SCENE Ⅲ -ロベルト・ブロスキーニ -
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SCENE Ⅲ ― ロベルト・ブロスキーニ ―
―――西暦2070年 『組織・クオーレ』 ヒル、15歳。幹部候補生一年目の五月。
AM 11時45分。
クオーレ本部の一室で、教官の中で最年長にあたるギリア教官が、新しく選ばれた幹部候補生11人を相手に訓示を行っていた。
候補生たちは試験に通った安堵感と、これから待ち受ける壮絶な生存競争に緊張感を抱かずにはいられなかった。
「おめでとう諸君、君たちは今日から幹部候補生だ。これから二年間、ここでしのぎを削ってもらう。今年度の候補生は、きみたちを入れて35人。知っての通り、組織は本部クオーレと、東西南北四つの支部によって構成されている。
東にチェルバ(脳)、西にマーノ(手)、南にオレッキオ(目)、北にツァンナ(牙)。本部は中央にあるというが、実際はそう正確なものではない。だいたいの位置だ。状況によって支部は移動するので、報告書はしっかり読んでおくように。正式に幹部として本部が迎え入れる人数は5人だが、支部にも4人づつ就いてもらう予定だ。
つまり、幹部になるのは、上位21人ということになる。それ以外の候補生は訓練校に戻り、教官試験を受けてもらうことになっている。今年は人数が多いために、みな好成績で選抜されたと聞いているから、私も期待しているぞ。以上だ」
話が終わり、候補生たちは敵を見るような目で互いを観察した。
本部に残る人間は5人。
他の訓練校からの推薦が2人の枠を持っているため、実質3人しか残らない。
ここまで熾烈な争いをくりひろげてきた候補生たちにとって、そこにはなんとしても食い込みたい気持ちでいっぱいだった。
クオーレの幹部は、他の支部に比べ、給与こそ少しばかり劣るものの、名声は高く、組織を意のままに操ることのできる最高クラスの地位なのだ。
もし国家が危険に晒されたとしても、真っ先に情報を入手し、最善の方法で身を守ることができる。
しかも、『よっぽどのこと』をしない限り、降格はない。人生の勝利は、そこで約束されたも同然なのだ。
部屋の後ろの席に座っている、二度目の選抜で候補生入りした、銀髪のロベルト・ブロスキーニは、本部に残りそうな人間を目で探していた。
一人目は、当然、親友のジャンピエトロ・デ・サンクティスカだが、ピエトロ以上に濃厚な候補生はいないように思えた。一人、冴えない黒髪の男がいたが、あの男に関しては、なぜ候補生に選ばれたのかふしぎに思うほど覇気が感じられない。
確か、『ヒル』とかいう、実技も筆記もずば抜けた男がいると親友に聞いていたのだが、どうもそれらしい人間は見当たらなかった。
実際は大したことはないのではないか・・・・・・、とロベルトが安心していると、親友の明るい声が聞こえて驚いた。
「やぁ、僕はジャンピエトロ・デ・サンクティスカ。ヒルってきみのことだよね。成績トップって聞いたけど、すごいね。もし良かったら、銃の扱い方とかアドバイスしてくれたら嬉しいな」
ロベルトは、初め、さっきの覇気のない男に声をかけているのかと思ったら、違った。その隣の男だった。とはいえ、その男も、そう優秀な印象は受けなかった。むしろ陰気で性格も曲がっている、ロベルトが一番関わりたくないタイプの人種に見えた。姿勢も悪い。
ダークブラウンの瞳からは、好んで群れようとしない狼を連想させる。噛みつかれでもしたら、餌をやるまで離してくれないだろう。できるなら、ピエトロにはさっさと離れてもらいたいと思った。
