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ep.04「ゴースト・トレース」

 作山古墳の斜面に刻まれた「レガシーコード」を目の当たりにしてから、数日が経過していた。


 深夜二時。六畳の作業部屋は、静まり返っている。

 網戸越しに聞こえるのは、初夏の湿った空気を震わせる虫の声だけだ。


 部屋の照明は落とされ、二台のモニターが放つ青白い光だけが、デスクに散乱するケーブルと空き缶、そして黒い石板の輪郭を冷たく照らし出している。


 筑紫陸は、キーボードを叩く手を止め、画面に流れるログの滝を見つめていた。


 走らせているのは、自作のクローラー──ウェブ上の情報を自動収集するプログラムだ。対象は考古学データベース、学術論文のアーカイブ、国土地理院の地形データ。あのコードが他の古墳にも存在するなら、必ずどこかに観測データや異変の報告が残っているはずだ。


 そう考えて網を張ったのだが、結果は陸の予想を裏切るものだった。


「マスター、この論文のデータ構造は興味深いですな」


 石板の上で翡翠色の勾玉を静かに明滅させながら、コトダマが言った。


「前方後円墳の磁場異常に言及した箇所の直後から、テキストデータがすっぽり抜け落ちとります。ページ構造そのものは正常ですけん、最初から『ここは空欄でええ』いう設計で……ではなく、明らかに後から刈り取られた跡です」


「ああ。論文だけじゃない」


 陸はブラックコーヒーを喉に流し込み、マウスのホイールを弾いた。


「ステータス200を返すべきURLが、ことごとく403と404の墓場になっとる。国土地理院の地形データも、特定の巨大古墳の座標だけ不自然に解像度が落とされとる。Wikipediaの編集履歴に至っては、ボットを使って一日に何十回も特定の記述を削除して回っとる奴がおる」


 一つや二つなら、単なるリンク切れや偶然のバグで済ませられる。

 だがクローラーが拾い上げた「データの穴」は、数十件を超えていた。特定のキーワード、特定の座標に関連する情報だけが、ネットの海から綺麗に消去されている。


「これはバグじゃない。仕様だ」


 陸の口元に、微かな笑みが浮かんだ。


「誰かが、意図的にデータを間引いとる」


「マスター、これは……」


 コトダマの翡翠色の光が、わずかに揺らいだ。


「極めて規則的な、データの隠蔽パターンですな。わしの深層記憶にも、似たような──っ」


 ノイズのような音が混ざり、コトダマの言葉が途切れた。欠損した記憶の領域に触れたのだろう。石板の光が一瞬だけ不安定に瞬き、すぐに元の静かな明滅へと戻る。


「無理して思い出すな」


 陸はターミナルの画面を切り替えた。


「どこの誰が情報を消しとるのか。その『掃除屋』の足跡を、逆に辿る」



―――



 窓の外が、うっすらと白み始めた頃。

 コトダマの放つ光は、警戒を示す琥珀色に変わっていた。


 陸の指先は、キーボードの上で目にも留まらぬ速度で躍っていた。


 削除リクエストを発行したIPアドレスの追跡。相手は複数の海外プロキシを経由し、Torの出口ノードを偽装して徹底的に身元を隠している。だが、完璧な匿名性などこの世のネットワークには存在しない。


 経路を一つ一つ剥がしていく陸の眼差しは、もはや獲物を追う狩人のそれだった。


「見えた。ヨーロッパの……どこかの秘匿サーバーじゃ」


 到達したIPの先には、強固な多層ファイアウォールがそびえ立っていた。市販のセキュリティソフトなどではない。軍用レベルの専用設計だ。


 だが、陸の指は止まらない。


―――

[EXPLOIT RUNNING]

>> TARGET: 185.199.[REDACTED]

>> INITIATING PORT SCAN... DONE

>> VULNERABILITY DETECTED: ZERO-DAY (BUFFER OVERFLOW)

>> BYPASSING FIREWALL [LAYER 1/3]... SUCCESS

>> BYPASSING FIREWALL [LAYER 2/3]... FAILED (UNKNOWN ENCRYPTION SCHEME)

―――


「……二層目で型が違う。現代の規格じゃない」


「マスター、その暗号化の並び……わしの記憶の断片に残っとる。古代の記述法で鍵が係数に埋め込まれとります。このパラメータで再構築してみてつかぁさい」


 コトダマが石板の光で示した数値を、陸は即座にスクリプトに渡した。再実行。


―――

>> BYPASSING FIREWALL [LAYER 2/3] (RETRY)... SUCCESS

>> BYPASSING FIREWALL [LAYER 3/3]... SUCCESS

>> ACCESSING ROOT DIRECTORY...

