婚約破棄の理由とその後の話
婚約破棄から始まる、若い二人の物語。
軽い設定ですので、さらりとお読みください。
「キャサリン、君との婚約を破棄させてくれ」
二人で話がしたいと、庭の散歩をしていたところ、婚約者のデニス様にそう告げられました。
「デニス様、理由をお伺いしても?」
「……君は悪くない。これは、私の有責での破棄だ。だから、どうか、何も言わずに受け入れてくれ……頼む」
「……わたくしが悪くないのであれば……何故と重ねてお伺いしても?……………そのお顔では、お答えいただけないようですね」
黒い瞳を潤ませ、今にも泣きそうな顔をしているデニス様は、黒い艷やかな髪を揺らしながら顔を下げて、何度も「すまない……」と仰って。
それが彼を見た最後でした。
◇
「キャサリン。次の婚約者だが……」
お父様から、その話題を出される度に、わたくしは「しばらくその話題は……」と、かわしてきたのですが、今回はお父様も諦めようとしてくださりません。
「……デニス君とのことから、もう三年だ。そろそろ婚約の相手も選びにくくなる。もう気持ちの整理はついたのではないのか?」
気持ちの整理、ですか。
確かに、デニス様から婚約破棄を告げられたあとは、気持ちが落ち着かず……そうして今日まで過ごしてきたのですが、正直、まだ、デニス様を忘れることはできないのです。
貴族という立場上、結婚したくありません、と軽々しく言えないことくらい、わたくしにも分かっております。
ですが、学園生活を共に過ごす予定でした婚約者から、入学前に突然の婚約破棄を告げられ、いくら彼の責任だとしても……学園に通い、勉学や技術に没頭することで考えようとしなかっただけで、心はまだ、デニス様に残っているのです。
その学園生活も、気がつけば、あと一年で終わります。
卒業生には、パートナーを伴ってのダンスがあるので、婚約者がいない生徒は、家族などに頼むのですが、それはつまり『この時期になっても結婚予定が無い』と見なされるため、……『結婚するには問題がある人物』と思われるのです。
お父様が焦る気持ちも分かるのです。
我が家は、子爵家。
そして、わたくしは、一人娘。
家を継ぐために、貴族籍の男性を婿に迎える……それが、男爵家三男のデニス様だったのです。
わたくし一人が結婚せずとも良い状態でしたら、失恋を理由に引きこもることも、どこか違う場所で生きていくこともできたかもしれません。
…………本当に、デニス様は、何故………。
◇
「キャサリン。男爵家から使いが来た。行くぞ」
ある日、お父様に呼ばれたわたくしは、その一言を聞いた後、あっという間に着替えさせられ、男爵家の馬車に乗っていました。
「あの……お父様?」
男爵家の馬車の中で、ようやく、そう尋ねてみたのですが、お父様は難しい顔をして「行けば分かる」と繰り返すだけでした。
使いの方は御者台にいるので、話を聞くことはできません。
そして、男爵家に到着し、かつて何度も顔を合わせた執事に案内され、客間へと通されました。
……彼の目元が赤いのは気のせいでしょうか?
◇
「キャサリン、君との婚約の破棄を、破棄させてくれ!」
案内された客間に通され、しばらく待っていると、勢いよく現れた男性が……黒髪黒目の男性……。
「デニス様!?」
「そうだよ、デニスだよ!やっと戻ってこれたんだ……ずっと会いたかった……」
そう言って、あの時と同じように泣きそうなお顔で、わたくしを見つめてくる……デニス様?
「キャサリン。これには事情があるんだ」
お父様がそう言って、デニス様?の後ろから入ってこられた、デニス様のお父様に、話の続きを促しました。
──三年前、デニス様は、この国の聖女様に思いを寄せられ、王族から聖女様との結婚を迫られたのだそうです。
聖女様は、違う世界から、この国を守るために召喚によって『強制的に連れてこられた』ため、召喚を行なった王族や、宮廷魔道士たちは、聖女様の望みを叶えるならばどんなことでもする……例え、婚約者がいたとしても、聖女様が望まれるのであれば……。
それを知ったデニス様と、デニス様のお父様は、とにかく婚約者のわたくしに害が出ないよう『婚約破棄』という形で、わたくしを守ってくださったのだそうです。
そして、聖女様から離れるべく、隣国へと留学という形で行き、この三年間は聖女様がデニス様のことを忘れるために、ずっと帰国することができずにいたとのこと。
……そういえば、先日、聖女様が、第二王子と婚約をしたというお話を耳にしましたが、もしかして、それで帰国できるようになったのでしょうか……?
「──という訳で、息子は帰国できたのだが、どうやら元婚約者殿は、まだ新しい婚約者がいないようだと知って、話をできたらと子爵家に使いを出したのだが……」
そう言って、デニス様のお父様が、わたくしのお父様に視線を向けると、ふん、とはしたなく鼻息を荒げながらお父様は言うのです。
「婚約破棄の理由が理由だからな。私からは、キャサリンに新しい婚約を急ぐことはしたくなかったが……もういい加減待ちくたびれて、どこかの男を婚約者にしようとしたところに、これだからな」
そういって、お父様は、わたくしとデニス様を見つめます。
「まったく……久しぶりに会ったとはいえ、親の前で、ずっと手を握り合う二人なぞ、さっさと婚約をさせてやるしかあるまい。いいか、デニス君。キャサリンはな、君の名前を聞くだけで泣いてしまうくらい、まだ君のことを諦めてないのだから、責任は取ってもらうぞ」
「お、お父様!!」
な…なにを、仰るのでしょう!
デニス様は、嬉しそうに頬を染めていらっしゃいますし、デニス様のお父様は、小さな子供を見るような目でわたくしたちを見ていらっしゃいますし……は…恥ずかしい……!
顔を隠そうにも、しっかりとデニス様に両手を握られ、それも叶いません。
「もちろんです」
そう言って、デニス様はわたくしの両手を握りしめたまま「婚約破棄を破棄するからね」と言って、頬に口付けを落としました。
「………!!」
お、親の目の前で……!!
わたくしは、嬉しさと恥ずかしさで頭がいっぱいになりつつも「……はい」と返事をしたのです。
◇
一年後。
わたくしは学園の卒業式に参加していました。
エスコートは、もちろんデニス様です。
デニス様は留学先で一通りの学びを終えられたのですが、こちらでは卒業までの一年間を、他の方との交流もしなければといって、わたくしと共に学園で過ごされました。
そうして、二人仲睦まじく学園生活を過ごせたことは、この三年間を寂しく過ごした思い出を、鮮やかに塗り替えてくれたのです。
「きみが一番綺麗だよ、キャサリン。そんな君と最初に踊る栄誉を私に与えてくれるかい?」
もちろん、わたくしは、微笑んで、こう答えるのです。
「ええ、もちろんです」
踊りに誘っていただく理由など、聞かなくても、もう分かりますからね。
お読みいただきありがとうございます。
本文には入れなかった背景を少しあとがきに書き残しておきますね。
二人のお父様は、古くからの友人です。
キャサリンのお父様は、婚約破棄の理由を知っていましたが、キャサリンには隠していました。
ただ、聖女様がデニス様を諦めない限り、キャサリンはデニス様と別れるしかないので、キャサリンの思いを知っているだけに悩んで……やっと聖女様が諦めたと知り、男爵家からの使いの馬車にキャサリンを問答無用で乗せたという背景です。
ぐだぐた話すより、会えばわかる!という考えのお父様でした。