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002.梅の木の話

 突然、家庭の都合で引っ越すことになった学級委員長が、それに伴い転学することとなったため、席次が二番であった銀茂が突如として臨時の学級委員長に選出されたのはつい先週のことであった。

 銀茂ははじめ、「しち面倒くさい学級委員長様なんてやっていられるか」とぶつぶつ言っていたけれど、元来人から頼りにされることは満更でもない――むしろ好きであるらしい。

 たった数日で“学級委員長としての自覚”が芽生えたらしい銀茂は、張り切って学級の風紀を乱すものを取り締まっていた。

 そんな中、銀茂も暮らす寮内において、夜ごと寮を抜け出している者がいるらしい、という噂が流れた。

 自分自身も夜更けに寮を抜け出したことが幾度もあった銀茂だが、そんな過去の行いは棚に上げ、学級委員長の使命感から義憤に燃えた。


「規則を破り夜半に寮を抜け出すなぞ、なんと不埒な奴!この俺がふん捕まえてやる。おいシロ!貴様も手伝え」

「ええ……」


 困惑する白音郎にも構うことなく、銀茂は寮の各部屋に踏み込み、聞き込みを開始し始めた。

 委員長が転学してから、寮の部屋割りに若干の変更があり、銀茂と白音郎は同室になったので、今までにも増して白音郎は銀茂に振り回される羽目になってしまっていたのである。

 一時期収まっていた、銀茂と白音郎の()()()()()も、二人が同室になったことにより万斛(ばんこく)の揶揄を込めて再び流布し始めたのであるが、そんなくちさがない噂を一言でも口にした者は例外なく銀茂に粛清されていたため、すぐに収拾していた。


「きみが部屋を抜け出すのはいいの?」

「消灯までまだ時間はある!つべこべ言わずについてこい」


 困ったように笑う白音郎を半ば引きずるようにして、銀茂は「順繰りに聞くぞ!」と、まずは廊下の一番端の部屋を目指したのだった。



 ***



「幽霊だァ?」


 聞き込みを始めてからすぐに、夜間に外出している者が数名特定された。

 銀茂に外出理由を詰問された皆は口をそろえて「幽霊を見に行った」と言うのである。銀茂の頓狂な声にも隣の白音郎は眉一つ動かさない。


「ハッ!幽霊なんて馬鹿馬鹿しい!そんなもんは存在しない!何かの見間違えだ。なあシロ!」

「え?うーん……」


 そんな白音郎だが、銀茂に突然話を振られて困ったような顔をした。白音郎の煮え切らない態度に銀茂は苛立ちを隠さず、「じゃあ何だって言うんだ」と聞いた。


「確かに見間違えかもしれないけど、ひょっとしたら本当に幽霊かもしれないね」

「何だその胡乱な回答は!ペテン師のような言い方をするんじゃない」


 銀茂は胡坐をかいたまま腕を組み、ううむと唸った。

 長らくの思案の末、銀茂は「よおし!」と膝を打ったので、突如破られた沈黙にそこにいた皆はぎょっとした。いつだって銀茂は唐突なのである。


「今から俺とシロとでその幽霊とやらの正体を見破ってくるから、貴様ら、もう深夜徘徊は今日限りで終えるんだな。いいか?」

「僕も行かないといけないの」

「当たり前だ!」


 どこかうんざりしたような表情をする白音郎をよそに、銀茂はすっくと立ちあがった。

「深夜徘徊を禁じるおまえが深夜徘徊をするのか」と口を挟んだ同学を蹴っ飛ばし、白音郎を引きずるようにして銀茂は自室へと猛然と向かった。

 そしていつかの夜釣りのときのように、銀茂はまんまと部屋から抜け出したのであった。



 ***



「あいつらが言っていた件の場所はここいらだな」


 草木も眠る丑三つ時に、銀茂と白音郎はある四つ辻に立っていた。

 月の光がやけに眩しく、くっきりと地面に影を落としている。遠くの方で鳴いている、犬の遠吠えが風に乗ってかすかに聞こえてくる。草木が揺れて、こすれる音が静かな町にやけに響いた。


