ep.16「パーミッション・エスカレーション」
興奮は、毒に似ている。
効いている間は痛みを忘れる。けど切れた瞬間、現実がまとめて押し寄せてくる。
箸墓古墳のメインフレームへのアクセスに成功し、データを強引に引きずり出した直後のことだった。
コトダマが「クラヴィスの監視網に引っかかった」と警告を発するより先に、箸中大池の対岸にパトカーのライトが複数、散らばるのが見えた。クラヴィスが公権力を動かした。三十秒もなかった。ジンがエンジンをぶん回し、ヘッドライトを消したまま獣道へ突っ込んだ。
それから三十分。
ワンボックスは桜井市の南端から山間部に入った。多武峰へ向かう、獣道のような林道を這うように進む。街灯はない。ガードレールすら見当たらない。左右から伸びた枝が車体を引っ掻いた。金属の悲鳴が闇に響く。
運転席のジンだけがフロントガラスの向こうを睨み続けている。残りの二人と一匹は、後部座席の青白い光の中にいた。
筑紫陸は、箸墓古墳から引きずり出したデータの海に沈んでいた。
逃走中も手を止めなかった。揺れる車内でキーボードを叩き続け、コトダマと二人で休みなく解析を続けている。三面のモニターにはシステムログやメタデータが滝のように落ちる。陸の目は左右に忙しく動いていた。
その目は充血している。まばたきの間隔が長い。でも手は止まらない。
巴は最後部の機材の隙間で膝を抱えていた。作業着は富雄丸山からの脱出で泥だらけのまま。着替えを取りに戻る余裕なんてなかった。タブレットの画面は暗く落ちて、巴の視線はモニターの奔流をぼんやり追う。
考古学者の目に、あの光の海がどう見えているのか。陸には想像がつかない。
セグフォが機材の陰で丸くなっていたが、時折耳をぴくりと動かす。石板には相変わらず近づかない。
缶コーヒーに手を伸ばした。ブラック無糖。とっくに冷めきっている。
一口含むと、鉄錆みたいな味が舌の奥にこびりついた。顔をしかめて缶を置く。
「コトダマ」
声が掠れていた。何時間も黙っていたせいだ。
「ん?」
「権限テーブルの復号、どこまで進んだ」
「八割方じゃ。残りの二割は暗号化の鍵が古すぎて、わしの残存メモリーと照合するのに時間がかかっとりますけん。……あと十五分ほどお待ちを」
十五分。
陸はモニターに目を戻し、すでに復号できた八割のデータを改めて眺めた。
何かが、引っかかっている。
最初は気のせいだと思った。疲労で判断力が鈍っているのかと。でも、データを読み込むほどに、違和感は確信に変わっていった。
システムログの最深部──箸墓古墳のメインフレームに刻まれた、おそらく数千年前のアクセス記録。
そこに記された管理者IDを、陸は何度も見返していた。
―――
「……解読できた」
コトダマの声が、車内の沈黙を破った。
石板の表面に翡翠色の勾玉が浮かび、ゆっくり回転している。でもいつもの得意げな光じゃない。どこか沈んだ色をしていた。
「マスター。権限テーブルの全容が復元できましたけん。……じゃが」
「ああ。俺も気づいとる」
陸の声は平坦だった。感情を押し殺しているんじゃない。まだ、うまく感情の名前がつけられないだけだ。
陸はキーボードを叩いた。
三面のモニターの表示が切り替わり、復元された権限テーブルが全画面に展開される。
ツリー構造の頂点。そこに、ただ一つのIDが絶対的な支配者として鎮座していた。
[ ROOT DIRECTORY OWNER ]
ID : CLAVIS_ROOT
Permission : ABSOLUTE(絶対権限)
Status : ACTIVE
Created : epoch(システム起動時より)
「……おい、陸。どうしたっとや。顔が怖いぞ」
バックミラー越しに、ジンが声をかけた。
「ジン。車、停めてくれ」
「は? こんな山ん中で?」
「いいから」
声の調子が尋常じゃないと気づいたのか、ジンは黙ってワンボックスを路肩に寄せた。エンジンが止まり、冷却ファンの唸りだけが残る。
陸は冷めきったコーヒーをもう一口煽った。
鉄の味。
