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SCENE Ⅵ -イヴァン・デ・サンクティスカ -

長めです。



SCENE Ⅵ ― イヴァン・デ・サンクティスカ ―



―――西暦2072年 五月 ヒル17歳 組織・クオーレ本部 


PM 19時20分

 ロベルト・ブロスキーニは、本部一階のロビーに設置されている、大型電光掲示板に映ったその結果を見て驚愕した。

 幹部採用試験で、自分が、幹部候補生35人中、22位だったのだ。

 足が震え、その場に崩れ落ちた。

―――な、なんということだ・・・・・・。


親友のピエトロが、近くで何か慰めの言葉をかけてくれていたようだが、一切ロベルトの耳には届かなかった。彼はそれほどにショックだった。

ピエトロは3位で、クオーレの幹部への希望を出せば、ギリギリでも、確実に採用してもらえる順位だ。

模擬試験では、いつも平均以上の成績を出していたために、さすがに四つの支部のうち、どこかの幹部にはなれるだろうと高をくくっていたのが、余計に自分の敗北感を増幅させた。

 なんという失敗だろうか・・・・・・。

 もう少し、あと少しの努力で、21人の中に滑り込めたというのに。

 やはり、いくら自分が安全圏を走っていたとしても、そこにいつまでも、あぐらをかいて座っていては、後から追い上げてくる者に追い越されるということなのか・・・・・・。

 候補生や、候補生を応援する人たちが群がっていた掲示板から、人が消えていった。

 ピエトロも、ロベルトの派手な意気消沈ぶりに気を遣ってか、いつの間にか姿を消していた。

 ゆっくり立ち上がり、これからのことを考える。

 とにかく、今日は帰ってさっさと寝てしまおうと思った。明日、幹部候補生の寮から退去する準備をしなくてはならない。あそこが使えるのは、今月いっぱいのはずだ。

 訓練校の教官採用試験は今年の11月だ。

 どちらにしろ、それに向けて勉強しなくてはならない。早めに実家に帰ろうと思った。教官採用試験は、幹部試験ほど難関ではない。

とりあえず、実技の訓練は9月からでいいだろう。

 誰かに会う前に、さっさと寮に行くかと思っていると、あろうことか、二年前から、何度も『マルモの都』について調べてもらっていた、イェルン・ブルコ諜報部部長が、銀縁のメガネを蛍光灯の光に反射させながら、憎らしいほどに素敵な笑顔を向けてこっちに歩いてきた。

 なぜか分からないが、相談を持ちかけた時から、ロベルトはイェルンに気に入られていた。

 別に仲良くなるつもりなど全くなかったのに、すれ違うたびに声をかけられるので、たまにうっとうしかった。けっして悪い人ではないのだが。

 しかも今日は幹部不採用記念日。

 タイミングが悪い。

「よっ! ロベルトくん」

「・・・・・・イェルンさん、こんばんは、今日も残業ですか」

「まぁね、もう片付いたけど。そうそう、ロベルトくん、聞いてくれよ、最近、ジーナが、『お父さんとお風呂入りたい』って言うようになったんだ。びっくりだよね、もう幸せ過ぎて、恐いくらいだ。だって9歳だよ。嫌がる年じゃないかい? そのくらいって」

「そうですか・・・・・・、それは良かったですね」

「でもねぇ、正直、ここ数年で、自分の幸運のストックを、全部使い果たしてしまってるんじゃないかって、不安で不安で、夜も満足に眠れないほどなんだ。不幸だよ」

「どっちなんですか」

「きみは、・・・・・・良くないことがあったようだね」

「分かりますか?」

「分かるとも」

「当ててみてくださいよ」

「あー・・・・・・、そうだね、なんだろうなぁ」

「わかってるのに、とぼけないでください」

「ずっと付き合っていたピエトロくんに、彼女ができたとか?」

「なんでそんなことで俺が落ち込まなきゃならんのですか!?」

「それは悲しいね、禁断の恋だね。いいかい、ロベルトくん、『恋』というやつは、なんでもかんでも相手を正当化して――」

「だいたい! 俺はアイツと付き合ってないですよ」

「君はそう思っていないかもしれないが、ピエトロくんの方は、いつまでも態度がはっきりしないロベルトくんに、嫌気がさしたのかもね」

「何の話ですか? いい加減にしてください、殴られたいんですか?」

「おっと、それは困る。君の腕っぷしは、あのエルバでさえも認めるほどだからな。君に本気で殴られでもしたら、あばらの二、三本は軽く折られそうだ。僕は今、風呂に入れない身体になるわけにはいかないんだ」

