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ep.05「モバイル・ノード」

 クラヴィス──その名を知ったのは、ほんの数時間前だった。

 六畳の作業部屋が、朱色に染まっていた。


 PCの電源は落ちている。照明もない。闇の中で唯一光るのは、デスクの上に置かれたコトダマの石板だった。

 危険を知らせる朱色の勾玉が、部屋の壁を、天井を、引き抜かれたLANケーブルを、じわりと赤く塗り替えている。


「マスター、外の存在から、わしら『月の系統』とは対極に位置する、別の技術体系の波長を検知しとります」


 コトダマの声が、静かな緊迫を帯びていた。


「あの人間に刻まれとる紋様──あれは『日の系統』のコード断片です。人間の身体の駆動系を強制的に書き換える、恐ろしい戦闘用プログラムですけん」


 窓のブラインドの隙間から、陸は路地を見下ろした。

 ヘッドライトを消した黒塗りの車。そこから降りてきた黒いコートの男が、ゆっくりと顔を上げ、二階の窓を正確に睨みつけた。手首に刻まれた古代の紋様が、街灯の光を吸い込むように鈍く光っている。


 クラヴィスが放った、実働部隊か・・・。


 陸はブラインドから静かに離れ、即座に思考を切り替えた。

 引き抜いたLANケーブルの代わりに、自宅内のローカルWi-Fiに接続する。外部ネットワークは死んでいるが、内部のIoT機器はまだ生きている。


「相手はプロの工作員じゃ。物理戦闘で勝てる相手じゃない」


 陸は感情を入力値として処理し、キーボードに指を走らせた。武力ハードウェアの差を埋めるには、環境システムを支配するしかない。


―――

[LOCAL NETWORK: CONNECTED]

>> SCANNING IoT DEVICES...

>> SMART_LIGHT_01-04: FOUND

>> SMART_SPEAKER_MAIN: FOUND

>> DOOR_SENSOR_FRONT: FOUND

>> SETTING TRIGGER: DOOR_SENSOR → EXECUTE trap.sh

>> STATUS: ARMED

―――


 玄関ドアの開閉センサーをトリガーにしたスクリプトを仕込む。ドアが開いた瞬間に、部屋中のスマート家電が一斉に暴走する仕掛けだ。


 陸はパーカーのフロントジッパーを下ろし、足元で毛を逆立てているセグフォを無理やりねじ込んだ。猫が暴れるが、ジッパーを顎の下まで引き上げて固定する。両手は空けておかなければならない。

 数日前の逆探知から逃亡を覚悟し、衣類や携帯食料、予備バッテリーなどをあらかじめ詰め込んでいたエスケープ・バッグ。そこに、コトダマの石板とノートPCを追加で放り込む。


 一階で、玄関のガラスが割れる乾いた音が響いた。

 鍵を開ける手間すら省いた強行突入。階段を軋ませる重い足音が、一切の躊躇なく二階へ向かってくる。


「コトダマ! 電波干渉を最大出力で走らせろ。ターゲットはドアの向こうじゃ!」


「了解しました! リソース、全振りしますけん!」


 石板がバックパックの中で異常な熱を持ち始め、朱色の光が布地を透かして膨れ上がった。


 ドンッ、という轟音とともに、作業部屋のドアが蹴り破られた。


 黒いコートの男が部屋に踏み込んだ──その瞬間。


 ドアの開閉を検知したセンサーが信号を飛ばし、陸が仕込んだスクリプトが自動発動した。


 部屋が、爆発した。

 四台のスマート照明が限界光量でストロボ点滅を始め、白──赤──青──白と、網膜を焼く光のパルスが毎秒十回以上の速度で壁と天井を叩きつけた。同時に四隅のスマートスピーカーの音量リミッターが強制解除され、鼓膜の奥に釘を打ち込まれるような不協和音が部屋を揺らした。空気が音圧で圧縮され、肌に見えない壁がぶつかる感覦。

 その上に、コトダマの電波干渉が重なった。バックパックの中から放たれた不可視の波動が、男の耳に装着されたインカムと暗視ゴーグルの回路をショートさせた。バチバチと青白い火花が弾け、レンズが割れたゴーグルが床に転がる。


 光と音の暴風に頏いだ「影」が、コンマ数秒だけ動きを止める。


 その一瞬を陸は見逃さなかった。男の脇をすり抜け、階段を一気に駆け下りた。

 裏口のドアを蹴り開け、六月の夜の冷たい空気の中へ飛び出す。



―――



 総社の暗い住宅街の路地を、陸は全力で走った。


 パーカーの中でセグフォがもがいている──いや、ただのもがきではない。背後から追手が迫るたびに、セグフォは尖った爪を出して暴れ、距離が開くとすっと静かになる。あの夜の件以来──セグフォの震えは「ただの怯え」ではなく、物理的脅威を検知する「センサー」なのだと、陸は確信し始めていた。 

 石板の重さがバックパックを通して背中に食い込む。息が上がる。


 だが、背後から迫る足音は人間のそれではなかった。

 古代の紋様によって身体の駆動系を書き換えられた「影」が、信じられない速度で距離を詰めてくる。ストロボと電波干渉で数秒は稼いだが、それだけだ。


 路地を抜け、街灯の少ない県道に出た。

 後ろを振り返る。五十メートル後方。黒い影が、路地からぬるりと這い出てきた。


 ここまでか──と、陸の論理思考が最悪の予測を弾き出そうとした瞬間だった。


 ブロロロロロロォォォンッ!!