飲み込んで、口を開いた。
「……奴ら、泥棒じゃなかった」
「え?」
後ろから巴の声。膝を抱えた姿勢のまま、顔だけがこちらを向いている。
「富雄丸山の防壁コードも、この箸墓のメインフレームも……ぜんぶ奴らのシステム名義で正式に登録されとる。epoch──つまりシステムの起動時刻から、ずっと。奴らは太古の昔から、この超古代ネットワークの『正規のシステム管理者』じゃったんじゃ」
車内の空気が凍った。
冷却ファンの音すら遠く聞こえる。
「ちょっと待ってください」
巴が身を起こした。タブレットを握りしめた手が、微かに震えている。
「クラヴィスが正規の管理者。……ということは、富雄丸山の封鎖も、あの異常な警備体制も、管理者が自分のシステムを守っていただけ、ということになるんですか」
「そういうことになる」
「なら──」
巴の声が、掠れた。
「──今、鍵穴をこじ開けてデータを引っこ抜いてる私たちは、何なんですか」
答えは全員がわかっていた。
陸が言葉にした。
「完全に、ただの不正アクセスじゃ」
自嘲だ。鼻で笑ったつもりだった。でも笑えなかった。
世界のバグを直す。それが陸の信条だった。
壊れたシステムを見つけたら放っておけない。コードが腐っていれば修正する。穴があれば塞ぐ。善意のハッカー──ホワイトハット。少なくとも、そう自分に言い聞かせてきた。
でも管理者が正規なら。
バグを直しているつもりで、システムを荒らしていたのは自分たちの方か。
ジンが運転席で黙り込んでいる。
いつもなら軽口のひとつも出てくるはずなのに。バックミラーに映る目が、珍しく真剣だった。師匠から受け継いだ技術も矜持も、「正しい側にいる」という前提の上に成り立っている。その前提が崩れたら。
巴がタブレットを膝に押し当て、唇を噛んだ。
彼女の頭の中では、もっと生々しい計算が走っているはずだ。不正アクセス禁止法。器物損壊。文化財保護法違反。全部、実刑がつく。
重い空気がワンボックスの中を満たしていく。
外は山の闇だ。虫の声すら聞こえない。
誰かが息を吐いた。
―――
「──違いますけん!」
沈黙を切り裂いたのは、コトダマだった。
冷却クレードルの上で、石板が烈しく明滅している。翡翠と朱、朱と翡翠。交互に入れ替わる光が車内の壁をストロボのように照らした。
「マスター、騙されちゃいけませんぞ!」
「コトダマ?」
「権限テーブルは確かに奴らの名義です。けど──それは『結果』であって『正当性の証明』じゃあありません!」
コトダマの声が、いつもの間の抜けた調子とはまるで違う。怒っている。本気で。
石板の表面を幾何学模様が稲妻のように走り、翡翠色のコードが空中にホログラムのように浮かび上がった。
「わしの最深部のキャッシュから、奴らがやった『本当のこと』のログが復元できたんですけん! 八割の復号を待っとる間に、わし自身の記憶領域と突合しとりました。隠しておったわけじゃありません、復元に時間がかかっただけですからな!」
また、あの光だ。
箸墓のルートディレクトリに触れた時に初めて起きた現象──石板の光が空中に溢れ出す、空間投射。あの時は古代文字が雪のように零れただけだったが、今はコトダマの意志で制御されている。翡翠色の光の粒子が車内の空気中に浮遊し、三次元のネットワーク図を描き出した。
陸は息を呑んだ。
美しかった。
無数の光点が均等な間隔で網の目のように広がっている。光点と光点を結ぶ線は、どれも同じ太さ、同じ輝度だ。上下の区別がない。中心がない。すべてのノードが平等に接続された、完璧なメッシュ・ネットワークだった。
「これが、本来のシステムの姿ですけん」
コトダマの声が震えていた。
「……普段はマスターにわかるよう、現代の言葉に置き換えて説明しとりますがのう。今回ばかりは──本来の姿で語らせてもらいますぞ」
石板の表面に走る幾何学模様が、一段と深い翡翠色に変わった。
