ep.06「セットアップ・フェーズ」
深夜の山陽自動車道を、黒いワンボックスカーが西へ疾走していた。
フルスモークの窓ガラスが外界の光を遮断し、後部スペースに鎮座する四台のモニターの青白い光だけが、アルミフレームで組まれた特注デスクを照らし出している。重低音の排気音と、タイヤがアスファルトを噛むロードノイズ。それ以外の音は、この密閉空間には届かない。
助手席から後部のバケットシートに移った筑紫陸は、深く息を吐き出し、張り詰めていた神経を少しだけ緩めた。パーカーのジッパーを下ろすと、セグフォが待ちかねたように這い出て、バケットシートの隙間に丸くなる。
後ろを振り返っても、クラヴィスの追跡車両のヘッドライトは見えない。
「とりあえず、物理的なトレースは完全に切れたはずじゃ」
陸が呟くと、運転席の堂島仁──ジンが、バックミラー越しにニヤリと笑った。
「オイの『ステルス・モード』は完璧っちゃが。車体全体をファラデー・ケージで覆っとるけん、GPSの電波もドローンからのスキャンも一ミリも漏れんとよ」
ジンの言葉通り、この車はただの移動手段ではなかった。
無尽蔵の電力を供給する大容量リチウムイオンバッテリー群。複数キャリアを束ねたボンディングルーター。天井には衛星通信アンテナ。
それは陸にとって最高の移動ハッキング拠点──最強のモバイル・ノードだった。
―――
「マスター、わし……ちょっと限界ですけん……」
バックパックの中で、コトダマが苦しげなノイズ混じりの声を上げた。
先ほどの工作員との攻防で、電波干渉を最大出力で回し続けた代償だ。石板は触れられないほどの異常な熱を持ち、翡翠色の光が不規則に明滅を繰り返している。完全なオーバーヒート状態だった。
「やべえな。熱暴走でコアが焼き切れるかもしれん」
陸が石板を取り出して顔をしかめていると、ジンが片手でハンドルを操りながら、デスクの横を指差した。
「おい陸、そこの青いトグルスイッチ弾いてみろっちゃが。ほんで、その石ころを横の台に置いてみ」
言われるがままにスイッチを入れると、デスクの脇に設置されたクレードル(台座)から、ファンの低い駆動音が鳴り始めた。そこに石板を置く。
瞬間、クレードルから白煙のような冷気が吹き出し、石板の熱を急速に奪い去っていった。
PC用の水冷パーツとペルチェ素子を魔改造した、ジン特製の急速冷却システムだ。
「おお……っ! こりゃあたまりませんな……!」
コトダマの光が、安堵の桜色に変わった。
「熱が……みるみる引いていきますぞ。マスター、ジン殿。この冷却機構があれば、わしの解析の術を全開で回せ……ますけん……はぁぁ……」
語尾が、とろけるように溶けた。翡翠色と桜色が代わる代わる混ざり合い、まるで岡山弁の温泉に浸かっているかのような、間の抜けた声で言う。
「し、しあわせですぅ……」
「しゃべる石ころがいっちょ前に極楽気分になっとるっちゃが。てげめんどしー(照れくさい、憎めん)奴だな」
ジンはカラカラと笑った。
すると意外なことが起きた。バケットシートの隙間で丸くなっていたセグフォが、冷却台からひんやりした風が流れてくるのに気づき、恐る恐る近づいてきたのだ。石板を警戒するように一度だけ耳を伏せたが──冷気の誘惑には勝てなかったらしい。そのまま冷却台の横に、ぺたりと腹をつけて寝そべった。
「あっ、ネコが! ネコが近くにおりますマスター! またあの攻撃が──」
「安心しろ。暑いから涼みに来ただけじゃ」
石板の隣で目を細めるセグフォと、警戒色の琥珀にチカチカ変わりながらも抵抗できないコトダマ。数秒の沈黙ののち、セグフォが小さく「にゃあ」と鳴いた。それはep.03以来初めての、攻撃的でない声だった。
「……和解成立ですかな」
コトダマの光が、ほんの少しだけ安心した桜色に戻った。
―――
「さて、と」
ジンは運転席の窓を少しだけ開け、夜の空気を車内に入れた。
「追手は撒いた。足も電源もある。……で、陸。マジでなんなんや。なんであんなヤバい黒服に命狙われとったが?」
陸はモニターに視線を向けたまま、キーボードに手を置いた。
