34話:板挟みの取引交渉
ジャーマスが目的とする取引について。
これまでの話からすると、セレディアの引き渡しを求められるのだろうか。
何せ彼女は彼の刺客を何人屠ったか分からない。
それに彼女がいなければ、俺がこのまま村を発展させていったところでノースリアの国王へと選出されると可能性はまずなくなるだろう。
だが、俺はセレディアを引き渡すようなことはしたくない。
俺はどうすべきか……
そう悩んでいると、ジャーマスは口を開く。
「ワシからの要求は二つ。一つはノースリアの国王になろうなどとは思わないことです」
この要求は想定の範囲内だ。
ジャーマスの主目的は、イルシオンがノースリアとの力関係で優位に立つことだからだ。
この要求については俺個人としては問題ない。
そもそも俺はノースリアの国王になろうなどと考えていなかったのだから。
気になる点があるとすれば、この要求にセレディアがどう思うかだ。
また、ある意味で喜ばしい要求だとも感じた。
何せ、俺もノースリアで実権を握れば脅威になると見做される程度の評価をされていたからだ。
続けてジャーマスが口を開く。
「そしてもう一つは、後方にて監視を行っている者への手出しをしないことです」
彼らはこちらから手を出さなければ監視に徹するだけで、直接接触しない方針らしい。
後方で監視する刺客に手を出すなという要求。
それはすなわちこれからも刺客を送り続けることを意味する。
「まだ刺客を送り続けるつもりか」
「ええ、ゴミ処理は定期的に行わねばなりません。それに彼らを奴隷として使い村を大きくしようとする貴方様へは良い贈り物ではないですか」
「……」
奴隷として扱っているわけではないが、そのことに対してわざわざ言及する必要もない。
いや、待て……
認めてしまえばやれ人権侵害だ、やれ暴君だなどと悪評が広まり後々厄介なことになる。
奴隷扱いには言及したほうがいいだろう。
「言っておくが俺は捕らえた者たちを奴隷として扱っているつもりはない。あくまで犯罪者に対して、一定期間指導し、更生させているだけだ」
「ふぉっふぉっふぉっ、そうですかそうですか」
ジャーマスは俺の訂正に対してどう受け取ったのかよく分からない。
「ところで、取引というからには何かこちらにも利点があるのだろうな?」
少なくとも刺客を送り続けると認めてる以上、今のところ一方的な要求でしかない。
「ええ、もちろんですよ。まず布と酒をイルシオンで購入する際はワシの名前を出していただければお安くするよう各商店に通達致しましょう」
布と酒か。
現在どちらもグラトニアでは生産の目処すら立っていないことを考えると非常に助かる話だ。
しかし、なぜ布と酒か……
(そういえば……)
ダスティナもセレディアも酒好きだったことを思い出す。
布のことはよく分からないが、酒に関してはイルシオンよりもノースリアの方が活発に生産してると聞く。
つまり、ジャーマスの提案は今後このグラトニアがノースリアとの貿易を始めたときにノースリア側が売り込みたいであろう品々を先にイルシオン側が押さえておく戦略だろうか。
イルシオンとノースリアは表向き友好関係にある。
ただ彼はノースリアをまるで鎖で繋いでおかなければ暴れる獣とみなしているようだった。
何せ彼の取引要求はノースリアを抑え込もうとするものばかりで、俺自身のことはまるで眼中にない。
そのため、今提案された取引内容を俺が断る理由はあまりない。
何人かの刺客を送られたとはいえ、最初から失敗する前提だったとしか思えない。
村に出た損害で見ても、俺の放った魔法が反射されて一軒の建物に小さな穴が空いた程度だ。
少なくとも俺にはジャーマスを恨むほどの理由がない。
だが、問題はセレディアだ。
彼女はジャーマスに対して明確な敵意を抱いている。
そのため、取引すること自体を忌諱するかもしれない。
そして彼女は俺の意思で思うように動かせない。
戦闘能力もさることながら、性格的な面もあって今も手綱を握れていない。
だから、ジャーマスとの取引案は『出来る限り対応する』くらいの返答が妥当だろうか。
「そちらの提案した取引内容は、俺個人としては承諾したいところだが……」
「セレディアが納得してくれないということでしょうか」
「そう考えている」
ジャーマスもセレディアが取引を拒むことは想定済のようだ。
「ならば彼女を始末致しましょうか」
「ふざけるな!」
俺と彼女は互いに利用しているという程度の関係かもしれない。
正直なところ怖いと思うことだってある。
だが、死んでほしいなどと思ったことは一度もない。
俺は咄嗟に攻撃する構えを取っていた。
相手は明らかに格上で、勝てるはずなどないのに……
だが、次の瞬間、さらに想定外の問題が発生する。
(魔法が放てない!?)