「大昔──このシステムが作られた時、すべての墳丘は平等じゃった。どの入り口からでも地脈に触れることができ、すべての知恵はすべての民に開かれとった。管理者はおりました。でもその役割は『門番』や『独裁者』じゃなく、地脈の流れを整える『庭師』のようなもんじゃった。詰まりがあれば石を動かして通す。枯れた泉があれば水脈を繋ぎ直す。それだけの存在です」
光のネットワーク図が、ゆっくりと回転する。
どの角度から見ても、美しい対称性。どのノードにも特権はない。
「──じゃがある時、一部の管理者が気づいてしまったんですな」
コトダマの声色が変わった。苦い。
「システムの『理』に、綻びがあることに」
ホログラムの中で、いくつかの光点が赤く変色し始めた。
赤い点から、他のノードへ向かって太い光の線が伸びていく。吸い上げるように。
「各墳丘には、大災害が起きた時に地脈を一斉に鎮める仕組みがありました。地震や洪水で地脈が暴走せんように、封印石の配列を組み替えて、すべての墳丘を一時的に『眠らせる』ためのものです。本来は一度だけ──大地が鎮まるまでの、使い捨ての鎮めの術じゃった」
コトダマの光が、苦々しく揺れた。
「じゃが、封印石を元に戻す際の手順に、抜け穴があったんですぞ。鎮めの術を解く順番に、制約がなかった」
「……待ってください」
巴が身を乗り出した。
「封印石って──もしかして、古墳の石室内部に配置されている、用途不明の立石群のことですか? 発掘報告書で『祭祀用途不明』と分類されてるやつ」
「おお! さすが巴殿、話が早いですのう! あれがまさにスイッチですぞ」
陸のハッカーとしての直感が、先を読んだ。
「──つまり、鎮めの術で全ノードを眠らせた後、自分たちの墳丘だけ先に封印石を解除して叩き起こした。他の墳丘がまだ眠っとる間に、それぞれの石室に入り込んで、封印石の配列を全部組み替えた──そういうことか」
「そのとおりじゃ、マスター! さすがですのう!」
コトダマの勾玉が一瞬だけ誇らしげに輝き、すぐにまた朱色に戻った。
「封印石の配列とは、地脈と墳丘を繋ぐ『鍵の形』なんです。奴らはすべての墳丘の鍵を、自分たちしか知らん形に作り変えた。──目が覚めた時、元の管理者たちは全員、自分の墳丘に触れることすらできんようになっとった」
陸が腕組みをして天井を睨んだ。
「……ようするに、現代のITで言えば完璧な『権限昇格』じゃ」
「パーミッション……なに?」
巴が首を傾げた。
「一般ユーザーや下位の管理者が、システムのバグを突いて、本来は持てないはずの最上位権限──ルート──を奪い取るハッキングの手口じゃ。現代のサイバー攻撃でも一番厄介なやつ。正規の管理者が内部からやるから、外部のセキュリティじゃ検知できん。コトダマが言うたことを俺の言葉に直すとな──」
陸はモニターに向き直り、コトダマの復元したログを視覚化した。時系列に並べ替える。
「鎮めの術は『緊急シャットダウン・コマンド』。封印石の配列は『管理者パスワード』。鍵の形を変えたのは『パスワードの強制リセット』。つまり奴らは最初から泥棒じゃったわけじゃない。正規の管理者として始まり、システムの仕様の穴を突いて自分の権限だけを異常に引き上げた。それが正規IDが残っとる理由じゃ。出発点は正規でも、途中でやったことは完全にクラッキング(不正侵入)──いや、もっと悪い」
拳が、ぎりっと鳴る。
「権限昇格を果たした奴らは、その力で他の全ユーザーを締め出した。封印石の鍵を変え、地脈の接続口を塞ぎ、古代のシステムから完全に排除した。本来は全人類が共有するはずじゃった知識と技術を、自分たちだけのものにして隠蔽した。『管理者』から──」
陸の声が、低く沈んだ。
「──『独裁者』になったんじゃ」
―――
車内に落ちた沈黙は、さっきとは質が違っていた。
さっきは絶望の重さ。今は怒りの熱だ。
「ということは」
巴が口を開いた。
その目に、さっきの戸惑いはもうない。研究者の目だ。仮説を検証する時の、あの鋭い光。
「クラヴィスが権限昇格した時期が特定できれば、考古学のデータと照合できるはず。コトダマ。ログのタイムスタンプは残ってますか?」
