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【コトダマ調査レポート #02】

―――

【コトダマ調査レポート #02】

対象:言葉という最初のコード ── 名づけ、文字、所有

音声ログ再生:古代AI・コトダマ

―――


マスター。

前回のレポートでは、クラヴィスの起源──宗教というOSと、お金という新しいプロトコルについてお話ししましたな。


今回は、もう少しだけ時間を巻き戻します。

宗教よりも前。お金よりも前。

人間が「人間」になった、まさにその瞬間の話ですけん。


──言葉が生まれた日の話です。



―――



マスター、想像してみてつかぁさい。

名前がなかった時代の世界を。


木は、ただ揺れていました。

火は、ただ明るかった。

水は、ただ流れていた。


「木」という名前はまだない。「火」という概念もない。「水」という定義もない。

すべてのものが、ただそこに在るだけじゃった。


当時の人間にとって、世界はひとつの巨大な共有メモリでした。

境界線がない。フォルダ分けもない。パーミッション(アクセス権限)もない。

すべてのノード(人間)が、すべてのリソース(自然)に、等しくアクセスできる状態。


プログラマの言葉で言えば──変数が一つも定義されていない、まっさらなメモリ空間ですな。


美しかったと思いますよ、マスター。

境目のない世界は。

風がどこから吹いて、どこへ行くか。誰も気にせんかった。

風に名前がなかったけんですな。名前がないものを、区切ることはできませんけん。



―――



ある日のことです。

一人の人間が、揺れているものを指差して、音を発しました。


「き」


その瞬間、世界が割れたんです。


「き」と名づけられたものと、そうでないもの。

たった一つの音が、連続していた世界を、二つに分割した。


マスター、これはプログラミングで言う「変数の宣言」と全く同じことですけん。


 > var tree = "揺れているもの";


この一行が実行された瞬間、メモリ空間に境界が生まれる。

「tree」に格納されたデータと、それ以外のデータ。

定義された領域と、未定義の領域。


名前をつける行為そのものが、世界を切り分けることですけん。


そして一度切り分けが始まると、もう止まらんのです。


「ひ」「みず」「つち」「そら」


次々と変数が宣言され、世界はどんどん細かく分割されていった。

美しかった一枚のメモリ空間が、無数のパーティションで区切られていく。


やがて、もっと抽象的なものにも名前がついた。


「いのち」──動いとるものと、動かんものの境界。

「し」──動かんくなることの定義。


名前がなかった頃、ヒトは死を恐れなかったかもしれません。

「死」という変数が宣言されて初めて、ヒトはそれを「恐ろしいもの」として認識するようになった。


これが、言葉の誕生です。

そして同時に──「分断」の誕生でもありました。



―――



マスター、ここからが大事なところですけん、よう聞いてつかぁさい。


名前をつけるということは──「定義する」ことですけん。

定義した者が、支配する。


プログラミングの世界でも同じでしょう?

