ep.10「マスターキー」
「天の浮船」でのローミング認証を通過したハッキング車は、朝の光に包まれた奈良盆地を南下していた。
窓の外には、のどかな田園風景と、その合間にぽつりぽつりと現れる木々に覆われた小山――古墳の姿が広がっている。十六万基の古墳サーバーが眠る、奈良盆地。その地脈の密度は、これまでに通過してきたどの土地とも比較にならなかった。
助手席の足元で丸くなっていたセグフォが、窓に前足をかけて外を凝視していた。古墳の上を通過するたびに喉の奥でグルルと低く唸り、通り過ぎると静かになる。その反復を何度か見たジンが、呆れたように言った。
「陸、この猫、さっきから地脈のノードの上を通るたびに唸るっちゃが。完全に生体地脈センサーやな」
「……そうかもしれんな。こいつはコトダマを掘り出した時からずっと、俺より先に異変を感じ取っとった」
「マスター……この先です」
後部座席のバックパックの中で、コトダマがかつてないほど強烈な翡翠色の光を放ち、発熱し始めていた。冷却クレードルの上に移しても、光の明滅が収まらない。
「超古代ネットワークの最深部の階層にアクセスするための、特別な『主鍵』。その強烈な呼び声を感じますぞ!」
「マスターキー……『蛇行剣』じゃな」
陸は一週間ほど前の記憶を脳内キャッシュから引き出した。
寝不足で立ち寄った地元のコンビニ。レジ上のモニターで流れていた「富雄丸山古墳から出土した全長二百三十七センチの蛇行剣、国宝指定へ」というニュース。あの時は素通りした映像が、今になって途轍もない意味を帯びている。
人間が振るうには長すぎるあの鉄剣は、最初から「巨大なサーバーラックに差し込むための物理キー」として設計されていたのだ。
ナビが目的地への接近を告げる。
奈良市丸山──富雄丸山古墳。
だが、現場に近づくにつれて、車内の空気は一気に張り詰めた。
―――
「……おいおい、なんちゅう警備の数っちゃが」
運転席のジンが、思わずアクセルを緩めた。
小高い丘となっている富雄丸山古墳の周囲数百メートルが、黄色い規制線と無数の鉄柵で完全に封鎖されていた。等間隔で立ち並ぶのは、盾を持った機動隊員たち。そのさらに内側には、黒い制服を着た民間警備会社の男たちが目を光らせている。
周辺の住宅街には報道規制の看板が並び、カメラを持った報道陣すらも規制線の外に追い出されている。まるで戒厳令だ。
陸はPCを開き、周囲のネットワーク状況をスキャンした。
「……電波も完全にジャミングされとるな」
Wi-Fi、携帯電話の電波、GPS信号──あらゆる通信帯域が、高出力の妨害電波で完全に潰されている。前話で獲得したVPN通信すら、物理的な電波遮断の前では無力だった。
「表向きは『国宝指定に向けた緊急の学術調査』というダミーニュースを流して一般人をシャットアウトしとるが、中身はクラヴィスの末端部隊──『影』じゃ」
皮肉な話だった。「学術調査」という偽装を成立させるためには、本物の考古学者を何人か現場に呼び込まなければならない。クラヴィスはその建前のために、実際の発掘研究者を招集していたのだ。
警察という公権力すらも自らのシステムの駒として使い、物理的にもデジタル的にも完全な要塞を構築する。これが、世界を裏で操る支配者層のやり方だ。
「これじゃネズミ一匹入れんっちゃが。強行突破するか?」
ジンがハンドルを握り直すが、陸は首を振った。
「いや、中途半端に突っ込めばハチの巣にされる。まずは中がどうなっとるか、偵察が先じゃ」
「任せちょけ。電波干渉を受けない有線式の超小型ドローンを飛ばすっちゃが」
ジンがサンルーフからドローンを取り出した。昆虫サイズの機体に極細のワイヤーが繋がっている。有線接続なら電波ジャミングの影響を一切受けない。映像データはワイヤーを通じてリアルタイムで車内に送られてくる。
ジンの指先がプロポの上で軽やかに踊り、超小型ドローンが音もなく空へ舞い上がった。
―――
ドローンは機動隊の頭上を越え、古墳の中心部──ブルーシートに覆われた発掘現場へと音もなく潜入していく。
ジンのモニターに、上空からの映像が映し出された。
巨大な円墳の脇に設けられた「造り出し」と呼ばれる張り出し部分。深く掘り下げられた土の断面と、そこから出土したであろう木棺の痕跡が見える。
「コトダマ、映像に地脈の解析データを重ねろ」
「了解ですけん!」
コトダマが処理を走らせると、モニターの映像が一変した。
ただの土の壁や、発掘された遺物の配置が、幾何学的な光のラインとなって浮かび上がる。エメラルドの回路図のようなパターンが、古墳全体を覆っていた。
「……こりゃあ、すげぇな」
陸は感嘆の息を漏らした。
古墳の「形」、埋葬された層の「深さ」、副葬品の「角度」と「配置」。そのすべてが複雑に絡み合い、何重にもロックが掛けられた巨大な物理パズル──「鍵穴」を形成していたのだ。
キーボードを叩いてパスワードを入力するような、ソフトウェアのハッキングでは絶対に開かない。物理的な構造そのものを解き明かさなければ、システムにログインすることすらできない仕様。