「ほんとに、・・・・・・あなたって人は」

 短い沈黙が流れた。イェルンは考える。

「えっと・・・・・・、確か今日は、幹部採用試験結果の、発表の日だったっけ?」

「そうです。ダメだったんですよ」

「そ、そうなのか、それは残念だね」

「22位ですよ、22位。どう思いますか?」

「どうって、そういや、採用人数は、上位21人だったね。惜しかったねぇ」

「惜しいどころなもんか! 悔いても悔いても、悔やみきれませんよ! ほんとは、クオーレ本部の幹部になるつもりだったんですよ。それが、こんな形で幕を閉じるとは・・・・・・」

「それなら、もう一度、幹部候補試験を受けてみるかい?」

「嫌ですよ、ただでさえ二回目で候補生になってるんですよ。しかも入ったらまた二年、修業しなくてはいけないんです。俺も、そんなに気長ではありません」

「まだ18だろう君は、20代後半で幹部になった人も大勢いるし、若いと思うけどなぁ」

「今のあなたから見れば、若いかもしれませんが、イェルンさんは、俺の年でもう幹部二年目だったじゃないですか。ファーストミッションだって・・・・・・、あっ」

 ロベルトは、彼がそれが原因で、幹部の地位を降ろされたことを思い出した。思わず口をつぐむ。

「す・・・・・・、すいません」

「あ~、いいよいいよ、僕ももう、いい年になってきてるからね。若い頃の失敗に捉われてるようじゃ、いつまで経っても先に進めないんだから。家族だっているし、いちいち気にしてられないさ」

「そう、ですか、・・・・・・俺、あきらめて訓練校の教官試験受けます」

 イェルンは嬉しそうに目を細めた。

「そうか。じゃあまだ、クオーレで働くつもりなんだね」

「えぇ、まぁ、ピエトロもいますから。できたら、あいつの手伝いもしてやりたいし。・・・・・・幹部になれなかったから、大したことできるかわかんねぇけど」

 イェルンは、ジッとロベルトの目をみつめる。

「な・・・・・・、なんスか??」

「君は案外、尽くすタイプなんだね」

 ドスっ、という鈍い音が鳴った。

 幸い、イェルンのあばらは折れなかった。


★ 


「ピエトロ、ちょっと話があるんだが、訓練校のB棟まで行かないか」

 ヒルは、結果を確認した後、帰ろうとしていたピエトロを後ろから呼び止めた。

「あぁ、ヒルくん、幹部試験合格おめでとう」

「お前もな。まぁ、俺よりは下だが。時間あるか」

「あるよ・・・・・・、というか、できちゃったんだけどね」

 ピエトロは困ったように笑うと、黙って着いてきた。

 訓練校のB棟は、射撃の訓練をするために設けられた吹き抜けの広間である。

 柵に仕切られていて、外からでも中の様子が確認できた。

普段は銃をここに保管しているのだが、訓練以外に持ち出されることがないように、ナンバーの入った電子ロックによって固定され、生徒がむやみに持ち出すことができないようになっていた。

よく教官や訓練生が、自由時間に喫煙所として利用していた場所でもある。

「お前も一本どうだ?」

「ごめん、ぼくは吸わないから」

「そうか」

 ヒルは不満そうな顔をした。彼が人に何かを勧めることはほとんどなかったからだ。

「で、どうだ? これで、正式に幹部になることが認められたわけだぜ。しかも、このクオーレでな。世間でいう、エリートってやつだ。俺とお前、これからは同格に扱ってやる」

「それは光栄だよ、ヒルくん」

「どうした? せっかくギリギリの順位で本部への配属が決まったっていうのに、嬉しそうじゃないな」

「きみは嬉しそうだね」

「あん? なんだ、ケンカ売ってるのか?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど」

「お前、まさか、あの銀髪キンニク野郎が落ちたこと気にしてるってのか? 