だが、不幸にも、我が美しき親友は、自分の名前を呼んでこっちにこいと手招きしている。なんて無用心だろう? これは後で充分言い聞かせなくてはなるまい。ロベルトはしぶしぶヒルの机に近づいた。
「彼が僕の友達の、ロベルト・ブロスキーニだ」
「よ、よよ、よろしく」
ロベルトは、柄にもなくどもってしまった。
「彼ちょっと人見知りでさ。銃の扱いもヘタなんだ。教えてやってくれないかい?」
―――なんだと、何が悲しくて、こんな薄気味悪いヘビみたいな野郎に銃の扱い方を教えてもらわなくちゃならんのだ。
ロベルトは心底つらかった。今、目の前にいる男が、ピエトロよりも優秀だというのだから。
「・・・・・・銃の扱い? 俺に? 教えてもらうなら、俺よりジェネラーリィ教官の方がマシだろう。彼はかなりの実力者だ。まぁ、他に長所と思える長所は、まったく見当たらないがな。あれでよく教官に採用されたもんだ。何か手違いがあったのかもな」
助かったと思った。これで丁重なお断りをする手間が省けた。
それにしても口の悪い男だ。ちょっとだけ持ち上げといて、二倍に貶めている。陰でこんなことを言われているのを知ったら、エルバ教官はどう思うのだろうか。俺だったら、まず泣く。
「そうだね。エルバ教官は、とても銃の扱いがうまい。僕もとても尊敬している。でも、僕は歳の近い者同士で訓練をしたいんだ。そのほうが、お互いの励みになるだろう?」
「励み?」
「あぁ、もちろん。それにもしかすると、僕もなにか、きみに教えてあげられることがあるかもしれないしね」
ピエトロは微笑む。さすがはピエトロ、百点満点の笑みだ。とロベルトは思った。教官に対するヒルの毒舌に、まったく怯むことなく会話を続けている。
だが、いくら親友でも、このヘビ野郎を丸め込むのは不可能だろう。この男は、そもそも人間の感覚で生きていないように思う。きっと爬虫類とかの仲間にちがいない。
そう言えば、母国語のほかに三ヶ国語を話せるとか言っていたから、たぶん、ヘビ語とかワニ語とか、カンブリア語とかを話せるのだろう。というか母国語がヘビ語ではなかろうか。
確かにワニの大群を味方につけられるなら、幹部候補でもふしぎはないかもしれない。
「お前が俺に教える?? 」
ヒルの下がり眉がさらに下がり眉になる。ロベルトはその眉の端が下がりすぎて一回転するところを想像した。『・・・・・・こいつなら充分ありうる』と思った。
「あぁ、僕がきみに教えられることなんて、些細なことかもしれないけどね。でも、きみだって、組織内部の情報源は、たくさんあった方が便利だろう?」
ヒルは唇に指先をあて、しばらく考え込む。さて、どう獲物を仕留めるかと考えているのだろう。
反応を見るに、やはりこの男は、利害の一致でしか動かない人間らしい。ロベルトはヒルが『男色』である可能性も念頭に入れていた。ロベルトは改めて親友の容姿を確認してみた。
ピエトロはスマートで、男っぽい身体つきではなく、若干小柄だった。透き通るような白い肌に、美しく整った鼻筋と唇。知的な余裕を感じさせる柔らかな物腰で、謙虚だが、ここぞという時の男気もあり、頼りになる。
重ねて、艶やかな落ち着いた声を持ち、さらりと伸びたブロンドの髪から覗く、ライトグリーンの瞳は、意思の強さと自信で満ち溢れ、嫌味のない天使のような笑みは、女性はおろか男性の心まで魅了する。
歳は、胸毛の濃いおれと同じで16歳。
趣味は、油絵、印象派。尊敬する画家は、ポール・セザンヌと葛飾北斎。
シャワーで髪は、二度洗う。
