獣人族とのトラブルを回避する ②
生家の侯爵家は最悪だったけど、五歳の頃に異変に気づいた亡き母の実家の公爵家に引き取られたお陰で、それなりに安全な生活を送れた。
最大の問題は、王家が獅子の獣人族だった事。コレに関してはどうしようもない。
始めから公爵家に長居するつもりはなかった。学べるだけ学んで家を出る事を目標にした。
生家には叔父と実兄がいるから跡継ぎの心配は不要。後妻と異母妹の虚言を信じた父の手で、自分が死に掛けた現場を目撃して発狂したが、隠居した先代侯爵夫妻が出て来たのでどうにかなった。それは、叔父の双肩に今後が重く圧し掛かる事で落ち着いたとも言う。
生家の問題が無くなっても、物心ついた頃から父親に言われ続けた呪いの言葉だけは消えなかった。
「男として生まれなかった無能は出て行け」
過去の人生でも、何度か言われた言葉だ。気にしていないと思っていたが、どこかで気にしていたんだろう。
公爵家の人達は『出て行かなくていい』と言ってくれたけど、個人的な事情を考えると、出て行くしかない。
魔法が存在する世界だから、魔法と剣の鍛練を同時に行う事が出来た。貴族の令息令嬢が通う事が義務付けられている、貴族学校も存在した。
問題が発生したのは十歳の頃。異母妹が原因で、平穏は崩れた。
貴族籍を取得していない――庶子・平民が貴族籍を取得するには、幾つかの審査を受けて、認定されなければ貴族に成れない国だった。異母妹と後妻は、自分が公爵家に引き取られた要因だった事も有り、審査は通らず平民のままだった――ので入学不可能の異母妹とどこかで会い、更に異母妹の虚言を信じた第二王子(二歳年上)が馬鹿みたいに絡んで来た挙句、校舎内で自分に攻撃魔法を放った。
学校内で許可無く魔法を使う事は禁じられているし、使用して良い場所は限られている。いかに王族と言えど、校内規則に抵触する行動を取れば処罰対象となる。
自分は魔法を使わずに回避した。体術で回避可能な低級の攻撃魔法で良かった。だが、使用された魔法は炎系だった。別のものに当たった結果、ボヤ騒ぎとなった。
騒ぎが王の耳にまで届いた結果、異母妹と後妻は貴族への不敬罪に問われて処罰対象となった。二人の助長の原因で、第二王子と異母妹を引き合わせた父も処罰対象となり身分を剥奪された。その後、三人揃って流刑地へ追放された。
第二王子は、何故か第一王子と一緒に『学校の昇降口』で謝罪して来た。離れたところに第二王子の取り巻きがいる。王城に呼び出しての謝罪では無く、誰がいるか分からない学校の昇降口で、衆人の中で謝罪を行う。正直に言って、王子兄弟のオツムを疑った。子供がやった事で済ませる気か?
衆人の耳目を集めた状況で謝罪する事で、何が何でも自分に『許す』と言わせる事が目的だったのかもしれない。個人的には、悪手としか思えなかった。
謝罪して来る王子兄弟を見て、グチグチ言った。言いまくった。傍に取り巻きがいなかったから言いたい放題だった。
こんなところで言われたら、こちらは許すと言うしかないのに解っていての行動か。拒ませてこちらを悪役に仕立て上げるつもりか。オツムの出来が疑われる行動だ。離れたところの取り巻き一同は側近候補の癖に主を諫める事すら出来ない、役立たずの犬なのか。などを始めとした苦情を言った。
気の済むまで言い倒した。
「謝罪は受け入れますが、殿下は、今後私に近づかないで下さい。私も王籍を所有する方には可能な限り近づきませんし、お会いしたくも在りません」
最後にそんな事を付け足した。
それに慌てたのは兄王子だった。十五歳になると、獣人族は番を求め始めるようになり、誰が番か判るようになる。
最後の付け足しは、自分が王族の誰かの番だと判明しても『応じる気が無い』と言っているようなものだ。碌に調べずに虚言を信じて攻撃魔法をぶっぱする野郎に『番だ』と言われても嬉しくない。
「王家の誰かの番だったらどうする気だ、撤回しろ」
兄王子にそう言われても、気持ちは揺るがなかった。
「撤回したくもありません。番である事を受け入れるのなら、死んだほうがマシです」
そう言い放ってから、絶句している面々を放置して去った。
公爵家に帰るなり色々と言われたけど、
「自分を殺そうとした奴から、君が番だの、一生大切にするだの、幸せにするよだの、急に態度を変えてそんな事を言われて、受け入れられる人っている?」
こんな内容を尋ねたら、大人は皆顔を見合わせて何も言わなくなった。我が身で考えたら、何も言えないらしい。
仮に、自分を殺そうとした奴が、そんな事を言って来たら引くわ。受け入れる奴がいたら会って見たいよ。
後日、王家から謝罪を受けたが、自分は呼ばれなかった。王子に言った言葉が王の耳にまで届いた結果だ。
けれども、安心は出来ない。警戒しながら、学校生活を送る事、三年後。最悪の事態になった。
第二王子の番が自分だった。
焦った王家は書面で撤回しろと煩く言って来たが、宣言の原因は王家だと突っぱねた。公爵家の皆も賛同してくれた。
卒業したら家から出る予定だった自分は、飛び級卒業試験を受けて早々に去ろうとしたけど、王家が動いて受けられなくなった。学校の信用を落としてまでする事とは思えない。
何か起きそうだと荷物整理をしていたある日、公爵邸に騎士団が押し寄せた。義父の公爵と共に罪人のように城に連れて行かれた。
連行されたのは謁見の間で、王と王妃に第二王子や、宰相を始めとした国の重鎮が揃っていた。
名誉な事なのに何故受け入れないんだと、非難を一頻り浴びた。
事の始まりは王家なのに、何を言っているんだ? 第二王子の躾けはどうなってんの?