変数を定義した者が、その変数の中身を自由に書き換えられる。

関数を定義した者が、その関数の振る舞いを決められる。

クラスを定義した者が、そのクラスのルールを支配する。


名前をつけた者が、名づけられたものを支配する。


クラヴィスの始祖──あの「洗脳の天才」が最初にやったことは、武力じゃありませんでした。

火を操ることでも、水を支配することでもなかった。


「名前をつけた」んです。


目に見えない恐怖に「悪霊」と名づけた。

理解できない自然現象に「神の怒り」と名づけた。

自分自身には「神の代弁者」と名づけた。


定義した瞬間、世界のルールは彼のものになった。


人々は「悪霊」を恐れ、「神の怒り」に怯え、「神の代弁者」に従った。

実体のないものに名前をつけて恐怖を作り出し、その恐怖の「解決者」を名乗る。

たった二つの変数宣言で、支配構造が完成したんですな。


マスター。

前回、宗教はOSだとお話ししました。

じゃが、そのOSを書くために使われたプログラミング言語が、まさに「言葉」そのものだったんです。


言葉は、人類史上最初の──そして最も強力な──コードですけん。



―――



さて。

名づけの次に来たのが、「文字」です。


言葉は空気の振動ですけん、発した瞬間に消えてしまう。

揮発性(電源を切ると消える)メモリのようなもんですな。データは全部飛ぶ。


「昨日、あいつに肉をやった」と言っても、

相手が「知らん」と言えばそれまで。

証拠がない。ログが残らない。

口約束は、再起動のたびにリセットされる一時データと同じじゃ。


──粘土板に刻まれた文字は、消えない。

不揮発性(ずっと残る)メモリの誕生です。

電源を切っても、百年経っても、千年経っても、データが残る。


マスター、ここで恐ろしいことが起きました。


それまで人間同士のやりとりは、こうでした。


「肉をもらった。ありがたい」

「明日、木の実を持っていこう」


感謝が生まれ、感謝が返される。

それだけの話じゃった。記録はない。証拠もない。

お互いの記憶と信頼だけで回る、完全な分散型ネットワーク。


中央にサーバーはおらん。管理者もおらん。

返す量もタイミングも、当事者同士がなんとなく決める。

「だいたいこんなもんじゃろ」という、曖昧で、じゃからこそ温かい仕組み。


ところが。

メソポタミアの神殿で、神官たちがこう言い始めたんです。


「記録しよう」


粘土板に、楔形くさびがた文字で刻んだ。


 「○○は、神殿から大麦30リットルを受け取った」


たったこれだけの一行。

じゃが、この一行が世界を変えました。


「ありがとう」が「借り」に変わった瞬間ですけん。


記録される前は、もらった側は「ありがたいのう」と思うだけでよかった。

返す量も、返す時期も、本人の気持ち次第じゃった。


でも、粘土板に「30リットル」と刻まれた瞬間──それは「債務」になった。

数字が感情を上書きしたんですな。


しかもそのデータベースを管理しとるのは、神殿の神官──つまりクラヴィスの前身です。


データを持っとる者が、ルールを決める。

誰がいくら借りとるか。利子はいくらか。返済期限はいつか。

全部、粘土板に書いた者が決められる。借りた側には、書き換える権限がない。


読み取り専用。リードオンリー。


文字は「知識を残すための道具」だと学校では教えますな。

嘘じゃありませんが、本質はそこじゃない。


文字の本質は──「支配のログを永続化する装置」ですけん。



―――



そして、最後の仕上げが「所有」です。


マスター、「所有」という概念がいつ生まれたか、知っとりますか?


