牧歌的に扉のベルが鳴る
「たかが伯爵家の分際が、筆頭公爵家の嫡男に手紙を書く? 何を図々しいことを」
こんな意地悪な物言いをする人間、この世界で私は、一人しか知らない。
ブリトニー・ペギー・ウッドハウス!
ウッドハウス侯爵令嬢は、ブロンドを思わせるハニーブラウンの髪を、今から舞踏会に行くの?と思えるアップにし、真っ赤なコートを着ている。口紅も真っ赤で、圧迫感を覚えてしまう。
「調べましたよ、ナタリー・シルバーストーン伯爵令嬢。あなた、伯爵令嬢のくせに、こんな街中で店をやっているなんて! そんなに財政がひっ迫しているのかしら、シルバーストーン伯爵家は。随分と落ちぶれたものねぇ」
扇子を口元にあて、ウッドハウス侯爵令嬢は、値踏みするように店内を見渡す。
デグランとバートンが同時に何か言おうとしたのを、私は制した。
ウッドハウス侯爵令嬢は、とにかく面倒な女性だ。
デグランとバートンを巻き込みたくない。
彼女の標的は、私だけで十分だ。
それに前世経験において。
出る杭を打つような女性は、その杭を庇う男性がいると、怒りを増幅させる。嫌がらせはエスカレートだ。場合によってはその男性も、とばっちりを食う。
ということでここは私が、ウッドハウス侯爵令嬢を撃退し、可及的速やかに帰ってもらおうとすると……。
カラン、コロンと牧歌的に扉のベルが鳴る。
そして店内に入って来たのは……セーラ!
苺ミルクのような淡いピンクのコートで、愛らしさ全開で店内に入って来た。
イエール氏は一緒ではない。一人だった。
「ナタリー様! 昨日教えていただいたお店、とっても美味しかったです。イエール先生も気に入ったと言っていました! 『野菜がこんなに美味しいものとは思わなかった!』って、二人して感動していたんですよ。それで今日はこれから屋敷で、イエール先生に勉強を教えていただくのですが、パウンドケーキとクッキーを、いただいてもいいですか? 今日からパウンドケーキ、紅茶味なんですよね!」
確かに今日からパウンドケーキは、紅茶の茶葉を使った新商品だった。ちなみにクッキーも、プレーンと紅茶風味の二種類販売だ。
しかしウッドハウス侯爵令嬢という、悪意の塊がそこにいるのに。
セーラの天真爛漫さで、ピリピリしていた空気が収まった気がする。
ひとまずバートンに目配せし、セーラの対応をお願いした。
「……あ、あなたは……シスレー子爵令嬢! どうしてこんな下賤な者のお店に!? しかも何が入っているか分からない商品を買うなんて! お腹を壊しますわよ」
セーラの登場で、ほんわかした空気が漂った。だがウッドハウス侯爵令嬢の一言で、一気に氷点下まで下がった。
さすがにこれには私も怒りが沸き、口を開きかけたが……。
「驚きました! 学校では、ルージュは禁止なのに。このお店に顔を見せるため、わざわざオシャレされたんですね~! でもその真っ赤な血みたいコートと、濃すぎるルージュで、なんだか娼婦みたいですよぉ。お洒落の仕方、学ばれた方がいいですわよ。それに下賤がいるようなお店。そんなお店にいるあなたも、仲間認定されちゃいますよ。さあ、どうぞ、お帰りくださいませ」
「なっ、何を、ちょっと……!」
セーラは有無を言わせず、ウッドハウス侯爵令嬢を店から追い出し、扉の鍵までかけてしまった。
ウッドハウス侯爵令嬢は、キーキーとわめきながら、扉のガラス窓に、手にしている扇子を叩きつける。
すると。
周囲のパブリック・ハウスの店主や店員さん、そのお客さん、通行人が、ウッドハウス侯爵令嬢を指さし、ひそひそと話し始める。
「ちょ、何ですの! 失礼ではありませんか! 人を指さすなんて!」
ウッドハウス侯爵令嬢が、キーキー声で喚く。
さらにみんなが、冷たい目線を彼女に向けている。
この界隈のみんなは、仲間意識が強い。
こんな風に余所者が、しかも貴族の令嬢が、上から目線で騒ぎ立ててれば……。
「これは何事ですか! そこの娼婦、店頭で騒ぐとは何事か! 営業妨害をしていると、通報が入ったぞ!」
王都警備隊が駆け付けた。
ウッドハウス侯爵令嬢の肩を、左右から二人の隊員が押さえる。
「娼婦なんかじゃありませんわーっ!」と叫ぶが、ウッドハウス侯爵令嬢は、そのまま連行されていく。離れた場所で、彼女の馬車の御者が、オロオロしている。
「弱い犬ほどよく吠える――と言いますが、まさにその通りですね。さて。ナタリー様、デグラン様、バートン様。うるさい蠅は追い払いましたので、もう忘れましょう! バートン様、クッキーはプレーンもくださいね!」
セーラのこの一言を合図に、私達は動き出す。
私はせっかく来てくれたセーラのために、アールグレイを入れる。
バートンは紙袋にクッキーを入れていた。
デグランは「やれやれ」と調理台を布巾で拭いている。
紅茶を用意しながら思う。
セーラはやはり、ヒロインだ。
ヒロインは悪役令嬢にはいじめられるが、それ以外では度々ヒロイン・ラッキーに恵まれる。今回のように、ヒロインであるセーラが心底怒りを感じれば……。
彼女の前から、強制排除される。
ウッドハウス侯爵令嬢は、見た目は派手だが、それでも所詮モブ。
モブがヒロインに盾ついて、敵うはずがなかった。
「ではこちらをどうぞ」
「ありがとうございます、バートン様!」
「シスレー子爵令嬢、よろしかったらこちらの紅茶、お飲みください。蠅を追い払ってくださったことへの、心ばかりの御礼です」
「まあ、ありがとうございます! ベルガモットがいい香りですね~」
セーラはスツールに腰かけ、嬉しそうに紅茶を飲み始める。
初めてここに来たセーラは、ウッドハウス侯爵令嬢とは別の意味で、猜疑心に溢れていた。
それが今は……。
本当に。
人の巡り合わせって不思議だな、と思いながら、使った茶器を片付けた。
お読みいただき、ありがとうございます!
先日から本作の誤字脱字報告をしてくださる読者様がいて、本当に助かりました。
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いろいろな御礼を込め、この話を更新しました。
重ねてになりますが、応援、ありがとうございます☆彡