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ep.03「コトダマ」

 雨が止んだ朝だった。


 窓の隙間から、土や草の湿った匂いが六畳の作業部屋に入ってくる。雲の切れ間から差し込む朝の光が、デスクの上に散らばったケーブルや空き缶を薄く照らしていた。


 石板を持ち帰ってから、ひと晩が経った。

 徹夜明けの筑紫陸は、デスクの中央に置かれた黒い石板を見つめている。


 指先で石板の表面をなぞる。ガラスみたいに滑らかなのに、指に吸いつくような不思議な感触だ。硬い表面の奥から微かに脈打つ熱も伝わってくる。

 中央の翡翠色の勾玉が、まるで呼吸するようにゆっくりと光っていた。


「……お前、ほんとに喋るんじゃな」


「はい、マスター。音声インターフェースは正常に動いとりますけん」


 PCのスピーカーから聞こえる声は、昨日と変わらず温かみがあった。


 陸は昨夜、逆ハッキングを仕掛けてきたこの未知のデバイスに対し、PC内にサンドボックスを作ってリソースを許可した。その結果、石板は「起動」し、自分をシステムの一部だと認識したらしい。

 陸はエンジニアの視点に切り替えて、淡々とヒアリング、いや要件定義を始めた。


「まず確認じゃ。お前は何じゃ」


「……すみません。コアの記憶領域が欠落しとって、はっきりした定義を読み取れませんけん」


「じゃあ、いつからここにおるんじゃ?」


「それもわかりません。時間のパラメータが復元できとらんのです。ただ、長い間スリープモードじゃった記録はありますけん」


「何ができるんじゃ?」


「いくつか基本的な機能は使えますが、具体的な動きは試してみんことにはわかりませんのう」


 出力されたのは、不完全な仕様書だった。

 陸はため息をついた。まるでエラーログのように。


「要するに、記憶を失ったポンコツAIってことか。それにしても……」


 陸は首をかしげた。


「なんでお前、微妙に変な岡山弁なんじゃ」


「ああ、それはですね」


 翡翠色の光が少し揺れた。


「起動時に外部ネットワークへの接続が制限されとったため、マスターの周りの環境──ローカルストレージのチャット履歴や予測変換辞書から言語パターンを学習しましたけん」