こんな、男ばかりのクオーレ本部で、もし自分がピエトロに誘われたら、断れるだろうか・・・・・・。と考えると、けっこうまんざらでもない自分がいることに驚いた。そもそも自分には、そういう趣味はないつもりだったにもかかわらずだ。
要するにこの事実は、彼の『美』は、人間の性別など、とっくに超越してしまっているということである。これはまずい。
『絶好のターゲットではないか!!』
ロベルトは確信した。
ヒルはチラっとロベルトを見て、ニヤリとした。
背筋に悪寒が走る。
『読まれている』
「・・・・・・そうだな。少しは役に立つかもしれない」
「光栄だよ、ヒルくん」
ピエトロは握手を交わそうと手を差し伸べる。ヒルはためらいがちに手を伸ばした。
ロベルトは衝動的にヒルの手を叩いた。パシン! っと大きい音が鳴った。
ヒルとピエトロは、きょとんとした顔でロベルトを見た。
―――しまった、やってしまった・・・・・・。
ロベルトは後悔した。弁解しようと頭を働かせたが、自分の口から出たのはとんでもない言葉だった。
「ヒル!! お前の思惑はわかっている。ピエトロには手を出すな」
ピエトロは呆気にとられたような表情でロベルトを見た。こんな表情を自分に見せたのは初めてだ。
ヒルは下がり眉が水平線に戻り、何かを悟ったような顔でぼそりと呟いた。
「なるほど、そういうことか・・・・・・」
何を勘違いしたのか、そのままピエトロを押しのけると、彼は部屋を出て行ってしまった。ピエトロが非難のこもった目でロベルトを見る。
言葉が出ない。なんと弁解したものだろう。そうロベルトが思っているところに、ヒルの隣に座っていた、さっきの覇気のない男がピエトロの方へ話しかけてきた。
なぜか怯えた様子で、どもった喋り方だった。
「さ、ささ、サンクティスカが、ど、どうして、組織に??」
ピエトロは驚いた顔で彼を見た。しかしすぐに穏やかな顔つきになる。
「あぁ・・・・・・、きみはたしか―――」
「さ、サンクティスカは・・・・・・、き、機関の人間だけの、せ、姓のはずだ。き、きみはなぜ、組織のか、幹部候補生なんかに、なれたんだ??」
男は遮るように喋った。どこか敵意の感じられる口調だった。
ピエトロはため息をつく。その手の質問には、もううんざりしているようだ。
なんだかよく分からないが、ロベルトは、さっきのヒルとのことがうやむやになりそうで安心した。
「きみは、何か誤解している。サンクティスカが、機関の人間と関わりがあるのは、僕もよく知っているけど、それはもうずっと昔の話だ。確かに直系の本家では、今もサンクティスカが機関の実権を握っている。でもだからと言って、全てのサンクティスカが機関と繋がっていると考えるのは、早計なんじゃないかな。ぼくの祖父は、彼らの悪行を見かねて、自分から縁を切ったんだ。そういう人たちは、他にもたくさんいる」
ロベルトは、ピエトロが祖父を尊敬していることを良く知っていた。
彼の祖父は、幼いころに蒸発した父の代わりに、ピエトロを育ててくれた。ピエトロは、かつて祖父の行った機関への反発を誇りに感じていた。それがあったからこそ、彼は反・機関である組織に入祖することを決めたのだ。
「う、嘘だ。き、機関は、従属しているだけで、と、特別の、待遇を受けられる。こ、この辺りの地域でも、大きな屋敷を、持っているのは、ほとんどが、き、機関の、サンクティスカの、恩恵を受けている人たちばかりだ。もし、表面上で、縁を、切っていたとしても、それで、か、関係が、途絶えることは、ない。か、彼らは、犬の首に、な、縄をつけておくことだけは、ぜったいに、忘れないから」
ロベルトは耐えられなくなった。
―――なんだコイツは??
