49話:メサイアコンプレックス
没落の危機を憂う仲間に裏切られたチェタランは帰るべき家を失った。
さっき起きた出来事を見た者ならば、誰もがそう思うだろう。
だが、彼は立ち上がるとグラトニアとは反対の方向に向かって歩き出す。
このままイルシオンに帰ろうというのか。
グラトニアからイルシオンまでの道のりは険しく、心身ともに疲弊した今の状態で帰ろうものなら彼は道中で力尽きるだろう。
そのとき、グラトニアに刺客と思われる三人組が近づいてきた。
彼らはチェタランの近くまで接近すると、一度足を止めて何かを話し合い始めた。
俺の位置からは少し距離が離れているため、彼らが何を話しているのか具体的に聞き取ることはできない。
ただ、その会話内容はある程度の予想ができた。
服装から貴族だと察しのつくチェタランを襲撃するかどうか協議しているのだろう。
「……今後あの男と取引するつもりなら、どう判断するべきなんだろうな」
チェタランに対して、俺たちの元で一から社会勉強をし直せと言い捨てた元護衛の男は彼に成長を望んでいるのだろうか?
俺自身はチェタランがどうなろうが知ったことではない。
しかし、スロウス家の実権を握るであろう元護衛の男と今後取引をするならば、彼を守ったほうがいいのかもしれない。
そう考えると、俺は一人チェタランと刺客らがいる場所まで近づいた。
俺が彼らとの距離を縮めるまでの間に、刺客らとチェタランは互いに相手の存在を認識していた。
このままだとチェタランが危ないかもしれない。
そう思っていたが、聞こえてきた彼らの会話は予想外のものだった。
「僕はスロウス家の当主です。裏切り者に捕らえられた妹を助けるために協力してください」
「この坊ちゃん貴族の当主か」
「こっちの仕事のが稼げるんじゃねぇか?」
「でも俺らを監視してる指示役の人をどうにかしないとだろ」
「あの人もこっちのが稼げそうだって思ったら、協力してくれるんじゃないか?」
「せっかくだから確認だけでも取るか」
チェタランは刺客らを取り込んでアケディネアを救うつもりか。
「あいつどこまで愚かなんだ」
チェタランが仮にスロウス家を取り戻したところで、財政状況を立て直せなければスロウス家は終わりを迎える。
そんなことになれば生活能力どころか生存本能にも欠けるアケディネアはいつ野垂れ死んでもおかしくない。
βがずっと表に出ていれば生き延びられるかもしれないが、それでも今よりずっと危ういことになる。
それにチェタランだってあの性格では平民に紛れて仕事をするなんてできるはずがない。
彼のアケディネアを助けたい想いはかえってアケディネアを殺しかねない。
俺は彼らの後をつけ、指示役と思われる男の姿を確認する。
指示役の男は彼らの言葉に耳を傾けると、そのままチェタランと共に帰っていった。
今のスロウス家にまともな資産はない。
彼の思惑通りにあの元護衛の男からアケディネアを取り返したとしても、まともな報酬を支払えないチェタランはその場で刺客らに殺されるだろう。
俺は事の状況を仲間に伝えるため一度引き返す。
「うっわー、毎度ながらよく最悪な選択を取るよねー」
「逆に才能ですね」
ダスティナとイラは彼の判断に呆れた様子だ。
それは俺も同じだった。
「あの元護衛がアケディネアを当主に据えてるうちは、彼女の心配はないと思ってたんだがな」
「墜征隊の指示役が襲撃したら、どうなるか分からないよね」
「ああ、ダスティナの言う通りだ」
「直接刺客の人たちに伝えにいきませんか?アケディネアさんが巻き込まれるのは可哀想ですし」
「それもそうだな」
俺はイラの主張に同調し、彼らの後を追うことにした。
「グランルーン、安全のために同行してくれ」
「わかった」
彼らを追うこと数分。
ゆったりとした足取りである彼らに追いつくのは容易だった。
「お前たち、少しいいか?」
俺はチェタランと共にいた刺客らに声をかける。
「なんだお前は?」
「さっきそいつと話してるのを盗み聞きさせてもらったが、没落間際の彼ではお前たちを満足できる報酬もまともに払うことはできない」
「なっ、ファーシルさんは何てことを言うんですか!」