バカか? お前はクオーレ幹部だぞ? 国家が莫大な予算をつぎ込んでいる組織の指揮権を手に入れたんだぜ。今、この瞬間に。まぁまだ全部ってわけにゃいかないが。

喜べよ。勝った奴は泣いて喜ぶ、負けた奴は泣いて泣く。

勝ったら素直に宴会して騒げ。負けたら気晴らしに宴会して騒げ。どっちに転んでも、明日から同じ日常が戻ってくることには変わりねぇんだからな」

 ピエトロが吹き出した。

「ふっ、きみは、口は悪いのに、良いことをいうなぁ」

「お前が楽しそうにしねぇから、全部お前のせいだ。ばかやろう」

「悪かった。これからは、同じ幹部として、よろしく」

「あぁ、よろしく・・・・・・、一本吸うか?」

「遠慮しとくよ」

 ヒルは、自分の咥えた煙草にライターで火をつけた。いきなり、ぶわっと、風が吹き抜けた。

「寒みぃな」

「夜は年中寒いね、ここは」

「そうか? ・・・・・・まぁ、そうかもな」

 奇妙な沈黙だった。話す話題がないのではなく、お互いに出し渋っているのだった。

 ヒルが、二本目の煙草に火をつけると、ピエトロは言った。

「えっと、ぼくに話があったんだろう? なんだい?」

 ヒルは煙草をいっきに吸うと、深い溜め息と共に煙を吐き出した。


「『イヴァン・デ・サンクティスカ』って奴、知ってるか?」


 ピエトロは、それを聞いた瞬間、ぞわっと、全身に鳥肌が立つのを感じた。

久しく聞かなかった名前、いや、聞きたくなかった名前だった。なにより、その名が同期生の、それもマルモの都のスラム出身である、ヒルの口から出たことに衝撃を受けた。

 少なくとも、その名が、機関の人間であることを意味し、組織がそいつを重要人物として追っているということ、その上で、自分に何か心当たりがないかと訊ねていることに間違いなかった。

 その確信に足る証拠が揃っていたわけではなかった。

 ただ、悪寒が走り、それが最悪の予感へと結びついたに過ぎない。

 なぜそんな予感が働いたか。

 それは、その名が、自分を捨てて失踪した、『父』の名前だったからである。

 

「ふぅ、その様子じゃ、何か深いかかわりがあるようだな」

 ヒルは訓練所に常備されている灰皿に、二本目の煙草をねじ込むと、真剣な顔つきでピエトロに振り返った。

「ピエトロ、情報をくれたのは、イェルン・ブルコ諜報部部長だ。俺が信用している数少ないクオーレの元幹部の一人だが、彼が言うには、どうもその男が、マルモの都を、完全に機関の一部として取り込もうとしているらしい。

男は、機関の暗殺部隊、『ナンバー』の一人なんだそうだ。まぁ俺は、そのナンバーっていうのは、よく分からないんだが、サンクティスカがそこに入ってるんだとすりゃ、かなりの指揮権も同時に持ってる連中なんだろう。

もし、イェルンの言うように、機関がマルモの制圧をもくろんでいるんだとすれば、かなりマズいぞ。国家の経済の中心が、まるごと機関の手に渡るってことになるんだからな。なんとしても、組織が阻止しなくてはならない」

ヒルは三本目の煙草に火をつけた。

ピエトロは額から流れる汗を拭い、冷静さを取り戻そうとした。

まさか、父が機関に潜り込んでいたとは。

祖父に自分を預けたのも、そのため? 

いや、ちょっと待て、何を都合よく考えようとしている。あの男について、祖父から聞いた、数々の粗暴を思い出してみろ。彼がそんなに出来の良い人間であるはずがない。祖父はぼくを自分に押し付けて、そのまま消息を絶ったと言った。

その言葉を、自分は疑っているというのか? 父が機関にいて、その機関は、かつて祖父が裏切り、見限ったところであり・・・・・・。


『だだ、だとしたら、に、逃げたんだ・・・・・・

だって、も、もし本当にき、機関をきらっていたんなら、な、内部で、反対派を、みみ、味方につけた方が・・・・・・、つつ、潰しやすいはずだから・・・・・・、

きみのお爺さんは、自分に、き、機関を、変える力がなくって、それが、耐えられなくなって、に、逃げ出したんだ・・・・・・』


 二年前の、ニノ・ルーチェの言葉が、ピエトロの思考に流れ込んできた。

 ピエトロは息苦しくなった。

 なぜ、なぜ今、その言葉を思い出す。とっくに忘れていたはずだ。そんな、自分の育て親である祖父のことを悪く言うような言葉は・・・・・・。

 ぼくは祖父を尊敬していたはずだ。それが、一方で、彼の実力が、機関の中では全く歯が立たなかったという事実を認めていたということか。

 ちがう! ぼくは、祖父を軽蔑したりしない。彼が、例え機関を裏切ろうが、逃げ出そうが、そんなことは、自分を立派に育て上げてくれたことに比べれば、彼の人格に何の汚点もつきはしない。