「なんだ、ただの延命寺(えんめいじ)じゃないか」


 目の前に建つ――延命寺というらしい――寺院の周りをぐるりと囲む、長く続く土塀の横を勝手知ったる風に歩きながら、銀茂はけっとごちる。


「銀茂のご実家の近くじゃないか。場所を教えられたのに、来るまで気が付かなかったの?」

「アホウ!ナニナニ町の、どこそこ通りの何番屋敷と住所を言われたらすぐに気付いたが、あいつら、あのお屋敷の横にあるナントカという大通りを真っ直ぐ真っ直ぐ行って、何番目の角を曲がって、最初にある辻を左に……みたいな言い方しかせんからだ!全く、無駄な時間が掛かってしまった」


 確かに、同学たちの説明は分かりにくかった。

 遠方から寮へ来ている者も多いので、このあたりのことは不案内なのであろう。むしろ、こんな近場に実家があるのに、わざわざ寮に入っている銀茂の方が珍しいのである。


「まあ、延命寺の跡取りの馬鹿と幼馴染だと知られても敵わんからな。いいか、おいシロ、ここから入るぞ」

「こんな隙間から忍び込むなんて……物盗りだと思われないかなあ」

「本堂はあっちだし、万が一物盗りだと思われたとしても顔見知りのよしみであの阿保猿も見逃してくれるだろう。小さい頃はあの跡取り馬鹿息子とこの隙間からよく忍び込んだなあ。入るぞ」


 かつての思い出にしみじみと浸りながら、銀茂は土塀の割れ目に無理矢理体をねじ込んだ。

 過去の自分よりも随分体躯は成長していたにも関わらず、銀茂は寺院の敷地内に忍び込むことに成功した。銀茂よりかなり細身で小柄な白音郎は、さしたる苦労もなくその後を追う。


「あの木の付近に幽霊が出るんだそうだ」


 二人が敷地内に侵入した地点から、およそ十丈は離れている場所にぼんやりと夜陰に浮かび上がる梅の老木を銀茂が指を指す。

 臆することもなく白音郎を引きずりながらずんずんと梅の木に近付く銀茂は、「やっぱり何もないじゃないか」と笑っていた。

 しかし、梅の木に近付くにつれ、白音郎が何やら耳を澄ます素ぶりをしたので、銀茂も思わず立ち止まる。


「何か聞こえないかい、銀茂」

「はあ?聞こえないが」

「いや聞こえるよ。梅の木の方角だ」


 立ち止まったままの銀茂を置いてけぼりにして、白音郎が一人梅の木に近付く。

 その様子を見てしばし呆気に取られていた銀茂だが、慌ててすぐさま白音郎の後を追った。


「おい、シロ――」


 何か言おうとした銀茂に、白音郎は人差し指を口の前に当ててしぃっと言った。

 銀茂も思わず口をあんぐり開けたまま、目だけであたりをきょろきょろと窺った。


 ――――………。


「聞こえるね」


 まるで独り言のように、白音郎が囁いた。

 銀茂には風の音のように聞こえたけれど、白音郎は声のする方角を正確に突き止めようとするのか、耳に手をやった。


「上か」


 白音郎の呟きと動きにつられて、銀茂も視線を木の上にやる。

 すると、そこにはぼんやりした光に包まれた少女が、べそをかきながらこちらを見つめ返していた。


「ッ、ぎ、」

「銀茂、黙っていてね」


 思わず叫び声を上げかけた銀茂の口を、白音郎がすぐさま手のひらで覆ったので、銀茂はすんでのところで叫び声を呑み込んだ。

 そんな銀茂の様子を見て、枝の上の少女は怯える小動物のように身を竦ませるが、白音郎は柔和にほほ笑んだ。


「驚かせるつもりはないんだよ、安心してね」

「……あなたたちはだあれ?」

「僕は――」

「お嬢さん、俺は銀茂。こっちの末成(うらな)りの瓢箪のような男は白音郎という名だが、俺はこいつをシロと呼んでいる。きみもそう呼びなさい。それで――こんな時間に何をしているのかな」