ピエトロが、金や権力を手放したくないために、機関との縁を切らないなんて、そんなつまらない男なはずがないだろう? 俺じゃあるまいし。あ、いや、俺でも、そんなことは多分しないし・・・・・・。たぶん。
ロベルトはつい怒鳴ってしまった。
「おぃ、お前、言いたい放題言うんじゃねぇよ!! 失礼だろ。初対面の相手に。人間にはな、プライドってもんがあるんだよ。どんなにちっぽけなもんでもな、守りたいもんってやつが―――」
また男は遮る。
「だだ、だとしたら、に、逃げたんだ・・・・・・」
ピエトロの表情が曇った。
「だって、も、もし本当にき、機関をきらっていたんなら、な、内部で、反対派を、みみ、味方につけた方が・・・・・・、つつ、潰しやすいはずだから・・・・・・、きみのお爺さんは、自分に、き、機関を、変える力がなくって、それが、耐えられなくなって、に、逃げ出したんだ・・・・・・」
ロベルトはカッとなった。頭に血が上るのを全身に感じた。気づいたら、男の襟首をつかみ、壁に押し付けていた。部屋に残っていた数人の候補生がロベルトたちを見た。
「勝手なこと言うんじゃねぇよ!!」
「き、きみは暴力的だね。な、なんだい? きみは、無関係だろ」
「俺はこいつの親友だ!! 」
「ほら・・・・・・、か、関係ないじゃないか」
「なんだと!? なんの恨みがあって―――」
「ピエトロくんのお爺さんは、お、落ちこぼれだったんだ。き、機関のなかで、むむ、無能だったから、諦めたんだ。自分の力では、ここを自分の思うままには、できないと思ったから」
ロベルトはこぶしを振り上げた。
だが、腕に抵抗を感じ、振り向くと、ピエトロが腕を押さえていた。
「ロベルト、もういい。彼の言うとおりだ・・・・・・」
「い、いや、だけど・・・・・・」
「いいんだ」
力強い声だった。ピエトロにそう言われてはどうしようもない。腕を下ろすと、男は襟を直し、その場から去ろうとした。ロベルトと目を合わせようとはしなかった。
「待って!」
ピエトロは彼を止めたが、彼はそのまま部屋を出て行こうとする。
「きみは、マルモ出身だってね、ニノ・ルーチェ(光)くん」
彼はピタリと足を止めた。
「・・・・・・だれから聞いた、サンクティスカ」
振り向かないで彼は言った。
「だれでもいいだろう?」
「言わないのか? だが、見当はつく。いいか? サンクティスカ」
ニノ・ルーチェはピエトロを見た。
「ぼくは逃げない。ちょっと、期待、してたけど、こ、ここにいる人たちも、みんな、馬鹿、ばっかり、みたいだ。だから、ぼくが、く、クオーレの、幹部になって、機関を潰し、マルモを救う」
彼はそう言うと、走って部屋を出て行った。
ロベルトは、黙って俯いている親友の顔を見る。表情にいつもの明るい陽射しが見えない。ひどく落ち込んでいるようだ。
そりゃそうだろう。尊敬する祖父のことを悪く言われたのだ。ここは察してやるべきだ。
残っていた候補生たちは、騒ぎが収まったためか、いなくなっていた。
気まずい沈黙の時間が流れた。ロベルトがずっと黙っていると、ピエトロがゆっくり顔を上げた。目が合うと、ピエトロは肩をすくめてニコッと笑った。
ロベルトは苦笑する。言葉をかけようとしたら先手を打たれた。
「なんか、ごめんね」
「いや、ピエトロがそれでいいんなら、俺はべつに・・・・・・」
「でも、ロベルトが怒ってくれて、僕はちょっと嬉しかった。ありがとう」
不意打ちだった。急に居心地が悪くなる。ロベルトは自分の行動を思い返して恥ずかしくなった。よくもまぁ、あんなことが言えたもんだ。
それにしても、気になることが多い。さっきの、ニノ・ルーチェという候補生についてもそうだが、ヒルのあの反応も、かなり気掛かりだった。
二人ともマルモの都出身だということも、何か関係があるのだろうか?? そういえば、機関と、もっとも繋がりの深い都市が、『マルモ』だということも聞いたことがある。もしそれが本当なら、彼らがクオーレの幹部を希望する理由に一致するかもしれない。
―――これは細かい調査が必要だ。
ロベルトは、ささやかな探究心に胸躍らせていた。もしかすると、面白い事実が分かるかもしれない。
ふと壁に掛かった時計を見ると、もう昼を過ぎていた。ピエトロも時計を見た。
「おなか空いたね。食堂いこっか」
「・・・・・・あ、あぁ」
親友の後に続いて、釈然としないまま、ロベルトは部屋を出た。
重要な情報がある。幹部候補生は、訓練生より食堂メニューが豊富になるのだそうだ。果たしてこれは事実なのか・・・・・・。