の角度、踏み込む足の強さ、腰の動き、そして、彼の細い目。それらの細かい動きが次の行動を教えてくれる。

 最初こそ、慌てて木刀を避けていたが、その太刀筋が読めてからは、ギリギリまで引き付け、鼻先で木刀をかわしていく。


 なぜなら、悔しがるペレスの顔が面白かったから。


 が、それもおしまいらしい。彼の息が上がってきたようだ。

 木刀が纏う紫色の炎も、今にも消え入りそう。

 力が弱まっているとはいえ、あの木刀でどつかれればやはり痛そうである。ズキズキと痛みを繰り返す頭で俺はそう判断した。

 

 倒してやる。


 大振りしたペレスの木刀を目の前でかわして、がら空きの脇腹に一撃。俺の反撃に怒り狂って大上段に振りかぶる彼のみぞおちにもう一撃。革製の鎧の上からでも、ペレスに深刻なダメージを与えた事が分かる。 

 腹を抑えて地面に膝をつくペレス。彼が握る木刀の炎は消えている。

 俺は、俯いてうめき声を出すペレスにゆっくりと近づいていく。


 殺してやる。


 湧き上がる殺意。それに引きずられるように木刀を水平に振りかぶり、彼の側頭に向けて振り下ろす。


「勝負ありだ。もうやめなさい」


 振り下ろす俺の腕を誰かが掴む。見るとさっきの老人だった。


「アルフレッド、よくやった。剣を納めなさい」


 シワ深いヒゲ面の奥の目で俺を見据える老人。腕を抑える力は異常な程強い。俺は木刀を握る手の力を抜く。


「兄ちゃんすげー」


 背後から、幼い声が聞こえる。

 次の瞬間、俺は前から走り寄る少年に力一杯抱きしめられていた。


「これで兄ちゃんが、栄光旅団に決定だ!」


 顔を上げた少年は、短い金髪の髪をくしゃくしゃにし、真っ青な瞳を俺に向けている。

 我に返り、前を見てみると、ペレスが歯ぎしりをしながら俺を見上げていた。そして、ため息をつき、蔑んだ目で俺を見る群集。


 なんとか決闘には勝てたようだが、いったい何がどうなっているのか全く分からない。この状況からわかるのは、俺がペレスに勝ったことが、俺に抱き着く少年以外にはあまり喜ばしい事ではないらしい。


「アルフレッドよ。神の祝福を受けし強き御子よ。旅立ちは明後日の早朝。それまで身を清められよ」


 ヒゲ面の老人は、両手を胸の前に組み、何やらゴニョゴニョ唱えると、群集の中に消えて行った。


「とりあえず、おししょ様に報告しなきゃ」


 金髪の少年に手を引かれた俺は、ふとペレスを見遣る。

 

「クソ! クソ!」


 取り巻きの仲間に囲まれた彼は、俺を睨みつけながら、何度も地面に拳を打ち付けていた。



                       * * *




 金髪青目の美少年に腕を捕まれたまま、石畳の道を歩いていく。


 石レンガで出来た簡素な家が立ち並ぶ村らしき集落を抜け、村の外れて行く。頭を垂れた麦のような植物が見渡す限りに植えられた畑の中の道を進むと、見上げるような断崖絶壁が見えて来た。

 その崖の真下に、これまで見てきた家に比べても明らかに粗末な小屋が見える。屋根や壁の煉瓦は所々崩れ、かろうじて小屋としての機能を維持しているようだ。


 小屋の出入口付近に転がる薪や、横手で風にそよぐ洗濯物が、ここに人が住んでいる事をかろうじて教えてくれる。


「おししょ様! お兄ちゃんがやったよ!」


 華奢な体にも関わらず、俺をここまで引っ張った少年が小屋に向かって大声で叫ぶ。


「おししょ様!」


 小屋から返事は無い。

 少年は、俺を見て首を傾げると、一人小屋に入っていく。


 少年の腕から解放された俺は側にあった切り株に腰を下ろした。



 取り合えず、現在分かっている情報をまめてみる。

 