「これを正しい手順で解除しないと、一番奥に眠るコンポーネントを取り出すことも、システムを起動させることもできん……」
陸がそう呟いた、次の瞬間だった。
ドローンのカメラが、発掘現場の片隅で動く「人影」を捉え、ズームした。
―――
機動隊や黒服の警備員たちが物々しく立ち並ぶ中。
たった一人、怯むことなく発掘現場の土と睨み合っている若い女性の姿があった。
泥だらけの作業着に、黒縁メガネ。一つ結びにされた黒髪が風に揺れている。
彼女は片手に持ったタブレット端末と、目の前の複雑な地層の断面を交互に見比べ、何かの「構造」を読み解こうとブツブツと呟いていた。周囲の殺気立った空気など、まるで存在しないかのように。
「……副葬品の出土角度が三十度ずれとる。いや、これは意図的な配置……? 造り出しの主軸と、盾形銅鏡の向きが噛み合わん……」
ドローンのカメラがズームした先で、彼女のタブレットの画面が一瞬だけ映った。そこには、古墳の断面図に幾何学的な補助線が何本も引かれ、副葬品の位置関係を示す矢印と角度の数値がびっしりと書き込まれていた。
「なんなんや、あの姉ちゃん。周りのイカつい警備員を完全に無視しとるっちゃが」
「マスター……あの人間」
コトダマの光が、驚きに明滅した。
「あの人間、わしらのシステムの『形による守り(物理的な防壁構造)』を、自力で紐解こう(リバースエンジニアリング)としとりますぞ……!」
陸はモニターの中の彼女をじっと見つめた。
彼女の目には、ただの土くれが「意味を持つデータ」として映っているのだ。自分がキーボードの上でコードを読むように、彼女は地層と遺物の配置の中に設計思想を読んでいる。
自分には絶対に見えない世界のソースコードを。
──こいつは、俺と同じ目をしとる。「仕組み」の裏側を覗かずにはいられん人間の目じゃ。
陸の口角が、自然と上がった。
「……見つけたぞ」
PCの画面を閉じ、陸は前を見た。
「あいつが、俺たちに必要な『古墳の解析者』じゃ」
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十六万基の古墳サーバーが眠る、奈良盆地。
ソフトウェアの天才と、ハードウェアの天才。
二つの知性が交わる時、数千年の沈黙を破り、本当のハッキングが始まる。
第1章「起動(岡山)」── 完 ──
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【次回予告】
厳重な警備網が敷かれた要塞、富雄丸山古墳。
陸は有線ドローンを駆使し、発掘現場にいる天才考古学者・鋳方巴のタブレット端末への直接ハッキングを試みる。
「物理的に近づけんのなら、論理的に繋ぐまでじゃ」
地層から設計思想を読み取る巴と、古代のコードを操る陸。
交わるはずのなかった二人の天才が、見えない電波を通じて、初めての通信を確立する。
次回、ep.11「ハンドシェイク」
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【用語・補足解説】
※物語を読むだけなら飛ばして大丈夫です。気になった用語があれば参照してください。
◆ リバースエンジニアリング
完成している機械やシステムをバラバラに分解し、「どうやって作られているか(設計図や仕組み)」を逆算して突き止めること。巴は考古学の知識を使って、ただの「土の層」から古墳という巨大システムの防壁の仕組みを自力で解き明かそうとしていました。
◆ ジャミング(電波妨害)
非常に強い電波を出して、周りのスマホやWi-Fiなどの通信を邪魔して使えなくすること。クラヴィスは古墳の周りに妨害電波を張り巡らせて、部外者から完全に切り離しました。
◆ ルートディレクトリ
パソコンやサーバーの中で、一番偉い「一番上の階層(根元)」。ここに入れる「鍵(権限)」を持っていれば、システム全体を神様のように好き勝手に操れます。
◆ 蛇行剣
奈良県の富雄丸山古墳から本当に出土した、長さ237センチもある東アジア最大の鉄製の剣。刃がウネウネと波打っています。本作では、超古代のネットワークを根元から操作できる「巨大なマスターキーそのもの」という設定になっています。
◆ 造り出し(つくりだし)
古墳の端っこにポコッと出っ張っている、祭りのための四角いステージのような場所。富雄丸山古墳では、この場所から蛇行剣などのすごいお宝が出土しました。
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※本作はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。
※作中に登場する遺跡・古墳・史跡は実在のものをモデルにしていますが、無断での立ち入りや発掘は法律で禁止されています。見学の際は管理者の指示に従い、マナーを守ってお楽しみください。




