第1話 美人の水精の頼みは快く引き受けます。
…苦しい。苦しい!
訳も分からず池に落ちた私は、そのまま縦に横に、強い水流に揉まれていた。上も下もわからず、ただ、しっかり口を押さえて耐えるしかなかった。もうこれ以上無理だ、というところで、急に流れが穏やかになった。急いで水面だと思われる方向に必死に泳いだ。急に水圧が変わると危険だとかいう知識は頭になかった。とにかく息がしたい!
「っはあ、はあ、はあ、」
ついてみるとそこはどこかの山奥の川の浅瀬だった。しかも、何故か夜。山奥だが、月が明るいので視界は悪くない。さっきまで朝で、雀の声がうるさかったのに。そうやって、現状把握にいそしむ私の後ろで大きな水音がした。
振り向くと、そこでは、なにやらグロい半魚人っぽいのと狐が戦っていた。狐の方は満身創痍で、かなりの劣勢の様だ。
『どうか、どうか助けて下さい』
次の行動に迷っていた私の耳にそんな必死な声が届いた。ふと横をみるといつの間にか、綺麗な女の人が居た。かなりの美人だ。しかも、こんな時に悪いが、その焦燥感溢れた必死な形相が美貌をさらに引き立てていた。
「私にどうして欲しいの?」
まあ、美人だってことはおいといて、目の前の女の人は人間ではなかった。薄くむこう側が透けていた。こういう精はたいてい善良だ。彼らには騙すという発想がない。別に頼みを聞いてあげても自分に損はない。とはいっても、彼らの頼みは返品不可の場合が多いが。
『彼を、その剣で切って下さい!お願いします!私にできることならなんでもしますから』
こんな美人にここまで言われて引くようなら、神崎流剣術師範代の名が廃る!とはいえ、得物なんてもっていない、…と思ったら、あった。道着の袴の腰ひもの間に挟まっていつの間にか妖切姫が腰にぶら下がっていた。
「いつの間に…」
得物は良いが、彼とはどっちだろう?狐か?グロい方か?
『水の精の方です』
私の疑問を察知してくれたのか、美人さんはそう言った。水の精というイメージとはかけ離れてるが、魚っぽい方だろう。だか、そいつは未だ狐と組み合っている。まずは満身創痍な狐から引き剥がそうと手頃な石を拾って投げつけた。見事に当たって奴の注意がこちらへ向く。そこに私はこれみよがしに鼻で笑った。思い通りに怒ってこっちに向かって来てくれた。
私は川から上がって奴に向かって構えた。真っ直ぐ馬鹿正直に、奴はこちらに来てくれた。大変やり易い。すごい勢いと形相だったが、小さいころから妖怪に追いかけまわされたこともある私はなんとか平静を保つことができた。それに今は、武器もある。
「神崎流居合・一文字」
そう宣言し、私は妖切姫を横に一閃した。奴は見事にバッサリ真っ二つになった。…あれ?なんで、刀で妖怪?っぽいのを切れたんだろう?今更になって疑問が…美人さんがそう言うから言うとおりにしたけど。もしかして、妖切姫って妖刀?確かに怪しかったけど。
私が愛刀の意外な事実に戦慄していると、真っ二つになったグロいのの上に気配を感じ、振り返って構えた。折角グロい断面を見ないようにしてたのに!だが、その人影には敵意がなかった。私は構えを解いた。良く見てみると人影は男で、美人さんと似たような簡素な白っぽい貫頭衣を着ていた。
『夫を助けて頂いて、本当にありがとうございました。お礼に何をしたら良いでしょうか?』
『私からもお礼を言わせて下さい。助かりました』
美人さんとその夫さんは2人揃ってこちらに向かって頭を下げた。
「え!?人妻だったの!?…じゃなくて、ええっと、なんで、あのグロいのから旦那さんが出てきたの?」
『見て下さい。こちらの呪いの掛った石に私は誤って取り込まれてしまい、私は凶暴化してしまって、さらに周りの魚達を取り込んで実体化までしてたんです…魚達には悪いことをしました』
すっと、旦那さんが指さした先にはさっきのグロイ奴の体液で汚れた装飾品が落ちていた。
「へえ。あっもう触っても大丈夫かな?」
『ええ。貴女の一閃で呪いは切り飛ばされて消えてしまったようです』
「ふうん。これがねえ。まあ、貴石は念を込めやすいっていうしねえ」
その呪いがかかっていたという装飾品は、首飾りで、台座が金で出来ており、ウズラの卵くらいの大きさのルビーっぽい赤い宝石を中心ににもっと小さい宝石が数個散りばめられていた。無事だったらかなり高いだろうけど、私の一閃で大きな傷が出来ていた。まあ、本物だろうから、金だし宝石がついてるし。売れば帰りの旅費くらいには…。
「ってそうだ!私、家に帰りたいんだけど、ここどこ?」
『ここは、サルーの川です』
「いや、川っていうのは分かるけど、私の家から見てどこら辺?」
『…そう言えば、貴女はどちらからいらっしゃったのですか?』
「え!?貴女が呼んだんじゃないの!?」
『「……」』
状況からてっきりそうなのかと…。
その場に大変気まずい沈黙が流れた…。
『お前を「ここ」に呼んだのは、きっとここの川の主じゃないか』
沈黙を破ったのは、背後の声だ。ふと、後ろを向くと、さっき美人さんの旦那さんと戦っていた狐が居た。
『そこの男を見てらんなくて、適当に「呼んだ」んだろう。それが出来る力を持ってる奴で、かつ今の状況で考えられるのはここの主しかいないだろう。大当たりだったな。あれを真っ二つにできるなんて』
「適当に?困るわよ!帰りたいんだけど!」
『ところで、気になってたんだが。まずお前、この世界の人間か?』
「…は?何言って…」
その、とんでもない台詞に私は思考が停止しかけたが、私は気付いてしまった。
夜空に、月が二つ浮かんでいることに。