未練を絶ち切りに
「鈍い」
「なっ!?」
「このガキっ!?」
俺の体へと伸びてくる強靭な男たちの無数の手。それを見切り、紙一重なところで回避する。
捕まればそこで終了、腕力での勝ち目はない。俺がこの黒服たちに勝っているのは、おそらくスピードと動体視力の良さぐらいだろう。特に後者の動体視力は圧倒的なはず、なんせ俺の瞳に映る世界は全てがスローモーションなのだから。
「小僧が調子に乗るんじゃねぇ!!」
「……ふふっ、危ない。少し油断と過信をしていたみたいだね。だげど、もう……」
死角からナイフよりもずっと長い刃を持つ日本刀が、俺の頬を掠めていった。
俺はこの時、完全に油断をしていた。誰が素手だけだと言っていた? 現に最初から死角からナイフが飛んで来ているではないか。
そして過信。いくら世界がスローモーションに見えると言っても、それは瞳に映る世界のみの話だ。死角からの攻撃は見えはしない。それはいくら俺が化け物であっても……。
まぁそれを掠り傷ですましている時点で、化け物であることには変わりないが。
「油断も過信もしない」
そう口にすると俺は不敵に笑っていたことだろう。それはもう楽しそうに。頬からゆっくりと流れる自らの血を舐めながら。
「っ!?」
「なんだこいつ!?」
それは黒服たちの表情と言葉ですぐにわかった。こいつ何を考えてやがる!?
サングラス越しからでも、そう思っていることが手に取るようにわかった。そんな中、顔色一つ変えない……いや、もしろ微かに笑っている男がいた。
「…………」
それは佐倉英雄。
やはり彼だけは他の黒服たちとは違う。改めてそう実感した。
「ここは通らせてもらうよ」
俺は黒服たちが怯んだ一瞬の隙をついて、囲まれていた状況から抜け出すことに成功した。
あとは力の限り走るだけ。ただ飛び道具がないとは言い切れない。俺は必死の形相で後を追ってくる黒服たちを、しっかりと瞳に映しながら前へと進む。
「黒羽くん!!」
そんな中、一人だけ俺の後を追ってくる気配のない佐倉が声を張り上げ俺のことを呼ぶ。
「日付が変わる時刻がタイムリミットだ!! 我々から逃げ延びてみせろ!!」
俺は手を高々と上げて答えると、さらに走るスピードを上げる。チラリと視線を腕時計に落とすと、時刻はすでに十八時を周っていた。
「残り時間は約六時間。体力が持つか微妙な時間だな……。こんなことなら、しっかりとトレーニングだけは続けておくべきだったかな」
俺はそんなことを呟きながら苦笑いを浮かべ、視線を黒服たちへと戻した。黒服たちの姿は徐々に小さくなっていく。
やはりスピードも俺の方が勝っていたようだ。だが、まだタイムリミットには時間がある。今はできるだけ距離を稼いで、身を隠す時間を作りたい。
それともしも俺が捕まった時のことを考えて、あいつだけには最後の挨拶しておきたい。
「って、こんな弱気じゃダメか。でも……」
相手はプロ。逃げ切れる可能性のが限りなく低い。もし非日常に飛び込んだら、また会えるかもわからない。
だから……。
「……やっぱり会いに行くか」
俺は意志を固めると、ある場所へ向けて走り出した。
この日常での、唯一の未練になり得ることを絶ち切りに……。