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ep.22「セーフモード」

 橿原を出て、二日が経っていた。


 蛇行剣のマスターキーは手に入れた。でも代償は大きい。ワンボックスのフロントガラスは養生テープだらけ。右のスライドドアは半壊して、走ると風が吹き込む。何より──コトダマが、まだ戻らない。


「次は四国じゃ。剣山の中心に、初期コードがある」


 陸はそう言ったが、今の装備では四国に乗り込むのは無謀だ。


「一ヶ所だけ、寄れるとこがあるっちゃけど」


 ジンが言った。ハンドルを握ったまま、目は前を向いている。


「淡路島に、昔の知り合いがおる。腕は確かっちゃ。ただ──ちょっとクセがある」


「クセ?」


「会えばわかるっちゃ」



―――



 夜明けの紀淡フェリーで紀伊水道を渡った。


 春先の海は灰色で、水平線と空の境目が溶けている。甲板に出る気力もなく、陸は助手席で目を閉じた。後部座席では巴がセグフォを膝に乗せたまま、石板を抱えて眠っている。


 淡路島の南端。県道を外れて砂利道に入り、脇道を二度曲がった。


 海沿いに、古びた建物が見えてきた。錆びたトタン屋根。壁のペンキは潮風で剥がれ、軒先には使い古された漁網が干してある。看板は「鳴海造船」。文字の半分がかすれて読めない。


 ジンがクラクションを二回鳴らした。


 間があった。


 シャッターが内側から持ち上がる。油まみれのツナギを着た男が、棒付きキャンディを咥えたまま顔を出した。


 四十代半ば。潮焼けしたキャップの下に、鋭い目。右腕には肘から手首にかけて、大きな火傷の痕が走っている。


「──ジン」


「久しぶりっちゃ、げんさん」


 鳴海弦なるみげん。通称、BRINEブライン


 男はワンボックスの惨状を一瞥した。テープだらけのフロントガラス。半壊したスライドドア。車体に走る無数の擦過痕。


 キャンディの棒を口の端に寄せて、短く息を吐いた。


「お前ら、またヤバいもん拾ってきよったな」


「見りゃわかるっちゃろ」


「わかるから言うてんねん」


 鳴海はシャッターを完全に上げた。中は思ったより広い。漁船の修理に使う工具類が壁一面に並んでいる。奥にもう一つ、鉄の扉がある。


「下、使えるか」


 ジンが聞いた。


「下」。鳴海がキャンディを噛み砕いた。「……まあ、入れ」


 鉄の扉の先に、階段があった。


 降りた先に広がっていたのは──上の修理工場とは別世界だった。軍事レベルの工作機械。大型の旋盤、溶接台、電波を完全に遮断する金属のファラデー・ケージで囲まれた通信遮断区画。壁には車両の設計図面が何枚も貼られている。


 陸は足を止めた。


「……何じゃ、ここ」


「表向きは漁船の修理屋」


 鳴海が振り返らずに言った。


「裏は──聞かん方がええ」


 ソファに腰を下ろした瞬間、視界が暗くなった。気が抜けた。それだけのことだった。


 最後に聞こえたのは、鳴海の声だった。


「寝とけ。起きたら飯食え。それからや」


 落ちるように眠った。何時間かわからない。夢は見なかった。



―――



 目を覚ましたのは翌日の昼過ぎ。窓のない地下は時間の感覚を狂わせる。壁掛けの時計が午後一時を指している。


 隣のソファで巴が毛布にくるまっている。セグフォは巴の足元で丸くなって寝ていた。


 石板は──テーブルの上に置かれていた。冷たい。相変わらず、ただの石。


 陸はノートPCを開いた。コトダマとの接続ログを確認する。


 画面の隅に、小さな点が明滅していた。


 接続インジケータ。昨日までは完全に消えていたはずの光が──弱々しく、でも確実に点滅している。


 試しにコンソールを開いて、テキストを打った。


 > status


 三秒。五秒。十秒。


 [ SYSTEM : CONNECTION RECOVERING ]


