64話:時を経ても消えない洗脳教育の痕
俺が治安対策の条例を公布してから、20日ほどが経過した。
グラトニアは発展を続け、イルシオンからの移住者もちらほら現れた。
近頃は刺客の襲来もなく、安定した日々が続いていた。
そんなある日、不審な動きを見せる者が現れた。
「リプサリスさんはこれらの物を作れますか?」
「えっと、多分できますけど、何に使うんですか?」
「……」
「これは使う目的が分からないと、引き受けられないです」
「そうですよね」
俺はタンゾウと話していると、近くでリプサリスが誰かからの錬金術の依頼を断る声が聞こえてきた。
リプサリスが錬金術を扱えると知っているのは、前々からいる住民だけだ。
しかし、彼女と会話していた声はあまり聞き覚えがない。
一体誰がリプサリスに個人的な依頼をしていたのだろうか。
俺はタンゾウと今後の開発計画について話を終えた後、先程聞こえてきた声の主をリプサリスに尋ねた。
「リプサリス、さっきお前に依頼をしていたのは誰だ?」
「エンサさんですよ」
「えっ……」
彼女の口から予想外の名前が出てきたことに俺は驚きを隠せない。
エンサはイラの母親であり、俺が転生した翌日からの同行者だ。
リプサリスが錬金術を使えることは、彼女が能力を引き継いだ数日後に当時いたメンバー全員に伝えていた。
そのため、エンサがそのことを知っているのは何ら不思議なことではない。
俺が不思議に思ったのは、普段自分から話しかけないエンサがリプサリスに個人的な依頼をしていたことだ。
俺は未だにエンサが何を考えているのか全く分からない。
「エンサに何を頼まれたのだ?」
「毒薬と爆弾です」
「……」
エンサはグラトニアでテロでも起こすつもりか?
だが、何のために?
俺は彼女の娘であるイラをリギシアに派遣する許可をしたが、本人の要望を通しただけに過ぎない。
さらにエンサは娘と他人のような関係であることから、リギシアへの派遣が動機になるとは思えない。
俺は彼女に直接問いただす前に、オウボーンが何か知らないかと確認を求めた。
「いえ、エンサがそんなものを要求するなんて信じられません」
オウボーンでさえ何も知らないのか。
俺はオウボーンにこれからエンサを問い詰めると伝える。
彼はエンサが問い詰められることを望まないだろうが、用途を伝えずに危険物を要求する彼女を庇いきれないと判断したのか、俺の判断に同意した。
俺はオウボーンの家の中にいたエンサに声を掛ける。
「リプサリスに危険物の依頼をしていたようだが、お前の目的は何だ?」
「……私に目的はありません」
「目的もなしに頼むようなものではないだろう」
「……」
彼女は沈黙する。
相変わらず何を考えているのか分からない。
しかし、俺に敵意を見せる様子はない。
「目的がないなら、何を理由にリプサリスに頼んだ?」
「昔のご主人様の願いを果たすためです」
「それは立派な目的じゃないのか?」
「私の目的ではありませんので……」
「……」
なぜ自分の目的ではないと強く否定する?
首謀者でなくとも、行動を起こせば重罪だ。
だが、誤魔化すような態度を取るわけではなく、質問の仕方を変えたらあっさりと答えた。
単に言葉の揚げ足を取るかのような返答をした彼女の言動に強い違和感があった。
彼女はオウボーンに依存しがちで、自発的に動く姿を見たのは今回が初めてだ。
そんな彼女が起こした不可解な行動と発言から、俺はある可能性に気づく。
「お前、リプサリスと同じ孤児院の出身か?」
「はい」
やはりそうだったか。
俺がリプサリスと同じ孤児院の出身だと察した理由は幾つかある。
一つは極端な自己主張の少なさだ。
他者の言いなりになる生き方を美徳とするあの孤児院の価値観が未だに染みついていると判断したからだ。
さらに俺の質問に対して、自分の目的はないと言い切ったことだ。
普通ならば、誰かの駒であっても自分の目的として認識する。
しかし、彼女は自分の行為を自分の目的と完全に切り離して考えていた。
『自分のため』に行動していると認識されたくなかったのだろう。
そのことから俺は『ご主人様』を、彼女が昔仕えていたチキュウ人と判断した。
おそらくそのチキュウ人は既にこの世におらず、遺言に従っているのだろう。
今のリプサリスと同じ立場であった彼女が、怪しい動きを見せていたことからさらに推測できることがあった。
「お前のご主人様はかつてジャーマスにやられたのか?」
「はい」
「やはりそういうことか」
今になって動き出した理由は分からないが、彼女の目的は大体察した。
ジャーマスを失脚させるだけでは満足できず、自らの手で殺めようとしたのだろう。
ただ、彼女にそんなことができるはずがない。
「お前一人の力でジャーマスをどうにかできると思っているのか?」
「いえ……」
「ならばどうして行動に出ようとした?」
「ファーシルさんの作戦は失敗するからです」
「どういうことだ?」
「アキナイ家はジャーマスと手を結んでいます」
「え……」
俺はアキナイ家を味方に付けて、ジャーマスの紛糾させれば彼をスムーズに失脚させられると考えていた。
しかし、両者がイラが生まれる前から手を結んでいるなら結束を崩すのは容易ではない。
「オウボーンは知っていたのか?」
「いえ、しかし両者ともイルシオンで強い影響力を持つため、何かしら接点があったと思います」
オウボーンの判断はごもっともだ。
ジャーマスの表の活動を見て支援や取引関係を結ぶのなら倫理的な問題もない。
「いや、待て……」
しかし、俺はアキナイ家当主の長女ヤリテナと出会ったときの言動から、ある疑念が生まれた。
「どうしました?」
「今思えばだが、ヤリテナはジャーマスのために動いていたのかもしれない」
「どうしてそう思うんですか?」
「彼女が現れてから刺客の動向が変わったんだ」
ヤリテナは俺と初対面のときにリギシアとの関係を尋ねてきた。
さらに彼女がリギシアからイルシオンに帰還したあたりのタイミングで、グラトニアに刺客を送られることがなくなった。
つまり彼女がグラトニアとリギシアの状況をジャーマスに伝え、刺客の送り先がリギシアに代わったかもしれない。
俺はエンサからアキナイ家が敵だと主張する理由を聞き出すも、『ご主人様』が言っていたの一点張りだ。
それ以外は何も知らないのだろう。
ただ、俺はアキナイ家がジャーマスと手を結んでいた場合に備えてやらねばならないことがあった。
「ダスティナはいるか?」
俺は慌ててダスティナの元へ向かう。
「急にどうしたの?」
「至急リギシアに伝令を頼みたい」
リギシアに向かったイラはアキナイ家に心酔している。
そんな彼女がリギシアでアキナイ家の人間と接触したら、リギシアの情報が筒抜けになる。
さらに俺の作戦さえもジャーマスの耳に入るかもしれない。
そうなる前にアキナイ家を警戒対象と認識させなければ……




