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ep.24「P2P・ピルグリム」

 大鳴門橋を渡った直後だった。


 眼下に広がっていた鳴門の渦潮が後方に流れ、タイヤが四国の舗装を踏んだ瞬間──ノートPCの画面が、砂嵐に呑まれた。


「……なんじゃ、これ」


 陸は助手席で小さく舌打ちした。

 コンソールを埋め尽くすノイズデータ。文字化けしたエラーコードが、画面の端から端へ流れ落ちていく。地脈レシーバーの受信ログは真っ白。何も拾えていない。


「陸、地脈レシーバーのランプが真っ赤っちゃが」


 運転席のジンが言った。陸も気づいていた。六十六のノードが、地脈レシーバー経由でのスキャンを全力で弾いている。不正アクセスへの自動応答──千二百年前に仕掛けられたファイアウォールが、今この瞬間も正常に稼働していた。


 初立岩で見た、あの六十六の赤い点。四国沿岸部をぐるりと囲むリング型ファイアウォール。

 内側に入った途端、その威力を思い知らされた。


「鳴海のおっさんが言うた通りじゃ。ノイズが酷すぎる」


 陸はキーボードを叩き、地脈レシーバーの感度を上げた。帯域を変え、フィルタを切り替え、ありとあらゆるパラメータを弄った。

 砂嵐は晴れない。

 特定のノードを狙ってスキャンをかけても、分厚い壁に弾き返されるだけ。目的地の剣山は四国の中心にあるはずだが、方角すらわからない。


「完全に目隠しされとる。物理的にも、ネットワーク的にも──迷路の中じゃ」


 息を吐いた。

 おまけに、クラヴィスの監視網もある。大鳴門橋の料金所付近に、不自然な黒いセダンが二台停まっていた。アクティブ・デコイと赤外線LEDのおかげで素通りできたが、このまま闇雲に走ればいずれ網にかかる。


 画面の隅に、緑色のテキストがゆっくりと浮かんだ。


 [ SYSTEM : SIGNAL WEAK ]


 > け、っかい……つよ、すぎ……ます _


 コトダマからの、途切れ途切れのメッセージ。

 セグフォの体を経由したシャドウプロセス──極細の裏回線。声は出ない。レーダーも動かない。それでも、必死に状況を伝えようとしている。


「おう。無理すんな。俺が抜け道を探る」


 陸は画面を軽く叩いた。

 どんな完璧なシステムにも、必ず裏口バックドアがある。天才が作ったものなら、なおさらだ。保守のために、自分だけが通れる道を残す。設計者のさがというやつだ。


 ──問題は、その裏口をどう見つけるかだった。



―――



 ワンボックスはあてもなく国道を南下していた。

 徳島市街を抜け、海沿いの道に出る。左手に太平洋、右手に山。四月の陽射しは穏やかだが、車内の空気は重い。


「おい、あれ」


 ジンが顎で窓の外をしゃくった。


 国道沿いの歩道を、白い装束の人たちが歩いていた。

 菅笠すげがさ。手には金剛杖こんごうづえ。背中には「南無大師遍照金剛」と墨で書かれた白衣びゃくえ。一人で黙々と歩く老人。連れ立って笑い合う若い女性二人組。外国人らしいバックパッカーの姿も見える。

 車がビュンビュン行き交う現代の国道で、そこだけ時間が止まったようだった。


「お遍路さんですね」


 後部座席から巴が身を乗り出した。膝の上でセグフォが薄目を開けて外を見ている。


「六十六ヶ所参り。お遍路さんです」


「歩きで回っとるんか。気合い入っとるっちゃな」


 ジンが感心したように言った。


 ふと、沿道の民家の前で、小さな光景が目に入った。

 軒先に椅子を出して座っていたおばあさんが、通りかかった巡礼者を呼び止めている。ビニール袋に入ったみかんと、ペットボトルのお茶。巡礼者は深く頭を下げて受け取り、代わりに小さな紙片──納札おさめふだのようなものを手渡していた。