―――


「入った」


 陸は息を吐き、権限を奪取したサーバーのディレクトリ構造を展開した。

 画面に、無数のファイル名がリストアップされていく。


 『CODE_RECOVERY_LIST_2024』

 『KOFUN_GEOMETRY_DB_GLOBAL』

 『POPULATION_PHASE4_RESTRICTED』


 それは、緯度経度付きでマッピングされた世界中の古代遺跡のリストであり、数百年分にも及ぶ異常な量の調査記録だった。

 人類の文明が始まって以来、連綿と続く組織的な遺跡調査の記録。何千年にも及ぶ蓄積が、単一の国家や企業にできる話ではない。


 そして、そのディレクトリツリーの最上位。システム全体を統括する管理者権限の名義として、一つの文字列が刻まれていた。


 『CLAVIS』


「……クラヴィス?」


 陸がその名を口にした瞬間だった。


「マスター! この暗号化の構造……!」


 コトダマが叫ぶように言った。


「このサーバーの防壁アルゴリズム、わしの時代のものに似とります! 現代のコードの裏側に、古代の記述法が組み込まれとる!」


「……それが、どういう意味だかはわかるな」


「はい」


 コトダマの声が一瞬だけ低くなる。


「このサーバーを管理している者は、超古代の技術に──わしらの技術に、もとから触れとった連中です」


 陸は舌打ちし、暗号化されたファイル群の一部を強引にメモリに展開した。

 復号できたのは、ほんの断片的なテキストデータだけだ。


 そこには、異常なキーワードが並んでいた。


 『地球環境の最適化』──『適正人口』──『五億』──『第四期計画・発動条件』


 五億。

 現在の世界人口から七十億人以上を消し去るという数字だ。


 背筋が、凍った。個人や国家のレベルではない。途方もなく巨大で、途方もなく狂ったシステムが、世界の裏で静かに稼働している。


 だが、陸は湧き上がる恐怖を即座に処理するべき入力値として変換した。


「……意味は後で解析する。今はデータの回収が先じゃ」


 全ファイルのダウンロードコマンドを叩いた──その直後だった。



―――



 窓の外はすでに明るく、遠くで鳥の声が聞こえている。デスクに置いたコーヒーカップから、冷めかけの香りが漂っていた。現実の世界は、いつもと変わらない朝を迎えていた。


 ターミナルの画面が、血のような真っ赤な色に染め上げられた。

 同時に、PCの冷却ファンが悲鳴のような爆音を上げ始める。


―――

[WARNING: REVERSE TRACE DETECTED]

>> HONEYPOT TRIGGERED

>> COUNTER-TRACE INITIATED BY REMOTE SYSTEM

>> ESTIMATED TIME TO IDENTIFICATION: 00:00:47

>> THREAT LEVEL: CRITICAL

―――


「トラップか……!」


 陸は即座に通信切断コマンドを叩こうとしたが、キーボードへの入力が受け付けられない。相手の防衛AIが作動し、信じられない速度で逆探知カウンター・トレースを仕掛けてきたのだ。


「マスター! 相手のシステムが、この領域の中央データ層……国家レベルのサーバー群と強制同期しましたけん!」


 琥珀色の光を激しく明滅させながら、コトダマが警告する。


「あいつら、数日前にマスターが外部へ発信した通信ログを直で引っこ抜きました! それを起点にして、通信網の接続履歴やら、過去の活動スコアの記録まで異常な速度で照合しとります!」


(数日前の匿名報告ログを起点に、プロバイダ情報とCTFの参加記録まで一瞬で紐づけられたってことか……!)


