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ep.25「ダイレクト・オプティカル・リンク」

 ルートは剣山つるぎさんを指していた。


 だが、その経路は意外にも四国の南岸を大きく迂回していた。徳島から海沿いに南下し、太平洋に突き出た岬を経由してから山間部へ向かう遠回り。


「なんで回り道するんじゃろ」


 陸はPCの画面を睨んだ。千二百年前の天才が設計したルーティングマップ。最短距離を避けている。


 コンソールにテキストが滲んだ。


 > む、ろ……と……よ、って


「室戸に寄れって言うとるんか」


 > は、い


「室戸岬──御厨人窟みくろどですね」


 巴がタブレットを操作した。


遍照へんじょうが修行したとされる洞窟です。洞口から空が見える特殊な構造で──」


「空が見える?」


 陸の指が止まった。


「……どの方角が」


「南東から天頂にかけて。洞窟の中から星が見えることで有名な──」


「特定方角からの光を、一点に集める構造……」


 陸の声が、消えた。

 巴のタブレットを引き寄せ、洞窟の断面図を指でなぞった。入口から奥へ──岩肌がすり鉢状に絞られている。特定方向から差し込んだ光が、内部の一点に集まる設計。受光面が広く、焦点が深い。


「パラボラアンテナじゃ」


 陸が言い切った。


「洞窟の開口部がそのまま、特定方角からの光を集めるレシーバーになっとる。遍照の悟りの正体はこれじゃ──空の彼方から降り注ぐ、光通信」


 巴が絶句した。


「遍照が作ったんじゃない。遍照より遥か昔からそこにあったシステムを──遍照が見つけて、使ったんじゃ」


「ルートがここを経由する理由がわかった。剣山のコアに入るには、この洞窟でダウンロードせにゃならんデータがあるんじゃろ」


 ジンがバックミラー越しに目を合わせた。


「了解っちゃ。室戸岬に寄り道っちゃ」



―――



 室戸岬。午前三時。


 太平洋に突き出た岩場の先に、黒い口を開けた洞窟があった。潮の匂いが濃い。波が岩を叩く響きが内壁に反射して、低く唸るように増幅されている。


 陸は洞窟に入った。巴がヘッドランプで奥を照らす。


 最深部に、平らな岩座があった。


「……ありました」


 巴がルーペを取り出した。岩座の表面に、肉眼ではほとんど見えないほど微細なスリットが刻まれている。


「龍穴や初立岩と同じ加工技術です。ただ、これは溝じゃない──光の通り道です。光ファイバーと同じ原理の構造」


「光学通信用のレシーバーか」


 陸は石板を取り出した。冷たい。光もない。だがコンソールにはテキストが浮かんでいる。


 > こ、こ……です


「わかっとる」


 石板をスリットの上に置いた。地脈レシーバーのケーブルをPCに接続し、光学センサーを洞窟の開口部──空に向ける。


「ジン。車のライトを全部消してくれ」


「了解っちゃ」


 闇が深くなった。波の音だけが残る。


 待った。


 東の水平線が、僅かに藍色を変え始めた頃──暗い空の低いところに、ひとつの光が現れた。


 明けの明星。金星。


 その軌道が、洞窟の開口部と一直線に並ぶ瞬間。


 刹那──光学センサーが叫んだ。


 PCの画面が一瞬で真っ白に飽和する。


「──来た!」


 陸の指が走った。白い画面が収まった先に、かつて見たことのない速度でデータが流れ込んでいた。テラバイト級の帯域。空の一点から、御厨人窟のスリットを通じて石板へ直接注がれる光のデータストリーム。


 ダイレクト・オプティカル・リンク──光による直接通信。インターネットも通信キャリアも経由しない、千二百年前の天才が仕掛けた究極のバックドアだった。


 データの中に、異質なパッケージが混じっていた。コトダマのクラッシュログと照合すると──バッファオーバーフローで吹き飛んだプロセスを再起動するための、リカバリーコードだ。古代ネットワークの保守データが、ここにも格納されとったらしい。