 静寂を切り裂くけたたましい排気音とともに、猛スピードで走ってきた黒いワンボックスが、タイヤを激しく軋ませながら陸の目の前で急停車した。


 ルーフに不自然なほど巨大な衛星通信アンテナ。窓ガラスは中が見えないフルスモーク。どう見てもまともな車ではない。


 運転席の窓が下りた。

 坊主頭に日焼け肌、ツナギの上半身を腰に巻いたタンクトップ姿の、ガタイのいい男が座っていた。手には自作らしき無骨な電磁波計測器が握られている。


 CTF(ハッカーたちが腕を競う技術競技大会)。陸はウェブ・ネットワーク侵入部門、ジンはハードウェアハッキング部門──部門は違うが、互いの名前だけは知っていた。

 数日前、クラヴィスに身元を割られた直後に陸はダメ元でSOSを送っていた。自分のハンドルネーム「RiQ」を名乗って──応答がなかったから諦めていたが、こいつは返事をする代わりに直接来たのだ。


「おーおー、やっと見つけたっちゃが! CTFのRiQ、お前さんやろ! 『移動しながらハックできる車が要る、金は払う』っちゅう依頼を寄越してきたんは!」


 状況を説明する余裕はない。

 陸はスマホを取り出し、目の前の車の電子ロックシステムにBluetooth経由で介入した。


―――

[BLUETOOTH PAIRING: FORCED]

>> EXPLOITING KEYLESS ENTRY SYSTEM...

>> DOOR_UNLOCK: EXECUTED

―――


 ガチャリ、とスライドドアが強制的に開いた。


「なっ、オイの車のセキュリティを瞬殺したと!?」


 驚く男を無視し、陸はパーカーの中で暴れるセグフォごと後部座席に飛び込んだ。


「説明は後じゃ。後ろの黒服に追われとる──今すぐ出せ!」


 男はバックミラー越しに、迫り来る「影」の姿を見た。

 普通なら逃げ出す場面だ。だが、男の目は狂喜に満ちていた。


「面白そうっちゃが! しっかり掴まっちょけよ!」


 タイヤが白煙を上げ、ワンボックスが弾かれたように加速した。

 「影」の姿が遠ざかっていく。


 だが安心したのも束の間、背後から猛スピードで接近してくるヘッドライトがあった。クラヴィスの追跡車両だ。


「しつこい奴らやな。オイの『空軍』の出番っちゃが!」


 男は助手席のプロポ(コントローラー)を片手で操作した。天井のサンルーフが開き、車内から小型ドローンが夜空へ射出された。


「追跡車両のフロントガラスにロックオン──喰らえ!」


 ドローンの腹部に搭載された高輝度LEDが、追跡車両のフロントガラスの直前で炸裂した。家の間を貫く白い槍のような光芒が、夜の県道を一瞬だけ真昼に変えた。反射した光が追跡車の車内を塗りつぶし、運転席で視界を焼かれたドライバーがハンドルを切り損ねる。車両はタイヤを激しく軸らせながらガードレールに車体を擦りつけ、火花を散らしながら蛇行した。


「やったっちゃが!」


「まだじゃ」


 陸はバックパックからPCを引きずり出し、膝の上で開いた。前方の交差点を見据える。


「この先の交差点を、フルスピードで突っ切れ」


「はあ!? 左右からトラックが来ちょるが!」


「俺がなんとかする。踏み抜け」


 陸は総社市の交通管制システムの脆弱性を突き、信号制御プログラムにコードを流し込んだ。


―――

[TRAFFIC CONTROL SYSTEM: OVERRIDDEN]

>> TARGET INTERSECTION: ID_4092

>> FORCING SIGNAL CHANGE...