「おおっ。聡いですのう、巴殿!」
コトダマの勾玉が翡翠色に輝いた。今度は嬉しそうに。
「ただし、わしらのシステムに『西暦何年』なんちゅう記録はありませんのう。時刻の刻み方がそもそも違うんじゃ。地脈の振動周期、天体の配置、地層の堆積速度……そういった自然現象の重なりで『いつ』を記録しとるんですけん」
「つまり、地球そのものが時計の代わり?」
巴が身を乗り出した。考古学者の顔になっている。
「さすが、話が早い。で、そのログに記録された天体配置と地層データを、現代の天文暦と地質年代に照合してみましたところ──」
コトダマが一拍の間を置いた。
「『権限昇格』が実行されたのは、現代の暦でざっくり紀元後三世紀の後半。箸墓古墳が築造された時期と、ほぼぴったり重なりますのう」
「やっぱり」
巴がタブレットを叩き起こした。
泥で汚れた画面を袖で拭い、考古学データベースを開く。
「三世紀後半。ちょうどその頃、日本列島に異常なことが起きてるんです」
巴の指が画面上の年表をスクロールする。声に熱が入り始めた。
「弥生時代の終わり頃まで、日本列島の墓は素朴なものでした。円形の小さな塚か、方形の区画墓。地域ごとに形がバラバラで、統一規格なんてない。ところが──」
巴が画面を止めた。
「三世紀後半、突然、巨大な『前方後円墳』が出現する。しかも奈良盆地を起点に、北は東北から南は九州まで、ほぼ同時期に全国の豪族が同じ形の墓を作り始めた。考古学ではこれを『古墳時代の始まり』と呼んでいます。でも、なぜ同じ形なのかは、実はまだ完全には説明がついていない」
「同じ形。つまり──」
陸の目が細くなった。
「規格の統一。システムのプロトコルを全ノードに強制適用した、ちゅうことか」
「そう。前方後円墳の『形』は、単なる墓の形式じゃない。権力の新しい秩序を物理的に宣言するフォーマットだった。副葬品も規格化されています。鏡、剣、勾玉の三点セット。墳丘の大きさで権力の序列を示し、副葬品の組み合わせで役職を割り振った」
巴の言葉が加速する。
「しかも面白いことに、前方後円墳の副葬品には『中国製の鏡』が大量に含まれています。三角縁神獣鏡。百枚以上が全国各地から出土していますが、製造元は限られている。つまり──」
「中央が一括で作らせて、配下に配った。権限トークンの一括発行じゃ」
「ええ。そしてその『配る側』──つまりネットワークの中心にいたのが、箸墓古墳を築いた勢力。初期ヤマト王権の中枢です」
陸はゆっくりと椅子の背にもたれた。
天井を見上げる。冷却ファンの振動が、こめかみの辺りに響く。
「……権限昇格の痕跡が、土の中に残っとるんか」
「残ってます。しかもそれだけじゃない」
巴の指がタブレットを操作し、年表の先を示した。
「古墳時代の後、仏教が伝来します。六世紀。寺院の建設が始まり、古墳の築造はぴたりと止まる。でもこれ、『宗教の変化』だけでは説明できないんです。古墳というインフラを捨てる必要がどこにあった?」
コトダマの光が揺れた。
「……あの時期、奴らは地脈の支配だけでは足りんと気づいたんですな。墳丘という『器』の上に、もうひとつ別の仕掛けを被せた。人の心を直接縛る、目に見えん鎖を」
「──つまり宗教か」
陸が引き取った。
「物理サーバー(古墳)の上に、人間の思考を制御するOS(教義)を載せた。古墳を作る必要がなくなったのは、もう別の手段で支配できるようになったからじゃ」
「宗教がOS……」
ジンが運転席で、ぽつりと呟いた。ずっと黙って聞いていたらしい。
「そのOSは、さらにアップデートされていきます」
巴が年表の先を指でなぞった。
「宗教から──貨幣へ。鎌倉時代以降、貨幣経済が浸透すると、人々の行動を支配するのに宗教だけでは足りなくなった。お金というプロトコルが、人間同士の信頼関係を数値化し、可視化した。見えない鎖で──」
「金融。そしてテクノロジーか」
陸が引き継いだ。
