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霞さまとぼく1

家に神が宿るという話を聞いたことはあるだろうか。ぼくは小さい頃から耳がタコになるくらい聞いていた話だ。

家の大小は問わず、そこに人が住むことでぽこんと神様が宿り、家とともに育っていく。

神様はその家を守り、そこに住む人たちを守っていく。逆に言えば住む人がいなくなれば神様は自然消滅する。ぽこんと誕生して霞のように消えていく。ぼくの家族はそんな神様を霞様と呼んでいた。

そして昔から人よりもほんの少し色々な事象に敏感だったぼくは、立派な豪邸の屋根の上で昼寝をしている霞様や、今にも崩れそうな廃墟も同然の家の玄関前で、落ち葉拾いをしている霞様と遭遇していた。

手を振るとにこやかに笑いかけてくれたり、落ち葉を渡すと頭を撫でてくれたり、霞様はいつもぼくに優しかった。

もちろんぼくの家にも霞様がいる。

わがままオブわがままな霞様が。


「忍。肩を揉んではくれんか。鉛がのっておるみたいに肩が重いんじゃ」

命令口調でぼくの布団に寝そべっているのが我が家の霞様。艶のある長い黒髪を白紐で縛って、白装束に身を包んでいる。見た目は滅多にお目にかかれないほど異様に顔の整った美青年。格好だけみたら神様っぽいけど、ただ単にだらけている風にか見えない。大目に見て神様っぽいのは服装だけだ。

ぼくは神様をじろりと睨みながらため息をつく。

「霞様、あのさ。あなたはこの家の守神だけどほかの霞様みたいに家の手伝いしたりしたらどうなんだよ」

「私は私で毎日忙しいのじゃ。故に疲れているから肩を揉めと言っておる」

布団の上でゴロゴロしながら偉そうなことをいう我が家の霞様は、とてもわがままだ。

「ぼくも忙しいんだ! 霞様そこどいて! 布団を直さないと母さんが怒るんだからっ!」

勢いをこめて布団の端をひっぱると、いとも簡単に霞様は部屋の端まで転がっていった。おむすびころりんならぬ神様ころりん。

転がった反動で、髪の毛をまとめていた白い紐が緩くなって白装束もはだけている。ぼくはわざと霞様を視界に入れないように、布団を押し入れに詰め込んだ。

霞様の乱れた姿はなんだか表現に困るのだけど、アダルト雑誌であられもない姿を見せている女性に見えるので、なんというか直視できないのだ。

見たい、だけど恥ずかしい、見ないでおこう、いややっぱり見たい!

ぼくは心のうちの葛藤を見破られないように、パジャマがわりの体操服を脱ぎ捨てて学校指定のポロシャツとスラックスに身を包む。

「ぼく、先に向こう行ってるから!」

「...…承知した」

渋々といった表情で髪を結い直している霞様は朝日に当たってより神々しい。霞様の身体から溢れる光の粒子が朝日に反射してきらきらと部屋の中を明るく照らす。

ぼくは1日の中でこの朝日が指す時間帯が一番好きで、なぜなら霞様が一層きらきらしているから。無意識に見惚れてしまう、引き込まれてしまう。

霞様はわがままだし偉そうだし常にこき使ってくるけど、それ以上にぼくは霞様のことを大切におもっている。

……口げんかは絶えないけれど。


縁側を抜けて、廊下を進むと台所が見える。

後ろ姿だけで母さんがせっせと朝ごはんの支度をしているのがわかる。

台所へ歩いて向かっているとふと目の前を何かが横切った気がして、その方角へ身体を向けた。ぼくの部屋には縁側がある。その先には小さな庭と、青々とした葉を茂らせた大きな桜の木があって、先ほど目の前を何かが横切った気がしたのは、風で揺れた葉だった。