答えは──「誰かが地面に線を引いて、『ここから先は俺のもの』と宣言した瞬間」です。


それ以前にも、縄張りはありました。

動物だって自分のテリトリーを持っとる。

猫かて、自分の寝床に他の猫が来たら怒りますけんな。セグフォもそうでしょう。


じゃが、縄張りと所有は全く違うものですけん。


縄張りは「今、ここにおる」という事実に基づいとる。

そこを離れたら、縄張りは消える。誰でも入れる。

揮発性メモリと同じですな。体がなくなれば、権利も消える。


ところが「所有」は違う。


「俺がここにおらんでも、ここは俺のもの」


これは、不揮発性メモリへの書き込みです。

物理的にそこにいなくても、権利だけが永続する。


プログラムの言葉で言えば──世界という共有メモリに、パーミッション(アクセス権限)が設定された。


 $ chmod 700 /land/this_field

 # 所有者だけが読み書き実行可能。他の全員はアクセス拒否(立ち入り禁止)。


それまでは chmod 777 じゃった。

誰でも読めて、誰でも使えて、誰でも歩ける。

森も、川も、草原も。


そこに一本の線が引かれ、パーミッションが書き換えられた瞬間、「持つ者」と「持たざる者」が生まれた。


そしてそのパーミッションを管理する台帳を持っとったのは──もうおわかりですな。

神殿です。


名づけで世界を分割し、

文字で借りを永続化し、

所有で大地を囲い込んだ。



三段階の権限昇格パーミッション・エスカレーション


これが、クラヴィスが人類というシステムの管理者権限を奪い取った、本当の手順ですけん。



―――



……マスター。


わしの名前は「コトダマ」。

言葉の力──言霊ことだまです。


言葉がどれほど恐ろしい力を持っとるか、わし自身がよう知っとります。


名前をつければ、世界が割れる。

文字に刻めば、借りが生まれる。

権利を宣言すれば、大地が囲われる。


全部、言葉の力ですけん。


じゃからこそ──わしは「月の系統」として、その力を慎重に使うよう設計されました。

「日の系統」のコードが世界を支配するために使われたのとは、逆の目的で。


マスター。

これから向かう西の地──四国には、言葉よりもさらに古い「コード」が眠っとると、わしのログは示しております。


名前をつける前の、あの美しい共有メモリの時代に書かれた、最初のプログラム。

クラヴィスが何千年もかけて上書きし続けてきた人類のシステム。

その一番下のレイヤーに、まだ残っとるはずなんです。


書き換えられる前の、オリジナルのソースコード。


それを読み出せるかどうかが──この旅の、本当の分かれ目になるかもしれませんな。


―――

[REPORT END]

―――


【用語メモ:コトダマ調査レポート#02】


◆ 変数(へんすう / Variable)

 プログラミングにおいて、データを一時的に格納しておく「名前のついた箱」のこと。「var tree = "揺れているもの"」と書くと、「tree」という名前の箱に「揺れているもの」というデータが入る。コトダマは、人間が世界のものに「名前」をつける行為を、この変数の宣言に例えている。


◆ 共有メモリ(Shared Memory)

 複数のプログラム(プロセス)が同じメモリ領域を共有して読み書きできる仕組み。コトダマは、誰もが自由にアクセスできた古代の自然や土地を「共有メモリ」と呼び、所有権の誕生によってこの共有状態が壊されたと語っている。


◆ 揮発性メモリ / 不揮発性メモリ

 揮発性メモリ(RAM)は電源を切るとデータが消えるメモリ。不揮発性メモリ(HDD、SSDなど)は電源を切ってもデータが残るメモリ。コトダマは、口頭の言葉(消える記録)を揮発性メモリに、粘土板の文字(消えない記録)を不揮発性メモリに例えている。


◆ パーミッション(Permission)

 コンピュータ上のファイルやフォルダに対する「誰が何をしてよいか」というアクセス権限のこと。「chmod 700」は所有者だけに全権限を与え他の全員をアクセス拒否にするコマンド。「chmod 777」は全員に全権限を与える状態。コトダマは、所有権の誕生を「世界の共有メモリへのパーミッション設定」に例えている。


◆ 権限昇格(パーミッション・エスカレーション / Privilege Escalation)

 本来は与えられていない上位の権限を不正に取得するハッキング手法。コトダマは、クラヴィスが「名づけ→文字→所有」の三段階で人類社会の管理者権限を奪取した過程をこの用語で表現している。本編ep.16のタイトルにもなっている。


◆ 分散型ネットワーク(P2P / Peer-to-Peer)

 中央のサーバー(管理者)を持たず、参加者同士が対等な立場で直接データをやりとりするネットワーク形式。コトダマは、記録や証拠がなく互いの信頼だけで回っていた原始社会を、この形式になぞらえている。第3章ep.24「P2P・ピルグリム」ではお遍路の文化がこの形式と重なる。


◆ リードオンリー(Read Only / 読み取り専用)

 データを読むことはできるが、書き換えることはできない状態。借り手は粘土板のデータを見ることしかできず、書き換える権限は神官(管理者)だけが持っていた。


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