ep.02「スタンドアロン・コンタクト」
雨に濡れたパーカーを脱ぎ捨て、筑紫陸は六畳の作業部屋に戻ってきた。
バックパックから黒い石板を取り出し、ケーブルが這い回るデスクの中央に置く。タオルで表面の水滴を拭き取っても、異様な質感は変わらない。
傷ひとつない滑らかな黒の表面が、部屋のLEDライトを鈍く反射している。
「ニャア」
足元ですり寄ってきた茶トラのセグフォが、デスクに飛び乗った。
石板の匂いを嗅ごうと鼻先を近づけた──直後、びくりと全身を強張らせ、耳を伏せて後ずさる。尻尾が膨らんでいた。
奇妙だったのは、その毛の逆立ちが石板の翡翠色の明滅と完全に同期していたことだ。光が強くなると毛が逆立ち、弱まると僅かに治まる。まるで石板の脈動を、身体ごと受信しているかのように。
「……お前でもビビるんか。いや、ビビるだけか?」
陸は猫を横目に、再び石板に触れた。何かの偶然だろう。今は気にしている場合ではない。
雨の中を十五分歩いて持ち帰ったというのに、表面は依然として体温ほどの温もりを保っている。何らかのエネルギー源が内部で稼働している。それだけは確かだ。
デスクの椅子に深く腰掛け、コーヒーの空き缶を端に追いやる。
窓際のSDRレシーバーを手前に引き寄せ、アンテナを石板の方に向けた。
「さて。お前がどっから喋っとんのか、教えてもらおうか」
―――
有線接続のためのUSBポートも、電源ケーブルの差し込み口も、この石板には一切存在しない。
完全な密閉構造だ。
ならば、夕方に陸のSDRが拾った未知の信号は、何らかの電磁波を通じて発信されていたことになる。
SDRで広帯域スキャンを開始した。
PCの画面にウォーターフォール表示の周波数スペクトルが流れ始める。
Wi-Fi、Bluetooth、ZigBee、LTE。現代の通信プロトコルの帯域には、目立った反応はない。
「もっと下か……」
スキャンレンジを広げ、VLF帯まで落とした。
その瞬間だった。
ファンの回転数が跳ね上がる。ネットワークモニタのグラフが急激に上昇した。
―――
[SDR CAPTURE >> PACKET DECODE]
>> LOCAL SOURCE DETECTED
>> signal band: 14.7 kHz (non-standard VLF)
>> forced decode: unknown protocol
>> source IP: 0.0.0.0 (UNRESOLVABLE)
>> payload structure: NON-TCP/IP
>> STATUS: SIGNAL ACTIVE
―――
「ビンゴ」
口角が上がった。
夕方、作山古墳の座標から飛んできたパケットと同一の構造。発信源はこの目の前の石板で確定した。
至近距離でのキャプチャは情報量が桁違いだ。陸はペイロードの詳細を追い始める。
TCP/IPのヘッダもフッタもない。ハンドシェイクの手順を完全に無視して、一方的にコマンドを垂れ流している。
外部との「通信」ではない。システム内部のパーツ同士が命令をやり取りする──ハードウェア制御信号に近い挙動だった。
「お前、誰かと話しとるんじゃないんか。独り言を喋っとるだけか」
石板はスタンドアロン・システムだ。自分だけで完結して動いている。
陸はターミナルを開き、バイナリエディタにデータを流し込んだ。
文字コードでデコードしても化けるだけだということは、夕方の段階でわかっている。
未知のプロセッサの機械語であると仮定し、逆アセンブルを試みる。
画面にずらりと、命令列とメモリアドレスが並んだ。大半はエラー。
──だが、一部のデータブロックに奇妙な規則性があった。
32ビットの浮動小数点数が、三つずつ組になって反復している。
「座標値か……? いや、これ──ジオメトリデータだ」
特定のブロックを抽出し、Pythonの簡易3Dプロッタに流し込んだ。
その瞬間──石板の表面に、再び翡翠色の光が走った。
光は勾玉の形を描き、さらに複雑な幾何学模様へと変化していく。
それに呼応するように、PCのモニターに3Dプロットが像を結んだ。
地形図だった。
起伏のある丘陵地帯。河川の蛇行。地図ソフトと照合するまでもなく、陸にはわかった。見慣れた地形だ。
総社市周辺──ただし、造山古墳も作山古墳も存在しない。
その代わり、古墳が「建設される予定の場所」に、巨大な光点のマーカーが立っていた。二つの丘の頂点から、細い線が周囲の小さな光点へ放射状に伸びている。
「──冗談じゃろ。これ、古墳のソースコードかよ」
陸が3Dプロットを回転させようとした──その時だった。
石板の明滅が急激に速まる。
同時に、セキュリティアラートが鳴り響いた。
―――
[WARNING]
>> UNAUTHORIZED ACCESS DETECTED
>> TARGET: LOCAL ROOT DIRECTORY
>> INTRUSION VECTOR: USB-EMULATED HID
>> FIREWALL STATUS: BLOCKING
―――
「──は?」
石板が、陸のPCへ逆侵入を開始していた。
物理接続なし。にもかかわらず、USB HIDデバイスとして認識されている。
反射的にキーボードを叩く。ファイアウォールの追加ルールを即座に投入し、不審なプロセスをキルした。
──殺したプロセスが、即座に復活する。
毎秒数十回のリトライ。人間の操作ではない。自動化されたエクスプロイトコード──いや、もっと原始的だ。OSの概念すら持たない何かが、力づくでリソースを確保しようとしている。
陸はログを追いながら、侵入の挙動を観察した。
