カリスマ
隣国の美食家の王は、本当にこの晩餐会の料理を気に入り、シェフの引き抜きをはかったのだ。だがシェフは恐れおののく。隣国に行き、今日のような晩餐会の料理を求められても、自分には無理だと分かっていた。そこで本当はデグランが考案したメニューだと暴露したのだ。
するとその王は「その話はここだけにしよう」と言い、メニューの考案者がデグランであるとは知らないフリをした。その上でデグランの引き抜きをはかった。それはかなり強引なものではあるが、破格の処遇を約束したという。
シェフの裏切りのような行為。国王陛下からは「シェフにならんか」と問われ、隣国の王はさらう勢いでデグランの引き抜きをしようとする。この状況にデグランは――。
「……面倒だな」
デグランはそう言うと、宮殿を去った。
彼が去ることで、シェフは首の皮一枚つながった形だ。彼は自ら降格を申し出て、トゥルナンから再スタートした。随分、周囲の料理人からは叩かれたと言うが、今はソーシエで落ち着いているという。
当時、国王陛下夫妻は、必死にデグランに戻るよう頼んだ。かの美食王と勝るとも劣らない厚遇を提示したが、デグランには取り付く島もない。一時はその消息をつかむことさえできなくなった。デグランは半年ほど、海辺の街をさすらい、そこで海の幸の真髄を味わい尽くしていたらしい。そしてふらり、王都へ戻るとこの場所で、パブリック・ハウス「ザ シークレット」をオープンさせた。
「ようやくデグランが見つかった、しかも王都で店を開いていると聞いた時は、もう大喜びよ。お忍びで陛下と二人、ここにやって来たの。そうしたら『食べ物はチップスとナッツしかありません』って……。頑なのよね」
これにはロゼッタと私は、口をあんぐりとさせるしかない。
「ザ シークレット」のオープン前、まかないでは気前よく料理を出してくれるのに。この国のトップが訪ねても、そのポリシーを曲げないなんて……。
よほどのことだと思う。
「でもフルーツたっぷりのサングリアがあって、あれをフルーツ入りで頂いた時……。彼が作ってくれたフルーツポンチというデザートを思い出し、陛下と涙したわ」
これには王妃に同情し、涙が出そうになる。
そんなサングリアのフルーツで感動するなんて……!
そして現在、恐ろしいことに、宮廷の厨房はスー・シェフで回している状態だった。つまり、いつデグランが戻って来てもいいと、迎える準備をして待っているというのだ。これは国王陛下夫妻の想いであるのと同時に、宮廷料理人たちの総意でもあった。誰もシェフになりたがらなかったのだ。
食は人間の基本というが、こんなにも人の心をとらえることができるなんて。
デグランはすごいと思う。王妃が彼を「カリスマ」と表したが、まさにその通りだ。
そこまで請われているのに、パブリック・ハウスをやっている場合なの、デグラン!?と思ってしまうが……。
「ずっとね、宮殿に足を運んでくれなかったデグランが、今日、陛下と謁見しているのよ。これはもしかしたらって……ちょっとワクワクしているの。それにシルバーストーン伯爵令嬢に会えて、本当によかったわ」
これを聞いた私とロゼッタは複雑な心境だ。
デグランが宮殿に行き、国王陛下と謁見していると聞いた時。
その件について深く考えることができなかった。
なぜなら王妃はデグランに会いに来たのかと思ったら、私に会いに来たと言い出したのだ。私の頭はそのことでいっぱいになってしまう。
ところが今、デグランが宮廷料理人を辞めた経緯を聞き、国王陛下夫妻と沢山の宮廷料理人たちが彼の帰りを待っていることを知ってしまうと……。
今回デグランが国王陛下と謁見しているのは、もしかすると宮廷料理人として戻ることを受け入れる――そう伝えるためなのでは?と思えてしまう。でもこれが正解であるならば、どうして今なの? 私がカフェをやることで、何かデグランに迷惑をかけてしまったのかしら……?
デグランがもし宮廷料理人に戻ることを決めたのなら、その理由は何だったのか。それが気になってしまう。
「このカフェに頻繁に来ることはできないのだけど……。でもなんだかシルバーストーン伯爵令嬢とはまた会えるような気がするわ。ところでなぜ伯爵令嬢であるあなたが、カフェをやることにしたのかしら? カフェのオーナーになって、実務は任せるというのならよくあるわよね。現場に立つなんて、珍しいと思うのだけど」
王妃が最後の質問という感じで、とてもさりげなく尋ねた。
先日、アレン様の妹であるレネ、イエール氏、そしてデグランとバートンには、なぜ私がこのカフェを始めたのか、その理由を明かすことになった。あの時は場の雰囲気も、私の本音を話すに相応しい感じになっていた。でも今、いきなり「政略結婚は嫌で、自立するために始めました!」なんて言い出して、いいのかしら? 王妃はそんな返事、想定していないはずだ。聞いたらきっと、驚くのでは……。
かといって、嘘をつくのは……憚られる。
そこで私はシルバーストーン伯爵家の恥を晒すことになると思いつつ、打ち明けることになる。