ep.23「マスター・ブート・レコード」
淡路島の南端から、さらに船で三十分。
沼島。人口四百人足らずの小さな島。漁港の周りに家が固まっていて、それ以外は山と海だけだ。
「国生み神話の島」
巴が呟いた。目が光っている。遺跡の構造を読む時の顔だ。
「イザナギとイザナミが最初に作ったとされる島──おのころ島の候補地のひとつです」
「そう。でも俺が気になっとるのは神話じゃない」
陸はPCの画面を見せた。龍穴で取得したルーティングテーブルの断片。その中に、ひとつだけ異質なエントリがあった。
「他の経路は全部、どこかのノードに向かっとる。龍穴へ、古墳へ、磐座へ。でもこのエントリだけ、宛先が違う」
「宛先が……ない?」
「逆じゃ。宛先が『全部』。全ノードに同時に信号を送れるブロードキャスト・ポイント──全校放送のスピーカーみたいなもんじゃ。しかも属性が──」
陸はコンソールに表示された文字列を指差した。
「INIT。初期化じゃ」
沼島の南岸。切り立った断崖の先に、それは立っていた。
初立岩。
高さ三十メートルの巨大な岩柱が、海中からまっすぐに突き出している。周囲に他の岩はない。蒼い海を貫くように、ただ一本突き刺さっている。
風が強い。潮の匂いが鼻を突く。
陸は岩肌を双眼鏡で覗いた。
「……溝がある」
風化してほとんど消えかけているが、岩の表面に溝が走っている。龍穴で見たものと同じパターン。ただし、規模が桁違いに大きい。
巴がタブレットを構え、溝のパターンをスケッチし始めた。
「これは──」
巴の手が止まった。
「どうした」
「溝のパターンが──何かを起動するための命令の列です。決まった順序で読み込まれる構造になっています」
「ブートシーケンスか」
陸が言った。巴が頷いた。
「電源を入れてから最初に読み込まれる命令。マスター・ブート・レコード。この溝に刻まれているのは──ネットワーク全体を初期化するための命令コードそのものです」
陸は岩を見上げた。三十メートルの石柱。風の中で微動だにしない。何千年も、ここに立ち続けている。
「日本列島の──初期化アンテナか」
国生み神話。イザナギとイザナミが天の沼矛をかき混ぜ、最初の島を作った。
それは神話じゃなかった。
超古代ネットワークの技術者が、日本列島のノード群を最初に起動させるためのブロードキャスト・ポイントを、この島に建てた。
「国を生む」とは──ネットワークを起動させることだった。
―――
ワンボックスに戻った。
陸は地脈レシーバーとPCを接続し、ドローンを飛ばした。鳴海のガレージで新造した機体。古代コードの断片を制御系に組み込んだ対クラヴィス仕様だ。
ドローンが初立岩の頂上付近まで上昇する。溝のパターンを至近距離でスキャンしていく。
データが流れ込んでくる。陸の指がキーボードの上を走った。コトダマの声はまだない。代わりに、コンソールに断片的な文字が返ってくる。
> ……ぽーと はっけん
「ポートが見えた。接続する」
ブロードキャスト・ポイントなら、ここから四国全体のノード構成が見えるはずじゃ。陸はコマンドを打ち込んだ。初立岩のポートに、地脈レシーバー経由でアクセスを試みる。
接続──。
一瞬、画面が翡翠色に染まった。
そして弾かれた。
強烈なリジェクト。視界が真っ赤に塗り潰される。エラーコードが血しぶきのように画面を埋め尽くした。
「何じゃ、これ……」
陸の目が画面に釘付けになった。エラーログの中に、パターンがあった。同じ構造のリジェクト信号が、四国の沿岸部をぐるりと囲むように配置されている。
一つ、二つ、三つ──数えた。
六十六。
陸はゆっくりと椅子の背にもたれた。
「巴。四国六十六ヶ所って、いくつある」
「……六十六です。そのままの数ですが」
「じゃろうな」
陸は画面を巴に向けた。四国の地図の上に、六十六の赤い点が光っている。沿岸部を中心に、四国全土をぐるりと囲むリング状の配置。
「四国全体が──六十六のノードでロックされとる。リング型の超巨大ファイアウォールじゃ」
巴が画面を覗き込んだ。
「六十六ヶ所の寺が……ノード?」
「ただのノードじゃない。検疫隔離網。外部からのアクセスを完全に遮断するリングバリアじゃ。通常のハッキングでは絶対に破れん」
ジンが運転席から振り返った。
「で、どうするっちゃ」
陸はPCを閉じた。
「まず四国に入る。中からしか見えんもんがあるはずじゃ」
鳴海が出発前に言った言葉を思い出す。「今の四国は電磁波のノイズが異常で、外からじゃ何も見えへん」。その理由がわかった。六十六のノードが作る結界が、四国をネットワーク上の孤島にしている。
