熱い、はふ、はふ
「ほ、本当に、ありがとうございました!」
ミモザ色のワンピースに白のエプロンの私はぺこりと頭を下げる。
「いやいや、ちょっと俺、宣伝し過ぎたと思う」
そう言って笑うのは、アッシュブランの髪色と同じズボンに、デニム風のシャツ、白のエプロンをつけているデグラン。
パブリック・ハウスの営業時、エプロンはつけない。だが今は違う。なぜなら……。
恋愛相談カフェ「キャンディタフト」のオープン日、「さすがに一人では不安だろう」と、デグランはオープンとなる13時前からお店に来てくれていたのだ。
そのデグランは、もはや店員のように動いてくれることになった。
というのも想像をはるかに超えるお客さんが来てくれたからだ!
でもそうなったのは、デグランが自身のパブリック・ハウス「ザ シークレット」で、カフェのオープンをお客さんに話しまくったせいだと言う。つまり宣伝し過ぎたから混雑してしまった。ゆえに手伝ったのは当然と言ってくれたのだ。
そのデグランと共に、大挙するお客さんに整理券を配り、混雑緩和に努めてくれたのが……。
「僕のショップカードも、きっと活躍しましたよね」
そう言って微笑むのは、デグランの友人であり、画家を目指していたバートン。今は画材屋を営んでおり、ショップカードを手掛けてくれたのが、このバートンだった。
やはりモブなので、髪はオリーブブラウン。癖毛で、耳が隠れるぐらいの長さだ。瞳の色は黒で、眼鏡をかけている。白シャツにモスグリーンの上衣とズボンが定番スタイルだという。
その姿は画家というより、知的で優しい本屋のお兄さんという感じだ。
そんなバートンは、開店祝いということで、オープンと同時に店に来て、混雑ぶりを目の当たりにした。そしてデグラン同様、手伝ってくれたわけだ。
二人のおかげで初日営業は、無事終えることができた。
御礼を伝えつつ、カフェの営業を終えるため、スツールをしまい、ティーセットを片付ける。さらにパブリック・ハウス「ザ シークレット」としてオープンできるよう、準備を手伝った。
その最中、今後の課題が話された。
「ひとまず今日はご祝儀もあり、みんな来てくれたのだろう。明日からもここまで混雑するかは……分からん。人を雇うのは、もう少し様子を見てからだろう。何、心配するな。俺かバートンが手伝うから。画材屋なんて暇だろう?」
デグランに振られたバートンは、苦笑しつつもこんな風に言ってくれる。
「画材屋は僕以外に妹もいるから、困ったらいつでも呼んでくれていいですよ」
バートンは優しい!
それは妹さんがいるからかしら? 柔和で女性への接し方もソフトで安心できる。
「ありがとうございます、助かります!」
ぺこりと頭を下げる私に、デグランはこんなことも教えてくれた。
「急にさ、ランチ営業を始めると、近隣のパブリック・ハウスの奴らも構えちまう。でもナタリーお嬢さんはカフェだろう。だから周りの店の奴も、助けてくれるさ。まー、もしランチ営業やりたかったら、言ってもらえれば、筋は通す。基本的にこの辺りの奴らは、根がイイ者ばかりだから。意地悪はしたりしない。そんなことする暇があるなら、皿の一枚でも磨けって話さ。時間の無駄だからな。そんな店、遅かれ早かれ、潰れる」
お店を出すって周囲のことも考えないといけないし、デグランを頼って本当に良かったと思う。ランチ営業は考えていなかった。ランチを楽しめるお店が周辺にあるなら、敢えて競合する必要もないと思っている。それに私は恋愛相談も受けたいから、数をこなすようなランチ営業をする気はなかった。
それを伝えるとデグランとバートンは「できたお嬢さんだ」とこちらが恐縮するくらい褒めてくれる。そんな風に話しながら作業をしていると……。
「良し。開店準備は完了だ。ナタリーお嬢さんはもう酒を飲める年齢だろう?」
「あ、はい。既に二十歳ですから」
「なら飲めるな。ちなみに俺はまだ二十二歳。でもコイツはもう二十三歳。俺よりオッサンだ」
誕生日がバートンの方が早いようだ。オッサン呼ばわりされたバートンは「まだ若いですよ!」と小さく抗議している。
デグランは「はい、はい」と言いながら、片付けたばかりのフライパンを再び取り出していた。どうしたのかと思ったら、無事、初日営業を終えたお祝いで、ビールと特製ソーセージをご馳走してくれるという。
「え、料理を出せないのがポリシーでは!?」
驚く私にカウンターに両腕をつき、この様子を見守っていたバートンが、その秘密を明かしてくれる。
「デグランはね、ああ見えて、十六歳から二十歳まで、宮廷料理人やっていたんですよ」
「えええええ、そうなのですか!?」
「そうなのです。いろいろあって今はパブリック・ハウスの店主をやっているけど、料理の腕はお墨付き。でも宮廷料理人なんかが突然店を街でオープンなんてしたら、大騒ぎになってしまうでしょう。変に注目を集めるのがデグランは嫌だから。でも生きていくにはお金が必要。それでお酒とナッツとチップスしか出さないパブリック・ハウスにしたんですよ」
これには「そうなんだ~」と思わずにいられない。
それだけの腕があるのに勿体ない……と思うが、本人は……。
「お金のためにこのお店をやっているというのは、建前の話です。宮廷料理人をやっている時は、スー・シェフまで昇りつめたんですよ、デグランは。そこまで行くと、もうお給金がすごいことになるそうです」
サーファーみたいに健康的に日焼けした肌で、体格もよく、笑顔が爽やかなナイス・ガイ・モブのデグラン。その経歴は、モブの域を超えている気がした。
「宮廷料理人をやっている時は、あまりにも忙しく、お金を使う暇なんてなかったようで。でもデグランはスパイスの仕入れを通じて、海運業に出資していて……。よって爵位でも手に入れて、左団扇で暮らすことも、本当はできるんですよ」
バートンはデグランと幼なじみというが、そんなことまで知っているということは。
きっと親友なのだろう。
「でもこうやってパブリック・ハウスをやっているということは。飲食の世界からは離れたくないのでしょうね。そして料理をお客には一切出さないくせに。開店前、まかないを作り、一人で美味いもんを食べているんですよ。僕はたまに開店前に顔を出し、こっそりそのまかないを食べさせてもらうんです」
そう言ってバートンはウィンクをした。
これはパブリック・ハウスの常連客だけやっていては、知り得ない情報だった。
「! いい匂いがします……!」
私が厨房に顔を向けると、デグランがフライパンごと焼いたばかりソーセージを運んでくれたが……。
「お、大きい……!」
「これな、一人一本いけるよな?」
十五センチぐらいの長さで太さも五センチぐらいはある。
でもこの薫り……。
食欲をそそる。
思わず、ゴクリと生唾を飲んでしまう。
ピンと皮が張り、脂で輝き、程よい焦げもついていた。
かぶりついた瞬間、肉汁がはじけ、「熱い、はふ、はふ」ってなる、アレだ!
「食べられると思います……!」
私が言うと、デグランは指をパチンと鳴らす。
「そう来なくっちゃな!」
そしてビールがドーンと登場。
デグランがビールマグを手に声をあげる。
「ではナタリーお嬢さん、恋愛相談カフェ『キャンディタフト』、オープン、おめでとう。乾杯!」
「「乾杯!」」
バートンと私もビールマグを掲げた。