王子の執着心に満ちた視線を受けて、心が冷めて行き、もういいかなって思ってしまった。
撤回はしない言ったらやりますと、宣言するも嘘を吐くなと非難を浴びる。虚偽発言をしたから公爵家を取り潰せと、過激な声も上がった。
その過激な声を聞き、冷えた思考で思う。もう付き合い切れない。何か遭った時用の手紙は書き残している。何時でも逝ける準備はしてある。
……やり残した事は無い。だったら、いいね。
一緒に連行された義父に頭を下げて世話になった事について礼と、机の手紙の通りにして欲しいと希望を伝えて、魔法で痛覚を遮断した。
『私は嘘を言いません。言ったらやります。――では皆様、さようなら。二度と会わない事を祈ります』
一礼してから言い放ち、魔法で作った氷の短剣で素早く己の喉を掻き切った。
周囲から悲鳴が上がる。血相を変えた第二王子が駆け寄って来た。最期の気力で障壁を展開して拒み、自身の体を氷漬けにする。
死んでも、あんな馬鹿に触られたく無い。
氷の中に入りながら思うのは、やっぱり義家族の事だ。迷惑を掛けてしまった。
私室の机の上に残した手紙の通りになる事を祈りながら、自分は意識を手放した。
空になったグラスに果実水を注ぎ、一口飲む。
……そう言えば、どうして自分が番に選ばれたんだろう?
回想を終えて、そんな疑問を抱いた。
獣人族が、異性を番と認識する原理は判明していない。残っている獣の本能で認識すると言う、仮説を耳にした事は在る。でも、鳥類系の獣人族は髪の艶具合(光の反射で綺麗に光るか)で決める事が在って、……これは光物に惹かれる鳥類の本能だな。
やっぱり獣の本能なんだろうか。
解答無き疑問だ。これ以上考えても答えは出ないし、仮説の域を出ない。
気を取り直して、幾つかの料理とデザートの皿に手を伸ばす。
そこそこ食べて一息吐いていると、廊下が騒がしくなった。何が起きたのか。ドアを眺めていると、複数の荒々しい足音が近づいて来た。足音はこの部屋の前で止まった。ドアが蹴り破られるのかと警戒したが、押し問答の声がドア越しに微かに聞こえて来るだけ。
テラスが在れば良かったけど、この部屋には無い。部屋の隅に移動して、障壁を展開して、幻術を併用して周囲から見えないようにする。足音の正体が獣人族の可能性を考慮して、嗅覚を始めとした五感を用いても、自分を認識出来ないようにする特殊な闇属性の魔法を使う。獣人族に絡まれた経験から開発した魔法だが、魔法の名称を決めていない。
そろそろ決めないとだなぁ、と暢気にそんな事を考えていたら、豪快にドアが蹴り開けられた。この部屋のドアは両開きで、蹴り開けられた衝撃で片方の蝶番が壊れた。ドアの片方が部屋の中央にまで飛んで音を立てて落ちた。夜会の会場に振動が届いていないか心配だが、幸いな事にテーブルと椅子にはぶつかっていない。
「……誰もいない?」
現れたのは頭頂部に半月のような獣の耳を持った色素の薄い茶髪の青年。獅子か、虎か、熊か、この三つの内の獣人族だろう。
「あーもう、って、扉を壊したんですか!? 苦情を受けるのは国なんですよ!? 陛下になんて言い訳をするつもりなんですか!?」
「す、済まない」
遅れて現れた似たような特徴を持つ青年に怒られて、ドアを破壊した青年は項垂れた。
更に遅れて、漸く自国の近衛騎士がやって来た。二人はそのまま近衛騎士達に連れて行かれた。
「はぁ、何だったの?」
嵐が去り、魔法を解除して思う。名称を決めていない魔法だが、効果は有りだ。あとでレポートを書こう。
グラスに残っていた果実水を飲みながら、片付けについて悩んだ。
このあと。
夜会が終わるまで何も起きなかった。
けれど帰り際に、上司になる予定の筆頭宮廷魔導士から意味深長な事を言われた。
「獣人族は執念深い。獣人族にとって番は『神の祝福』に等しい。番除けを身に着けていても、何時か気づかれるかもしれない」
神の祝福は、一歩間違えると『超強力な呪い』と紙一重な気がする。それは『呪いから解放されない』とも言う。