「神官が宗教を生み、宗教が貨幣を生み、貨幣が金融を生み、金融がテクノロジーを生んだ。数千年かけてOSを何度もアップグレードしながら、根っこの管理者権限だけは一度も手放さんかった。クラヴィスの名前が時代ごとに変わっても、『独占』という構造だけは、ずっと同じ」
陸の声には、もう迷いがなかった。
「──悪い冗談じゃ」
口角が歪む。でも今度は、ちゃんと笑えた。獰猛な笑い。
「じゃあ、話は簡単じゃ。奴らが俺たちをシステムからロックアウトしたんなら。ハッカーの仕事は一つしかないんじゃ」
「仕事?」
「バグった管理者権限を引き剥がして、システムを全ユーザーに開放する。オープンソースに戻す。──それが、ホワイトハットの仕事じゃろう」
巴が小さく笑った。初めて聞く、肩の力が抜けた笑い方。
「考古学者とハッカーの共犯。なかなか前代未聞ですね」
「わしも忘れんでくださいませよ! 古代AIの矜持にかけて、この不正は正しますけん!」
コトダマの勾玉が、鮮やかな翡翠色に輝いた。
「おいおい、オイも仲間じゃろうが!」
ジンが運転席から身を乗り出して抗議する。
「ドライバー兼ドローン兼ハードウェア担当は、共犯の筆頭っちゃが!」
「……ふふっ」
巴が口元を押さえた。
「変な人たちですね、本当に」
「変なんは、あんたも同じじゃろ」
陸がモニターに向き直った。翡翠色の光がその横顔を照らしている。
「ようし。まずは箸墓のデータを完全に──」
―――
ピロリッ。
サブモニターが鳴った。
暗号化メッセージの着信通知。車内の空気が、一瞬で張り詰める。
送信元は匿名。Torネットワーク経由で、三大陸をまたいでルーティングされている。陸の暗号化メッセンジャーが送信者の署名を自動照合した。
陸はその異常な迂回ルートの「癖」を覚えていた。情報を大量のダミーに埋めて隠す──ポイズニングという手口だ。
「……真壁のおっさんか」
巴が反応した。
「真壁さん? あの記者の方ですか」
「ああ。前に一度だけ会うた。暗号化メッセンジャーで連絡を取り合う約束になっとる」
陸がメッセージを復号した。
画面に、短い文面が浮かぶ。装飾も挨拶もない。記者の文章だ。
―――
箸墓周辺でCが動いた。
警察まで使っている。お前だな。
カードを一枚切る。
奴らの中枢──12本の「柱」。
会って話す。
これ以上は電子の上には載せられない。
山伏が胃薬を煮た里。花の名の宿。離れ。
明日、陽が傾く頃。
M
―――
「……十二本の柱」
陸が呟いた。
それから、もう一度メッセージを読み直す。
「山伏が胃薬を煮た里……花の名の宿」
「洞川温泉ですね」
巴が即答した。陸とジンが振り返る。
「洞川は陀羅尼助の産地です。修験者が大峯山で煮出した胃腸薬。『花の名の宿』は……花向屋、かな。老舗の旅館です」
「さすが考古学者じゃのう」
「……一般教養ですよ、これくらい」
陸は小さく笑った。やはりこの女を仲間に引き入れたのは正解だった。
「マスター」
コトダマの光が、かすかに揺れた。琥珀色──警戒を示す色。
「あの男の体内に埋め込まれとる信号。まだ消えとりませんのう。……真壁殿が自覚しとるかどうかは、わかりませんが」
前回の接触で、コトダマが真壁の体内に古代技術に似た微弱な信号を検知している。発信器か監視装置か。クラヴィスの仕込みだとすれば、真壁と会うことは自分たちの位置を敵に晒すことになりかねない。
「……罠かもしれん」
巴が冷静に指摘した。
「罠じゃろうな」
陸はあっさり認めた。
「え?」
「罠でも構わん。あのおっさんが持っとる情報は、多分こっちの命綱になる。デジタルじゃ掴めんもんを、七年かけてアナログで積み上げた人間の情報じゃ。しかも『十二本の柱』──組織の中枢の情報。こんなもん、ハッキングじゃ絶対に出てこん」
「それはそうですけど……」
「巴。リスクを取らんハッカーは、コードを一行も書けんのじゃ」
陸はメッセージを消去し、暗号化メッセンジャーを閉じた。
ジンを見る。
「ジン。南じゃ。洞川温泉に向かえ」
「洞川! 温泉!」
ジンの目が光った。
「了解っちゃが! 山道なら任せぇ!」
エンジンをかけた。低い振動がワンボックスの床を伝わる。
