SCENE Ⅱ -イェルン・ブルコ -
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SCENE Ⅱ ― イェルン・ブルコ ―
話は七年前に遡る。
―――その年のクオーレ(組織本部)は慌ただしかった。
国中から入祖志望者が殺到したためだ。
こんなことは、組織が『反・機関』として国より正式に設立されてから、かつてない出来事だった。それもこれも、機関の悪行を組織が大々的に公表したからだ。
なぜ国がわざわざ『世界の機関』を潰すために『組織・クオーレ』を置いたにもかかわらず、今まで日の目を浴びることがなかったのか。
それは、単純かつ、元も子もない理由で、民間企業の財力を存分に備えた機関が、組織内部の人間へ強く影響することを恐れたためだった。
本部の歴代のボス(頭領)たちは、機関の、『人を殺すこと』さえ躊躇いのない悪質に、真っ向からの対立まではなかなか踏み切れないでいた。
国の表舞台を歩く組織・クオーレにとって、彼らの残虐さに対抗するには、あまりに世論が厳しすぎた。
一つのミッションを成功させるために犠牲を払えば、その何倍もの補償を民間から要求される。しかもそこには、機関の人間の策謀や後ろ盾が見え隠れし、安易な判断を繰り返せば、国家自体の信用を失いかねない有り様だった。
もはや組織は、一歩動けば爆発する地雷原の中から、薄目をあけて、機関の犯罪を遠くに眺めるしかない状況にあった。
しかし、そんな中、若くして新しく頭領に選ばれた、アーダルフ・グレゴーリオが組織を一変させた。
彼が正式に組織の頭領に選ばれた翌年、とうとう『組織』が、『機関』に最後通牒を突きつけたのだ。
「これ以上『国家』の品位を落とす行為が続くようであれば、我々『国家』は、総力戦で持って機関を完全に排除する」
彼のカリスマ性は、民間の貧しい人々の心に火につけた。全ての国民が機関に屈していたわけではなかったらしい。
組織を甘く見ていた機関も、国内に散在する機関の支部が、次々に閉鎖されていく様を見て、地雷原の中を特攻する意思が、まだ国家の中に生きていたことを強く感じずにはいられなかった。
組織はわずか数年で、破竹の勢いで拡大し、今や機関と双璧をなすまでになった。一触即発状態の二大勢力は、互いの弱点を探りながらの睨み合いが依然として続いている。
クオーレ(心臓)本部の狭い資料室で、イェルン・ブルコは山積みになった資料を整理していた。
彼は今年で二七歳になるクオーレの諜報部部長だった。
理知的な風貌をした彼の両目には、くまができていた。最近、急に仕事が増えたために、ほとんど眠れていないのだ。
今日は大事な娘の誕生日だというのに、なぜこんな時間まで仕事にかからなければならないのだと、不満が頭の中をぐるぐる廻っていた。
時計を見れば、PM8時50分。以前なら、三時間前には片付けてさっさと帰宅している頃だ。楽な仕事をしたいがために諜報部部長に志願したのに、これでは何のために努力して昇進したのか分からなくなってくる。
しかもこの大量の資料を、これからデスクのパーソナルコンピューターとか言う電子機器に打ち込まなければならないとなると、とたんに投げ出したくなる。
クオーレに新しく導入されたこの機械は、今、全世界で、あらゆる商業や政治の中において、積極的に使われている先進国の『権威』なのだそうだ。
イェルンとしても、素晴らしい技術であることは認めるが、これを利用して、積極的に商談に持ち込むには、この国の治安が悪すぎる。どんなに高いセキュリティを保持していても、まずは国民の性格が平和的にならなくては、まともな取引などできるはずがない。
一歩間違えば、こちらが他国に隷属する形になり、一生涯、搾取され続けるという悪夢のような現実が訪れるとも限らなかった。
それでは、まるで国を挙げて『世界の機関』の味方をするようなものだ。
こっちも、独立国としてのプライドがある。
不正を不正で制するのは簡単なことだが、結果的に、国民の生活をさらに圧迫させることになりかねない。こうして支持を得た今、そんな自殺行為をすれば、機関にていの良い潰しの口実を作らせてしまうことになる。
いずれにせよ、機関の存在を消してしまわなければ、身動きが取れないのは同じだった。