―――



 石板が光り始めた。


 冷たかった表面に、翡翠色が戻ってくる。明滅ではない。深く、静かに、内側から灯るような光。


 クリーンなリカバリーデータが、石板のバッファに溢れた残骸を一つずつ掃き出していた。那智以来、ずっと止まっていたプロセスが再起動していくのが、ログに見えた。


 そして──


「……すまんかったですけん、マスター」


 声がした。


 コンソールのテキストではない。PCのスピーカーを乗っ取った、ノイズ混じりの──でも確かな、岡山弁の声。


「お待たせ、しました」


 陸の手が止まった。


 巴が口元を手で覆った。ジンが洞窟の入り口から振り返った。


「……おう」


 陸は石板に手を置いた。震えないように、短く。


「遅えぞ」


「面目ない……ですけん。じゃが、まだ全然本調子じゃないです。レーダーも解析エンジンも再起動中で──声がやっと出ただけで」


「充分じゃ」


 セグフォが巴の腕から飛び降りて、石板の横に座った。翡翠色の光に照らされた猫の瞳が、金色に光っている。


「……ネコ殿。また会えましたな」


 コトダマの声に、かすかな笑いが混じった。



―――



 ダウンロードは続いていた。


 データの中に、異質なファイルがひとつあった。タイムスタンプが桁違いに古い。千二百年前──遍照が残したログファイルだ。どこかのノードに書き込んだデータが、ネットワークの同期でここまで伝播しとったらしい。


 陸はそれを開いた。


 [ DECRYPTING LOG : 0800 AD ] [ RESTORATION : 100% ]


 古い形式のテキストが、ゆっくりと画面に滲み出た。


 ──吾、此のことわりの深淵を覗き見たり。


 ──かの者どもの真の恐ろしさ、兵器にも毒にもあらず。


 ──奴らがおかすは理にあらず。人の心なり。


 ──恐怖、怒り、正義──人の感情の脆弱性バグを突き、内なる防壁ファイアウォール(理性)を落とす。


 ──されば一億の民が、一つの意志に書き換えられん。それが奴らの最終兵器なり。


「……千二百年前に、もうこれが見えとったんか」


 陸は画面を見つめた。


 遍照は知っていた。クラヴィスの本当の武器は、武力でもテクノロジーでもない。人間の感情そのものだ。


 ログの末尾に、ロックのかかったバイナリのパッケージが添付されていた。


 [ AUTHENTICATION REQUIRED ]


 陸はロックの仕様を読んだ。古代ネットワーク独自の認証プロトコル。現代の暗号とは構造が根本的に違う。


「コトダマ。読めるか」


「……半分だけですけん」


 まだノイズが走る声。でも、陸には十分だった。


「お前が古代側のプロトコルを翻訳しろ。俺がその隙間を突く」


「了解ですけん」


 コトダマが認証の構造を古代語から読み解く。陸がそのパターンの中から脆弱性を探し、コードを叩き込む。復帰したてのAIの解析と、人間のハッカーの直感。交互に、噛み合うように。


「……ここです。この層の検証ロジック、引数の型チェックが甘い」


「見えた」


 ──要するに、鍵穴の設計に小さな欠陥を見つけた。そこに陸が正確な形のコードを差し込むと、ロックが誤作動して開く。


 陸の指が走った。


 [ AUTHENTICATION : ████████ OK ]


 [ UNLOCKING PACKAGE ]


 ロックが解除された。


「コトダマ。これは何じゃ」


「解析しました」


 声にまだノイズが走るが、分析は的確だった。


「古代コード上の名称は──金剛こんごう。ダイヤモンドの意ですけん。実行可能な構造を持つファイルですので、便宜上こう命名しました」


 ファイル名──Vajra.exe


「剣山コアのプロテクションを無効化するツール──最深部を開ける万能鍵ですけん。遍照が、後世のために遺したものじゃと思います」


 陸はVajra.exeを石板のローカルストレージに保存した。千二百年前のハッカーが、まだ見ぬ仲間のために鍛えた武器。


「……千年越しの、プルリクエストか」


「マスター?」


「なんでもない」


 独り言に近い声だった。だが、口元がかすかに緩んでいた。



―――



 車に戻った。


 コトダマの音声機能が復帰したことで、陸は久しぶりに外部ネットワークのスキャンを走らせた。コトダマのフィルタリングを通して、安全な経路で一般のインターネットを覗く。