だが、卒業してから何も起きなかった。しかも、五年が過ぎても、何かが起きる兆候すら見えない。
何も起きないまま、奨学金の返済が終わり、ある程度の貯蓄が貯まり――卒業してから十年の月日が流れた。
本日、宮廷魔導士を辞めて国から出る。
事前に「奨学金の返済と貯金目的で十年間だけ所属する』事を告げたけど、宮廷魔導士試験に受かり無事に採用されて、今に至る。複数人を一括で治せる治癒魔法の使い手が少ない事から、もう少し所属しないかと誘われたけど断った。魔法陣で代用する方法を確立したので、諦めてくれたんだと思う。
確かに十年間何も起きなかったけど、これ以上ここにいる理由は無い。
最優先で研究していた、獣人族向けの『五感を一時的に誤認させる』闇属性魔法も完成した。恒久的に誤認せる事は不可能だが、幾つかを応用して高性能な番除けも完成した。一部からは異様に感謝された。特に王族から。
何故王族から感謝されたのかと言うと、やっぱり、獣人族を招いた夜会やお茶会の不参加を気にしていた(獣人族の国はどこも大きい)らしく、婚約婚姻直後から外交が出来ると喜んでいた。
何事にも完全は無いので『そこだけは気を付けて欲しい』と何度も念を押した。獣人族の第六感がどこまで鋭いかにもよるけど、今のところ失敗例は無い。
こんな感じで、ちょっとした事は起きているけど、今後を左右するような大事は起きていない。
転生の旅をしていると、困り果てるような大事は確かに起きるけど、頻発する事は無い。
むしろ、今回のように『警戒したけど何も起きなかった』事の方が多い。今回もその例に当て嵌まる。
個人的に言わせて貰えば、大事は起きないに限る。今回のように何も起きない方が良い。婚約解消などのトラブルは起きた。けど、婚約解消に至るまでのドタバタ劇が『霞んでしまうような大事』が起きる事の方が問題だ。
やる事を済ませたら早々に隠居するのが、一番安全なのだ。引き籠り体質では無く、引き籠るのが安全なのだ。特に尋ね人が、誰一人としていない時が当て嵌まる。
そして、本当の意味で個人的な事を済ませたら、別の世界へ逝く。
今回は何も起きずに終わった。
人生を揺るがすような大事は滅多に起きるものでは無いし、フラグは可能な限り圧し折るものだ。記憶を取り戻したタイミングによっては、フラグを折れない場合の方が多い。でも、記憶を取り戻したら捜索されないように準備してから去った方が安全だ。ここで『捜索対象から外れる』下準備が必要となるのが悲しい。
拒んで捨てた癖に、いざいなくなったら捜し始める馬鹿が多くて本当に困る。向こうに倣っただけなのにね。
転生の術を使い、別の世界へ旅立つ。
始まりが何時も最悪だから、転生の術を使わずに別の世界へ移動しても別の問題が発生する。
異世界転移あるあるの一つに『転移先の世界の情報が無い。もしくは調べると不審者と間違えられる』が挙げられると思う。経験になるが、五歳児でも知っているような事を聞いて回ったら、滅茶苦茶怪しまれた。情報収集を山間の寒村で行ったら、速攻で不審者情報として自分の顔が広まる。情報収集を大きい街で行っても怪しむ奴は怪しむ。場合によっては憲兵に追い回されるし、変な奴に絡まれる。
事前情報の無い世界に馴染むのは、予想以上に難しい。勿論、無人島や山頂で数日間野宿するだけなら問題無い。移住を考えての転移だと『価値観や常識の違い』が存在するので苦労する。一度やって『二度とやらん』と心に誓った。『無限の言語』なる保有技能のお陰で会話に困らなくてもしない。それに、転生した方がある程度の情報を得られるのだ。故に、記憶を取り戻すまでの過程にどれ程の問題が在ろうとも移住はしない。転移しても野宿だけだ。
経験を積み上げても習得出来ない事は在るし、どうすれば良いのか分からない事は在る。
獣人族がいた世界から、更に数度転生し、現在目の前の状況について頭を抱えている。
赤毛の十歳の男子が『嫌だ』と駄々をこねて泣いて叫び、自分に対応を丸投げされた。男子の両親はどうしたものかと顔を見合わせている。