たとえ自分がどんなに優れていると言われようとも、イェルン・ブルコもただの一個人に過ぎない。徹夜の仕事をいつまでも続けられるかというと、当然そんな超人ではないわけで・・・・・・。
ため息が出る。
これも全て、アーダルフ・グレゴリオがボスに昇格してからのことだ。資料の重要性が増したおかげで、不用意に部下には回せないために、自分でやるしかない。信用を買ってもらっているのは有り難いが、ここまで責任が重いと、機関に目をつけられて殺されるんじゃないかと、最近は気が気ではない。
家族がいる身としては、せめて生涯独身をかかげているエルバ・ジェネラーリィにでも頼んでもらいたいものだ。
「よぉ、イェルン。やっぱりまだ諜報部は残っていたか。それ終わったら、飲みにいかないか??」
陽気な声が耳に入り、エルバも残業をしていたことを知った。もっとも、コイツの場合は自分からクオーレに残って新人教育をするような熱血野郎なのだが。
「断る。今日は娘の誕生日なんだ」
「ちぇっ、なんだよ。新人が二〇人も入ったって言うのに」
「関係ないだろ」
「聞いて欲しいんだよ、お前にさ」
「グレゴリオにでも聞いてもらえ。あの男なら喜んで聞くだろ」
「やだよ、アイツ恐いし・・・・・・」
身長二メートル近いがっしりとした体格のエルバがそう言うと、そのギャップに吹き出しそうになる。この貫禄で歳が28なのだから羨ましい。イェルンは入祖した時、教官だと勘違いして頭を下げまくっていたのを思い出す。そのことは彼にはまだ話したことはない。
しかし、一応エルバのほうが一つ年上なのだから、その対応自体は不自然でもなかったわけだが。
「・・・・・・そもそも僕は、子供が銃の訓練をするっていうのが前から気に食わなくてね」
「今さら組織の体制に文句を言ったって仕方ねぇだろ。じっくり育ててやりゃいいじゃないか」
「それじゃ、機関の『ナンバー』と変わらないじゃないか」
「あっちは『暗殺者養成機関』。こっちはただの『自衛官』だ」
「いつ駆り出されるか分からない。それで人を殺すんだとすりゃ、やってることは大差ないはずだが??」
「珍しくホントに機嫌わるいんだな今日は。オーケー、お前の言うとおりだイェルン。少なくともローティーンの子供たちが、現場に駆り出されるようなことにはならないよう、ボスに掛け合っておいてやるよ。まぁ、アーダルフも鬼じゃないんだ。心配ねぇと思うがな。てなわけで、飲みに行く店のことだが――」
プルルルr。っと室内の電話が鳴った。イェルンは慌てて受話器を取る。
「はい。こちら諜報部資料室―――」
『Amo-(あも~♪)イェルン、まだお仕事終わらないの??』
「エミリア!? 私用電話はダメだって言っただろう」
室内にいるのがエルバだけとはいえ、小声になってしまう。
『あんまり遅いから、ジーナ寝ちゃったのよ』
「聞けよ、人のはなし」
『だって、今日は大事な日でしょ。悪いのはあなたなんだから。それで、ジーナが、お父さんいないとイヤだっていうから、明日にしようって』
「・・・・・・ゴメン」
チラっとエルバを見ると、腕を組んで楽しそうにニヤついている。
「あぁ・・・・・・それで、なんて??」
『ちゃんと話、聞いてよね』
「すいません」
『だから、明日は誕生日会ね。今日はまだ遅くなりそう??』
「あぁ・・・・・・たぶん、まだかかりそうだ。君も先に休んでいてくれ」
『そう、分かった。無理しないでね』
受話器を下ろすと、嬉しそうに顔をニヤつかせたエルバがまだこっちを見詰めて立っていた。
そんなに話を聞いて欲しいのか・・・・・・、と、イェルンは頭をかかえた。
「これで障害はなくなったわけだ、さぁ、行こうか」
「・・・・・・お前、パソコンは使えるか?」
「なぬ?? ・・・・・・なんだそれは。新しい銃器の名前か?」
★
酒屋でのエルバは上機嫌だった。
エルバの話によると、新人の訓練生の中に、とてつもなく銃の扱いが上手い少年がいるということだった。名前はヒル。
彼はマルモにあるスラム出身らしく、なぜ銃が扱えるのかすらイェルンには疑問だったが、彼は自分のことをほとんど話さないらしく、謎の多い少年のようだ。
少年志願者の中ではもっとも若く、まだ12歳だというのに母国語のほかに三ヶ国語を話すことができ、対人では大人びた対応をするので、一部の教官は感心を通り越して不気味がっている。
