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白の罪  作者: 井平カイ
前編
4/4

 翌朝、湊は目が覚める。だが、昨晩はあまり眠れなかったようだ。いつもなら一度体を伸ばしてすぐに洗面所に向かうのだが、この日の朝は動きが鈍い。上半身を起こしたまま頭をかき、窓から見える海をボーッと見ていた。この日の天気は晴れ。優しい太陽の光と熱が、まだ眠っている彼女の顔に燦々と降り注いでいた。油断すれば再び睡魔が襲うような、心地よい朝だった。

 しかし、さすがにいつまでもこうしているわけにもいかない。登校のための定期船の時間があり、乗り遅れれば誰か船を出してくれる人を探さなければならなくなる。当然、学校に間に合わないだろう。

 一度大欠伸をした湊は、重い体を引きずるように部屋を出た。



 ――――――――――



 台所に着いた湊は、未だに半ば夢の中のようだ。いつもに増していそいそと家事をする明子にぼんやりと違和感を覚えつつ、話しかけた。


「お母さん、朝御飯は?」


 湊の起床に気付いた明子は、まだ寝ぼけた様子の湊に少し強めに声を出す。


「ほら湊。いつまでも寝ぼけないの。お客さんがいるのよ?」


「お客さん?」


 一瞬、湊は明子の言う言葉の意味を理解出来なかった。だがそれでも、徐々に昨晩のことを思い出し始めた。

 そして、その客――宗太の顔を思い出し固まった。

 思い出した湊は、今の自分の姿を改めてみる。ピンク色の寝間着にボサボサの黒髪。慌てて手で髪をとかした。

 その様子に、明子は呆れるような表情で家事を中断する。


「まったくもう……いつもならお客さんがいる時はそんなんじゃないでしょ」


「だ、だってぇ……」


「ほらほら、さっさと顔を洗ってきなさい。連絡船に遅れるわよ?」


「う、うん」


 湊は急ぎ足で洗面所に向かう。明子の言う通りだった。いつもなら客が宿泊した時は、いつもより早起きをしてから明子と家事をしていた。しかしこの日彼女は寝坊してしまった。何だか恥ずかしくなり、スリッパの音をパタパタと軽快に鳴らせながら、洗面所にたどり着いた。

 ――だがそこには、既に起床していた宗太がいて、顔を洗っていた。


「あ――」


 思わず声を出してしまった。

 その民宿は決して洗面所が共用ではない。本来であれば、客は客室のすぐ隣にある浴室の洗面所を使うのだが――

 湊が漏らした声で、宗太は彼女に気付いた。顔と前髪の一部を濡らしながら、宗太は湊に視線を向けた。


「ご、ごめんなさい!」


 慌てて湊は宗太に謝る。もちろん本来なら湊が謝る必要はない。客には客用の洗面所があるため、通常湊一家の生活居住区の洗面所を使うことはないからだ。それでも思わず謝罪の言葉を口にしてしまったのは、彼女自身の性格によるものなのかもしれない。

 宗太はというと、至極無表情で言葉を返した。


「謝ることはないよ。それより、ここは使って良かったの?」


「え? ええと、お客さんにはお客さん用の洗面所がありますけど……」


「そう……ごめん。場所が分からなかったよ。何も聞いてなかったから……」


 そこで湊は気付いた。おそらく、修一が説明してなかったのだろう。洗面所はすぐ隣にあるものの、ドアがあり表札はない。何も聞かされていなかった宗太は、洗面所を探すうちにこの洗面所に来たのだろう――湊は、そう結論付けた。