チェタランは俺の言葉に激しく動揺する。
彼の言葉は俺の言葉を肯定するものであり、手を組んだ刺客らを誤魔化せる可能性も失った。
やはりこいつはどこまでもバカだ。
彼は冷や汗を掻きながら刺客の男らと目を合わせる。
「てめぇ、騙しやがったな!」
「ち、違うんです。盗まれたものさえ取り返せば……」
「るっせぇ!」
刺客の男の一人はチェタランの顔面を殴りかかる。
「ぐぶぁっ」
彼は倒れ込んだが、すぐに体を起こし俺を恨むような目で睨みつける。
「なんで、なんでファーシルさんが僕の邪魔を……」
「お前の判断が一番アケディネアを苦しめるからだ」
「ふざけるな!僕はアケディネアを助けるために!」
「周囲の状況をろくに考えずに助けようっていうその考えが、今回のトラブルを招いた全ての根源だとまだ分からないのか?」
「ただの結果論だ!」
「そう思いたいならそう思ってればいい。ただ短い間とはいえ、アケディネアとは縁ができた。お前のような愚者に巻き込まれて不幸な目に遭わせないよう手助けはさせてもらう」
「くそっ、どいつもこいつも何で僕のことを……」
「また被害者面か」
「ファーシルーーーー!」
さすがに少し黙らせるか。
「ふんっ」
俺はチェタランに向けて次々と熱を帯びた魔法弾を放つと、彼はすぐさま気絶した。
スロウス家の立て直しを目的としていた元護衛の男も、時間が経てばスロウスを完全に自分のものにしようと野心が芽生えるかもしれない。
そのときはアケディネアがどうなるか分からない。
それでも、感情だけで突っ走る彼がその手でスロウス家を取り戻してしまうより、アケディネアはずっと安全だ。
「なあ、なんか俺ら蚊帳の外って感じだけどさ、あいつが今回の本来のターゲットだよな?」
刺客の一人が言い争う俺らを横目に、仲間内で確認を取る。
「隣にめっちゃ強そうな騎士が控えてるんだけど、俺たちじゃ勝ち目ないような……」
「あのファーシルって人の放った魔法も素人が扱えるような魔法じゃなかったぞ」
「ボス、このまま戦ったら俺ら絶対返り討ちですよね?」
今までの刺客の中では比較的戦えそうな連中に見えるが、交戦前から戦意喪失状態だ。
多少戦えるからこそグランルーンのような騎士を見ただけで勝てないことくらいは分かるというべきかもしれない。
「戦いたくないなら戦わなくてもいい。ただし、お前らはイルシオンへの入国を禁止とする」
「え……」
それだけ言い残すと指示役の男は一人イルシオンへと帰っていった。
刺客の指示役の言葉に彼らは言葉を詰まらせる。
俺はその場に取り残された刺客らに依頼が発行されたそもそもの理由を説明する。
「う、嘘だろ……」
「楽して金を稼ぎたかっただけなのに……」
「もうこんな人生嫌だ……」
彼らは怪しい依頼に手を出してしまった愚か者だが、今はとても利口に見えた。
なぜなら……
「離せっ、僕はアケディネアを助けるんだ!」
グランルーンに捕らえられても、未だに自分の判断が間違っていたと認めない愚か者がすぐ隣で喚いていたからだ。
チェタランのメサイアコンプレックスはある意味で私利私欲を貪る暴君よりもタチが悪い。
何せ私利私欲を貪る者なら、自分が死んだら目的を達成できないため、命の危機を感じる行動は避けようとする。
だが彼は自己犠牲を厭わずに突き進むからだ。
「お前たちはしばらくこいつを監視していろ」
「え……」
「はい」
「あの、こいつ殴ってもいいですか?」
「構わん」
刺客の男の一人もチェタランに何らかの苛立ちを感じていたのだろうか。
俺に確認を取ると刺客の男はチェタランに拳を入れる。
「……ところでファーシルさんは、ボスがこいつの依頼を承諾したのって何でだと思います?」
「確かに俺たちをグラトニアに捨てにきたっていうなら、俺らの言葉に乗っかったのは矛盾するよな」
彼らは本当に金目当てだけで判断したのだろうかと疑問を口にする。
「分からん、ただの気まぐれじゃないか?」
「えー」
多分大した理由はないだろう。
少なくとも俺が気に掛けることではない。
「とりあえず戻るぞ」
俺は刺客ら三人と、チェタランを連れてグラトニアに戻るのであった。