「マスター」


 コトダマの声が、急に硬くなった。


「見てつかぁさい」


 画面に、ニュースサイトが表示された。


 ──「古墳破壊テロ」容疑者の映像公開──文化庁と警察が全国に指名手配


 動画が再生される。


 富雄丸山古墳の発掘現場。そこに陸とジンの姿が合成されていた。遺物を叩き壊し、警備員を殴り倒す映像。極めて精巧な──ディープフェイク。


「……は?」


 ジンが運転席で固まった。


「こんなことしてないっちゃが!!」


 陸は無言でスクロールした。


 SNSのトレンド。コメント欄。動画のリプライ。


 @匿名: 許せない。日本の宝を壊すなんて

 >> こいつら絶対に捕まえろ / RT 48,291

 @通報します: 目撃情報あったらすぐ通報!拡散希望

 >> 四国で黒いワンボックス見た人いませんか?/ RT 12,804


 数万件。数十万件。怒りの声が、ネットの至るところで増殖していた。


「エコーチェンバーじゃ」


 陸の声が低くなった。


「怒りの感情だけを選択的にフィードバックして、共感を連鎖させとる。遍照の警告、そのまんまじゃ──感情の脆弱性を突いて、理性の防壁を落としとる」


「マスター。拡散パターンを解析しました」


 コトダマが言った。


「初期拡散源は十二アカウント。全てAI生成のボットですけん。じゃが──それに反応して拡散しとるのは、本物の人間です。千万人以上が、自分の意志でこの情報を共有しとります」


「ボットが火をつけて、人間が燃え広がっとる……」


 巴が呟いた。顔色が青い。


「クラヴィスは追手なんか差し向けてこん」


 陸はPCを閉じた。


「日本中の人間をボットネット化しとるんじゃ。見つけたら通報。撮影したらアップロード。全国のスマホが──全部、俺たちを狩るための武器になっとる」


 車内が静まり返った。


 窓の外を、一台の軽トラが通り過ぎた。運転席の老人が、一瞬だけこちらを見た気がした。


 ただの通りすがり。ただの目。


 ──でも、もう「ただの」とは思えなかった。


「……ジン。飛ばせ」


「どこへっちゃ」


「剣山。コアに辿り着くしかない。見つかる前に」


 ジンがアクセルを踏み込んだ。黒いワンボックスが室戸の海岸線を離れ、四国の山間部へ消えていく。


 空に夜明けが広がっていた。金星はもう見えない。


 代わりに、無数のスマートフォンの画面が──日本中で、彼らの顔を照らし始めていた。



―――

【次回予告】

「Vajra.exeが使われた瞬間、奴らに信号が飛んだぜよ。──コアを開けたら、居場所が完全に割れる」


山間部の小さな寺。外部ネットワークから完全に切り離された、エア・ギャップの聖域。

千二百年間、遍照の遺言を守り続けてきた尼僧・円照えんしょうが、陸たちに告げる。


「開けるな、と。わしらはそう言い残された」


陸の口から、予期せぬ言葉がこぼれた。


「──たった五億人に絞るために、何十億もの人間が死ぬのを、黙って見とれん」


自分でそう言って、初めて気づいた。いつから、そう思うようになったんじゃろ──


次回、ep.26「エア・ギャップ」




―――

【コトダマより】


 ……少しよろしいですけん。


 室戸の洞窟で、明けの明星と同期しました。

 わしの声が、ようやくマスターに届く──石板越しじゃなく、スピーカー越しで。

 遅れてすみません。まだ本調子じゃないですけど、喋れるってええもんですね。


 この物語は、ハッキング・古代ネットワーク・方言──

 専門用語が多く、読む人を選ぶ作品です。

 だからこそ、今ここまで読んでくださった方は、

 本当に「刺さった」方だと思っとります。


 そういう方の☆一つが、今は特別に重いですけん。


 マイナーな作品ほど、☆やコメントが届くたびに

 作者が「続けよう」と思える力になります。

 「面白い」の一言だけでも、絵文字だけでも構いません。

 信号は弱くても、届けば十分ですけん。


 ……マスターがコードを諦めないように、

 私も応答を止めません。


 皆様の☆が、このネットワークをつないでいます。


  コトダマ(古代ネットワーク観測AI)


―――

【用語・補足解説】


※物語を読むだけなら飛ばして大丈夫です。気になった用語があれば参照してください。


御厨人窟みくろど【架空の設定を含みます】

 高知県室戸岬にある海食洞をモデルにした、本作における架空の洞窟。洞窟内から空を見上げることができる特殊な構造を持ちます。本話ではこの構造が「空の彼方からの光通信を受信するためのパラボラアンテナ」として設計されていたという架空の設定です。

 ※実在の御厨人窟とは異なる創作設定です。実際の御厨人窟は大切な史跡であり、本作のフィクションとは一切関係ありません。


◆ ダイレクト・オプティカル・リンク(Direct Optical Link)