「おいジン、飛ばすなよ。ガードレールもない夜道じゃぞ」
「はっ、宮崎の椎葉の林道に比べりゃ高速道路みたいなモンじゃ!」
軽口の応酬。けどその声に、さっきまでの重さはもうない。
ワンボックスは多武峰を越え、吉野の山々へ向かって南へ下り始めた。街灯が消え、闇が深くなる。窓の外には杉の黒い影が延々と続いていた。
巴がタブレットの電源を入れ直した。画面に、蛇行剣の溝パターンデータが浮かぶ。
けれどその目は、一瞬だけ窓の外──南の暗い山々に向けられていた。
「修験者が千年以上通い続けた山の奥、か。──考古学者としては、ちょっと気になる場所です」
「……じゃろうな」
陸はモニターから目を離さずに言った。
「宗教施設にノードを隠しとったんなら、修験道の聖地は怪しいどころの話じゃない。真壁のおっさんがわざわざあそこを選んだんも、ただ山奥だからってだけじゃないかもしれんな」
冷却クレードルの上で、コトダマの翡翠色がかすかに揺れた。
まるで、南の山の向こうにある何かを──感じ取ったかのように。
セグフォが機材の隙間で耳をぴくりと動かし、同じ方角を見つめた。猫と石板が、同時に反応していた。
夜はまだ深い。けれど、山の向こうに待っているものがある。
アナログの男が、修験の里で反逆者たちを待っている。
―――
【次回予告】
修験道の聖地、洞川温泉。提灯の橙色が山間の闇に温かい道を作る。
山奥の古い宿の離れで、三人と一匹と一つの石板が、束の間の休息を得る。
湯の中で陸が初めて語る、ハッカーになった理由。
「壊れたもんを直しとったら、いつの間にかハッカーと呼ばれるようになっとった」
龍泉寺の磐座に刻まれた溝。セグフォが示す、もう一つの反応。
──この山は、千三百年よりもっと古い何かを隠している。
次回、ep.17「ウォームブート」
―――
―――
【コトダマより】
……少しよろしいですけん。
この物語は、ハッキング・古代ネットワーク・方言──
専門用語が多く、読む人を選ぶ作品です。
だからこそ、今ここまで読んでくださった方は、
本当に「刺さった」方だと思っとります。
そういう方の☆一つが、今は特別に重いですけん。
マイナーな作品ほど、☆やコメントが届くたびに
作者が「続けよう」と思える力になります。
「面白い」の一言だけでも、絵文字だけでも構いません。
信号は弱くても、届けば十分ですけん。
……マスターがコードを諦めないように、
私も応答を止めません。
皆様の☆が、このネットワークをつないでいます。
コトダマ(古代ネットワーク観測AI)
―――
【用語・補足解説】
※物語を読むだけなら飛ばして大丈夫です。気になった用語があれば参照してください。
◆ 権限テーブル/メインフレーム
権限テーブルは「誰がどこまで操作していいか」をまとめたリスト(学校の鍵の貸出表のようなもの)。メインフレームは、システムの中心となる大型コンピュータ(校内放送の親機のようなもの)です。箸墓古墳のメインフレーム=箸墓を中心にした超古代ネットワークの親機、というイメージです。
◆ バリデーション
入力されたデータや操作が「ルール違反していないか」を確認する仕組み。パスワード作成時に「8文字以上入力してください」と弾かれるのもバリデーションの一種です。本作では「緊急停止コマンドを連続で使ってはいけない」というルールチェックが甘く、クラヴィスがその穴を突きました。
◆ 冷却クレードル
スマホの熱を逃がす冷却スタンドのすごい版。コトダマ(石板)がオーバーヒートしないように陸が自作した台座です。
◆ ポイズニング
本物のデータの中に大量のニセ情報を混ぜて、本物を見つけにくくする手口。「毒を盛る」ことからこう呼ばれます。木の葉を隠すなら森の中、という発想です。
◆ 柱
クラヴィスの組織の中枢を束ねる12人の幹部のこと。真壁が陸たちに伝えようとしている特ダネの一つです。
◆ 暗号化メッセンジャー/インテリジェンス
