これは予想外の展開!
セーラはそこでグラスの水をごくごくと飲んだ。
「私はただ愛する人と結ばれたいだけなのに、どうしてそんな意地悪を……」
「意地悪ではなく、あなたが恥をかかないために必要なことなのです。王族と結婚するということは、国の顔になることですから。外交で顔を合わせた相手に対し、あなたの国の文化を知りません、社会情勢は把握していません、お茶でもしながら教えてください――ではすまないのです。それを覚悟の上で、第二王子との『真実の愛』を結実させたいのでは?」
これにはセーラは「うっ」と唇を噛み、黙り込む。
ジョシュと婚約できる=玉の輿くらいに軽く考えていたのだとしたら、事実を話して聞かせたことは、いい気づきになったのではないか。そんな風に思っていると。
「突然、横から失礼します。私はスタンリー・ジョン・イエール。これでも王立コンランドアカデミーで教鞭をとる身です。その立場からアドバイスをしてもいいでしょうか」
セーラは驚いたが、「王立コンランドアカデミー」と聞いた瞬間に、顔が輝き「ええ、何でしょうか」と応じている。
「思うに、あなたは過去に、失敗を経験した学習体験があるのでは? そこから勉強は苦手……という思い込みができたように思いますよ。それを克服できれば、勉強することへの抵抗感がなくなると思います。もしよろしければ、私が個人授業をつけましょうか」
これは予想外の展開!
私もモブだが、イエール氏もモブ。
モブのイエール氏が、ヒロインであるセーラに個人授業を申し出るなんて!
これには驚きしかなかった。
「ほ、本当ですか!? お、王立コンランドアカデミーの先生が私の勉強を……」
「はい。こういった場合、無償で受けると勘違いされる方もいると思うので、いくばくかのお金を求めますが」
「払います! お父様に話してすぐに用意します。いくら用意すればいいですか? いつから教えて頂けますか? どこで教えていただけますか?」
セーラのあまりにも必死で前のめりな反応に、デグランと私は顔を見合わせ、思わず口元が笑ってしまう。でもセーラはそんなことお構いなしで、イエール氏と話している。
結局、明日の夕方、セーラの屋敷にイエール氏が訪問することになった。そこでいろいろ決めようということで落ち着いた。
「……このカフェに来て、良かったわ。……妃教育について知ることもできましたし。ここを紹介くださったニコール侯爵令嬢は……少し見直しました。明日、会ったら、『ありがとう』の一言くらいは言って差し上げてもいいかもしれません」
いまだ、ジョシュを諦めるつもりはないだろうし、ニコールを完全に許すつもりはないと伝わってくる。それでもヒロインから悪役令嬢に「ありがとう」と歩み寄ることは、小さなことでも、前進だと思う。
「ではイエール様、明日、よろしくお願いします」
ヒロインが席を立ち、代金を支払おうとするので、ニコールから金貨を預かった話をした。
「え……ではこのロイヤルミルクティーの御代を、私は払わなくてもいいのですか?」
「はい。これはニコール侯爵令嬢がご馳走くださるのです」
無料になるのは嬉しいが、それがニコールのおごりというのは納得し難いようだ。セーラは少し微妙な表情になる。それでも「まあ、いいわ。あの女にはどうせ御礼を言うつもりだから。ついでよ、ついで。ついでにこのロイヤルミルクティーのことも『ありがとう』と言えばいいわ」と呟く。
「では、ごちそうさまでした」
「ご来店ありがとうございます。また、よろしければ足をお運びください」
カランコロンと扉が開き、セーラが店から出て行く。
セーラの座っていたカウンター席に残されたティーカップやグラスを片付けながら、イエール氏に尋ねずにはいられない。
「一体、どうされたのですか? 完全に他者への無関心は克服されましたよね? それどころか、他者への関心を持てるようになりましたよね?」
私の問いにイエール氏は、楽しそうに笑う。
「ええ、おかげさまで。つい聞こえてきてしまったが、彼女は面白いと思って」
「面白い……ですか?」
「ああ。彼女は愛に生きたいと言いつつも、面倒ごとは避けたいと思っている。妃教育なんて、絶対に受けたくない――だろう。でも『真実の愛』やら『薔薇色の未来』などと口走ってしまったがために、引っ込みがつかなくなっている。この後、勉強のコツを掴み、妃教育を受けてもいいと思えるようになった時、どうなるのか……」
これには首を傾げることになる。
妃教育を受けてもいいと思えるなら、そのままジョシュと結ばれるしかないのではと思った。だがイエール氏の見解は違う。
「勉強ができるようになるということは、今より階段を何段も上ることになるんだ、あの娘は。そうなると、過去の稚拙な自分に気が付くことになる」
これはもしかすると……。
私がイエール氏を見ると、彼は静かに頷いた。