 第一、俺はアルフレッドと言う名前らしい。


 第二、ペレスとかいう小肥りを倒した俺は明後日、栄光旅団て奴の為にどこかに出発するらしい。


 第三、なぜか金髪青目の美少年が弟。


 第四、ペレスの前で目覚めた時以前の記憶がもやにかかったようにはっきりしない。


 一つづつ考えてみよう。

 まず第一、アルフレッドという名前は、やはり聞いた事がない。では、本名は、と考えてみるが、それらしい名前は何も思い浮かばない。


 第二、栄光旅団とは一体何なのか。決闘で参加の有無が決まるところを見ると、何かと戦わなくてはいけない集団なのだろう。


 第三、これは…… うん、新しい扉が開かれていくのを感じる。 


 しかし……

 俺は切り株から立ち上がり、側の水桶を覗き込む。

 やはり、俺の顔は、我が弟とは似ても似つかない。さして特徴も無い顔。血に濡れた髪は真っ黒。瞳は茶色かかっている。

 俺と彼との間に血縁関係はないと断言してもいいだろう。

 一人頷く俺は桶の水をすくい、顔を濡らした。固まりかけていた血糊が剥がれていく。


 第四。

 俺は目を閉じて記憶をまさぐる。

 濃い霧の中、一瞬だけ微かに見えたのは、淡い光を放つ天井、そして、俺を覗きこむ二つの影。


 頭が割れるような頭痛がした。

 ペレスに殴られたであろう頭の傷のせいか。しかし、頭痛は頭の奥からやってきている。


 再び切り株に座ろうとすると、少年の声が聞こえた。


「おししょ様留守みたい」


 少し落ち込んだ顔の彼は、俺に近づくと真っ白の歯を見せて笑った。


「シルヴィア、ご飯用意するから、お兄ちゃんは休んでいてね」


 彼の名前はシルヴィアか。なんか女性の名前みたいだが。


 また腕を捕まれて俺達は小屋の中に入る。


 薄暗い小屋の中は、ボロボロの外見からすると、質素ながらもきちんと整頓されていた。

 入ってすぐの部屋は、ダイニングキッチン、といえば聞こえはいいが、実際は、くすんだ木炭釜とテーブルに椅子が三脚。

 窓の下には、木組みの大きなベッド。かけられている布団はボロ布だが。


 とりあえず俺は着ていた革の鎧と、血糊で髪に張り付いたヘッドギアを外して床に置いた。

 

 椅子に腰を下ろし、頭をまさぐる。

 特大のたんこぶが出来ていたが、特に頭が割れているわけではなかった。


 では、この血はいったい……。


 手に張り付いた血糊を見ながら考えていると、突然、頭に冷たい水を含んだタオルが掛けられた。


「お兄ちゃん、頭の怪我大丈夫? ご飯出来るまで寝てていいよ」 


 背後を振り向くと、シルヴィアが天使のような笑顔を向けていた。


「シルヴィア、お兄ちゃんに教えて欲しいんだけど」


 俺の言葉に、弟はキョトンとどんぐり眼を向ける。


「俺、誰? ここはどこ?」


 こんな台詞を使う日が来るとは夢にも思わなかった。

 真剣にシルヴィアを見つめる。困惑した表情の彼だったが、結局、腹を抱えて笑いだした。


 そりゃ、そういう反応だよな。


 息をしゃくりながら笑うシルヴィアは、やっと笑いを終え、涙を拭きながら言う。


「お兄ちゃんがそんな面白い事言ってくれたの初めてかも」


 それでも、俺の真剣な表情に気付いたのか、彼は背筋を伸ばす。


「あなたは、アルフレッド。ここアスコット村で、僕とおししょ様と三人で暮らしています」


 アスコット村、聞いた事がない。

 

 腕を組み考え込む俺をシルヴィアが心配そうに見ていた。


「お兄ちゃん、やっぱり休んだ方がいいよ」


 そうかもしれない。少し休めば、夢ということで終わるかもしれないし。


「わかった。ちょっと休憩するよ」 


 俺はシルヴィアに言うと、立ち上がり窓際のベッドに腰掛けた。


「お兄ちゃん」


 ふかふかのベッドに体を横たえた俺の顔をシルヴィアが覗き込んでいる。

 シルヴィアは笑顔で部屋の隅を指差していた。

 上半身を起こして指の指す方を見ると、壁の下に藁が敷かれ、その上に薄汚い布が載せられていた。


「お兄ちゃんのベッドはあっちでしょ」


 ベッドから起き上がり、藁の上の布の上で体を丸めた。

 満足げに頷いたシルヴィアは、両袖をまくり上げ、小屋を出ていった。


 アルフレッド……


 ちくちく突き刺す藁。俺は俺自身である彼に深く同情し、目を閉じた。


 