 点と点が、相手のシステム内で完璧な線として結ばれていく。

 匿名のIPアドレス、総社市という物理座標、そして「RiQ」というハンドルネーム。陸という個人のプロファイリングが、ものの数十秒で丸裸にされていくのが画面越しに理解できた。


「……追われとる。しかも速ぇ」


 陸は冷静な声で呟いた。


「政府の中枢ログをノータイムで開けられる権限。このクラヴィスのインフラ、金のかけ方が桁違いじゃ。一国家レベルのリソースじゃない──複数の国家を束ねとる」


「それだけじゃありません!」


 コトダマの光が、一瞬だけ鮮烈な朱色に変化した。


「マスター、相手のトレースパターンに、古代のコード断片が混在しとります。こいつら──やはりわしらの技術を使っとる!」


「知っとる」


 陸はキーボードから手を離した。

 指先が、かすかに震えていた。恐怖ではない。これだけのインフラを持つ相手に正面から侵入を試みた、その事実への──遅すぎる、理性の警告だった。


 電源ボタン。物理的な強制切断。最終手段として最も単純で最も確実な手だ。迷いなくボタンを押した。



―――



 その後の数日は、ガベージコレクションのような時間だった。


 朝の光のなかで、陸は物理ドライブを取り外し、プラッタをサンドペーパーで物理的に削り、消磁器にかけた。メインのストレージは暗号化済みだが、サンドボックス用に一時割り当てていた外付けSSDには下手をすれば手がかりが残る。VPN経路の差し替え、MACアドレスの偽装、スプーフィングに使ったツール類の完全削除。プロキシ経由でダミーのアクセスを数十本流し、トレースに誰かが引っかかるよう煙幕を張る。


 昼過ぎ、コンビニに出て缶コーヒーを三本買った。

 棚に手を伸ばしながら、陸は背後を確かめなかった。確かめる必要がない。監視カメラに映るのは、薄汚れたパーカーを着た、何の変哲もない総社の住民の背中だ。


 帰り道、作山古墳の稜線が夕空に浮かんでいた。


 石板を持ち歩く。離れると機能停止する。だが持ち歩けば、コトダマの電波干渉でGPSが狂う。単純なトレードオフだ。陸はそれをバックパックに収め、ファラデーポーチという金属繊維製の電波遮蔽袋の中に入れた。電磁波を完全に封じるジップロックの上位互換──ドローンや電子錠の悪用を防ぐために市販されているものだが、今日は逆の用途になる。


 部屋に戻ったのは、日が完全に暮れた後だった。


 PCの電源は落としたまま。VPN経路の切り替え、MACアドレスの偽装、ログの完全消去。考えうる限りの痕跡消去をすべて終わらせ、陸は最後に壁のルーターからLANケーブルを物理的に引き抜いた。