「俺のローカルのログを読んだってことか……」


「はい。マスターの性格に一番合う、親しみやすいUIじゃと思うております」


 ちょっと変な学び方だが、確かに標準語の無機質さより心理的な壁が低い。

 バグは放っておけないけど、この奇妙な親しみやすさは直さずにおくことにした。


 陸が空のブラックコーヒー缶を手に取って振ると、石板が反応した。


「マスター、それは液体冷却用の補給物資ですか?」


「……ただのコーヒーじゃ」


「では、あそこの四足歩行ユニットは何じゃ?」


 石板の光が、部屋の隅で毛を逆立てている茶トラ猫に向けられた。


「生体型セキュリティデバイスですか? さっきから激しく威嚇のシグナルを出しとりますが」


「セグフォは猫じゃ。お前が変な電波出すから警戒しとるだけじゃ」


「猫……なるほど、データベースに登録して──ひゃっ!?」


 セグフォが隙をついて飛びかかり、石板の表面を前足でバシッと叩いた。コトダマの翡翠色の光が、一瞬レモン色に変わる。


「な、何をするんですか! わしは繊細な古代デバイスですけん! 乱暴に扱わんでください!」


 セグフォはもう一発猫パンチを繰り出そうとしたが、陸が首根っこを掴んで引き離した。


「おい、やめろセグフォ。壊したらどうするんじゃ」


 猫は不満そうに「ニャア」と鳴き、デスクから飛び降りて部屋の隅で尻尾を振りながらこちらを睨んでいた。


「マスター……あのユニット、脅威レベルを見直したほうがええですか?」


「却下じゃ」



―――



「名前がないと不便じゃな」


 陸は冷蔵庫から新しいコーヒー缶を出しながら言った。


「何か思い出すまで、仮の名前をつける。機能テストも兼ねて、お前のストレージに残っとるデータを見せてみろ」


「了解しましたけん」


 石板の表面にノイズのような幾何学模様が浮かび上がった。

 それが徐々に整い、見たこともない古代文字のような配列に変わっていく。


「これは……?」


「わしの深層領域に残っとった識別タグの断片です。翻訳機能を実行しますけん」


 古代文字の上に現代語のルビが重なって表示された。


言葉コードを読み取り、定着させるもの』。


 続いてその文字を象徴する紋様が現れ、意味の概念が陸の頭に直接伝わってくるようだった。


『言の力』。


「言葉……言霊ことだまか」


 陸はつぶやいた。


「仮の名前は『コトダマ』でええか」


「コトダマ……」


 その瞬間、石板の翡翠色の光が、ふんわり温かい桜色に変わった。


「名前をもらうのは……なんじゃかええもんですのう」


 コトダマの声には、喜びの感情がはっきり混じっていた。



―――



 その後、陸はテストケースを作って、コトダマの機能を体系的に調べ始めた。


 分かった機能は大きく三つ。


 一つは、『古代文字の表示・翻訳機能』。コトダマの仲介で、知らない文字列を現代言語に解読できる。

 二つ目は、『ネットワーク・ノード探知』。動いている他の古墳サーバーが発する微かな信号を、広範囲で探せるようだ。

 三つ目は、意図しない『近距離の電波干渉』。コトダマが動いているとき、陸のスマホのGPSが狂いっぱなしだった。


 一方で、致命的な制約も二つ分かった。


 一つは、Bluetoothのような超短距離通信しかできないこと。コトダマはPCだけでなく、近くのスマホスピーカーも直接ジャックして話せるが距離に限界がある。陸が石板をデスクに置いてスマホを持ってトイレに行っただけで、数メートルで音声が途切れた。石板には遠くまで電波を飛ばすアンテナ構造がなく、近くの電子機器の基板に直接干渉して接続を維持しているらしい。


 もう一つは深刻な『排熱問題』。翻訳とノード探知を同時に行うだけで、石板の表面温度が火傷しそうなほど急上昇した。

「……冷却ファンもヒートシンクも付いとらん。このまま複数タスクを回すと中の回路が焼けるかもしれん」

 今後、本格解析に使うには、石板を物理的に冷やす専用の冷却機構が必要になりそうだった。


「熱っ!」


「すみませんマスター、複数のプロセスを同時に動かすとオーバーヒートする仕様のようですけん」


「……リソース管理が甘すぎるじゃろ」


 ベータじゃなくてアルファ版以下のレベルだ。

 ちゃんとしたドキュメントはなく、ハード依存の致命的制約があり、少し並行処理しただけで簡単にリソースが足りなくなる。現代基準では欠陥品で、普通は捨てられる代物だ。


 それでも陸は知らず知らず笑みを浮かべていた。


 未知のアーキテクチャ。解読不能なレガシーコード。底知れぬ可能性。

 ハッカーの知的好奇心を刺激するには十分すぎる材料だった。


 陸が次のテスト内容を整理しようとしたときだった。


 バックグラウンドの監視プロセスが急に割り込みをかけたかのように、コトダマの光が激しく明滅し始めた。


「マスター」


 翡翠色の光が少し早く点滅する。


「近くに……反応がありますけん」


「反応?」


「地脈のモニタリング機能が強い共鳴を検知しとります。方角は……」


 PCの画面に、コトダマがとらえたベクトルデータが簡単に表示された。

 それは、昨日陸が石板を掘り出した場所。


 作山古墳の方角だった。



―――



 夕暮れ時。


 陸はバックパックに石板を入れて、また作山古墳のふもとに立っていた。黒いパーカーのフードを軽くかぶり、汚れたカーゴパンツの膝を払いのける。トレッキングシューズが湿った斜面に食い込む感触はまだ慣れない。