情報の共有──ブリーフィングの時間だ。ジンはこの先の逃亡生活において、必要不可欠なリソースになる。ならば、適切なアクセスレベルを付与しておかなければならない。
「順を追って説明する」
陸は、これまでの数日間に起きた異常な出来事を淡々と語り始めた。
作山古墳でコトダマを掘り出したこと。クローラーを走らせ、世界中で古墳や古代遺跡に関連するデータが組織的に「削除」されていることに気づいたこと。そして、その隠蔽工作を逆探知して辿り着いた秘匿サーバーの存在。
陸はモニターに、サーバーから強引に引き抜いたテキストデータの断片を表示した。
「このシステムを統括しとる組織の名前は、『CLAVIS』」
「クラヴィス……?」
「ああ。奴らは、国家レベル──いや、複数の国家の中枢を束ねるほどの権力とインフラを持っとる。そして、このコトダマと同じ『超古代の技術』を裏で独占しとるんじゃ」
陸は画面のテキストをハイライトした。
「奴らのサーバーの最深部にあった、第四期計画のキーワードじゃ」
ジンが運転席から身を乗り出すようにして、モニターの文字を読んだ。
『地球環境の最適化』
『適正人口』
『五億』
「……五億?」
ジンの表情から、ヘラヘラした笑みが消えた。
「おいおい、今の世界の人口は七十億以上おるっちゃが。五億にするって……残りの六十五億人をどうする気や」
「消す気じゃろ。武力か、病気か、あるいはもっと別の『システム』を使うてな」
車内に、冷たい沈黙が落ちた。
タイヤのロードノイズだけが、無機質に響き続ける。
クラヴィスは、ただの犯罪組織ではない。世界を書き換えようとする、狂った管理者だ。
「……てげヤバいな」
ジンがぽつりとこぼした。
恐怖で逃げ出すか──と陸が身構えた次の瞬間だった。
「てげヤバい特大ネタっちゃが!!」
ジンはハンドルをバンバンと叩き、目を輝かせた。
「世界の人口を五億に減らす秘密組織!? しゃべる超古代の石ころ!? これ、オイのSNSで暴いたら世界一のバズ間違いなしっちゃが! フォロワー一億いくっちゃ!!」
「……お前、頭のネジ飛んどるんか」
「よだきいこと考えるのは後回しや!面白そうだから乗った!どこまでも足になっちゃるとよ!」
ジンの底抜けの明るさに、陸は思わず毒気を抜かれた。だが、このハードウェアへの圧倒的な信頼感は、今の陸にとって何よりも心強かった。
―――
「コトダマ」
陸は冷却台で桜色に落ち着いている石板に呼びかけた。
「お前のリソース、今は空いとるな。地脈のモニタリングをフルパワーで走らせろ。奴らの計画を止めるために、次に行くべき場所を割り出せ」
「了解しました、マスター。この冷却システムがあれば余裕ですけん!」
コトダマが翡翠色の光を強く明滅させる。
モニターの一つに、日本列島の地図と、そこを流れるエネルギーの葉脈──地脈の光の網目がリアルタイムでレンダリングされていく。十六万基の古墳が、休眠中のサーバーとして微かな光の点となってマッピングされていった。
「マスター。奴らの計画を阻止し、この超古代ネットワークの中枢にアクセスするには、わしだけの権限じゃ足りません。システムの大元の階層を開くための、特別な『主鍵』が必要です」
「マスターキー?」
「はい。物理的なコンポーネント──つまり現実に存在するデバイスです。……地脈の反応をスキャンしました。一番強い共鳴シグナルが出とるのは──ここです」
地図上で、一つの光の点が強烈に赤く瞬いた。
「……奈良県か」
陸がその座標を読み込んだ瞬間、脳内のキャッシュから数日前の映像がフラッシュバックした。
寝不足の頭で立ち寄ったコンビニ。レジの上のモニターで流れていた、昼のニュース番組のテロップ。
『──奈良県の富雄丸山古墳から出土した蛇行剣について、文化庁は国宝指定の方針を──』
『──全長二百三十七センチメートル、東アジア最大の鉄剣として──』
全長二百三十七センチ。人間が実戦で振るうには異常すぎるサイズだ。あれは最初から、人間が振り回すために鍛えられた武器じゃない。
サーバーラックに差し込むための──巨大な物理キーじゃ。
