いろいろ抑えていた感情が溢れ……
まだ開店前だった。
でも店のポーチには……。
私の推しのアレン・ヒュー・サンフォード王立騎士団副団長がそこにいた……!
「アレン様!」
「ナタリー嬢!」
それはハグのつもりだった。
でもアレン様に触れた瞬間。
もうハグではなく、抱きついている状態だった。
デグランと婚約しているのだ。
アレン様に抱きつくなんて、ダメだと分かっている。
それでも体がいうことを効かない。
いろいろ抑えていた感情が溢れ、ぶわっと泣きだしそうになっていた。
「デグラン殿の件、聞きました。辛かったでしょう。それなのに『ザ シークレット』の営業、二日間も頑張ったのですよね」
「アレン様、私、私」
「落ち着いてください。ナタリー嬢」
アレン様が優しく背中を撫でてくれる。
ボタボタとこぼれる涙は、アレン様がハンカチで拭ってくれた。
「リオウガディア帝国の第一皇女のイルーゼ。彼女のこと、調べてみましたよ。どうやらバカンスシーズンに合わせ、王都へ来ていたようです。最初は迎賓館に滞在していました。ですが今は、自国の大使館の離れに滞在しているそうです。名目は一年間の遊学」
「そうなのですね。デグラン様はそこにいるかもしれない……?」
「そこまで分かりません。大使館の敷地はもう国外です。騎士団の力を以てしても、探ることはできません」
それはそうだ。余計なことをすれば、越権行為と言われかねない。
「……とはいえ、騎士団にも諜報部は存在します。そちらのルートで探りは入れさせるつもりですが、実はわたしも含め、諜報部は別件で動いており……。今日もこれからすぐ、移動する必要があります」
「そうなのですね。紅茶を一杯飲む時間は……」
「そうしたい気持ちは山々ですが、申し訳ないです」
せっかくアレン様に会えたのに。
収まりかけた涙が、また溢れそうになる。
結局。
私は弱い人間なんだ。
不安で不安で仕方ないのに。
平気なふりをしていただけ。
頼れる推しのアレン様を前にしたら、こんな気弱になってしまうなんて。
「ナタリー嬢。あなたのそんな顔を見たら、わたしは全てを投げ出したくなってしまいます」
この言葉に私はハッとして、アレン様の顔を見上げた。
その澄んだ碧眼には、切なる想いが見え隠れしている。
「あなたは芯の強いレディです。一番辛くて苦しいのに、それを全部呑み込み、平静を保つ。そんなナタリー嬢を放っておくなんて、本当はしたくないのです」
そこでふわりとアレン様の唇が、私の額に押し当てられた。
心臓がドクンと大きく反応する。
「デグラン殿が、ナタリー嬢置いて去ったのなら。チャンス到来とばかりに、あなたを……」
そこで言葉を切り、アレン様は苦しそうに言葉を紡ぐ。
「こんな邪な気持ちがあるので、わたしはナタリー嬢のそばに、今、いることができないのでしょう」
「アレン様、そんな“邪”だなんて!」
「婚約者がいるレディを好きになるなんて、邪以外の何物でもありません」
そこでまるで自分自身の気持ちを静めるかのように。
アレン様が深い呼吸をした。
「もうすぐ。もうすぐです。わたしの任務も落ち着きます。そうなったら必ず駆け付けるので。でも何か困ったことが起きたら、シセロに相談してみてください。彼は哲学者のような、預言者のような、不思議なところがあるのですが……。その言葉は、まるで人生の指針を示してくれるのです。きっとナタリー嬢の役に立つアドバイスをしてくれるでしょう」
シセロ! 毎日フルーツ大福を届けてくれるモブとは思えない彼のことね。
「実はもう、アドバイスをいただきました!」
「! そうだったのですね」
私はゆっくりアレン様から離れ、素直な気持ちを伝える。
「強がって見せても、本当はいろいろと不安でいっぱいです。でもそんな私を支えようと、アレン様も含め、サポートしてくれる人達がいる。私は一人ではないので大丈夫です。さっきはアレン様を見て、緊張の糸が切れたというか……。今はもう落ち着きました」
「……そうですか。それは……安堵と同時に、残念に思ってしまいます」
そこでようやく二人で顔を見合わせ、笑い合うことになる。
「デグラン殿は、ナタリー嬢の性格や生き方、価値観。そういったところに一番心惹かれたのだと思います。わたしと同じように。よって例えこの一年間の記憶を失ったとしても。わずかな時間、あなたと接するだけで、再び恋に落ちるはずです。そこは不安にならなくていいですよ」
そこでアレン様は私の頬に優しく触れる。
「記憶を忘れているだけなら。思い出の品を見ることで、記憶が蘇るかもしれません。例えば剣術大会で贈られたレースのベール。そのコスモスのピンズや婚約指輪。じっくり見ることで、記憶が喚起されるかもしれません」
「そうですね。デグラン様に再会したら、試してみます」
「でも一番いいのは、わたしかもしれません」
これには「!?」と首を傾げてしまう。
「わたしはデグラン殿にとって、最後までライバルだったのでしょう。わたしの顔を見たら『あ、コイツ!』となるかもしれません」
「そんな! いくらライバルでもアレン様のことを『コイツ』だなんて!」
そこで再びお互いに笑い合う。
だがアレン様は懐中時計で時間を確認し……。
チークキス……のはずが、本当に頬へキスをしている。
そして「わたしも男ですからね。邪な気持ちの塊です」なんて言っているけれど。
颯爽と愛馬に跨るその姿は、神々しく、まるで大天使のよう。
眼福な笑顔を浮かべるアレン様を、私は見送ることになった。






















