                       *  *  *



「起きろー!」


 片耳に強烈な痛みが走る。


「いててて」


 俺は叫びながら目を開ける。

 目の前に女性がいた。切れ長の目、吸い込まれそうな黒い瞳がひとつ。もう片方の目は大きな傷跡で塞がれている。

 耳から手が離されて、俺はしこたま床に頭を打ち付けた。


 見ると、俺の前で水色の布を体に巻き、毛皮のブーツを履いた女性がしゃがんでいた。輝くような銀髪をポニーテールに結ぶお姉様。


「シルヴィアがせっせこ晩飯作ってるのに、グーグー気持ち良さそうに寝やがって」


 立ち上がり、腕を腰に当てる女性。違和感は、左腕が見当たらない事。腕の通っていない左袖がだらりと垂れ下がっている。


「おししょ様、お兄ちゃん怪我してるから」


 お姉様の後ろからシルヴィアが心配そうな顔を覗かせる。


「まあ、いいけどね。それよりあんた、なんで約束破った?」


 再び、身を屈めて顔を寄せるお姉様。彼女の目が俺を睨みつける。その瞳は、不思議な力を持っているように俺の体を硬直させる。


 この人には敵わない。


 俺の心の奥にそんな本能的な恐怖が沸き起こる。


「や、約束って」


 俺はなんとか声を絞り出す。


「覚えてないか。まあ、ペレスの力を見誤った私のせいでもあるしな」


 お姉様は、俺から視線を外すと、テーブルの椅子にドカッと座る。

 いまだジンジンと痛む耳を触りながら立ち上がった俺は、こちらに背を向けるお姉様に気づかれないようにシルヴィアの側に歩み寄る。


「あの人、誰?」


 フライパンを握ったシルヴィアは、呆気に取られた表情で俺を見る。そして、俺の耳元に口を寄せて小声で言う。


「その設定、まだ続けるんですか?」


 正直飽き飽きした顔。

 まあ、そう思われているならその方が都合がいい。

 俺は頼むと頭を下げた。


「あの人はおししょ様。レイザン・カルファ・リグレット様。剣術の達人にして鍛冶屋さんです」


 ふうん。俺はチラリと、リグレットの背中を見遣る。

 どうやらテーブルの上の酒をチビチビと飲んでいるらしい。華奢な体、美しい銀髪。剣術の達人には見えないが。


「兄ちゃん、これ運んでよ」


 シルヴィアは、リグレットの背中を眺める俺に大皿を渡した。皿にはてんこ盛りにサラダが盛られている。

 俺はテーブルに大皿を置くと、次々に皿を受け取り、リグレットの前に運んでいく。テーブルに並んだ皿を見てあることに気づく。

 サラダ、野菜炒め、野菜のスープ。見事に野菜攻めであった。


「シルヴィア」


 酒の入ったコップを置いたリグレットが、台所のシルヴィアを振り返る。


「今日も聞こえたのか?」


 リグレットの言葉に、シルヴィアは無言でコクリと頷く。


「そう。ならしかたないね」


 言い捨てたリグレットは、木製のフォークでサラダの葉を突き刺し、口の中にほうり込んだ。



                      *  *  *



 中途半端な時間に寝てしまったせいか、ランプの火が消えた後、俺はなかなか寝付く事ができなかった。

 とにかく考えなくてはいけない事が多過ぎる。あれこれ考えている内に、もよおしてきた俺は、藁のベッドを抜け出すと、木組みのベッドで抱き合うように眠り、仲良く寝息を立てる二人に気付かれないよう小屋の外に出た。