ジャーマスはもちろん彼の護衛たちも最初から俺が魔法を放てなくなると知っていたためか、俺の構えに対して反応さえ示さない。
俺は驚いたあと数秒後、冷静さを取り戻し構えを崩す。
そして、次はグラトニアに向けて魔法を放とうとする。
グラトニアに向けて放つ魔法は、俺がここにいると合図を送るためのものだ。
そう、グランルーンとセレディアに援護を求めるために。
しかし……
(嘘だろ、また魔法が放てない)
「ふぉっふぉっふぉっ、マナが希薄化されていることに気づかないとはまだまだひよっこですな」
「!?」
そうか、ここに登ったときに感じた空気の違和感は標高の高さ特有の酸素濃度の問題ではなく、マナが希薄化していたからか。
「貴方様は彼女を大事にしているご様子ですが、彼女自身はどうなのでしょうな」
「俺のことなど見ていないかもな」
俺のために動いているように見えて、半分はノースリアのため、半分はギシアへの想いを果たすため。
そうも捉えられる。
「ただな、俺にとってあいつは大事な理解者なんだよ」
「ほほう、なるほど」
ここは一旦落ち着こう。
この男に向けて感情を露わにするなど損でしかない。
そう、この機会にだ。
こちらからも取引を持ち掛けておこう。
「今後お前にとって俺たちが邪魔者になるとすれば、その原因はまずセレディアで、次に俺という認識で合っているか?」
「ええ、まあそうですね」
「ならば、刺客として送る捨て駒が成果を出さないよう気を付けるのは当然として、邪魔になりえないその他の人物に手は出さないようにしてもらいたい」
「なるほど、それは善処致しましょう」
約束とするつもりはないと受け取るべきか。
善処するという曖昧な返事をどう受け止めるべきかは分からないが、断られるよりはマシな回答を得られたと考えるべきか。
こちらから見返りを提示したわけじゃない以上、約束するメリットもないのだろう。
「それでは取引は成立したと見てよろしいですかな」
「ああ……」
「それではワシはこれにて……」
取引は成立したと見て、ジャーマスは護衛と共に立ち去った。
正直彼との対話は結果として上手くいったと言えるが、自分の立ち振るまいには反省点が多すぎた。
咄嗟に戦いの構えをしてしまったことはもちろんだが、彼のように相手をおだてながら交渉する会話術も少しは学んだほうがいいのかもしれないと。
彼らに捕らえられていたダスティナはその場に取り残されていた。
ダスティナを人質として取引材料にする選択肢もあっただろうが、そういう対応をする様子はなかった。
もっともそういう手段を取るならば、その場で俺を殺せば済むのだから当然といえば当然か。
何はともあれ、彼との取引を無事終えたことに一件落着だ。
セレディアがどう動くのかという点は不安で仕方ない。
ただ、そのことはジャーマス自身が分かっている。
何かあっても少しくらいは融通が利くとは思いたい。
「いやー、まさかあいつ自ら出てくるとは思わなかったよね~」
「お前な……」
「ん~、どうかした?」
「いや、何でもない」
彼らが去るとダスティナはいつもと変わらぬ口調で声をかけてくる。
ダスティナは捕まっていたとはいえ、結果的に彼らをここまで導いてしまった罪悪感はまるでない。
元から信頼してなかったうえに、俺の指示通りに動いた結果だ。
そのため、何か罰を科すつもりもないが、責任意識くらいは持てと言いたくなる。
……とはいえ、この女にそんなこと言うだけ無駄だ。
今回の件で彼女に罰則は与えないとする判断の是非は、グラトニアの皆からも賛否があるだろう。
……そういえばこいつは本来俺を監視、管理する側であることから、イルシオンの法律以外で制裁を科すことは許容されないかもしれないな。
俺は彼女を連れて皆の元へと戻るため、拘束していた首輪の手綱を掴んで引っ張った。
「おわっ、ファーシルーーー。なんで首輪つけたまま引っ張るのぉ!外してよー!」
「お前はしばらく首輪をつけたままのがちょうどいいと思っただけだ」
「そういう趣味があるなら付き合ってあげるからさーーー」
「はっはは、だったらその首輪に電流を流しても構わないか?」
「いやいや待って、ファーシルの魔力でそんなことやられたらさすがにまずいから!」
ダスティナほどいい加減な性格が染みついた人間は、今更誰から何を言われようと真人間になれるなどとは思っていない。
それは転生前に社会に適応できなかった俺だって同じだ。
クズはクズだ。
無能は無能だ。
社会不適合者は社会不適合者だ。
全ての人間を標準に合わせて矯正しようとしても無理が生じる。
それが無理なくできるのであれば、標準的な教育が原因となる犯罪だって起きていない。
そして、そういう人物にはそういう人物向けの接し方をすればいい。
少なくとも俺はダスティナに対して日々説教をするなどというバカなことはしたくない。
だから普段からダスティナに対してはこのくらい雑に接することで互いの関係を保ったほうがいい。
そんなことを考えながら俺たちは崖を下り、皆のいるグラトニアの広間へと向かった。