たかが伯爵家の分際が!
「醤油。ああ、それは自家製だ」
「まだ味わっていないうちに、気が早くて申し訳ないです。ショーユは、自分でも作ることが、できるでしょうか?」
「この大陸にはない調味料だからな。自分で作りたいと思う気持ち、理解できる。このパンケーキを、黒蜜を作れるデグラン様なら、きっと作れると思うが……」
そこでパンケーキの最後の一口を食べると、阿闍梨はナプキンで口元を拭う。
「醤油作りの材料は、大豆、小麦、そして塩とシンプル。だが時間がかかる。半年から一年、発酵させるからな。勿論、その手順を教えることは構わない。だがもし今すぐ醤油が必要だというなら……自分は樽単位で醤油を仕込んでいる。自宅の裏に、蔵を建てたんだ。よって……自分から買わないか?」
デグランが私を見る。
醤油の発酵に、そこまで時間がかかるとは。
前世で醤油は調味料売り場で、当たり前のようにいつだって購入できた。気軽にすぐ手に入るのは、工場で大量生産され、流通していたからだ。いざ作るのは大変だと、今さら知ることになった。
デグランは午後から深夜まで働き、限られた時間で睡眠をとり、プライベートをやりくりしている。ここで醤油作りを頼んでは、彼自身のやりたいことの時間を、奪うことになってしまう。
醤油を分けてもらえるとは、考えていなかった。でも阿闍梨は分けてくれると言っている。ならばここは有難く、購入させてもらうのでいいのではないか。
デグランに私が頷くと、彼は阿闍梨に確認する。
「アジャリ様が手塩にかけて作ったショーユを、労せず買い受けるので、いいのでしょうか?」
「ははは。デグラン様もシルバーストーン伯爵家令嬢も、随分と真面目だな。構わんさ。して、いかほど入用なのか?」
「見ての通り、ここはカフェで、ショーユを使うメニューはありません。そしてこのカフェは、夕方になると閉まります。ですが夜は、パブリック・ハウスとしてオープンするのです。知っての通り、パブリック・ハウスは、アルコールがメイン。自分もナッツとチップスしか出しません」
阿闍梨はアッサムティーを口に運び、「これだけの腕があるのに、勿体ない」と呟く。
「この店に通う騎士団の副団長、彼こそがアジャリ様の店を見い出し、自分達に紹介してくれました。その彼が『肉にショーユを使うと、美味しいのでは?』と考えたのです。そして自分は、宮廷料理人をしていたこともあり、料理への探求心が強く……。副団長の食への探求心。自分の料理への探求心。その二つを満たすため、ショーユを使った料理に、トライしてみたくなったのです」
「宮廷料理人……! それはすごい。そんな逸材が、市井の中でパンケーキを焼いているとは! なぜパブリック・ハウスではなく、レストランをやらぬのか?」
「過去にいろいろありまして……。今はまかないで腕を振るうのがせいぜいです。ともかく店のメニューでの利用ではなく、あくまで個人的に、ショーユに興味がある。それが現状なのです」
すると阿闍梨は「なるほど、なるほど」と頷き、紅茶を飲み干す。
他に客もいないので、バートンが気を利かせ、ティーアーンからお代わりの紅茶を注ぐ。
「その騎士団の副団長には、御礼をしないといけないな。彼のおかげでデグラン様ともシルバーストーン伯爵令嬢とも、知り合うことができたわけだ。探し求めていた陶磁器とも、ここで出会うことができた」
阿闍梨はお代わりの紅茶をゆっくり口に運び、大きく息を吐く。
「精進料理では、魚や肉は使わない。よって肉に醤油があうのか……それは自分には、分かりませぬ。だが試したいという探求心。それをお止めするつもりはない。醤油を大量に必要とされているわけではないことも分かった。ならば瓶一本分。お譲りしよう。その程度であれば、金など要りませぬ」
「ありがとうございます、アジャリ様。次の月曜日に、ぜひお店へお邪魔させていただいてもいいでしょうか?」
デグランがチラッと私を見る。勿論、それでいいのでコクコク頷く。
「承知した。昼営業時は、応対が難しい。ティータイムの時間に来てくれれば、いろいろ案内できるだろう。よければ副団長やドロシー様も、来ていただいて構わないが。……そちらの君も来るかね?」
改めてバートンを紹介することになった。本業は画材屋でありながら、カフェを手伝うバートンに、阿闍梨は驚いている。ともかく最終的にバートンやロゼッタも含め、皆で次の店休日、阿闍梨のお店に来ていいとなった。
まだアレン様もロゼッタも、予定を確認していない。よってそこは分かり次第、確定だ。
「では今日のところは、これにて失礼する」
そう言って立ち上がった阿闍梨に、大量に作ってあるきな粉とパウンドケーキをお土産で渡すと、大いに喜んでくれた。三人で阿闍梨を見送ると、デグランは「ショーユというのは調味料なのに、作るのにそこまで時間がかかるとは。驚いた。しかしそこまで時間をかけたものなら、きっと素晴らしい味わいなのだろう。早く実際に、その味を確かめたい」と笑顔になる。
一方のバートンは「帰宅したらロゼッタに、すぐ予定を確認しますよ。副団長とドロシーへの連絡は、どうしますか?」と私とデグランを見る。そこは私が即答だ。
「アレン様とドロシーには、私が手紙を書きます」
そう答えると同時にカラン、コロンと扉が開いていた。そして――。
「たかが伯爵家の分際が、筆頭公爵家の嫡男に手紙を書く? 何を図々しいことを」
まさかという衝撃と共に、私は店内に入って来た人物と、目を合わせることになった。














