00 始まりは砂漠の船の上
小さな砂丘を乗り越えたのだろうか。砂混じりの風が吹き抜け、ランプの明かりが揺れた。
「はい。王手」
アルフレッドは、将棋盤から指を離して星空を見上げる。
瞬きを繰り返す無数の星々。
かつて、彼がいた世界では星と星を結んで神や動物の姿を見出だしていた。
今、全天を覆う星の並びにその面影はない。そもそもこの世界には星座という概念がないらしい。
「ぐ、ぐぬぬ」
アルフレッドと将棋盤を挟んで座る小柄な女性が唸り声を出す。
両膝に手を置いた彼女は、頭から突き出た三角の耳をピクピクと動かし、将棋盤を睨みつけていた。
「いわゆる"詰み"というやつですな」
アルフレッドが声の方を見ると、果実酒のビンを載せたお盆を持った眼帯の男性が立っていた。男性はため息をつきながら将棋盤を見下ろしている。
「うるさい!」
叫んだ女性は将棋盤の上の駒をぐちゃぐちゃに掻き回した。
「これでアルフレッド殿の二百三十二勝ゼロ敗ですな」
男性はやれやれとつぶやきながら床に座り、グラスに真っ赤な果実酒を注ぎはじめた。
腕を組みそっぽを向いた女性は、果実酒がそそがれたグラスを奪い取るように掴み、一息に飲み干す。
「ぷは〜。ったく。少しは船長に対してのだな」
空になったグラスをアルフレッドに突き付けた彼女は、頬から真っすぐ伸びた六本のヒゲをそば立てる。はやくもその大きな瞳は酒のせいか、ほのかに赤い光をたくわえている。
「飛車角落としを断ったのは船長の方じゃないですか」
彼女の威圧感に負けぬよう、眼鏡をかけ直したアルフレッドは、受け取ったグラスに口を付けて、船の先に顔を向ける。
「その態度がムカつく」
再びグラスに注がれた果実酒を飲み干した彼女は、空のグラスを傍らに置くと、瞳を閉じて細かく口を動かしはじめた。
彼女が発する小声の言葉を聞いたアルフレッドは、慌てて立ち上がる。
「せ、船長、それはやり過ぎだって」
アルフレッドは、ごにょごにょと言葉を出す彼女の肩に手を掛けた。
「俺が悪かった。すみません。だからそれだけは」
何度も必死に頭を下げるアルフレッド。彼の様子を細目を開けて見た彼女は唇の動きを止めた。
「分かった。拘束詠唱はやめたげる」
彼女の言葉にアルフレッドは力無くその場に座りこむ。
「そのかわり」
果実酒を一口含んだ彼女は、フラフラと立ち上がると、腕を組んでアルフレッドを見下ろす。
ランプの明かりが、彼女の良く手入れされた純白の細毛をきらきらと輝かせる。
「あんたの物語を聞かせなさい」
アルフレッドは、彼女の言葉に呆気に取られたように顔を上げる。
「お、俺の物語?」
聞き返すアルフレッドの横で、眼帯の男性が果実酒を飲み干して言う。
「私も聞いてみたいですな」
男性は自分のグラスに果実酒を注ぎながら、口角を歪ませてニヤリと笑う。
「神の代行者にして、異界からの転生者。魔装具師ドミニオン・アルフレッド殿の物語」
男性の言葉に女性は目を閉じて「うん、うん」と何度も頷く。
「船長命令よ」
酒のせいか、三角の耳を真っ赤にした彼女も、床に腰を下ろし、背後の尻尾を揺らせた。
「あんまり気持ちのいい話じゃありませんよ」
アルフレッドは、言いながら、床に腰を降ろして腕を組む。
沈黙の中、船が砂の海をかき分ける音だけが甲板を包む。
船が小さく揺れた。
甲板の外から舞い上がった砂粒が、ランプの光を受けて、まるで星のようにキラキラと輝く。
「どこから話せばいいものか」
彼の見上げた空には、今にも溢れだしそうな満点の星が輝いていた。
この世界に星座という概念は無い。
ならば、自分で作ればいい。
夜空という無限のキャンパスに散りばめられた、点と点。それら無数の星々が一つづつ、一つづつ、彼の思うがままに結ばれていく。
その姿は、彼が出会ってきた魔物や、度肝を抜かれた自然の景色、建造物に。そして、希望に溢れ、共に戦ってきた人々、過酷な運命に翻弄され、夢破れ命を散らして行った人々。
絶望の中で、愛を教えてくれた人。
語るべき物語はあまりにも多く、そして悲しい。
「あれは今から五年程前、神聖帝国ヴェルディアの辺境の村、アスコットから話は始まります」
高速巡航挺シャリド。最新鋭の魔装技術が組み込まれたその美しい船は、まるで風のように、砂漠の海をゆっくりと、静かに進んでいく。