 もし、彼が機関で落ちぶれて追い出されたのだとしても、そんなことは、彼の人間としての価値を下げることにはなりえない。

例え、彼の放つ機関への恨みや、しつこい執念が、自分自身を認めなかったことへの逆恨みでしかなかったとしても、彼が機関を変えたいと思っていた信念だけは、偽りないものに違いないのだから。


「まぁ、要するに、機関よりも先に、組織がマルモを制圧してしまえば、なんの問題もない。当然、現機関がそれを放っておくなんてことはあり得ない。だからこそ策がいる」

 ヒルは、三本目の煙草を灰皿に押し込んだ。

「ピエトロ、何か、手がかりはないか? その男について」

 ピエトロは決意した。

 確かめなくてはならない。父が、本当に機関のナンバーの一人なのか。

 そして、自分の手によって機関を壊滅させ、祖父に代わって、自分が彼の正しさを証明すればいい。

 むしろそのために、自分はここにいるのだろう。

「ヒルくん・・・・・・」

 へへっ、とヒルは下品に笑い、ピエトロの目を見た。

「分かることは、全部いえよ」

「情報は、ない!」

 ヒルは拍子抜けした。

「ないのかよ・・・・・・、ちっ、期待したのに。またイェルンに頼むしかないってことか」

「でも、ぼくは出来る限り協力しようと思う」

「ったりめぇだろ、お前はクオーレ幹部なんだ。どっちにしろ戦力にはなってもらうさ」

 ヒルは四本目の煙草に火をつける。

「でも、その話を聞いたおかげで、ぼくはやる気が出たよ。ありがとう、ヒル」

 ヒルはフフンっと鼻を鳴らした。

「今までやる気がなかったかのような言い草だな」

「言い方が気に入らないなら訂正するよ。次の目的が決まったってことさ」

「そうか、そいつは有り難い。目的意識を持たない幹部なんて、クオーレにゃ必要ねぇからな。・・・・・・、まぁ、ニノみたいな例外を除いて、だが」

 彼の口から、ニノ・ルーチェの名前が出たことで、ピエトロは話題を切り出しやすくなった。ニノ・ルーチェについて、彼がどう思っているかにずっと興味があったからだ。

「今年のトップは、ニノくんだったね」

 ヒルの表情が険しくなった。

「びっくりしたぜ、あの野郎、この俺を凌いでトップになりやがったんだからな」

「不満かい?」

「不満だよ。これでも一応、幹部候補生の中では、トップだっていう矜持はあったからな。天才の宝庫だって言われる機関に比べりゃ、馬鹿ばかりが集まってると思っていた。

しかも、あいつは俺と同じ、マルモのスラム出身だっつーから、驚いた。あんな奴、いたっけなぁ~、とか思ってたんだが、考えてみりゃ、俺、あのスラムにいた連中の顔はほとんど覚えちゃいなかったんだよ。

・・・・・・そうだな、覚えてるっつったら、そん時のリーダーと、ファルファラとか言う生意気なチビくらいか? いや待てよ、もう一人、印象深いやつが・・・・・・、ジヤーダ、とか言ったっけなぁ。ガキ共は生きてたら十二、三ってとこか、いい年齢だな。どっちかがリーダー候補かもしれない」