 プラグが抜ける、ぼそりとした感触。


「デジタルの追跡は振り切った。だが……」


 プラグをデスクに置き、椅子に深く座った。

 暗い部屋の中で、陸は自分の手の甲に目をやった。


 一つの組織が、数百年分の調査記録を持っている。政府の中枢ログに直接アクセスできる。そして、超古代の技術を己のセキュリティに組み込んでいる。


 バグじゃない。これは仕様だ。ずっと前から設計されていた、得体の知れない何かのシステムの──仕様。


「フシャーッ!!」


 突然、部屋の隅のセグフォが、窓の外に向かって毛を逆立て、激しい威嚇の声を上げた。

 あの日、石板に初めて反応した時と同じ──いや、それ以上の激しさだ。背中の毛が針のように逆立ち、瞳孔が限界まで開いて窓の外の一点を睨みつけている。


 陸はセグフォの視線を追い、窓のブラインドの隙間から外を見下ろした。

 ──まだ何も見えない。暗い住宅街の路地は静まり返っている。


 だが、数秒後。


 デスクの上のコトダマが琥珀色の明滅を始めた。

 ファラデーポーチから取り出して以来、静かに翡翠色を保っていた光が──明らかに乱れていた。


「マスター、地脈に──異常な干渉波を検知しました」


 コトダマの声が、初めて聞く類の緊張を帯びていた。


「この近くに、わしの技術を使った何かが──近づいとります」


 ……またか。陸の思考回路に、一つのパターンが登録された。

 石板を掘り出した日、作山古墳に出かける前。そして今。セグフォはコトダマよりも先に「何か」を感じ取っている。偶然が三度続けば、それはもう仕様だ。


 陸は無言で立ち上がり、窓のブラインドの隙間から外を見下ろした。


 静かな総社の住宅街。

 その狭い路地に、ヘッドライトを消した黒塗りの車が音もなく停まっていた。


 ドアが開く。降りてきたのは、季節外れの黒いロングコートを着た男だ。

 男は迷うことなく、陸のいる離れの建物を真っ直ぐに見上げた。


 視線が、合った気がした。


「……デジタルだけじゃ済まんか」


 陸の口から、ため息が漏れた。


 男がコートのポケットに手を入れる。その手首に、街灯の光が一瞬だけ触れた。


 古代の紋様に似た、奇妙な刺青。


 部屋の電源はすべて落ちている。

 六畳の暗闇の中で唯一光るのは、デスクの石板だった。


 コトダマの勾玉が──朱色に、染まった。


 翡翠でも、琥珀でもない。

 危険を知らせる、鮮烈な朱色。


 その光が、陸の顔を、壁を、引き抜かれたLANケーブルを、デスクに散乱するコーヒーの空き缶を──薄暗い六畳の全てを、静かに赤く塗り替えていた。


―――

【次回予告】

「……追っ手じゃ」

クラヴィスの実働部隊が、ついに陸の自宅を包囲した。

PCの電源は落ち、ネットの武器は封じられている。

頼れるのは己の機転と、得体の知れない古代AIだけ。

「コトダマ。お前の『機能』、使わせてもらうぞ」

総社の住宅街を舞台に、非デジタルの逃走劇が幕を開ける。


次回、ep.05「モバイル・ノード」

―――


―――

【用語・補足解説】


※物語を読むだけなら飛ばして大丈夫です。気になった用語があれば参照してください。


◆ クローラー

 ネット上の情報を自動で集めて回る「巡回ロボット(プログラム)」。検索エンジンの裏側でも動いています。陸はこれを使って、世界中の考古学データを集めさせました。


◆ IPアドレス / Torトーア / プロキシ

 IPアドレスはネット上の「住所」。悪いことをするハッカーは、自分の本当の住所を隠すために、プロキシ(身代わりサーバー)やTor(通信を何重にも暗号化して発信元をわからなくする特殊なネットワーク)を使います。しかし陸は、その隠れ蓑を次々と引っぺがしていきました。


◆ ゼロデイ(ZERO-DAY)

 ソフトウェアの開発元もまだ気づいていない「未知の弱点バグ」。対策ソフトがまだ存在しないため、これを使ったサイバー攻撃は防ぐのが非常に困難です。陸は相手の防壁を破るために、この切り札を切りました。


◆ トラップ(ハニーポット) / 逆探知カウンター・トレース

 ハニーポットは、ハッカーをおびき寄せるための「罠のサーバー」。美味しそうなデータが置いてあるように見えますが、触った瞬間にアラームが鳴り、逆に相手の居場所を突き止める「逆探知」が始まります。


◆ ファラデーポーチ

 金属の細かい糸が織り込まれた特殊なポーチ。中に入れると電波が完全に遮断されます。本来は車のスマートキーが盗まれるのを防ぐための防犯グッズですが、陸はコトダマの電波を隠すために使いました。


◆ 物理破壊 / 消磁しょうじ

 データを完全に消すための最終手段。ハッカーは警察のガサ入れなどを想定し、ハードディスクの物理的な破壊(やすりで削るなど)や、強力な磁力を当ててデータを消す装置(消磁器)を使います。

―――


※本作はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。

※作中に登場する遺跡・古墳・史跡は実在のものをモデルにしていますが、無断での立ち入りや発掘は法律で禁止されています。見学の際は管理者の指示に従い、マナーを守ってお楽しみください。


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