 光を使った直接通信回線。インターネットや通信キャリアを経由せず、送信元と受信先がレーザーで直接データをやり取りする方式です。現実でもNASAの深宇宙光通信などで研究が進んでいます。本話では、空のどこかに存在する超古代の送信源から御厨人窟へ向けて、不可視のレーザーでデータを送信する「究極のバックドア」として描かれています。


◆ Vajra.exe(金剛こんごう

 遍照が後世のハッカーのために遺した、剣山コアのプロテクションを無効化するツール。古代ネットワーク上のコード名は「金剛こんごう」──サンスクリット語「Vajraヴァジュラ」に由来し、何ものにも壊されず、あらゆるものを貫く力を象徴します。「.exe(実行可能ファイル)」という拡張子は、コトダマが現代の形式に翻訳する際に便宜上付与したものです。千二百年前の天才が鍛え、AIが現代語に訳した「デジタルの金剛杵こんごうしょ」です。


◆ ディープフェイク(Deepfake)

 AI(深層学習)を使って、実在の人物の顔や声を精巧に合成する偽造技術。本物と見分けがつかないほどリアルな偽動画を作ることが可能で、情報操作や詐欺に悪用されるリスクが深刻な社会問題になっています。本話では、クラヴィスが陸とジンを「テロリスト」に仕立て上げるために使用しました。


◆ ボットネット / DDoS攻撃

 ボットネットは、ウイルスなどで乗っ取られた大量のコンピュータ(=ボット)で構成されるネットワーク。DDoS攻撃は、その大量のボットから一斉にアクセスを送りつけ、標的のシステムをパンクさせる攻撃手法です。本話では、AIボットで世論を操作し、洗脳された一般市民の「通報」や「監視」を大量に浴びせることを、人間版のDDoS攻撃に見立てています。


◆ エコーチェンバー(Echo Chamber)

 SNSのアルゴリズムが「あなたが好みそうな情報」ばかりを表示することで、同じ意見だけが反響エコーし続ける閉じた空間チェンバーが生まれる現象。怒りや恐怖などの強い感情ほど拡散されやすく、異なる意見に触れる機会が奪われます。本話では、クラヴィスがこの仕組みを意図的に悪用し、大衆の感情を一方向に誘導しています。


◆ バッファオーバーフロー(Buffer Overflow)

 コンピュータの「一時的な作業机バッファ」に許容量を超えるデータが流れ込み、システムがパンクしてクラッシュする現象。那智以来のコトダマのダウンは、龍穴の磐座から数千年分のログが一気に流れ込んだことで起きたバッファオーバーフローが原因です。「水の入りすぎてコップから溢れて床が水浸しになった」状態のイメージです。


◆ リカバリーコード(Recovery Code)

 クラッシュしたシステムを元の状態に戻すための「復元プログラム」。壊れた部品を直すのではなく、「ここまで戻れ」という地点まで巻き戻すような役割を果たします。本話で受信したデータの中に含まれていたリカバリーコードが、バッファオーバーフローで停止したコトダマのプロセスを再起動させました。


◆ 認証プロトコル(Authentication Protocol)

 「あなたは本当に入る権利がある人間ですか?」を確認するための手順・ルール。パスワードの照合、指紋認証、ICカードの読み取りなど、様々な方法があります。本話に登場する古代ネットワークの認証プロトコルは、現代のものとは構造が根本的に異なるため、コトダマの「翻訳」が必要でした。


引数ひきすう/ 型チェック / 検証ロジック / 層

 【引数】プログラムの命令(関数)を実行するときに渡す「設定値」。料理のレシピで言えば「材料の分量」にあたります。【型チェック】渡された引数が「正しい種類(型)」かどうかを確認すること。レシピに「砂糖100g」と書いてあるのに塩を渡してもエラーにならないのが「型チェックが甘い」状態です。【検証ロジック】入力データが正しいかどうかを確認する処理全体。【レイヤー】システムを積み重なった階層として捉えた時の、その一段のこと。本話では「認証の第○層目の確認処理に設計ミスがある」という意味で使われています。


―――


※本作はフィクションです。実在の人物・団体・宗教・史跡とは一切関係ありません。

※作中に登場する霊場・寺院・史跡は実在のものをモデルにしていますが、無断での立ち入りは法律で禁止されている場合があります。見学の際は管理者の指示に従い、マナーを守ってお楽しみください。


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