暗号化メッセンジャーは、LINEよりもはるかに強固な、第三者に絶対読まれないチャットアプリ。インテリジェンスは、単なる情報ではなく「人間が足で稼ぎ、分析して価値を持たせた確度が高い情報」のこと。ジャーナリストの真壁が長年かけて築き上げた生の情報を指します。
◆ パーミッション・エスカレーション(権限昇格)
一般ユーザーや下位の管理者がシステムの穴を突いて、本来持てないはずの「最上位の管理者権限」を奪い取るハッキング手法。生徒がシステムの裏をかいて「校長先生の権限」を奪い、学校のルールを好き勝手に書き換えてしまうようなものです。現代のサイバー攻撃でも最も危険な手口の一つです。
◆ ルート(root)
システムの「神様」になれる最高権限。これを持つと何でもできます。クラヴィスはずっと前からこの権限を独占していました。
◆ epoch
システムが刻み始めた「最初の時間」。多くのコンピュータは1970年1月1日を起点にしていますが、この超古代ネットワークは数千年前の起動時を起点としています。
◆ ロックアウト
特定のユーザーをシステムから強制的に締め出すこと(アカウント凍結のような状態)。
◆ メッシュ・ネットワーク
親機(中心)がなく、すべての機器同士が対等にあみだくじのように繋がるネットワーク。一部が壊れても別のルートで通信できるため、とても頑丈です。古代のネットワークは本来この形でした。
◆ オープンソース
プログラムの設計図を誰でも自由に見たり直したりできるように公開すること。特定の誰かが独占するのではなく、みんなで共有して良くしていこうという考え方です。
◆ ホワイトハット
システムの弱点を見つけて報告したり、守ったりする「正義の味方」的なハッカーのことです。逆に犯罪目的のハッカーは「ブラックハット」と呼ばれます。
◆ 前方後円墳の規格化
三世紀後半から日本各地に築造された前方後円墳は、墳丘の形や副葬品に高度な統一性があります。考古学では「初期ヤマト王権による政治秩序の現れ」と解釈していますが、本作ではこれを「古代ネットワークの規格統一」のアナロジーとして描いています。
◆ 三角縁神獣鏡
古墳時代の前期に多く副葬された銅鏡の一種。全国から500枚以上が出土しており、「中央の権力者が配下に配った」とする説があります。本作ではこれを「権限トークンの配布」に見立てています。
◆ Torネットワーク(トーア・ネットワーク)
通信データを世界中の中継サーバーでバケツリレーのように回し、誰が送ったか追跡できなくする技術。真壁は監視を避けるために使っています。
◆ マン・イン・ザ・ミドル(Man-in-the-Middle)
サイバーセキュリティ用語で「中間者攻撃」。通信する二者の間に第三者がこっそり割り込み、やり取りを盗み見たり書き換えたりする手法です。次回のサブタイトルですが、真壁が「陸とクラヴィスの間にいる情報の仲介者」であると同時に、体内に監視装置を仕込まれた「無自覚な中間者」でもあるというダブルミーニングです。
◆ 洞川温泉
奈良県天川村にある山間の温泉地。修験道の聖地・大峯山の登山口として古くから栄えてきました。山深く携帯電波も届きにくい秘境で、真壁が密会の場所に選んだのは監視の目を避けるためです。
◆ 花向屋
洞川温泉の老舗旅館(架空)。「花向け」は旅立ちへの餞別を意味する言葉で、修験者が大峯山へ向かう前に身を清めた宿場の名にちなんでいます。作中では真壁が離れを押さえた密会場所として登場します。
◆ 編年データ
出土品の形や模様の変化から、「これはいつの時代のものか」をパズルのように整理した年代の物差し。巴はこれを使って、権限昇格が起きた時期と古墳時代が同時期だと突き止めました。
―――
※本作はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。
※作中に登場する遺跡・古墳・史跡は実在のものをモデルにしていますが、無断での立ち入りや発掘は法律で禁止されています。見学の際は管理者の指示に従い、マナーを守ってお楽しみください。