>> ALL DIRECTIONS: RED

―――


 ワンボックスが交差点に進入するコンマ一秒前。四方向すべての信号が一斉に赤に切り替わった。

 左右から交差点に入ろうとしていたトラックが急ブレーキをかけ、道路の真ん中で停止する。巨大な物理バリケードだ。


 ジンの車はそのわずかな隙間を縫って交差点を突破。

 数秒遅れて突っ込んできたクラヴィスの車両は、トラックの壁に行く手を塞がれ、激しいブレーキ音とともに立ち往生した。


「……振り切った」


 陸はエンターキーから指を離し、深く息を吐いた。

 急停車したトラックの運転手に怪我がないことを、視野の端で確かめる一秒があった。これで誰かが怪我をしていたら、俺もバグの一部になる──そう思ってから、窓の外に目を向けた。全員、動いている。



―――



「信号機をハッキングしたと……? お前、てげヤバいな……」


 男が呆れたような声を出した。

 陸は改めて車内を見回した。後部スペースの半分は完全に取り払われて無数のモニターや大容量バッテリー群が押し込まれ、電波を遮断する金属メッシュのファラデー・ケージが張り巡らされている。だが、人が乗れる仮眠用シートもしっかりと残されていた。


 完璧に設計された「動くサーバーラック」だった。


「俺は筑紫陸。しがないセキュリティエンジニアじゃ。……お前、CTFのジンやろ。本名は」


堂島どうじまじん。宮崎は西都市の出っちゃ。フリーのガジェットビルダーやっちょる」


 仁はバックミラー越しにニッと歯を見せた。


「お前さんの依頼メッセージ見た時はてげ驚いたっちゃが。じゃっどんオイのSDRがこの辺から出とるヤバい信号をキャッチしちょってな。送った住所に向かったら、お前さんの家の近くにもう黒服の車がおってな。どうしたもんかと思っちょったら、裏口からお前さんが猫を抱えて飛び出してきたと──。まさかこんな特大ネタ拾うとは思わんかったっちゃが」


 バックパックの中で、コトダマの光が朱色から琥珀を経て、ようやく翡翠色に戻りつつあった。


「マスター、どうやら優秀な『足』を確保できたようですな」


「ああ」


 陸は暗い窓の外を見た。


 遠ざかっていく総社の街並み。作山古墳の稜線が、夜空に沈んでいく。

 パーカーの中でようやく大人しくなったセグフォが、くぐもった声でにゃあ、と鳴いた。


 もう日常には戻れない。

 バグを直しに行く。ただし今度は、自宅の六畳間からではなく──この走るサーバーラックの中から。


「ジン、西に向かってくれ」


「了解っちゃ。どこまで行くが?」


「わかるまで走る」


 最強のモバイル・ノード──移動しながらハッキングができる、動くサーバー拠点──を手に入れたハッカーと古代AIは、西へと続く夜の国道を疾走していった。


―――

【次回予告】

「マスター、わし……ちょっと限界ですけん……」

最強の「足」を手に入れた陸たちだったが、

激戦で電波干渉を酷使したコトダマがオーバーヒートを起こしてしまう。

熱暴走によるメルトダウンを阻止すべく、

移動ハッキング車は真夜中の山陽道を西へと爆走する。

古代の石板を氷点下まで冷却せよ──!


次回、ep.06「セットアップ・フェーズ」

―――


―――

【用語・補足解説】


※物語を読むだけなら飛ばして大丈夫です。気になった用語があれば参照してください。


IoTアイオーティー / スマート家電

 ネットに繋がってスマホなどから操作できる家電のこと(Internet of Things)。便利ですが、陸のようなハッカーにかかれば、侵入者を撃退する「音と光の武器」に早変わりします。


◆ CTF(Capture The Flag)

 ハッカーたちが技術を競い合う「サイバー競技大会」のこと。陸(RiQ)はシステムに侵入する部門の凄腕で、ジンは機械やハードウェアを改造する部門の変態……もとい、達人です。


◆ ノード / モバイル・ノード

 ノードはネットワークに繋がっている「拠点」や「端末」のこと。ジンの車は、移動しながら世界中のネットワークにハッキングを仕掛けられる「動く最強のハッキング拠点モバイル・ノード」です。


◆ ファラデー・ケージ

 金属の網などで囲って、電波を通さなくした空間のこと。ジンの車は車体全体がこの構造になっており、ハッカーの天敵である「GPS追跡」や「電波の盗聴」を完全に防ぎます。


◆ プロポ / ドローン

 プロポはラジコンやドローンを操縦するためのコントローラー。ジンは市販のドローンを魔改造し、目くらまし用の強烈な光(高輝度LEDストロボ)を積んで「空飛ぶ閃光弾」として使いました。


シャドウ

 秘密結社クラヴィスの実働部隊。古代のプログラム(コード)を刺青として身体に直接書き込み、人間の限界を超えた運動能力を引き出している「強化人間」たちです。


◆ 日の系統 / 月の系統

 超古代のネットワークシステムに存在した二つの大きな派閥(権限グループ)のようなもの。コトダマが属する「月の系統」は情報収集に特化しており、対してクラヴィスが悪用している「日の系統」は、人間を物理的にハッキング(駆動系の書き換え)するなど武力に特化しています。

―――


※本作はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。

※作中に登場する遺跡・古墳・史跡は実在のものをモデルにしていますが、無断での立ち入りや発掘は法律で禁止されています。見学の際は管理者の指示に従い、マナーを守ってお楽しみください。


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