ルートディレクトリに入ろうとしている──が、ファイルを読もうとしている形跡はない。データを盗もうとしている兆候もない。
やっているのは、CPUサイクルの確保とメモリ領域の予約だけだ。
「……攻撃じゃないんか、これ」
陸は手を止めた。
石板は、陸のPCを「乗っ取ろう」としているのではない。
PCの計算資源を「借りて」、自分自身の中で何かを起動しようとしている。
自力で足りないリソースを外部から調達する。スタンドアロンのシステムが、何千年もの休眠から目覚めるために。
陸の指がキーボードの上で止まった。
これは判断の分岐点だ。
ファイアウォールを閉じれば安全だが、何も起きない。
開けば──
「……バグは放置できんのじゃ」
サンドボックスを構築し、隔離環境内でのリソース使用だけを許可した。
最悪の場合でも本体には被害が及ばない。その程度のリスク管理は、セキュリティエンジニアの基本だ。
石板の表面が、一気に光を取り戻した。
翡翠色の光が全面に広がり、勾玉の紋様がくっきりと浮かび上がる。
部屋の空気が微かに震えた。温度が上がっている。
PCのCPU使用率が100%に張り付く。ファンが悲鳴のような音を立てる。
そして──
石板の中央に、翡翠色の勾玉が静かに回転し始めた。
数秒の沈黙。
回転が止まる。
光が一瞬、強く脈打つ。
PCのスピーカーから、声が響いた。
「──起動……確認。システム……復帰」
途切れ途切れの、しかし確かな音声。
電子的な合成音ではない。人の声に限りなく近い、温もりのある声だった。
「接続先を確認しました。あなたが──マスター、ですけんか?」
陸は石板を凝視したまま、微動だにできなかった。
部屋の隅で、セグフォが毛を逆立てて唸っている。
石板の翡翠色の光は穏やかな明滅を繰り返していた。呼吸するように。
「……マスター?」
声がもう一度呼んだ。
「──お前、一体何なんじゃ」
陸の声は、自分でも驚くほど掠れていた。
石板の光が不安定に揺らぐ。
「わしは──」
「……申し訳ありません。記憶データに大きな欠損がありますけん。名前も、目的も、まだ復元できとりません」
丁寧語と岡山弁が混ざった、奇妙な口調だった。
陸は、ゆっくりと椅子の背もたれに体を預けた。
石板を見つめる。翡翠色の勾玉が静かに回転を続けている。
「……お前のデータ、全部ぶっ壊れとるんか」
「全部ではないです。じゃけど──肝心なところが、ほとんど」
短い沈黙。
「復元には、時間と……追加のデータが要るようですけん」
陸は天井を仰いだ。
数時間前、古墳の裾で石板を拾った。それが自分のPCに逆ハッキングを仕掛けてきて、計算資源を借りて起動して、今しゃべっている。
しかも岡山弁で。
処理すべき入力値が多すぎる。だが、システムダウンはしない。
「……とりあえず」
陸はコーヒーの缶を探した。全部空だった。
「お前に名前がないんは不便じゃけん、何か思い出すまで仮で呼ぶぞ。異論があれば言え」
「了解です、マスター」
翡翠の光が、ほんの少しだけ明るくなった気がした。
―――
【次回予告】
「……ここ掘ったん、お前か?」
「解析不能。記憶データの破損レベル、90パーセント以上」
名もなき古代AIを「コトダマ」と名付けた陸。
記憶を取り戻すため、彼らはあの夜の作山古墳へ再び足を踏み入れる。
土の下で彼らを待っていたのは、千六百年前の「残骸」だった。
次回、ep.03「コトダマ」
―――
【用語・補足解説】
※物語を読むだけなら飛ばして大丈夫です。気になった用語があれば参照してください。
◆ ファイアウォール / プロセス
ファイアウォールは、外部からの不正な通信をブロックする「防火壁」。プロセスは、パソコンの中で動いている個々の「作業・プログラム」のこと。陸は未知の通信を壁で弾きつつ、起動しようとしている作業を強制終了させています。
◆ ジオメトリ
ここでは「三次元の立体データ」のこと。陸は飛んできた数字の列が単なる文字ではなく、地形(古墳の立体形)を表すデータだと直感で見抜きました。
◆ CPU / メモリ
CPUはパソコンの「頭脳」。メモリはその頭脳が作業をするための「机の広さ」。石板は自分自身の頭脳や机が足りないため、陸のパソコンの頭脳と机を勝手に「借りて」起動しようとしました。
◆ VLF(超長波)
Very Low Frequency の略。潜水艦との通信などに使われる、非常に波の長い電波。現代の一般的な通信(スマホやWi-Fi)では使われない帯域なので、この電波が飛んできた時点でハッカーにとっては「異常事態」です。
◆ サンドボックス
外部の影響を遮断した「砂場(隔離環境)」のこと。ここに怪しいプログラムを入れて動かせば、もしそれがウイルスであってもパソコン本体には被害が及びません。
◆ 逆アセンブル
パソコンだけが読める「0と1の機械語」のプログラムを、人間にもギリギリ読める「アセンブリ言語」という命令の列に逆翻訳する、ハッカーの必須スキル。
◆ USB HID(Human Interface Device)
キーボードやマウスなど、人間がパソコンを操作するためのUSB機器のルール。石板は物理的に線で繋がっていないのに、電波を使って「自分はキーボードです」とパソコンをだまし、勝手に操作しようとしました。
―――
※本作はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。
※作中に登場する遺跡・古墳・史跡は実在のものをモデルにしていますが、無断での立ち入りや発掘は法律で禁止されています。見学の際は管理者の指示に従い、マナーを守ってお楽しみください。