「桜の木がお前に挨拶しているぞ」

突然背後から声が聞こえてきてびっくりしたぼくはつい大きな声を出した。

「音もなく後ろに立たないでくれよ! 気配を消すのも禁止!」

「……私が忍に意地悪をしている?……なんのことやら。私は意地悪などしておらんのに」

霞様は目を細めてなにやら嬉しそうに庭の大きな桜の木を眺めている。

「逃げぬ、賭けても良いぞ。私のことが好きで好きでたまらんようでな」

「霞様、なににやにやしてるんだよ。早く朝ごはん食べようよ」

「……忍よ、そう焦るな。朝ごはんに足が生えて自ら逃げ出すということでもなかろうに」

まだ庭の木を見ていた霞様は呆れたように腕を組んで、やれやれという風にゆったりとした歩調で台所へ向かう。

ぼくが二歩進むと、霞様が一歩進む。

二歩、一歩、二歩、一歩。

ふと視線を感じて斜め上をみると優しい顔で微笑む霞様と目が合った。

「霞様?」

「なんじゃ」

「ううん。なんでもないよ!」

優しい眼差しで見つめられるのは背中がむずむずして気恥ずかしいから、誤魔化した。

霞様は不思議そうに首を傾げている。

庭の桜がころころと笑っているように葉を揺らしていた。


「霞様、あのさ」

「なんじゃ。眠れんのか? 私が子守唄でも歌ってやろう」

「わわわ! 歌わなくていいよ!」

歌い出そうとする霞様の口を両手で覆った忍は、ため息を吐いた。

「違うんだよ。眠れないわけでもないし、むしろもう眠たくてすぐにでも寝てしまいそうなんだけどさ」

「ふむ」

「ぼく思ったんだ。もう中学生にもなったのに相変わらず1つのふとんで2人で寝てるのって変じゃないかって」

「そんなことを悩んでおったのか?」

幼い頃からの癖というのは恐ろしいもので、忍は昔から霞様と一緒に寝ている。

ピッタリとくっついた肩と肩がくすぐったい。手を少し動かせば霞様の腕に触れてしまう距離。

咄嗟に霞様の口を覆った自分の両手が尋常じゃないくらい熱い。

だけど素知らぬふりをしている。

こんなかっこうわるいところみせたくない。

「気にするでない。私と忍は2人で1人、私は忍なんじゃ」

「? どういうこと?」

「いまはわからぬともよい」

霞様は棒のように動かないぼくの身体を丸ごと抱きすくめた。

一瞬息が詰まったようになって、次第に力が抜けていくのを感じた。意識がなくなる寸前霞様の唇がぼくの額に触れたような気がしたけど、問いかけようとする頃には深い眠りに落ちていた。


夜もふけてきたころ、腕の中で穏やかな寝息を立てている忍を起こさないように、霞様はゆっくりと起き上がった。

縁側から月明かりが差し込んで、霞様の身体をきらきらと照らす。溢れた光の粒を掬って、ポンポンと忍の身体につけると、霞様は立ち上がって外に出た。

静寂。まるで生きているものなど何もないかのように静まり返っている。

「……朧、出てこい」

慈愛に満ちた溢れたいつもの霞様の声とは反対に、研ぎ澄まされた刀のような冷淡な声に桜の木がざわざわと揺れた。

ほどなくして、木の影からぬるりと黒装束に身を包んだ何者かが姿を現した。

全身月明かりに照らされても、そこに影があるだけで、顔や性別など特徴がまったくわからない。朧と呼ばれた人型の影は恭しく霞様の前にひざまずいた。

「報告、全方位異常なし。満月に向けて目を配置し監視」

朧は端的に報告をすませ、霞様からの命令を受けるために、口を閉ざした。

「異変があれば日中でもかまわん、報告をしろ。監視を怠るな。行け」

「……御意」

朧が音もなく去ると、爽やかな夜風とともに、甘ったるいなんともいえない香りが霞様の周りを覆った。くすくすと笑い声が聞こえてきそうにまとわりつく夜風に、霞様が眉間に皺を寄せて、断ち切るように腕を横に鋭く振ると甘ったるい香りは霧散して消えていった。

「花霞……」

どこか呆れが透ける声音に、花霞と呼ばれた桜の木は焦ったように枝を揺らして、葉を霞様の頭上に落とした。

花霞は声を出せない。

その代わりに木の枝を揺らしたり、太陽を遮って人目を集めたり、今みたいに葉を落としたりして感情を表現する。

はらはらと葉を落とす花霞は反省しているようで、霞様は目を細めて微笑んだ。

「いつも頼りにしてるぞ」

一瞬動きを止めたものの、その後猛烈にわさわさと枝を揺らすものだから、うしろのほうで忍が寝返りを打った。気配で勘づいた霞様は人差し指を唇に当てて「静かに」と花霞をなだめた。

それでもまだゆさゆさわさわさ嬉しそうに揺れているのを横目に、ふと夜空に目を向けた。

真っ暗な空に星と変わらないほど煌めく月が雲で見え隠れする。

あと何日かしたら満月になるだろう。

満月が近づくとなにかとこの家にはよからぬ奴らがよからぬことを企んで近寄ってくるのだ。

外敵から家を守る役割は桜の精花霞と監視役と、霞様の影の朧に。両方とも霞様に忠実で強力な右腕だ。

ただ花霞は朧をライバル視していて、朧と同様に扱わないとすぐ拗ねるので少々困っている。

ふっと短く息を吐いて部屋に戻ると、ふとんに座り込んだ忍が眠たそうに目を擦っていた。

「霞様どこ、行ってたんだよ……」

「なんてことはない。月が綺麗でな」

「そうなんだぁ……」

忍を優しく横たわらせて、霞様も隣に潜り込む。当たり前のように忍が霞様の胸元に顔を寄せると、これまた自然に抱きしめられて、これでもかというくらいに密着した格好になった。

安心したように忍が身体を脱力させているのを感じて、霞様は声を出さずに小さく笑う。

いつまで経っても愛おしい我が君よ。

忍の寝息を聞きながら、霞様も目を閉じた。

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