そんな中で、エルバは、十年に一人の天才だと、嬉しがって騒いでいた。
「しかし、あまり期待をかけすぎても、後で落胆するだけかもしれないぞ」
イェルンは過去の自分と重ね合わせた。自分もかつて、最年少でクオーレ内の幹部まで上り詰めたために、周囲の期待は大きかった。結果、初めて計画した第一ミッションの失敗により失脚。結局、組織の評判を大きく下げることになり、幹部候補生の中でいい笑い者になってしまった。
思い出したくない、苦い経験だった。おかげでひどい臆病者になってしまった。
「何言ってるんだ。期待をかけるからいいんじゃないか」
「どうして」
「自分が組織を背負うかもしれないって思うと、やる気が出るだろ?」
「調子に乗るだけじゃないのか?」
「それがいいんだよ」
「なんで」
「どうせ同じ壁にぶつかるんだったら、早めにぶつかっておいた方が学習できるじゃないか。歳取ったら、なかなか思い切った行動とれないしな」
「・・・・・・エルバ、誰のこと言ってるんだ」
「ヒルのことだよ、うん? 」
「なんでもない」
エルバが太鼓判を押すからには、本当に筋の良い子どもなんだろう。だが、子どもは所詮、子どもだ。発展途上国の急速な経済成長にうかれていても、いつ大きなしっぺがえしが来るとも限らない。だいたい、子どもというやつは精神が不安定だ。純粋さは武器にもなるが、洗脳されやすいという面もある。
正義を教えるのはけっこうだが、組織の行う取引が正義かと問われると疑問符が浮かぶ。彼らはそれを知っても、はたして幻滅せずにいられるのだろうか?
どこまでが許容範囲で、どこからが犯罪か。そんなものは、自分にもまだ分からないのだ。
イェルンは自分の行った正義が、仇となって組織を攻撃してしまった罪悪感を拭いきれなかった。
恨むは機関か、世間か、自分の思い上がりか・・・・・・。
「なぁイェルン、今日は、ジーナちゃんの誕生日だったんだよな」
「ああ。本当なら、こんなムサっ苦しいおっさんとじゃなくて、可愛い娘との楽しいひとときを過ごしているはずだったんだ。ったく、新人が20人も入るからだよ。仕事が増えるじゃないか」
「俺と飲むのも、楽しいひとときだろう??」
「価値のもんだいだよ、価値の・・・・・・、比較対象がお粗末すぎる」
「4歳だったっけ」
「そうだ」
「かわいい盛りだねぇ~」
「うちのジーナはいつになっても『かわいい盛り』だ」
「そのうち反抗期がくるぜ」
「ジーナがぼくに反抗してくるなんて、ありえないな」
「親は、初めはみんなそう言うんだ」
「何の一般論だよ」
「いや、コイツはガチだ」
「だいたい、お前には子どもがいないだろ? お前にぼくの気持ちはわからん」
「わかる。俺は教官だぞ。反抗期の子どもは見慣れてる」
「そういう問題か? じゃあ、教官ならみんな、子どもの気持ちが分かるってのか」
「わかるさ」
「バカ言え」
「だったら訂正しよう。俺になら分かる!!」
「おまえのその根拠のない自信は、どこからくるのやら」
「色々あるんだよ。銃の訓練をしていたらな。たとえば、この前なんか、訓練生の一人が、『教官、俺は実践で覚えるタイプだと思うんスよね。殺してもいいヤツとか、いませんかねぇ~』っとか、本気か面白半分かわからねぇが、平気で口にしやがるんだ。俺は、ここでナメられちゃ教官として半人前だと思って、言ってやったね。
『なら、まずはお前で実践してみるか。俺も腕試ししてみたいと思っていたところだ、来い』ってな」
エルバは店の外まで聞こえるほどの声で爆笑した。
「―――で、そしたら、えらい怯えた顔で、『え、遠慮します』とか言っちゃって」
「へいへい、そいつはよぅござんしたね、天才心理学者のエルバさま~」
「おぃおぃ、けっこう真面目な話だぜ、これは」
「ぼくだったら、見せしめに一人くらいその場でぶっ殺してやるよ」
エルバは急に真顔で眉をひそめる。
「・・・・・・大丈夫かお前。酔ってんじゃないか??」
「なんのためにここにいるんですか? エルバ・ジェネラーリィ教官。ぼくたちは、酔うためにここにいるんでしょう。頭だいじょうぶ??」
「俺が聞いてんの!!」
イェルンはまだ、過去の失敗を思い出していた。ミッションが始まる前に見た、鏡のなかの自分と、ミッションを終えた後の、鏡のなかの自分。
―――思い上がっていた?