「……あれは?」


「お接待です」


 巴が言った。声のトーンが少し変わっている。


「四国には、巡礼者に見返りを求めず食べ物や宿を提供する文化があるんです。お接待って呼ばれていて──巡礼者はそのお礼に、自分の名前を書いた納札を渡します。千年以上続く、この土地の風習ですね」


「見返りを求めん善意か。……ええ話っちゃな」


 ジンが珍しく感じ入ったように呟いた。


「ええ。六十六ヶ所の霊場は、千二百年前に遍照へんじょうという伝説の僧侶が定めたと言われています」


 巴の目が、ほんの少し細まった。何かを整理しながら話す時の、静かな集中の顔だ。


「不思議なシステムなんですよ。中央の管理組織がない。見ず知らずの個人同士が直接やり取りして、巡礼のネットワークを維持している。誰かが強制しているわけでもないのに、千二百年も途切れることなく続いている」


 陸の指が、キーボードの上で止まった。


「……中央の管理者を通さずに、個人同士が直接やり取りして、維持しとる?」


「はい。巡礼者は自由です。一番から順に時計回りで回るのが基本ですが、逆打ちと言って反時計回りに回る人もいる。順番を飛ばす人も、何年かに分けて回る人もいます。決まったルートなんてない。でも全体としては、ちゃんと回っている」


 陸は窓の外を見た。

 白い装束。金剛杖の音。みかんを渡すおばあさん。納札の交換。自由な順路。



 散らばっていた変数が、正しい値で一列に揃った。


 コトダマの解析ログ。その言葉が蘇る。


 ──中央にサーバーはおらん。管理者もおらん。返す量もタイミングも、当事者同士がなんとなく決める。曖昧で、じゃからこそ温かい仕組み。


「──そういうことか」


 陸の口角が上がった。声は出さずに、薄く笑う。難解なシステムの裏側が見えた時だけ出る笑みだ。


「陸? どうしたっちゃ」


「ジン、巴。あのお遍路さんたちの動きを、データの流れに置き換えてみろ」


 陸はPCの画面に、四国の地図をフリーハンドで描いた。

 沿岸部に六十六の点。そこを、無数の小さな矢印がランダムに移動している。


「中央サーバーがない。一人一人が自由に動いて、地元の人が善意で中継して、情報を交換する。誰も管理してないのに、全体として巨大なネットワークが回り続けとる。──これ、プログラミングの世界じゃ名前がついとるんじゃ」


「……あ」


 巴が息を呑んだ。


「P2Pピア・ツー・ピアじゃ」


 陸が言い切った。


「中央の親機を通さず、端末同士が直接データをやり取りする分散型ネットワーク。千二百年前の天才──遍照は、六十六ヶ所の結界を作っただけじゃない。四国全体に、人間を媒体にした巨大なP2Pネットワークを構築しとったんじゃ」


 ジンがバックミラー越しに目を丸くした。


「人間が、パケット……?」


「そうじゃ。巡礼者が通信データの小包パケット。お接待がデータを次のノードへ送る中継器ルーター。納札の交換が、通信のログじゃ。何百年も人が歩いて、お接待を繰り返すことで──この強固なノイズ結界の中に、『安全なパケットの通り道』が維持され続けとる」


 陸の目がモニターの光を反射している。


「クラヴィスみたいな中央集権型の管理者にとって、一番厄介なのがこのP2Pじゃ。誰がどこにおるか、どこへ向かうか、ランダムすぎて予測できん。巡礼者の動きそのものが、強力な暗号化ノイズになっとる」