「けっこう覚えてるじゃないか」

「おい馬鹿にすんなよ、俺は人を見る目はある方なんだ」

「そんなこと自分で言うひと、初めて見たよ」

「これはお前を褒めてるんだぜ。言ってみりゃ、俺ん中じゃ、信用できる部類だってことだ」

「光栄だよ。・・・・・・、あ、そうだ」

 ピエトロがコートのポケットに手を入れ、なにやら取り出し、ヒルに投げた。

 ヒルはそれを受け止める。

「なんだ? このちっこい瓢箪みたいなもんは」

「落花生だよ」

「ラッカセイ?」

「知らないのかい? 豆だよ、殻を割って食べるんだ。栄養あるよ」

「ほぉー」

 ヒルは落花生の殻を割った。

「あ、なんだ、ピーナッツじゃないか、教官がたまに食ってるやつだな?」

「そうだよ」

 ヒルは一粒口に放り込んだ。

「あん? なんだこりゃ? 味しねぇな。不味い」

「でも、けっこう癖になるって人もいるんだよ」

「こんなもん食ってる奴なんか、野獣か健康オタクくらいだろう」

「そうだね、野獣か、健康オタクくらいだろうね」

「否定しないのかよ」

「まぁね」

 ピエトロは笑った。

「ところで、君は、ニノくんと仲が良いのかい?」

 ヒルが咳き込んだ。

「ま、まさか、なんであんな根暗な偏執狂みたいな野郎と」

「でも、彼には、目的があるんだろう? 君の考えでは、彼は戦力になりそうかい?」

「わからん。あいつは国家のためうんぬんじゃなく、個人的な恨みで動いている。世の中を全て否定しているような感じだな。本当に機関を潰したいのかどうかも、正直微妙なとこだ」

 ピエトロは、ヒルが彼についてかなりのことを知っていると思っていたが、反応を見る限りでは、何も分からないようだ。

 ただ、彼が何か恨みを持って生きているという印象は同じらしい。そういう意味では、ヒルが、自分と、さほど変わらない位置に立っているような気がして安心した。

 やはり、出生が違っても、彼らと何もかもが違っているわけではないようだ。

 ヒルは灰皿に煙草を捨て、また箱から一本取り出そうとした。

「ヒルくん」

「あんだよ?」

「ちょっと、吸いすぎじゃないかい?」

「・・・・・・」



「№24(トゥエンティーフォー)?」

 諜報部資料室で、ロベルトはコンピューターのキーボードを叩いていているイェルンに訊ねた。

半透明の、横に長い薄い板のような立体モニターには、ひょろっとして目つきの悪い、病人のような男が映っていた。

 イェルンは、マルモについて新たなことが分かったと、ロベルトを誘ったのだ。

「あぁ、彼は、機関の暗殺部隊である『ナンバー』の中で、特に、実践向きの養育を行っている立場の人間なんだ」

「ふーん、それで?」

「彼は、機関でも、かなり個性的な資質を持っている。過去にグレゴーリオが潰した機関の支部を指揮していたのは、どうも彼のようだ。たぶん、マルモの都を勢力下に入れて、機関を拡大させようとしている張本人だと思うね」

「何か、確信があるんですか?」

「確信ってほどのものじゃないけど、ぼくの経験から、この男はかなりキーパーソンだと思っていいと思うんだ。こういう勘は、意外と当たるんだよ」

 ロベルトはため息をついた。

「イェルンさん、いつも僕らや諜報部内では、自分の経験は当てにするなって言ってるじゃないですか。それなのに、自分は勘で動いているなんて」

「まぁそう言うなよ。ぼくの部下たちは、勘を働かせるための情報リテラシーが、まだ不十分なんだよ。単に『勘を働かせよう』って言ってしまうと、データを軽視する人が出てきてしまうからね。必要なデータと、そうではないデータを見分けるための、最低限の知識は身につけてもらわないと、自分の判断と他人の判断を混同しちゃって、見境つかなくなっちゃう危険があるからね」

「ベテランだからこそ、勘や経験が生きるってことですか」

「そゆこと」

「嫌味なくらい正論だな」

 イェルンは勝ち誇ったような笑みを浮かべる。

「こっちが送ったデータに、予想通り彼が食いついてきた」

「なんのデータなんですか?」

「ちょっとした機密事項だね。うちが贔屓にしている、ある外資系産業の内わけ、ってとこかな」

ロベルトは驚愕した。

「えぇえ! 『組織』って、どっかの企業に肩入れしてんスか!?」

「仕方ないさ、グレゴーリオの判断だよ。国家の正義を謳うからには、潰した機関の支部に雇われていた人間を、そのまま放っておくわけにはいかないだろう? 受け入れ先の交渉に、組織から援助金を回すことにしたんだ。しかも長期でね。国民は、組織が保障してくれたという事実だけは分かっているし、国家もこのことは知らない。