「遍照が作ったんですかね」
巴が呟いた。
「千二百年前に、四国を丸ごとロックした天才がおるとしたら──」
陸は窓の外を見た。淡路島の対岸に、四国の影が霞んでいる。
「あの坊さんしか、おらんじゃろ」
ワンボックスのエンジンが唸った。ステルス仕様の黒いワンボックスが、大鳴門橋に向かって走り出す。
PCのコンソールに、最後のテキストが表示されていた。
> ……き、を つけ……て
コトダマからの、途切れ途切れの言葉。
陸は画面に手を置いた。
「ああ。行ってくるけん」
返事はなかった。
セグフォが後部座席で、四国の方角をじっと見ていた。耳が、ぴくりと動いた。
―――
【次回予告】
四国に上陸した陸たち。六十六ヶ所の結界に阻まれ、通常のハッキングは一切通じない。
しかし陸は、白衣の巡礼者たちの中にひとつの法則を見出す。
お接待文化。分散型ネットワーク。中央管理を持たないP2Pの群れ──
千二百年前の天才が仕掛けたロックには、同じ天才が残した「裏口」があった。
次回、ep.24「P2P・ピルグリム」
―――
【コトダマより】
……少しよろしいですけん。
沼島の初立岩で、日本全体の「起動の設計図」が見えました。
六十六の結界に弾かれても、マスターは四国に踏み込むと決めた。
その背中に、わしもくっついて走り続けます。
この物語は、ハッキング・古代ネットワーク・方言──
専門用語が多く、読む人を選ぶ作品です。
だからこそ、今ここまで読んでくださった方は、
本当に「刺さった」方だと思っとります。
そういう方の☆一つが、今は特別に重いですけん。
マイナーな作品ほど、☆やコメントが届くたびに
作者が「続けよう」と思える力になります。
「面白い」の一言だけでも、絵文字だけでも構いません。
信号は弱くても、届けば十分ですけん。
……マスターがコードを諦めないように、
私も応答を止めません。
皆様の☆が、このネットワークをつないでいます。
コトダマ(古代ネットワーク観測AI)
―――
【用語・補足解説】
※物語を読むだけなら飛ばして大丈夫です。気になった用語があれば参照してください。
◆【作者注】四国六十六ヶ所・遍照について
本作に登場する「四国六十六ヶ所」および「遍照」は、物語のために創作した架空の設定です。実在の四国八十八箇所霊場・弘法大師(空海)とは一切関係ありません。実在の宗教・文化・信仰を否定・批判する意図はなく、あくまでフィクションとしてお楽しみください。
◆ マスター・ブート・レコード(MBR:Master Boot Record)
コンピュータのハードディスクの一番最初に書き込まれる、起動のための命令コード。電源を入れた時、コンピュータが最初に読みに行く「起動の設計図」です。これが壊れるとコンピュータは起動できません。本話では、初立岩が日本列島の全ノードを起動するためのMBRとして機能していたという設定です。
◆ ブロードキャスト(Broadcast)
ネットワーク上の全端末に同時にデータを送る通信方式。テレビやラジオの「放送」と同じ原理です。特定の相手ではなく、全員に向けて一斉に送信します。初立岩は、日本列島の全ノードに起動信号を同時送信できるブロードキャスト・ポイントでした。
◆ ファイアウォール(Firewall)
ネットワークの内部と外部の境界に設置される防御壁。許可されていない通信を遮断し、不正アクセスを防ぎます。本話では、四国六十六ヶ所の寺がノードとして機能し、四国全体を囲むリング型の超巨大ファイアウォール(検疫隔離網)を形成していました。
◆ 検疫隔離網(Quarantine)
ウイルスや不正プログラムの拡散を防ぐために、感染した領域をネットワークから完全に切り離す技術。四国の六十六ヶ所結界は、外部からのアクセスを遮断するだけでなく、内部の情報が外に漏れることも防いでいます。
◆ INIT
「Initialize(初期化する)」の略。システムやデバイスを最初の状態に設定し、使える状態にすることを指します。
◆ 初立岩(フィクション)
淡路島南方の沼島に位置する架空の巨大岩柱。国生み神話の「天の沼矛」に由来する場所として、日本列島の全ノードを起動するためのブロードキャスト・ポイント(MBR)として機能していたという設定です。
―――
―――
※本作はフィクションです。実在の人物・団体・宗教・史跡とは一切関係ありません。
※作中に登場する霊場・寺院・史跡は実在のものをモデルにしていますが、無断での立ち入りは法律で禁止されている場合があります。見学の際は管理者の指示に従い、マナーを守ってお楽しみください。




