72話:彼の者が目指した洗脳社会構想
「ファーシルくんは驚かないんだね」
サキュバスクイーンは顔色一つ変えない俺を見て、満足気な笑みを浮かべる。
「知っていたからな」
「ふふっ」
「なぜ嬉しそうなんだ?」
「それは秘密♪」
サキュバスクイーンは何を考えている?
鈴の秘密を知る者が増えれば、イルシオンの秩序が危うくなるだけだ。
彼女もミウルスと同じようにイルシオン社会の混乱を望んでいるのか?
「ねぇ、ファーシルくんはこの鈴のことをどこまで知ってるの?」
「その鈴がただの鈴だってことは分かっている」
「え……?」
「何か変なことを言ったか?」
「だってこの子達が倒れちゃうんだよ?」
人が倒れる音を出す鈴を普通の鈴と言えば、驚かれるのも当然だ。
ただ、俺は彼女が鈴の音色で騎士らが倒れる原因を知り尽くしていると思っていた。
「お前は全部知っているわけじゃないのか」
「それはそうよ」
彼女が知っているのは、鈴を鳴らせば騎士らが倒れるという事実だけだったのだろう。
「どうしてただの鈴だって思うの?」
「普通の鈴を試しに作って鳴らしたのだが、その鈴でもグランルーンが倒れた」
「なるほど、その検証範囲を広げた結果が、この前の事件に繋がったんだ」
「……」
何も知らなかったのに、そんな的確な憶測をするのか……
さすがにあの事件の首謀者が、俺だと周知されるのはまずい。
そう考えると、俺は冷や汗が止まらなかった。
「安心して、私はファーシルくんの味方だから」
「あ、ああ……」
なぜ味方であろうとするかは分からないが、彼女の態度からひとまず告発される心配はなさそうだ。
彼女はあまり上手に嘘をつくタイプとは思えない。
「そろそろ俺のほうから話していいか?」
「あっ、そうだったね。私に用があって来たんだものね」
俺は彼女からクサリのことは聞き出すつもりで来ていたが、鈴のことを知る四人の関係性も把握しておかなければならないと考えていた。
クサリ、ジャーマス、ミウルス、サキュバスクイーンの四人には何らかの接点があるはずだ。
でなければ、国を守る王と騎士を気絶させる道具の秘密を共有しているはずがない。
「俺はこの鈴の秘密を知る者は自分の他に三人だけだと聞かされた」
「そのことをファーシルくんに教えたのはミウルスよね?」
「ああ」
サキュバスクイーンは、俺が言った『とある人物』をミウルスだと正しく理解していたのか。
それならば彼女はミウルスを知っていて、『あの子』とまるで自分よりずっと若い相手を呼ぶような言い方をしていたことになる。
見た目の年齢差はそこまでないはずだが、彼女は俺が想像しているよりもずっと長生きなのかもしれない。
「この鈴のことを知る他の三人とはどんな接点があったんだ?」
「う~ん、その質問はちょっと答えるのが難しいわね」
「やはり国の機密に値するか」
「そういうことじゃなくて、説明が難しいのよ」
どうやら特定の思想や価値観が一致して、集まった集団ではないらしい。
俺はミウルスのことを、彼女らの一派から離脱した裏切者と考えていたが、どうやらもっと複雑な関係にあるらしい。
「まず私たち四人の中で、中心人物だったのは先生ね」
先生とはおそらくクサリのことだ。
指名手配されているミウルスと、権限に制限のあったジャーマスが、中心人物とは思えないからだ。
「先生は傲慢で私やミウルスのことを奴隷のように扱ったわ」
「あのミウルスが奴隷のような扱いとは想像できないな」
「そうよね」
「一つ気になったんだが、先生ってのは本人にそう呼ばされたのか?」
「うん」
何かを教えていたわけでもなかろうに、自分のことを『先生』と呼ばせてたとはろくな人間じゃないな。
サキュバスクイーンやミウルスが他者から支配されていた姿は想像し難いが、クサリがどんな振る舞いをしていたかは容易に想像できた。
「先生が目指していたことは、自分が不老不死になって、イルシオンを恒久的に支配すること」
傲慢で不老不死の支配者になることが目標か。
まるで絵に書いたような悪人だ。
「当時イルシオンを支配していた王様は暴政を敷いていたこともあって、先生の野望に好意的な人も多かったわ。そんな中でも誰より先生に心酔していたのがジャーマスよ」
「ジャーマスは今も昔も変わらずか」
過激な政治活動家である姿は、俺の見てきたジャーマスと何も変わらない。
イメージ通りだ。
「クサリは己の野望を果たして、今はずっとイルシオンを影で操っているのか」
「一応は支配したけど、先生が描いた支配構想とは程遠いわ」
「どういうことだ?」
「城内にいる人々の自我を奪っただけで、自律行動させるには至ってないの」
グランルーンの自我が希薄なのはクサリの錬金術が原因か。
ただ、自我を奪った上で自律させるというのは矛盾していないか?
「クサリは自我を奪った連中をどうさせたかったんだ?」
「もっと高度な判断力を身に付けさせたいのよ」
「そういうことか」
イルシオンの騎士らは命令として定義されてないことへの対応力が極端に弱い。
そのため、「これはイルシオンのためだ」と適当に言うだけであっさり折れることも珍しくはない。
どれだけ強大な力があろうと、配下がそんな人物ばかりでは思うように統治はできるはずがない。
クサリはその問題を改善して、完璧な支配体制を望んでいるのか。
「適切な判断のできる人材を欠いているようだが、ジャーマスをもっと頼ろうとは思わなかったのか?」
墜征隊の動員人数制限のことはもちろん、彼はイルシオンの騎士らを動かす権限を持っていなかった。
事実上国のナンバー2であってもおかしくないジャーマスの扱いがあまりに軽んじられている。
「先生は自分以外の人の支配を望んでないの」
「洗脳済の人間だけで社会を作ろうとしているのか」
「そう」
俺はクサリの考えが分かった気がする。
おそらく彼が目指す未来は、AI管理されたような社会だ。
だから、騎士らや孤児院の教育を受けた者らは揃いも揃って自我が希薄になったんだ。
「クサリの野望が最大限果たされたときはどうなると考えている?」
「イデア全土が先生の箱庭になるんじゃないかしら?」
「……」
冗談ではない。
いずれはクサリを始末しなければ、俺は俺のままでいられなくなる。
しかし、圧倒的な実力を持ちながら、ただイルシオンの治安を乱すだけに留まるミウルスは何を考えているのか?
もう一度彼女に会って、真意を確かめておきたい。
「そろそろ時間ね」
「ああ、分かった」
面会時間の終わりが訪れる。
俺たちは城の外に出て宿に戻ると、ダスティナが窓越しの光景に指を差して、俺に訴えかける。
「ねぇ、あれ見てよ」
「どうした?」
ダスティナの指差す先には、次々と城から出てきて馬車に乗り込む若い人々の姿があった。
その人数は百人以上にも及ぶ。
「なんかみんなファーシルに似てない?」
「確かに似ているかもな」
彼らの周りには最上位騎士らが控えているが、特に命令している様子もなく、みんな自分から馬車へと乗り込んでいた。
「不気味だな」
「あいつらも自我を奪われてるんじゃない?」
「その可能性が高そうだ」
クサリの目的は知れたが、グラトニアに帰るのはまだ先になりそうだ。
俺は城から出てきた人々の正体と行方を明日、サキュバスクイーンから聞くことにした。