もし知られたら、国家の一大事だね。相当な額を支援しているから、場合によっちゃ、騙されていたと思って、国民は組織への支持をやめるかもしれない」

「なんでそんな危ない橋を渡ってるんですか、この組織は。どう考えても、デメリットの方が勝ってますよ。国家が買収されることを、上官たちはあんなに嫌っていたのに・・・・・・」

「そうなんだよ。ぼくも初めはそう思った。新しいボスは最低だってね。

 ところが、この『外資系産業』っていうのが、かなり曲者でね。グレゴーリオの意図が分かるまで不思議だったんだけど」

 イェルンは少しモニターを見ながら考えると、思いついたようにロベルトの方へ向き直った。

「そもそも、なぜそんな莫大な金を、ただ、機関の支部の人間を受け入れてもらうという理由だけで支払ったのか? 疑問じゃないかい?」

「まぁ・・・・・・、確かに疑問ではありますけど、そりゃ、無理に迎え入れてもらってる側としては、当然なんじゃないんですか? 企業としちゃ、人件費の問題は大きいでしょう」

 イェルンはポンっと、自分の右こぶしで左の手の平を叩くと、嬉しそうな顔をした。

「そこなんだ! その、『当然』という感覚を利用したわけだ」

「はん? どういう意味すか?」

「この国は、昔から、マルモの芸術。すなわち、『大理石アート』という分野でもって世界に高い財力を誇示している。たとえ治安が悪くても、なんとか国としての体裁を保っているのは、豊富な資源と、その美的センス、技術力のたまものだ」

「それは、・・・・・・僕も知っていますが」

「グレゴーリオは、これらの技術の一部を指導し、それによって、さらに大きい利益を彼らに与えたわけだ」

 ロベルトは、イェルンの言ってることが今一つ呑み込めなかった。

「えっと、・・・・・・その企業を儲けさせて、なんか得になるんですか? あ! でも、人件費の問題は、とりあえず解消されるわけですか。・・・・・・じゃあ、もう援助する必要ないじゃないですか。損ですよ」

 ちっちっち、と、イェルンは得意げに指を振った。

「問題はここから。グレゴーリオは、彼らがマルモの技術力で得た富を使って、新しい事業を開業させたんだよ。その際のパトロンを、こちらで引き受けるという条件を付けてね」

 ロベルトには、まだなんだかよく分からない。

「もしかして、その分の資金援助までやったんですか? なぜそこまで」

「なぜそこまでする必要があったか。理由は簡単さ。その企業を、逆に買収するためだ」

「えーっと、ちょ、ちょっと待ってくださいよ・・・・・・。

組織が、必要以上に金を与えておいて、技術で成功させて、別の事業をやらせて、借金させて、それを全て組織で賄ったんですね。

でも、危険な賭けには変わりないと思いますが。だって、事業っていっても、必ずしも成功するとは限りませんし。そもそも、その事業ができるのは、マルモの都の資源が・・・・・・、あ、じゃあ、その蓄積される借金で」