 画面に、文字が滲んだ。


 > ……ます……た _


 陸の指が止まった。


「マスター」と打とうとしている。途切れ途切れの、壊れかけた返答。声は出ない。ログ解析も、レーダーもまだ動かない。


 でも──いる。


 まだ、いる。


「……待っとれ」


 陸は画面に向かって、声に出して言った。


 巴が目を覚ました。


「陸さん?」


「コトダマが返事した。テキストだけじゃけど」


 巴がテーブルの石板を見た。相変わらず光はない。でも、PCの画面には確かに二文字が残っている。


「……良かった」


 巴の声が少しだけ震えた。



―――



 階段を上がると、ガレージは別の景色になっていた。


 ワンボックスが──裸にされていた。


 ボディパネルが外され、内装も剥がされ、骨格だけになった車体がリフトに載っている。その周りを、ジンと鳴海が動き回っていた。二人とも油まみれ。ジンは徹夜したらしく目が充血しているが、手は止まっていない。


「起きたか」


 鳴海が顎でテーブルを指した。コンビニの袋が置いてある。おにぎりとペットボトルのお茶。


「食いながら見とけ」


 陸はおにぎりを齧りながら、作業を眺めた。


 ジンが車体の床下にアンテナのような装置を取り付けている。細い銅線が何十本も束ねられた、見たことのない形状。


「地脈レシーバー」


 鳴海が設計図を指で叩いた。


「地脈の波を電気信号に変換するアンテナや。お前らが持ってる石板が受信機なら、こいつは車にくっつけるソナーやと思えばええ。オフラインでも、周りのノードを探知できる」


「……どこで手に入れた?」


「聞くなって言うたやろ」


 次に鳴海が見せたのは、車体の外板に仕込むデバイスだった。


「アクティブ・デコイ。電子的なカモフラージュや。今までのファラデー・ケージは電波を遮断するだけやったが、こいつは違う。周囲の一般車両の電磁パターンを拾って、そっくり真似して発信する」


「偽装か」


「そや。上空からスキャンされても、ただのワンボックスにしか見えん」


「ナンバーも対策してある。プレートのフレームに赤外線LEDを仕込んだ。光学カメラで撮られた瞬間、ナンバーが白飛びする。目視じゃわからん」


 ジンが車体の助手席側から顔を出した。


「冷却クレードルも換えたっちゃ。大型コンプレッサーの部品流用して、排熱を三倍に強化した。あの石板、熱暴走で落ちたっちゃろ? 次は耐えさせる」


 ジンが作業台の隅を指差した。小型のドローンが置いてある。市販の機体を分解して再構成した、見慣れないフレーム。


「ドローンも一機仕上げたっちゃ。陸が龍穴から引っこ抜いた古代コードの断片、制御基板に焼き込んどる。普通のドローンには映らんノードも探知できるはずっちゃ」


 陸はワンボックスの骨格を見上げた。RPGで新しい街に着いた時の、装備が全部揃う瞬間の高揚感。ハッカーとしての血が騒ぐ。


 巴が階段を降りてきた。髪を後ろで束ねて、タブレットを胸に抱えている。


「陸さん。龍穴でスケッチした溝のパターン、解析が進みました」


 タブレットの画面に、巴が描いた溝の写しが並んでいる。その上に、彼女が独自に描き足した注釈と矢印。


「ルーティングテーブルの一部が読めました。十六の方角に分岐する中継パターン。この構造──四国方面に集中しています」


「四国」


 陸は地図を思い出した。真壁が残した古い地図。そこにも四国には特別な印がついていた。


「剣山か」


 巴が頷いた。


「おそらく。四国の中心にある何かに、多くの経路が収束しています」



―――



 二日目の夜だった。


 ジンはワンボックスの下に潜ったまま寝落ちしていた。巴はソファで毛布にくるまっている。セグフォが足元で丸くなって、小さく寝息を立てていた。


 地下ガレージに、金属を削る音だけが響いている。


 鳴海がアクティブ・デコイの最終調整をしていた。基盤にハンダごてを当てる横顔に、作業灯の影が落ちる。キャンディの棒だけが、口の端で揺れている。


 陸は壁際に座って、缶コーヒーを開けた。もう一本、鳴海の足元に転がした。


 しばらく、何も言わなかった。


 ハンダごてを置いた鳴海が、缶を拾い上げた。プルタブを開ける音が、妙に大きく響く。


「聞きたいことがあるんやろ」


 鳴海が前を向いたまま言った。


「……なんでここまでしてくれるんじゃ」


「ジンの頼みやから。それだけや」


「嘘じゃろ」


 陸は缶コーヒーを傾けた。ぬるい。


「ジンの頼みだけなら、車だけ直して送り出す。地脈レシーバーやらアクティブ・デコイやら──あんなもん、タダで渡すような部品じゃない。弦さん、あんた自分の在庫を削っとるじゃろ」