 夜にしては妙に明るい。見上げると、崖の上に、煌々と輝く満月が見えた。

 その明るさに少し驚きながらも、足元がはっきり見える事に感謝し、小屋の裏手を流れる小川のあぜに立つ。

 小川の水が跳ねる音に、虫の泣き声が止まった。


「腹が減って寝れないだろ」


 突然掛けられた声に、その恰好のまま慌てて振り向く。

 そこには、眩しそうに月を見上げるリグレットがいた。


「肉を買って来た。ちょっと食べないか」


 用を済ました俺は、小屋に向かって歩くリグレットの後ろを追い掛けていく。

 小屋の前の切り株に腰をかけたリグレットは、胸元から、紙の包みを取り出した。

 包みの中には、両手の平程の大きな干し肉が二片入っていた。

 干し肉を見た俺の腹が音を立てる。


「体は正直だね。あれだけ出血したなら、肉を食べなさい」


 リグレットから干し肉を受けとった俺は、近くの切り株に座り、干し肉をかじる。


「見ていたのですか」


 俺の質問にリグレットは、干し肉を食いちぎりながら頷いた。

 小屋に帰って来た時にはもう出血は止まっていた。彼女はきっと俺とペレスの決闘を見ていたのだろう。


「あんた、あの時降りてきただろ」


 リグレットの言葉に、俺は思わず干し肉を飲み込み頷く。"降りてきた"、その表現が正しいのかは分からないが、あの時、何かがあったことは間違いない。


 この人ならば。


 俺は、月の光を湛えた彼女の瞳を見つめる。


「シルヴィアの事なんだけどね」


 干し肉にかじりついたリグレットは、俺から視線を外し、畑の方を眺める。

 そういえば、食事の時に気になる会話があった。声が聞こえたとかなんとか。


「あの子が聞いたのはあれの声さ」


 リグレットが顎で示した先には、木の柵に囲まれた鳥小屋があった。中では数十羽の茶色い鳥が、体を丸めて眠っていた。


「鳥、ですか」


「そう」


 最後に残った干し肉を口に入れたリグレットは、指を舐めながら、立ち上がると、月に手をかざすように背筋を伸ばす。


「あの子には、動物と会話する特殊な能力がある」


 月の光を背負った彼女は、真剣な眼差しで俺を見下ろす。


「動物と会話、ですか」


 俺はおうむ返しに彼女に尋ねた。


「会話といってもね。こんな風に言葉を交わすわけじゃないみたい」


 彼女は、そう言って微笑むと、ゆっくりと柵に向かって歩きはじめた。

 干し肉をかじった俺も彼女について歩き始める。


「この子達が私の悪口を言っていたのを聞いたのが最初だったみたいね」


 体を寄せ合って眠るその固まりの一匹が、丸まった体から首だけをひょっこり出す。眠りを妨げられたことに抗議するようにリグレットを見ていた。

 茶色い羽に白い産毛。コロコロとした体型には不思議な愛嬌がある。


「動物の声が聞こえるってすごいですね」


 柵に手をかけた俺は、すぐ横のリグレットを見る。

 彼女は、「そうね」とつぶやくと、鳥に手を伸ばた。彼女の手に威嚇するようにくちばしを向けた鳥は、すぐにもとのように丸い体に首を収納した。


「私にとっては、肉が食べれなくなっただけだけどね」


 なるほど、それで野菜だらけの食卓になったのか。確かに、しゃべっている生き物を殺して料理するのはしのびないかもしれない。


「彼女は、三年前にここに来たの」 


柵から離れたリグレットは、切り株の椅子に向かう。


「三年前、村の近くで家畜を運んでいた商隊が盗賊団に襲われたんだ」


 俺は口の中に残っていた干し肉を飲み込む。ちょうどよい塩加減が残り香のように口内に残った。


「ひどいものだったみたいだよ。村人達が駆け付けた時には商隊は皆殺し。家畜達は奪い取られた後だったね」


 リグレットは、垂れ下がった左袖を右手で押さながら俯く。


「あまりの惨状に呆然とする村人達の元にあの子は駆け寄ってきた。さすがの盗賊も子供を殺すことはできなかったのか、というわけで、村の人達はあの子を連れてきたのだけどね」

 

言いながら彼女は視線を俺の顔に向ける。銀色の瞳が月の光に濡れてシトシトと輝いていた。


「襲撃前の記憶をすべて失っていたあの子は、次第に村人から恐れられていったの」


「どうしてですか?」


 リグレットは頷き、話を続ける。


「村の外から野生の動物を村に引き入れて飼いだしたから」


 うーん。それだけで村人から恐れられる事なのだろうか。


「あの子が村に引き入れたのは、いわゆる魔物だったの」


「魔物、ですか?」


「そう。野生の生き物が魔力により異形の生物になってしまったもの」


 キョトンとしている俺に気付いたリグレットは、ああそうだったね、とつぶやく。


「この世界には、二十年くらいに一度、"魔力の爆発"というのが起きてね。ここから遥か彼方の地で起きたそれは、世界各地に魔力を撒き散らすの」


 リグレットの話をまとめてみる。


 二十年に一度、ここから遥か彼方、言い伝えでは極北の地で突然魔力の塊が爆発するらしい。その爆発から飛び散った魔力は世界全体に行き渡り、各地で様々な影響を与えている。