「うん、そうなんだ。結局、始めてしまった事業ってのは、なかなか収拾がつかない。うまくいかず、彼らは年々膨れ上がる借金に頭をかかえていた。

技術があっても資源はいるし、その技術の特許を持っている組織との契約を、彼らが一方的に切るにはリスクが高すぎる。

彼らは、どうか、事業をやめても、パトロンとしての組織は存続して欲しいと願い出た。そうしてもらわなければ、彼らは破産するしかないからね。

よって、彼らは身動きが取れず、組織が彼らの借金を使って、利権を全て買い取るという悪条件でも、従わざるを得なかったんだ」

「えげつないことをしますね・・・・・・。にしても、随分とまた気長な計画だ」

「そうだね、実際、こうなるまでに7、8年はかかってるわけだからなぁ。ロベルトくんも大きくなるし。いやはや、時が経つのは早いもんだ」

「あなたに関わりはじめたのは2年前からですよ。大してかわってないでしょう」

「そうだったっけ?」

「そうですって、・・・・・・で、買収した結果、組織は機関を潰せるくらいの財力を手に入れたんですか?」

 今度は、イェルンが大きくため息をついた。

「そんな簡単に潰せる程度なら、何もこんな手間のかかることはしないよ」

 今度こそわけが分からないとロベルトは思った。イライラしてきた。

「じゃあ! ボスは一体何を考えてたんスか!」

「だから『曲者』だって言っただろう? 彼らは、機関に所属している民間企業の一つだったんだよ」

「え? でも、それなら、組織と取引するはずが――」

「ない。その通り。だから、機関になりすましたんだ。彼らは、潰れた支部の人間を、機関が受け持ってくれと、直々に頼み込んできたと今でも思い込んでいる」

「バレないんですか? 」

 ロベルトの言葉に、イェルンはいたずらっ子のような陽気な笑みを浮かべた。彼はロベルトを見ると、両こぶしを握り締め、力いっぱい叫んだ。

「それがね、バレなかったんだよ! なぜなら、アーダルフ・グレゴリオを除いて、莫大な資金援助をしていたことに、国も、国民も、組織の幹部たちも含めて、誰~も、気がつかなかったからなんだ!」

 イェルンは手を叩いて、本気でおもしろそうに笑った。

 ロベルトには、深刻すぎて笑いどころが分からなかった。

「じゃあ、買収に失敗していたら・・・・・・」

「機関が、組織の首を討ち取っていたと考えて間違いないね。これは、商取引なんかじゃない。『嘘しか存在しない』契約なんだからな。組織のボスという立場を利用した、一人の男の大博打だ。

かつて、組織に、敵のために、ここまで投資したヤツがいただろうか。いや、いないに違いない。それでも、うまくいってしまえば、その経緯は闇の中に葬り去られる。これは面白いことだよ。だけど、反省すべきことだ」

 ロベルトは無言で何度もうなずいた。そして寒気がした。

 まさか陰で、組織の存亡をかけた戦いが、たった一人の男の取引によって、密かに行われていたとは・・・・・・。

 失敗していたら、破産して、もうこの国自体が存在しなかったかもしれない。

「もはや、そんな取引は存在しなかったことになっている。だからこうして、ボスがぼくに教えてくれたということさ」

 見てくれ、というように、イェルンはモニターを指で示し、エンターキーを押した。

 画面いっぱいに、何千何万と重なった明細表の数字が走り回った。

 一番最後、中央に大きな表が表れた。収支内訳書、とある。

「そして、この内訳によって示される数値は、マルモの都が、もはや機関のモノにはなりえないという事実を証明するために、一役買ってくれるというわけだ。或いは、そういうハッタリをかまして牽制するのに、充分な武器になると思う」

 ロベルトには、グレゴーリオの考えなどさっぱりだったが、イェルンがそれを評価していると言うのであれば、やはり今のボスは、これまでとは一味違うのだろうと思った。

 確かに、一人で敵の資金源となる民間企業に投資し、そこを信頼させ、裏切り、騙していたことを感づかれないまま、全ての利権を買い取ってしまうというのは、ある意味で神ワザと言っていいのだろうと思う。

 結果として、機関の名を借りて、そこを組織のモノにしてしまったわけだ。

それにしても、味方を騙すのはまだ可能として、その企業に機関からの要求だと勘違いさせるというのは、果たして可能なのだろうか? 金の出所を調べないまま、そのまま受け取るのは、いくらなんでも無用心すぎやしないか? なんなんだろう、このもやもやとした落ち着かない感覚は・・・・・・。

いや、待て待て、考えすぎかもしれない。もっと人間的に、いざそこに約束どおりの大金が置かれているのであれば、妙な詮索を入れようという気にはならないのかもしれない。

ロベルトは、自分などが幹部にならなくて良かったと思った。

こんな恐ろしいことがあちこちに転がっているのであれば、ピエトロのような、良い意味で無神経な男にでも任せておいた方がずっと安心だろうと思う。

俺には、訓練校の教官あたりが身分相応だ。そこまで責任を持てない。

「初めて、組織の裏っていうものを知った気がします」

 イェルンは笑う。

この人も、かなり図太い神経の持ち主なのだろうとロベルトは思った。

「組織の裏事情ってのはたくさんあるけど、その中でも、これはかなりボスの器量を示したものだ。ある意味、やっと彼らと対等か、もしくは、優位に立つことができたと言っていい」

「それで、そのナンバー24という男に、なにをさせようというんですか?」

「彼には触媒になってもらおうと思ってね」

「しょくばい、・・・・・・ですか」

 イェルンは、さっきまでの含み笑いの表情を一変させ、真剣になる。

 静けさが資料室の空間を包み込んだ。

 時計の針は、PM8時45分を指していた。


「イチかバチか、マルモの都から手を引くことを、機関に要請する!」


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