62話:雪解けの対話
俺とセレディアは皆を集めて、グラトニアの広間へ向かう。
関係の拗れた両陣営の代表が揃ったことで、人々の表情からは不安な様子が見て取れた。
「お、お頭ぁ……」
俺に右腕を切り落とされた冴えない小柄な男は、セレディアの姿を見るとすり寄るように声を掛ける。
俺への制裁を望んでいるのは明らかだ。
この男はこの後に及んで、まだ状況を悪化させるつもりか。
やはりさっさと殺しておくべきだったかもしれない。
「ねぇ、ファーシルがリギシアからの移住者受け入れを停止した原因ってこいつ?」
「他にも何人かいるが、こいつがその筆頭だ」
「そっか」
セレディアは俺の返答を聞くと、彼に冷たい視線を向ける。
「アタシは何て命令したか覚えてるよね?」
「……」
彼はセレディアの言葉に何も言い返せずに固まる。
助けを求めてすり寄ったものの、任務の失敗を咎められたと判断したからだろう。
セレディアは沈黙する彼を蹴り飛ばし、ナイフで一刺しする。
彼の様子と言葉に彼女がどう反応するか、俺は警戒心を募らせていたが、彼女が真っ当な判断をしたことに安堵した。
「な、なんで……」
「移住を阻害させた罰を与えるのは当然じゃない?」
彼女は冴えない小柄な男にさらに容赦なく拳を顔面に叩き込んだ。
「ぐうっ……」
彼はその場で崩れ落ちた。
冴えない小柄な男は自分なりに、セレディアに尽くしたつもりだったのだろう。
だから、グラトニアとの関係を拗らせたことへの制裁を与えられたことに理解できていない様子だった。
「ファーシルを屈従させたなら評価したけどさ、ボコボコにされて関係を拗らせただけじゃ迷惑なだけだって分からない?」
「……」
セレディアの言葉に彼は最後の希望を失ったかのように愕然とする。
頼みの綱であったセレディアに活動内容を酷評されたのだ。
もはや彼に居場所はない。
俺は彼に降伏すれば生かしてやると言ったが、その後の彼の扱いをどうすべきかと悩んでいたがもう心配はいらないだろう。
片腕だけでなく、居場所も失った彼は更なるトラブルを起こせば、今度はリギシアの仲間内からさえ叩きのめされると思われるからだ。
セレディアが彼に制裁を加えたことには俺も驚いていた。
なぜなら、10分ほど前まで恐怖や圧力で俺を味方につける考えを示していたからだ。
彼女からその考えを告げられたとき、もう相容れない関係になってしまったのかと思っていた。
そして今はセレディアの考えが純粋に分からないと思うばかりだ。
何せ、先程俺と個人で対話したときの行動とは矛盾を感じるからだ。
「さっきは俺を恐怖や圧力で支配するとか言わなかったか?」
「うん、もちろん今だって手段の一つとして考えてるよ」
「……」
そうか、セレディアは結果でしか判断をしないのか。
目的に沿った結果さえ出せばどんな手段でも容認するが、失敗すれば自己責任として制裁を与える。
それが彼女の方針なのだろう。
手段を誤ったときのトラブルを考えると、俺には絶対にできない判断だ。
彼女は彼に制裁を入れつつも、攻撃的な手段を咎めることはなかった。
彼女が彼を咎めたのは、俺に勝つ実力がないのに攻撃的手段を実行して関係を悪化させたことだ。
「そういえばお前は俺に敵意を抱いてた理由にしばらく口を閉ざしていたな」
「そ、それがどうしたんだよ」
「お前はセレディアの運営方針に不満を抱いていたな?」
「そんなことはねぇよ」
「ふむ」
俺は彼を尋問したときに聞き出した言葉から、心理分析した内容をそのまま口にする。
しかし、彼は俺の言葉を否定する。
「それならば、なぜ現状に満足せずにジャーマスとの取引に従った俺に私怨を抱くようになった?」
「……」
「お前に限らず俺に不満を抱いている連中は、セレディアに運営能力がないと思ってるからじゃないのか?」
「違う!」
目の前にセレディアがいる状況で問い詰めても、否定するしかないか。
「ファーシルの分析は多分半分正解、半分不正解かな?」
俺の問い詰めに対して、セレディアが声を掛ける。
「どういうことだ?」
セレディアによると、俺に向けられた不満のもう半分はXXの前首領への崇拝意識からだという。
前首領の公認後継者であれば、それだけでノースリア国民からの信頼を大いに得られたと見られ、俺はXXの前首領から認められる条件を満たしていた可能性が高かったらしい。
「要は失われた過去に縋っているのか」
政治、社会において失われた過去を取り戻そうとする意識は行動を起こす強い動機となる。
失われた過去に縋る者は、時間が経つほどその過去を美化し、時代の変化を無視した過激な思想に走ることがある。
そうした問題から、できるだけ周囲を過去に縋ることから遠ざけさせたいと思った。
それは村の名前にギシアの名前を取り入れたセレディアも例外ではない。
「ところで聞きそびれたが、セレディアはグラトニアをどうしたいと思ってる?」
「重要拠点にしたいって思ってるよ」
「ジャーマスを討つためか?」
「うん」
彼女がグラトニアに人々を派遣する理由は、やはりジャーマスを討つための中継拠点の確保だったか。
彼女がイルシオン全体に戦争を仕掛けることはないだろうが、ジャーマスが国に協力の要請をする可能性は高い。
そうなればグラトニアも激しい戦闘に巻き込まれるだろう。
さらにいえば国がジャーマスの協力要請を断ったとしても、墜征隊が全力で襲ってくれば俺たちは共闘したところで敗れるだろう。
セレディアはそれを分かっているのだろうか?