まさか、だったらどうして周りは僕を持ち上げたりしたんだ。あの期待の目は、嘘だったっていうのか? 責任者が欲しかったのか? ちがうだろう。そもそも、あの失敗は、僕の失敗が全ての原因ではないじゃないか。
無意識に、こぶしでカウンターテーブルを叩いていた。
「ぼくは、・・・・・・僕は無能なんかじゃない!!」
エルバが焦って宥めようとする声が、頭のなかにぼんやりと響いた。
☆
イェルンが問題のヒルを見たのは、その翌朝のことだった。
本部の訓練場が騒がしく、いったい何があったのかと思って、集まっている教官たちのもとにかけよると、顔を赤く腫らした幹部候補生と、無表情で立っているヒル少年がいた。どうやら派手な喧嘩があったようだ。他の訓練生が群がって騒いでいる。
「お前たちは訓練を続けろ!!」
エルバが一喝すると、彼らはトレーニングに戻った。
イェルンは、ヒル少年を見たとき、背筋がぞくりとした。他の教官が不気味がるのも一目で分かった。
彼の印象は普通ではなかった。
手入れされていない、少し長めのトビ色の髪。浅黒い肌、高い鷲鼻。細い顎に、しっかり閉じた薄い唇。眉はやや下がり、横に伸びた一重の眼球からは、孤独を好む色が浮かび上がっていた。
ふと、彼は今まで、誰も信用せずに、一人で生きてきたのだろうと思った。身長は小さくはないが、大きいこともない、標準だ。顔の輪郭のせいか、ほっそりしているように見える。わずかに曲がった腰が、姿勢の悪さを感じさせたが、上目に睨む姿は、野生動物の『威嚇』を感じさせた。
彼の放つ空気の全てが、異様に『野性的』だった。
昨晩エルバと話した時の印象を撤回しなくてはならない。
―――彼は、僕とはまったく違うタイプの『天才』だ。
彼より三つ年上の幹部候補生が、教官に腕を掴まれたまま喚きたてた。
「おい! ヒル、よくもやりやがったな。俺は候補生だぞ!! お前ら訓練生は、使われる側の人間なんだよ。上下関係を教えてやってるのに、なんだその態度は!!」
ヒルは顎を上げて彼を見た。何か言いたげな表情だ。候補生が叫ぶ。
「なんだ、・・・・・・言いたいことがあるなら言ってみろよ」
ヒルが口を開いた。予想と違って、子どもらしい、割と高い声だった。
「・・・・・・私は、教えを請う相手を選びます。あなたから学ぶつもりはありません」
「な・・・!!?」
ガッハッハッハ、っというエルバの豪快な笑い声が響いた。二人は驚いてエルバを見た。ヒルは唖然とした顔つきだった。
「だそうだ候補生。あきらめろ。コイツは俺がきちんと教育してやる」
候補生は「ちっ」と舌打ちすると、そのまま教官に連れられて訓練場を出て行った。
エルバはイェルンを見た。
「イェルン、どうした? そんな顔して。訓練生の喧嘩なんて日常茶飯事だ。別に珍しいことでもないぜ。お前はさっさと資料室行った方がいいぞ。昨日の続きがあるだろ」
イェルンはしばらく、ポカンとしていたらしい。エルバに言われて気がついた。確かに、なんのために早朝出勤してきたのか。これでは意味がない。
今日こそは早めに仕事を切り上げ、愛する娘のバースディを祝わなくてはならない。
これは失敗の許されないミッションの一つだ。
ヒルの不気味な印象を拭い去ることができないまま、イェルンは資料室に向かった。
それから三年間は、機関が大きな動きを見せる気配はなかった。やはり組織を警戒してのことだろう。
表立った機関の支部を、民間の力も借りて閉鎖に追い込んだ今、次は闇に隠れた本部の情報をなんとしても掴まねばならない。
イェルンたち諜報部が重要になるのは、むしろこれからだ。『腕が鳴る』どころか、別の部署に配置換えを願いたいと、彼は本心では思っていた。
だが、もともと持っている彼の律儀な性格は、諜報部内での評判を押し上げ、かつての幹部仲間もみな、自分を再評価しだしているのだから、なかなかそれを申し出るわけにもいかない。
それに今、配置換えを申し出ると、左遷されてクオーレ本部にいられなくなる可能性もある。もしそんなことになれば、エミリアになんと言われるか、考えただけでも気が滅入る。
せめて、もっと休暇がもらえれば、愛するジーナとテーマパーク巡りを楽しめたというのに・・・・・・。
あぁ、不運な時代に生まれてきてしまったものだ。贅沢な話だが。