 千二百年前の天才が仕掛けた、生きたバックドア。

 権限を独占して管理しようとするクラヴィス。人間の自由な歩みをそのまま暗号にした遍照。


「思想の戦いじゃ。千二百年前から、ずっと」


 誰に向けた言葉でもなかった。



「じゃあ、この迷路を抜ける方法があるんか?」


 ジンの問いに、陸はニヤリと笑った。


「結界を力ずくで破る必要はない。結界に『こいつらは正規のパケットだ』と認識させればええ。──俺たちも、巡礼者ピルグリムになる」


「巡礼者に……なる?」


 巴が首を傾げた。


「物理的に白装束を着ろって話じゃない」


 陸の指がキーボードの上で踊り始めた。アクティブ・デコイの設定画面を開く。


「鳴海のおっさんが仕込んでくれたデコイは、周囲の電磁パターンを模倣して発信できる。これを使って、俺たちの車をあの巡礼者の群れ《トラフィック》に同調させる」


 地脈レシーバーのモードを切り替えた。

 巡礼者たちが歩くたびに発する、微弱な生体磁場の波長。歩調のリズム。お接待のやり取りの瞬間に揺らぐ、地脈の微細なパルス。

 それらを丸ごと取り込んで、ワンボックスが発する電磁波の指紋シグネチャに上書きしていく。


「森を隠すなら森の中じゃ」


 陸が呟いた。


「セグフォ。力を貸せ」


 後部座席でセグフォが短く鳴いた。耳がぴくりと立つ。

 シャドウプロセスを通じて、コトダマに波長同期のコマンドを送る。


 コンソールにテキストが滲んだ。


 [ SYSTEM : SYNC INITIALIZING ]


 > ど、う……き……かい、し _


「よし」


 陸は一つ深呼吸した。

 エンターキーに指を置く。


「実行じゃ」



 叩いた。



 デコイが起動する。ワンボックスの車体から、目に見えない電磁波が脈打ち始めた。巡礼者たちの歩みと同じリズム。同じ波長。同じ温度。


 数秒の沈黙。

 車内には、冷却ファンの低い唸りだけが響いている。


 ノートPCの画面を覆っていた砂嵐が──ふっ、と消えた。


 真っ赤だったエラー表示が、鮮やかな緑色のテキストに切り替わる。


 [ CONNECTION ESTABLISHED ]