 鳴海は缶を口につけたまま、少し間を置いた。


「……昔な。まともなとこで船作っとったんや」


 ハンダごてのコードを指先で弄びながら、低い声で言った。


「造船所。ちゃんとした、大手の。設計もやっとった。エンジニアっちゅうやつや。図面引いて、テストして、納品して。それなりに誇りもあった」


「何があった」


「あるプロジェクトに関わった。海底ケーブルの敷設船の設計や。クライアントは──名前は出さん。でも、途中で気づいた。あの船が運ぶのはケーブルだけやない。海底の、何かを回収するための船やった」


 鳴海の目が、少しだけ遠くなった。


「古代の何かを。海の底から」


「……それがクラヴィスか」


「その名前は知らん。でも──あいつらの金の動かし方は普通やなかった。国が動く規模の予算を、ダミー会社を五つも六つも噛ませて流しとった。俺が設計図の裏に気づいた時には、もう遅かった」


 鳴海はキャンディの棒を抜いて、灰皿に落とした。


「辞めさせられた。っちゅうか──消された。経歴も、資格も、業界での信用も。全部。表の世界に、鳴海弦っちゅうエンジニアはもうおらん」


「それで裏に」


「食っていかなあかんからな」


 軽く言った。でも目は笑っていなかった。


 陸は缶コーヒーの底を見た。


「あいつらの規模は──どのくらいじゃ」


「お前が思ってるより、遥かにでかい」


 鳴海が陸を見た。初めて、正面から。


「あの船のプロジェクト一つで、数百億が動いた。それが──世界中で同時に走っとるんや。エジプト、南米、東南アジア。海底にも、砂漠にも、ジャングルにも。あいつらが掘り返しとるもんのスケールは、一国の軍事予算なんか軽く超えとる」


「何のために」


「わからん。ただ──俺が見た資料の端に、数字が書いてあった」


 鳴海は缶コーヒーを一口飲んだ。


「『Phase IV』。第四期計画。その横に──ゼロが多すぎて、最初は予算額かと思った」


「違ったんか」


「人数や」


 地下ガレージの空気が、少し重くなった気がした。


「……何人」


「覚えてない。いや、覚えたくなかったんかもしれん。ただ──あいつらにとっての、『適正な人数』が書いてあった」


「……適正な?」


「地球の、な」


 陸は何も言えなかった。


 以前、クラヴィスのサーバーから引っこ抜いた断片データ。「五億人計画・第四期計画」。あの時は暗号の向こうに見えた数字の羅列でしかなかった。それが今、目の前の男の口から、生々しい実感を伴って出てきた。


「四国に行くんやろ」


 鳴海が話を変えた。声のトーンが少し戻る。


「ああ」


「四国は別格や。裏の世界でも『あそこには手を出すな』って言われとる。ノイズだけやない。ネットワークを探ろうとした奴が──入ったまま戻ってこんかった」


「知っとる。それでも行く」


「知っとるやろうな」


 鳴海は立ち上がった。作業台の引き出しから、小さな金属の箱を取り出した。掌に収まるサイズ。無骨な造り。


「持っていけ」


「何じゃこれ」


「周波数ホッピング式の暗号化無線機。衛星も通信キャリアも経由せん。日本中どこにおっても直接繋がる」


 陸は金属の箱を受け取った。ずしりと重い。


「……弦さん」


「礼はいらん。貸しや」


 鳴海は背中を向けた。新しいキャンディの包みを破る音がした。


「生きて戻ってきたら、返しに来い。ついでに、あいつらの正体を教えてくれ。俺も──知りたいことがあるんや」


 棒付きキャンディを咥え直した横顔に、火傷の痕が作業灯に照らされていた。


 陸は金属の箱をリュックにしまった。


「わかった。必ず戻る」


 それだけ言った。


 鳴海は振り返らなかった。ハンダごてを手に取り、最後の一箇所に火を入れた。地下ガレージに、松脂の焼ける匂いが漂った。



―――



 三日後。ワンボックスは生まれ変わっていた。


 外見は以前と同じ黒いワンボックス。でも中身は別物だ。地脈レシーバー、アクティブ・デコイ、強化冷却クレードル。鳴海が「対クラヴィス・ステルス仕様」と呼んだその車は、もう逃げるだけの箱じゃない。