 少女の問いに答えようとした白音郎の手を引きはがして、すぐに落ち着きを取り戻していた銀茂は勝手にべらべらとそう述べた。

 銀茂は同学たちからするとまぎれもない暴君であるが、女子供には比較的優しいので、おそらく彼にしては最大限優しく問うたつもりのようであった。

 しかし、少女にとって人相が悪く体躯の大きい銀茂はとても怖い存在らしい。

 銀茂から距離を取るかのごとく、今いる枝から、その上の枝にふわりと浮かび上がった。


「い、いま、浮か……!?あ!?み、見たか?シロ!」

「見た、見た。見たから、そうやって揺すぶらないでくれないか」


 これでわかったろう、彼女が同学たちの言う――幽霊なんじゃないか、と白音郎は事も無げに言った。

 さも当たり前かのように言うので、銀茂は白音郎と枝の上の少女とをせわしなく見比べて、死にかけの魚のように口をぱくぱくさせてから、ぐう、と言ったきり黙り込んでしまった。

 しばしの沈黙ののち、あのう、とおずおずと少女が上の方の枝から顔を覗かせる。


「わ、私……幽霊じゃないです。この梅の木の、精霊(しょうりょう)です」

「精霊だぁ?」

「銀茂、きみは本当に声が大きいね……」


 素っ頓狂な声を出した銀茂に驚いて、自分を精霊と宣う少女はまたびくりとして枝に隠れようとした。

 まるで野生の小動物を脅かしているような気持ちになって、銀茂は罰が悪そうに頭をぽりぽりとかいて、えへんと咳払いをした。


「いや、すまない。えーと、梅の木の精霊さん」

梅蕾(メイレイ)といいます……」

「梅蕾さん。ぼくはちょっとこの末成り瓢箪(うらなりびょうたん)と話がありますので、少しだけ失礼しますね」


 銀茂は出来る限りにこやかな笑顔を浮かべて、ぽかんとしている白音郎と肩を組むようにして、そのまま梅の木から離れるようにぐいぐいと白音郎を引っ張った。


「痛い痛い、銀茂。そんなに乱暴に引っ張らないでくれないか」

「おいシロ、あの子は()()っと……変なようだ。あんまり関わり合いにならないほうがいい。面倒なことになるぞ」

「へえ?梅の木の精霊っていうんだから別におかしかないと思うけど」

「アホ!自分のことを梅の木の精霊と言うからちいっと変だと言ってるんだ。お前も変なのか?」

「でもね銀茂、『器物百年を経て、化して精霊を得てより人の心を誑かす。これを付喪神と号すと云へり』――とあるように、何だって古いものは霊異を為すと昔から言われて……」

「うるさい!お前は教師か。こんな夜中にこんな陰気な寺で講義なんてするんじゃない!」


 銀茂はちらりと背後の老木を振り返った。

 まだ、そこに彼女はいる。


「とにかく、適当に話を合わせて帰ろう。これ以上夜更かしをしたら明日の日中が心配だ。居眠りなんぞしては学級委員長の示しがつかん」


 銀茂は白音郎の返事を待たず、くるりと踵を返してすたすたと老木と梅蕾の方へ近付いた。


「えー、梅蕾さん。我々はそろそろお暇しようと思いますので、きみも早くおうちに帰りなさい、朝、きみがお布団の中にいなかったらおうちの方はきっと心配するでしょう」

「おうちなんて……ないんです。私はこの木からあんまり遠くに離れられないの。だから、いつも寂しくって……」

「ははあ。それでぼくたちの同学たちと夜な夜なお話でもしていたというわけですか」

「いえ、お話まではしていません。たまに、私の姿が見える方がいますが……お話まで出来る人はそうそういません」


 梅蕾はまためそめそとし始めた。

 銀茂はどうもやりにくそうに、眉間に深い皺を寄せて困ったように目をぎゅっと瞑って何か考えている。銀茂の中では、まだ目の前の少女がただの“()()()()()()”人間か、それとも自分の与り知らぬ超常的な怪異そのものであるかを判断しかねているようだ。