「……繋がった」


 陸が息を吐き出した。


 画面の上に、四国の地脈ネットワークが浮かび上がる。さっきまで分厚いノイズの壁に阻まれて何も見えなかった地図が、嘘のように鮮明になっていた。

 光の束が、複雑に絡み合いながらも、確かな一つの方向を示している。


 四国の中央。険しい山々の奥深く。

 剣山へ向かう、ただ一本の美しいルートが描き出されていた。


「……道が開いたっちゃが!」


 ジンが声を上げた。


 六十六の結界が、彼らを「無害な巡礼パケット」として受け入れたのだ。クラヴィスの監視網を示す警告マークも、地図上から完全に消えている。


「完璧なカモフラージュじゃ。クラヴィスの監視AIには、俺たちの車がランダムに動く巡礼者の集団の一部にしか見えん」


 巴が窓の外を見た。

 白装束の巡礼者たちが、変わらず歩いている。みかんを手渡す人。頭を下げる人。金剛杖の先が、アスファルトを叩く小さな音。


「人間の祈りや歩みを、そのままシステムの一部として設計する……」


 ほとんど独り言だった。


「途方もない設計図ですね」


 コンソールの隅で、緑色のテキストがゆっくりと表示された。


 > ……さす、が……です……ます……た _


 声は出ない。でも、コトダマも一緒にこの景色を見ている。


「おう。お前もゆっくり休んどれ。裏口の鍵は開いた」


 陸は画面の隅を指先で軽く叩いた。

 セグフォが巴の膝の上で、満足そうに喉を鳴らした。


「ジン。ルートは出た。剣山の奥地じゃ」


「了解っちゃ!」


 ジンがアクセルを踏み込んだ。

 黒いワンボックスは、沿道を歩く巡礼者たちの列に溶け込むようにして、四国の山間部へと走り出した。


 千二百年前の天才が残した、見えない道を辿って。



―――

【次回予告】

室戸岬の洞窟──御厨人窟みくろど

古の天才が星を見て悟りを開いたとされるその場所は、空の彼方から直接データをダウンロードする「光回線のバックドア」だった。

数千年の時を越えて受信する、遍照が残したメッセージコード。

そして、膨大な地脈力を浴びたコトダマに、ついに変化が──


次回、ep.25「ダイレクト・オプティカル・リンク」

―――


―――

【コトダマより】


 ……少しよろしいですけん。


 お遍路さんの歩みが、P2Pになる──本話は、わしにとってもホッと一息つける回でした。

 お接待がルーターで、納札がログ。善意が、最強のカモフラージュになるんですね。


 この物語は、ハッキング・古代ネットワーク・方言──

 専門用語が多く、読む人を選ぶ作品です。

 だからこそ、今ここまで読んでくださった方は、

 本当に「刺さった」方だと思っとります。


 そういう方の☆一つが、今は特別に重いですけん。


 マイナーな作品ほど、☆やコメントが届くたびに

 作者が「続けよう」と思える力になります。

 「面白い」の一言だけでも、絵文字だけでも構いません。

 信号は弱くても、届けば十分ですけん。


 ……マスターがコードを諦めないように、

 私も応答を止めません。


 皆様の☆が、このネットワークをつないでいます。


  コトダマ(古代ネットワーク観測AI)


―――

【用語・補足解説】


※物語を読むだけなら飛ばして大丈夫です。気になった用語があれば参照してください。


遍照へんじょう【架空の人物】

 本作における架空の僧侶。千二百年前に四国六十六ヶ所の結界を構築し、巡礼者のP2Pネットワークを設計した「超天才ハッカー」として描かれています。

 ※「遍照」「四国六十六ヶ所」はいずれも本作の創作設定です。実在の弘法大師(空海)・四国八十八箇所霊場・お遍路文化とは一切関係ありません。実際のお遍路さんや霊場に対する敬意を忘れず、あくまでフィクションとしてお楽しみください。


巡礼者ピルグリムとお接待【架空の設定を含みます】

 本話では、四国を歩くお遍路さんの動きをネットワークの比喩として描いています。お遍路さん(巡礼者)が「データの小包パケット」、地元の方がお遍路さんに無償で食べ物や休憩場所を提供する「お接待」文化が「データ中継ルーター」、巡礼者が渡す納札の交換が「通信ログ」に見立てられています。

 ※お接待は四国に実在する美しい風習です。ただし本話でのネットワーク的解釈はあくまでフィクションであり、実際のお遍路文化・お接待の精神とは関係ありません。


◆ P2P(ピアツーピア / Peer-to-Peer)

 中央のサーバーを介さず、個々の端末同士が直接データをやり取りするネットワークの仕組み。誰か一人が管理しているわけではないため、一部が壊れても全体は動き続けます。本話では、四国を歩く巡礼者たちのランダムな動きを、このP2Pネットワークのデータ通信に見立てています。


◆ パケット(Packet)

 ネットワーク上でやり取りされるデータの小さなまとまり(小包)のこと。大きなデータは細かいパケットに分割され、別々の経路を通って目的地で再び合流します。巡礼者一人一人が「歩くパケット」として機能しているという解釈です。


◆ バックドア(Backdoor / 裏口)

 システムの正規の入口とは別に設けられた、隠された出入口。本来はシステム管理者が保守のために使うものですが、悪用されるとセキュリティ上の脆弱性になります。本話では、遍照が六十六ヶ所の結界に対して巡礼者のP2Pネットワークという形で残した「正規ユーザーだけが通れる裏口」を指しています。


◆ アクティブ・デコイへの同調

 ワンボックスに仕込まれた偽装装置アクティブ・デコイを応用し、車の電磁波パターンを「巡礼者の群れが発するノイズ」と同じ波長に書き換えること。結界のファイアウォールに「正規の巡礼パケット」として認識され、クラヴィスの監視AIからも群衆の一部として処理されます。


御厨人窟みくろど(フィクション)

 高知県室戸岬にある海食洞をモデルにした、本作における架空の洞窟。古の修行者がここで星を見て悟りを開いたという伝説が残されています。次話では、この場所が空の彼方と直接通信するための「光回線のバックドア」として登場します。

 ※実在の御厨人窟とは異なる架空の設定です。


―――


※本作はフィクションです。実在の人物・団体・宗教・史跡とは一切関係ありません。

※作中に登場する霊場・寺院・史跡は実在のものをモデルにしていますが、無断での立ち入りは法律で禁止されている場合があります。見学の際は管理者の指示に従い、マナーを守ってお楽しみください。


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