「そういえば……」
「どうかしたの?」
俺はある可能性に気づいた。
墜征隊は本来ジャーマスの私兵ではなく、国の予備戦力だ。
ジャーマスの個人的な思惑で墜征隊を動かし、予備戦力の多くを失えば国力を削いだ罪に問われても不思議ではない。
この事実を国に突きつければ、ジャーマスを補助機関のトップから失脚させることができるのではないか?
彼は地位を失えば墜征隊を動かすことができなくなる。
そうなれば、彼への復讐を望むセレディアはいくらでも暗殺する機会を作れる。
「セレディアは墜征隊がどれくらいいるか知っているか?」
「それは知らないかな」
「グランルーンは知っているか?」
「およそ150人だと聞いている」
「ならば、勝算はあるな」
俺はグランルーンから、墜征隊の人数を聞いてニヤリと笑う。
俺の知る限りで約150人のうち、ジャーマスの私的運用が原因で8人は死亡している。
割合で考えればかなりの損失だ。
「どういうこと?」
「ジャーマスが私的に動かして失った墜征隊の人数を国に伝えて失脚させるんだ」
俺の案を聞いた者らから拍手が沸き起こる。
俺に反感を持っていた何人かも、争いを最小限に抑えて勝利を見込めるとして見直す声が上がった。
「グランルーンはジャーマスが出した損失に対して、国がどう動くか予測できるか?」
「……」
「どうした?」
「一つ問題がある」
グランルーンによるとジャーマスはイルシオン国民からの支持が高く、国は彼を支持する声から安易に降ろさない可能性が高い。
彼の支持率を下げる工作が必要だろう。
しかし、下手な工作を首都内で行えば扇動罪で咎められる危険性がある。
それならば、彼以上の支持をこちらで得られるよう地道な活動に勤しむべきだろう。
「ジャーマスと同じくらいか、それ以上に国民の支持を得ている人物に心当たりはあるか?」
「ビンワーン・アキナイなら、ジャーマス以上に国民の支持を得ていると見て間違いない」
「アキナイ家の当主か?」
「そうだ」
アキナイ家がイルシオンにおいて経済界の首領であることは以前から聞かされていたが、当主が人望に厚い人物であったことは初耳だ。
以前会ったアキナイ家の長女ヤリテナは少々冷たい印象を受けたことから、このタイミングでアキナイ家の人間の名前が出てくるとは思っていなかった。
俺はグランルーンから、アキナイ家当主の話を聞くと一つの方針を皆に提示する。
「しばらくは国がジャーマスを支持する声よりも、我々を支持する声を優先する判断に導くべく、アキナイ家との提携を目指していきたいと思う」
そのために必要なことはグラトニアの更なる発展だ。
「それならアタシの仲間も当然必要だよね」
「ああ、そうだな」
セレディアはリギシアからの受け入れ再開の必要性を俺に説く。
俺はリギシア人からの支援の必要性に理解を示し、受け入れの再開を認めることにした。
ただし、グラトニアの主権侵害を脅かす者へは容赦なく処刑することを伝える。
彼女は治外法権を認めない俺の考えに承諾すると、彼女からも一つの要求を提示した。
「イラちゃんを借りてもいいよね?」
「リギシアはイラがいなくとも急速な発展を遂げてるんじゃないのか?」
「リギシアは開かれた社会だから成長は早いけどさ、経済を指揮する人材が欠けてるんだよね」
つまり、経済界の軍師としてイラを求めているのか。
だが、リギシアを攻めてくる墜征隊の問題が気掛かりだ。
「墜征隊との戦闘に巻き込まれる危険性があるんじゃないか?」
「護衛はきちんと付けるつもりだよ」
そういう問題ではない。
そもそも敵と遭遇する危険性を指摘しているのだが……
「ファーシルさん、それはグラトニアでも同じですよ」
「それはそうか」
イラは基本的な設備もまだ不十分なグラトニアよりも、自由経済を取り入れているリギシアに行ったほうが自分の才能を発揮できると期待しているのだろう。
彼女はワクワクする様子で、セレディアと共にリギシアへ向かうことを決めた。
一時は戦争になるかもしれないと思ったグラトニアとリギシアは、ジャーマスを失脚に追い込むことを共通の目標として再びまとまった。
リギシアと和睦することで後顧の憂いを断ち切った俺たちは、グラトニアの経済発展に意識を集中することにした。