ありがとうございました
「お気持ちはよく分かります。ですがここは冷静にすることが肝心です。あなたがその令嬢に嫌がらせをすれば、彼女はあなたの婚約者に『嫌がらせを受けている』と相談するかもしれません。そうなれば婚約者のあなたに対する心証も、悪くなりますよね」
出来立てのパンケーキを口に運ぶ悪役令嬢ニコールは、とても悲しそうな表情をしている。ヒロインに散々嫌がらせをする悪役令嬢という役どころではあるのだが。ただのモブである私が、実際に会ったニコールは、婚約者の浮気に苦しむ令嬢にしか見えない。
「まず、もう、嫌がらせはやめましょう。そこからです。そしてその令嬢と話をしてみてください。そこで声を荒げたりせず、淡々と伝えましょう。婚約者と親密にされているのを見ていると、辛いということを。あ、確認です。この世界では、政略結婚も多いですが、どうなのでしょう。あなたはその婚約者のことを……」
するとニコールの瞳から、朝露のような美しい滴が零れ落ちた。
「良かったら、どうぞ」
驚いた。
ニコールが自身のハンカチを取り出すより前に、アレン様が動いた。
そう、ハンカチを取り出し、ニコールに渡したのだ。
第二王子攻略ルートでこの世界が動いているなら。
ニコールとアレン様が接点を持つことはなかった。
だが不思議な縁で、私のカフェで二人は知り合うことになったのだ。
ニコールは驚きながらも受け取ったハンカチの刺繍を見て、ハッとする。
おそらく家紋が刺繍されていたのだろう。
「王立騎士団のサンフォード副団長ですね。……ありがとうございます。この御礼は後日必ずさせていただきます。私は……王立サンフラワー学園三年のニコール・マルティネスです。マルティネス侯爵の長女でございます」
「存じ上げていますよ。妃教育で王宮を訪れているあなたのことを、何度かお見かけしています。約三年、よく頑張られていますよね」
「! ありがとうございます。そう言っていただけますと、光栄です」
ニコールの顔に笑顔が浮かんだ。
アレン様の機転で、ニコールの涙が止まっていた。
改めて私を見たニコールは、こんなことを口にする。
「私は、殿下のことが大好きです。殿下の妃となるため、彼を支えられるようになりたいと頑張ってきました。彼に相応しい人間であろうとしたのに、嫌がらせをしてしまうなんて……。自分の醜い一面に気が付くことができました。まず、謝罪します。彼女に。そしてなぜあんな嫌がらせをしてしまったのか。素直な気持ちを話してみます」
前世で乙女ゲームをプレイしていた時。
悪役令嬢ニコールは怖くて、邪魔をしてくる、困った存在だった。こんな嫌がらせをするなんて、性悪女め! なんて思ったこともありましたが。
実際に会ってみると、なんていい方なのだろう。
アレン様の言う通り、約三年間。妃教育も頑張っていたのだ。根は真面目で、真面目過ぎて融通が利かなくて、空回りをしてしまったのだろう。それに自らまず謝罪することに気が付けたのだ。これは本当に素晴らしいことだ。
こうしてニコールは、残りのパンケーキを笑顔で食べ、ティーフリーも楽しみ、そして……。
「あ、妃教育の時間です。王宮へ向かわないといけないので、これで失礼いたします。小銭がなくて、こちらでもいいですか?」
またもや高位貴族の金貨支払い!
「は、はいっ。お釣りを今」「いいえ」
ニコールはすっと私の手に自身の手を添えた。
「もしかすると、私の知り合いがこのカフェにお邪魔するかもしれません。その時はこの金貨で支払いをしたことにしてください。といっても上限は三人まででいいので」
「かしこまりました!」
「私もまた、お邪魔したいと思います。このパンケーキもとても美味しかったですし、ティーフリーの紅茶も、上質なものでした。王立サンフラワー学園で、このカフェは度々噂で聞いていたのですが……思い切って足を運んで良かったです」
そこで深呼吸したニコールはさらにこう続けた。
「薄々、自分自身、気が付いていました。止めなきゃいけない、謝罪しないといけない、話した方がいいと。でも目を逸らし、行動できずにいました。それを相談できたこと。聞いていただけたこと。その意味はとても大きいと思います。本当に……ありがとうございました」
綺麗にお辞儀をしてくれたニコールを入口まで見送った。
店内に最初入って来た時は、少し強張った顔をしていたのに。
今は笑顔で手を振ってくれている。
大人びて見えていた悪役令嬢ニコール。
でも本当はヒロインや婚約者と同じ、前世でいう高校生なのだから。
時に道を間違うこともあるが、やり直しはできるはず。
いきなり悪役令嬢がカフェに現れ、驚いたけど、うまくいって良かった。
安堵したその時。
「君は素晴らしい人だね」
推しの声に思わず振り返ったが、「素晴らしい人?」と思い、デグランとロゼッタを見る。二人は「自分ではない」とばかりにそれぞれ胸の前で手を振っていた。
え、素晴らしいって……私?
そこでアレン様の碧眼の瞳と目が合った。
「妹から、このカフェを思いついたのは、君だと聞いているよ、ナタリー嬢」
推しに名前を呼ばれた……!
名前を呼ばれ、もう腰砕けになりそうな私に、アレン様は話を続けた。