「す、すみません。たぶん父が説明し忘れたんだと思います。客室の隣が、浴室兼洗面所になってるんですよ」


「そう……。ごめん、邪魔したね」


 客用のタオルで顔を拭きながら、宗太は湊の横を通り抜けた。

 湊は、通りすぎる宗太の顔を見た。タオルの隙間から見える彼の顔は、うっすらと湿り気を帯びていた。そして濡れた前髪は真っ直ぐに下に伸び、彼の目元にかかる。


「―――」


 思わず、言葉を飲んでしまった。顔は同じ高校生くらい。まだ幼さも残るが、その雰囲気、口調、物腰は、とても高校生には見えない。湊には、どこまでも大人のように見えた。

 宗太が歩き去った後も、湊はその方向を見たまま立ち尽くす。時間を忘れ、ただ胸に浮かぶ暖かいものを感じていた。


「――湊ー!? 急がないと定期船に遅れるわよー!?」


 明子の声に、湊の中の時間はようやく動き出 した。


「っ!? う、うん!」


 湊は大急ぎで準備をし、なんとか定期船に間に合った。



 ーーーーーーーーーー



 高校での授業中、彼女はぼんやりと窓の外を見る。

 季節は間もなく夏になる頃。日差しはやや強く、それでもどこか暖かい。


「―――原!! 柚原!!」


「―――ッ! は、はい!」


 ようやく先生に呼ばれていることに気付いた湊は、慌てて立ち上がった。


「授業中にぼーっとしてるな……そんな柚原にはこれを解いてもらおうか」


 そう言った教師は黒板を軽くノックする。黒板には数学の公式が書かれ、問題もあった。


「は、はい……」


 教室にはクスクスと笑い声が漏れる。そんな中を歩き、湊は黒板に向かった。

 その様子を見ていた千佳は、明らかに様子が違う湊に違和感を覚え、一人顎に手をやり彼女を見ていた。



「―――やっぱり、変!!」


「え?」


 昼食を食べていた千佳は、隣に座る湊に顔を近づけた。


「湊、今日なんか変だよ? 時々ぼーっとしてるし、なんか悩みでもあるの?」


「い、いや……悩みってわけじゃないけど……」


「わけじゃない…けど?」


「ええと……その……」


 湊はたじろいでいた。何しろ彼女の頭を巡っていたのは宗太のこと。ろくに会話をしたこともないはずなのに彼のことがどこか気にかかっていた。そんなこと人に話せば変に思われるだろうし、何よりも自分もよく分からない。そんな想いが、彼女の言葉を濁す。

 それをジッと見る千佳。悩みがあるようにも見えない。かと言ってやっぱり何かを考え込んでいる。そしてその考え込む彼女の表情は、幸せそうにも不安そうにも見えた。それはつまり―――


「……そういうこと」


「え? 何が?」


「別にぃ? ただ、湊もようやくかって思っただけ」


「え? え? それってどういう……」


「いいからいいから。ホラ、ご飯食べよ」


「う、うん……」


 なんだか釈然としないところもあったが、湊は箸を進めた。その間も千佳は意味深な笑みを見せてくる。なんだか見透かされているような気分になった湊は、少し照れながら弁当を食べていた。



 ――――――――――



 那太ノ島の岬には、宗太がいた。そこに腰かけ、ぼんやりと海を眺める。海鳥はユラユラと飛び、仲間に知らせる様に鳴き声を出す。天気は良かったが、東の空に浮かぶ黒い雲がやけに目につく。海は青く静かに揺れていたが、底がまるで見えない。それでも外の空気は気持ちよく、彼は目を閉じ潮の匂いが混じった空気を肺いっぱいに吸い込む。少し日射しが強く手を目の前に置くが、指の隙間から見える輝きを見ていると、目が痛くなった。


「………」


 彼の脳裏を掠める情景は、それらの景色とは違っていた。だが、どこか似ているところも感じる。

 日射しを遮らせていた手を目の前にやり、掌を見る。なんてことはない。ただの小さな手だった。一度強く握れば、皮が擦れる音が聞こえ、拳は熱を帯びる。

 握り締めた拳を強めに額に当てた宗太は、目尻の皺を深くしていた。





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