「銀茂、この世界には銀茂の常識では計り知れない不思議なことがあるんだよ、きっと」

「認めたくない」


 ひそひそと耳打ちをする白音郎に、逆に銀茂は意固地になってしまったようだった。

 目を固く瞑り、口を真一文字に引き結んで苦々しげにそう吐き捨てる。


「まあ……とにかくだ。深夜徘徊はよくない。同学たちにはそう言い聞かせておく。それにしても、梅蕾さん、この寺にいるハゲ頭の陰気でいやな目つきをした男を知っていますか?話し相手が欲しいならあの男でもいいんじゃないですかね。この寺の後継ぎですが……あれは頭も顔もよくないが、暇つぶしにはなると思いますよ」

「このお寺の息子さんですか?残念ですが、あの息子さんは私とは相性があまりよくないようで……私の姿も見えないようなんです」


 せっかくの銀茂の提案にも、梅蕾はしゅんとしてしまった。

 しかし、「相変わらず酷いことを言うなあ」と苦笑する白音郎に、「本当のことを言っただけだ。それにしても役に立たない男だな、あいつは」と悪びれもなく言う銀茂を見て、梅蕾は少しだけ口元をほころばせた。


「銀茂さんとシロさん、仲良しなんですね。たのしそう」

「まあ退屈はしないな」

「いいなあ……」


 梅蕾は膝を抱えて、ふわりと浮かび上がりながら、拗ねたように唇をつんと突き出した。


「昔は私のことが見える人はもう少し多かったんですけれど……最近は私みたいな存在を見える人が格段に少なくなってしまいました。さみしいですが、時代の流れというものなのでしょうか――でも、銀茂さんもシロさんも、仲良しのお二人がいっぺんに私を見ることが出来るなんて珍しいです。すごいです」


 梅蕾はまるで海の中を揺蕩(たゆた)海月(くらげ)のようにふわふわと梅の木の近くに浮かんでいる。

 夜の闇に朧げに優しい光を発しながら、初めてにっこりと笑った。もう言い逃れが出来ないほどはっきりと自分の前の前で浮かんでいる梅蕾を見て、銀茂は絶句して固まっている。

 目の前の少女が幽霊なのか精霊なのか、そんな違いはもはやどうだっていいのだ。


「銀茂さん、シロさん、お願いです。もしよかったら……(たま)にでもいいので、私とこうやってお話してくださいませんか?」


 銀茂と白音郎のすぐ近くまで梅蕾がふわりと下りて来た。

 思わず銀茂はのけ反ったが、請うような目をしている梅蕾に白音郎は柔和に笑いかけた。


「うん、そうするよ。ねえ、銀茂」

「あ!?えー……うん」


 銀茂は一瞬、とてつもなく厭そうな顔をしたが、嬉しそうな梅蕾と、微笑みを崩さない白音郎を見て、渋々承諾した。

 それを聞いて、梅蕾の表情は一層ぱあっと明るくなる。

 いかにも、梅の木の精霊であることがさもありなんといった、綻ぶような笑顔であった。白音郎も梅蕾に優しく微笑みかける。そんな二人はさておき、銀茂は「うぅ」と妙な唸り声を上げながら、薄明るくなって来た東の空の方を胡乱に見つめていた。


「おい、さすがにそろそろ帰らないとまずいぞ、シロ」

「うん、そうだね」


 またここにきっと来ようね、銀茂、と笑う白音郎と、そんな白音郎に返事をするように唸る銀茂を嬉しげにしばしの間見つめていた梅蕾であったが、ふ、と何かに気付いたようであった。


「シロさん……ひょっとして、あなたは……」


 何かを言いかけた少女に、白音郎は微笑みを浮かべたままの口の前で人差し指をしぃっとやって、「這是我們之間的秘密(ないしょだよ)」と――すでに向こうの方へ歩みを進め始めていた銀茂に聞こえないように、小さく囁いた。

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