 その中でも最も人間にとって脅威となるものは、野生生物の魔物化である。魔力を受けた生物は異形の魔物に変化し、狂暴性を増して人間に襲いかかる。

 そんな異形の生物を村に引き入れたシルヴィアは、やがて村人達から追いやられ、森に放逐されたらしい。

 リグレットは、森の中で一人生活をしていた彼女を見つけ、人間として育てている。


「あの子が引き入れた魔物を討伐したのは、私だからね」


 当時、魔物討伐を生業とする集団に所属していたリグレットは、この村から依頼を受け、次々に襲いかかる魔物達を討伐した。

 その後、別の依頼中に片腕を失ったリグレットは、シルヴィアの事を思いだしこの村に骨を埋めるつもりでやって来た。

 最初こそ訝しがった村人達も、片腕になったとはいえ、かつて魔物を討伐した記憶が鮮明に残っている事や、リグレットが討伐の片手間にしていた鍛冶の技術で農工具を格安で作りだした事により、最終的に認めることになった。


「あの子の能力は、ありふれた"スキル"ではなく、"ベネディクト"と呼ばれる特殊能力だよ」


「ベネディクト、ですか」


「そうだよ。神様が戯れに与えた人智を超えた能力。なかにはそれを祝福と捉える人もいるけどね。はてさて、祝福としてありがたがるか、呪いと受け取るかはその人次第だろうね」


 人智を超えた能力……。そういえば彼女に聞いておかなければいけない事があった。

 

「実は、ペレスと決闘中に、彼の木刀に変な炎みたいな物が見えたのですが」


 リグレットは俺の言葉を聞くと、しばらく目を閉じる。

 再び目を開けた彼女は言う。


「ペレスにあんな能力があるとは知らなかった。たぶん物質を硬化させる能力を使ったんだろうけど。もしかしたらそれがあんたに見えたのかもしれないねえ」


「よくある事なのですか」

 

 リグレットは俺を見つめたまま首を振った。


「聞いた事ないね」


 そういえば、村人どころか、ペレス本人にもあの炎は見えていないようだった。


「まだはっきりと解明されてはないんだけどね。"ベネディクト"は転生者に宿るっていわれてる」


 リグレットは言いながら、小屋の方を見遣る。


「シルヴィアにしてもそうなんだけど、一度死んだと思われた人間が転生したという記録があってね」


 彼女の言葉を聞いた俺は、反射的に自分の頭に手をやる。

 ペレスに頭を割られた痛みがまだ残っている。あの時、手には大量の血液がこびりついていた。あの傷はどうして無くなったのだろうか。


「俺は、俺はあの時転生したのでしょうか」


 リグレットはゆっくりと首を振った。


「さてね。でもあの時のペレスの一撃はあんたの命を奪うに充分な威力だったよ」


 やっぱり。…… あの時、俺が転生する前の本物のアルフレッドは死んでしまったのだろう。

 俺は、自分の両手を開いて見てみる。自分の体のはずが、なんだか別人の体に思えてしまう。しかし、その指は俺の思う通りに動いている。

 思い返してみると、腑に落ちない点がある。

 別の世界から転生したはずなのに、俺はこの世界の言葉を理解したこと。

 つまり、死んだはずのアルフレッドの体を俺が乗っ取ったという事になるのだろうか。


「なんいせよ、転生やらベネディクトの話はあまり他人にしない方がいい」


 俺に視線を戻したリグレットの瞳が月明かりを受けて輝いて見えた。


 確かにシルヴィアもそうだったが、変な人扱いされてしまうだけだろう。何か適当な理由を考えておかなくてはいけないな。

 

 話はこれで終わり、とリグレットは手を広げる。

 最後にもう一つ、彼女に聞いておきたい事があった。


 「アルフレッドは、どういう人物だったのですか」


 言ってる俺もへんてこな質問だと思う。

 でもリグレットは真剣に答えてくれた。


「あんたは、昔の仲間の子供でね。剣の才能はからっきしだったよ」


 笑った彼女は、切り株から立ち上がった。


 ん、そういうことは。


「シルヴィアは俺の弟じゃないんですか」


 俺の言葉にリグレットは一瞬動きを止める。そして腹を抱えて笑い出した。


「こんな似てない兄弟がいるわけないだろ。まあ、弟弟子ではあるかな」


 確かに冷静に考えればそうなんだけど。


「それにな、シルヴィアは……、くく」


 リグレットは俺を見ながらつぶやくきまた笑い出す。


「まあ、もう寝なさい。明日は仕事だよ」


 笑いながら小屋に体を向けたリグレットは右手を振った。

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