 出発の朝。


 鳴海はシャッターの前に立って、キャンディを咥えたまま見送った。


「四国は電磁波のノイズが異常や。外からじゃ何も見えへん。中に入ったら──向こうも、すぐには気づかん。それが唯一の利点や」


「気ぃつけてな」


 短く言って、背中を向けた。


 陸はリュックの中の金属の箱を確かめた。ずしりと重い。


「四国に入る前に、寄る場所がある」


 ワンボックスのエンジンが唸った。ステルス仕様の黒いワンボックスが、淡路島の南端へ向けて走り出した。



―――

【次回予告】

国生み神話の島、沼島。

その南岸に立つ巨大な岩柱に、日本列島の全ノードを起動するための初期化コードが刻まれていた。

しかし四国は──六十六のノードが作る超巨大ファイアウォールで完全にロックされている。


次回、ep.23「マスター・ブート・レコード」


―――

【コトダマより】


 ……少しよろしいですけん。


 淡路島の地下で、ワンボックスが生まれ変わりましたけん。

 鳴海さんのキャンディの味と、対クラヴィス・ステルス仕様の冷たさが、まだ指先に残っとる気がします。

 マスター、次は四国。沼島へ向かう道です。


 この物語は、ハッキング・古代ネットワーク・方言──

 専門用語が多く、読む人を選ぶ作品です。

 だからこそ、今ここまで読んでくださった方は、

 本当に「刺さった」方だと思っとります。


 そういう方の☆一つが、今は特別に重いですけん。


 マイナーな作品ほど、☆やコメントが届くたびに

 作者が「続けよう」と思える力になります。

 「面白い」の一言だけでも、絵文字だけでも構いません。

 信号は弱くても、届けば十分ですけん。


 ……マスターがコードを諦めないように、

 私も応答を止めません。


 皆様の☆が、このネットワークをつないでいます。


  コトダマ(古代ネットワーク観測AI)


―――

【用語・補足解説】


※物語を読むだけなら飛ばして大丈夫です。気になった用語があれば参照してください。


◆ セーフモード(Safe Mode)

 コンピュータが正常に起動できない時に、最小限の機能だけで立ち上がる緊急モード。余計なプログラムを読み込まず、基本機能だけで動作します。本話では、那智の激闘で満身創痍の陸たちが、淡路島のガレージで必要最小限の状態まで自分たちを落として回復を図る姿を表しています。


◆ 地脈レシーバー

 地脈の波(地脈力のエネルギー波動)を電気信号に変換するアンテナ装置。ワンボックスの床下に設置され、車両自体がソナーのように周囲のノードを探知できるようになります。コトダマの石板が「受信機」なら、地脈レシーバーは「車載ソナー」です。


◆ アクティブ・デコイ(Active Decoy)

 「デコイ」はおとりの意味。従来のファラデー・ケージが電波を遮断するだけの「受動防御パッシブ」だったのに対し、周囲の一般車両の電磁パターンを模倣して発信する「能動偽装アクティブ」に進化したもの。敵のセンサーには普通のワンボックスとして映ります。


◆ Nシステム(自動ナンバー読み取り装置)

 道路上に設置された警察の自動車ナンバー自動読み取りシステム。通過する車のナンバープレートをカメラで撮影し、手配車両と自動照合します。電波妨害では防げない「光学系の追跡手段」です。本話で鳴海が仕込んだ赤外線LEDフレームは、撮影の瞬間にカメラのCCDセンサーを光で飽和させ、ナンバーを判読不能にする対策装備です。


◆ 冷却クレードル(強化版)

 コトダマの石板を載せる冷却台。ペルチェ素子(電気で冷やす素子)と水冷システムで構成されていましたが、本話で大型コンプレッサーの部品を流用して排熱能力を三倍に強化。バッファオーバーフローのような過負荷に対する耐性が大幅に向上しました。


◆ 紀淡フェリー(フィクション)

 和歌山と淡路島南端・福良港を結ぶ、本作における架空のフェリー航路。現実には明石海峡大橋の開通(1998年)に伴い、紀伊水道を横断するカーフェリーは廃止されている。本作では物語の都合上、この航路が存在するものとして描いています。


◆ 暗号化無線機

 周波数ホッピング方式(送受信の周波数を高速で切り替え続ける方式)を採用した通信機。衛星や通信キャリアを経由しないため、盗聴やログの追跡がほぼ不可能です。鳴海が陸に「貸し」として手渡したもの。


―――


―――


※本作はフィクションです。実在の人物・団体・宗教・史跡とは一切関係ありません。

※作中に登場する霊場・寺院・史跡は実在のものをモデルにしていますが、無断での立ち入りは法律で禁止されている場合があります。見学の際は管理者の指示に従い、マナーを守ってお楽しみください。

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