「……蛇行剣。富雄丸山古墳か!」
陸は顔を上げ、運転席の背もたれを叩いた。
「おい、ジン。今どっち向かって走っとる」
「は? とりあえず追手撒くために、西に向かってベタ踏みしとるっちゃが」
「悪いが、目的地は逆じゃ」
陸の言葉の意味を理解し、ジンはニヤリと白い歯を見せて笑った。
「上等っちゃが! ロケ地変更! 次のインターチェンジでUターンや!」
黒いワンボックスカーは、次の出口で深夜の高速道路を強引に降り、凄まじいスキール音とともにタイヤの向きを変えた。
フロントガラスの向こう、東の空の際がわずかに白み始めていた。
逃亡の夜が、終わろうとしている。
「しっかり掴まっちょけよ、ハッカー!」
ここからは、バグを修正するための反撃のロードムービーだ。
最強のモバイル・ノードに乗った三人は、真実の眠る地・奈良を目指し、夜明けの空を東へと切り裂いていった。
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【次回予告】
大いなる中枢を目前にして、ハッカーたちの前に立ちはだかる「物理の壁」。
奈良へ向かう前に安全な「中継アンテナ」として熊山遺跡に立ち寄った陸たちは、
規格外のセキュリティ──『形による守り(物理ファイアウォール)』の存在を知る。
さらにルート上に横たわる巨大なノイズ源。
「……高砂市っちゃが! 了解!」
次回、ep.07「ピラミッド・スキャン」
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【用語・補足解説】
※物語を読むだけなら飛ばして大丈夫です。気になった用語があれば参照してください。
◆ ペルチェ素子 / 水冷
ペルチェ素子は、電気を流すと「片面が冷たくなり、もう片面が熱くなる」不思議な部品。小型冷蔵庫などに使われます。水冷は文字通り「水で冷やす」仕組み。ジンはこの二つをパソコンの部品と組み合わせて、熱暴走しやすいコトダマ専用の強力な「冷却用の台」を作りました。
◆ ルートディレクトリ
パソコンやシステムの中にある、一番偉い「大元のフォルダ(根元)」のこと。ここに入れば、システム全体を好き勝手に操作できます。陸たちは、古墳のネットワークの根元に入るための鍵を探しています。
◆ マスターキー
すべての扉を開けられる「万能鍵」。IT用語としては、暗号化されたデータをすべて解読できる強力な鍵を指します。コトダマは、ニュースで見た巨大な鉄剣(蛇行剣)こそが、その「巨大なマスターキーそのもの」であると気づきました。
◆ ボンディングルーター
スマホの電波(LTEや5G)などを何本も束ねて、太くてスピードの落ちない一本の通信回線を作るための機器。移動中や山の中など、電波が不安定な場所からハッキングを仕掛けるために、ジンの車にはこれが積まれています。
◆ 熊山遺跡
岡山県赤磐市にある謎多き石積みの遺跡。「ピラミッド」とも呼ばれます。本作では、超古代のネットワークシステムにおいて遠くの電波を受信・中継するための「巨大なアンテナ(リレーノード)」として機能しています。
◆ 形による守り / 物理ファイアウォール
ハッカーがパソコン上の防壁をいくら突破しても、古墳の「形」や「出土品の配置」といった現実世界(物理)の条件が揃わないと解除できない仕組みのこと。陸のようなハッカーにとって一番厄介なセキュリティです。
◆ 富雄丸山古墳
奈良県奈良市に実在する日本最大の円墳。本作における最大の目的地の一つであり、超古代ネットワークシステムの中枢が眠る場所として描かれています。
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※本作はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。
※作中に登場する遺跡・古墳・史跡は実在のものをモデルにしていますが、無断での立ち入りや発掘は法律で禁止されています。見学の際は管理者の指示に従い、マナーを守ってお楽しみください。