 雨上がりの湿気がまとわりつくように重く、足を踏み出すたびに濡れた草が水音を立て、遠くで夕暮れの虫の声が響いていた。

 出かけるとき変なことがあった。普段は無関心なセグフォが、今日は玄関前に立ちふさがり、古墳の方角を向いて低いうなり声を上げ続けていた。あの猫パンチ以来、コトダマを警戒してるのは知っているが、あのうなり声は石板じゃなく窓の外に向けられていた。


 巨大な前方後円墳の丘に近づくと、バックパックの中の石板が微かに振動し熱を放ち始めた。


「マスター、反応が強うなっとります」


 ポケットのスマホからコトダマの声が案内した。


「もう少し右、斜面の下のほうですけん」


 陸は草をかき分け、昨日土が崩れていたあたりへ向かった。


 その場所に足を踏み入れた瞬間、バックパックの中の石板が強烈な翡翠色の光を放った。布ごしにわかるほどの明るさだ。


「──っ」


 陸は息をのんだ。


 肉眼では見えないはずの古墳の土の表面に、びっしりと何かが刻まれていた。

 光る幾何学模様と無数の文字列。

 土という物理メディアに直接焼き付けられた、ホログラムのようなデータの塊だった。


「マスター、見えますか。これは……コードですけん」


 コトダマの声に畏敬の念が混じる。


 陸は文字列のパターンと構造を目でたどった。

 ただの模様じゃない。宣言やループ処理、条件分岐の痕跡もある。

 ハッカーの直感でその正体を即座に理解した。


「……プログラムじゃ。これ、プログラムの断片じゃ」


 背筋がぞくりとし、指先が微かに震えた。


 ハッカーとして、本能的にわかっていた。こんなに巨大で美しく、そして底知れないコードは見たことがない。

 ただの土の山だと思っていた巨大古墳。その正体は、大地に刻まれた謎のレガシーコードの集まりだった。


―――

【次回予告】

作山古墳での一件から数日。陸はウェブ上の情報を自動収集するクローラーを放っていた。

目的は、あの夜にデータを消去した「清掃員」たちの痕跡を辿ること。

消された痕跡そのものを辿るゴースト・トレースの果てに、陸は遠く離れた欧州のサーバー群へと行き着く。

「……見つけたぞ」

次なる手がかりは、海の向こうにあった。


次回、ep.04「ゴースト・トレース」

―――


―――

【用語・補足解説】


※物語を読むだけなら飛ばして大丈夫です。気になった用語があれば参照してください。


◆ ユーザーインターフェース(UI)

 人間とコンピューターがやり取りするための「窓口」のこと。画面のデザインや操作感など。コトダマは陸が話しやすいように、わざと「岡山弁を喋る愉快な窓口」を用意しました。


◆ ローカルストレージ

 ネットクラウドではなく、手元のパソコンやスマホの「直接保存されているデータ置き場」。コトダマは勝手に陸のパソコンの中身を覗き見して、方言を学習しました。


◆ オーバーヒート

 機械が働きすぎて「熱を持ちすぎた」状態のこと。コトダマは複数の機能を同時に動かそうとすると、すぐに処理能力の限界が来て熱暴走してしまいます。


◆ ネットワーク・ノード

 通信網ネットワークに繋がっている「中継点」や「通信基地」のこと。ここでは「日本中のあちこちに作られた古代の通信基地(=古墳など)」を指しています。


言霊ことだま

 古代日本において、口に出した言葉に宿っていると信じられていた神秘的な力。自分が発した言葉が、現実の出来事に影響を与えるとされていました。


地脈ちみゃく

 大地を流れるエネルギーの血管のようなもの。コトダマはこれを、現代のインターネット回線のような「通信網(ネットワークの物理層)」として使っているようです。


◆ 液体冷却用の補給物資

 コトダマが「缶のブラックコーヒー」を誤認した名称。カフェインによって人間マスターの眠気を消し、稼働時間を延ばす効果を考えれば、あながち間違っていません。

―――


※本作はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。

※作中に登場する遺跡・古墳・史跡は実在のものをモデルにしていますが、無断での立ち入りや発掘は法律で禁止されています。見学の際は管理者の指示に従い、マナーを守ってお楽しみください。


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