結婚せずとも生きられる
下男をベッドに無理矢理連れ込み、奥さんにそれがバレ、離婚されている。そして私より三十歳年上であり、爵位を金で手に入れたと評される成金男爵から、求婚状が届いた。父親はその支度金に目がくらみ、私にこの縁談話を受け入れるようにと勧めたのだ。
いくら貴族社会の婚姻は家同士がするものであり、本人の意思より、条件面が重視されるとしても。前世の記憶を持つ私からすると「それは無理です!」だった。
転生前、そんな政略結婚、ないとは言わない。お金持ちの間ではまだ存在していたかもしれなかった。だが私はごくごく平凡な市民の一人として生きていた。政略結婚とは無縁だった。ゆえに条件面だけで進められようとするこの縁談話に「分かりました」なんて言えるわけがない。
さらに言えば。
いざとなれば仕事さえしていれば、独身街道まっしぐらでも生きていけたのだ。
そう、結婚せずとも生きられることを、私は知っている。
無論、ここは乙女ゲームの世界であり、その世界観からすると、結婚できない貴族令嬢はかなり惨めではあった。金食い虫とばかりに修道院に入れられることもあれば、地方に引っ込み、ひっそり生きることを強いられることもある。
それでもごくわずかであるが、働く令嬢も存在していた。
それは行儀見習いとして侍女やメイドとして王宮やより高位な貴族へ仕えたり、令嬢の家庭教師になるなどの生き方だ。
コーネ・リアン・ポポローゼ男爵と結婚させられるぐらいなら、私は独身を選ぶ。かつ、仕事をして、自分でお金を稼ぐ!と決意した。
両親とはこの件でもめることになり、結局、私は母屋を出た。本当は、街で住む場所を見つけ、一人暮らしを始めてやる……くらいの気持ちになっていたが。さすがにそれは兄と姉から止められた。妥協案で、屋敷の敷地内に建っている離れで一人、暮らすことになった。
離れには一応、侍女、専属メイド二人、従者を連れて行くことができた。
よってこれまで通りの生活はできるが、いつまた第二のポポローゼ男爵が現れるか分からない。私がいずれかのモブ令息を連れて来ても、よほどの相手でないと、両親が首を縦に振らないことは分かっていた。
この世界の貴族の結婚は家同士の結びつき、利害関係の上で成立する。
両親からしたら、ポポローゼ男爵は好条件の優良物件に映った。彼のように金山を支度金として進呈するなんて、そんな羽振りのいい貴族、なかなかいない。いても売却済みだ。
ならば結婚を逃げ道にするのはやめよう。
いざとなったら一人で生きていくようにするために。仕事を始めようと考えた。
そこで目をつけたのが、街にある一軒のパブリック・ハウス、その名も「ザ シークレット」だった。パブリック・ハウスは前世で言うなら、バーとかパブだ。
そこはビールを中心にした酒類を提供しているが、カウンター席のみで、営業は夜から。完全に紳士淑女の社交場で、夜な夜な酒を片手に会話を楽しむ場となっている。
店内は清掃も行き届き、清潔感があり、来る客も貴族ばかり。
ただ、残念なことは、日中はお店が閉まっていること。
パブリック・ハウスの中には、ランチタイムから営業を始めているお店もある。そんなパブリック・ハウスで提供されるランチは、サッと食べられるもので、人気があった。でもこの店は、ランチの営業をしていない。日没に合わせ、開店だった。
そこで私は店主であるデグランと交渉した。
私はカフェを開きたいと思った。しかも前世の私の仕事経験を生かし、恋愛相談に応じる『恋愛相談カフェ』を13時から日没前まで、つまりはデグランのパブリック・ハウスの営業が始まるまで、開けたいと考えたのだ。
ゼロから土地を買い、お店を建てるのは、経験がないと無理だろう。空き店舗で新たに始めるのも手だろうが、そこが空き店舗であるからには、理由があるはずだ。実は人通りが少ないとか、賃料が高くて回せないとか。
その点、日中だけ間借り営業できるメリットは大きい。リサーチすると、日中もランチ営業をすれば、お客さんは来る立地だった。ただ店主であるデグランが夜型。よって店を開けていないだけで、日中も人通りがあり、周囲に飲食店はあるが、カフェはない。
周辺には同じようなパブリック・ハウスがあり、そこはランチ営業をして、そのまま夜営業に突入しているが……。
「ランチの後、お茶を飲みながらおしゃべりしたいと思うことがあるのよね。でもこの辺り、カフェがないのよ」
「ここ、お昼が美味しいからたまに足を運ぶけど、甘いものを楽しめないでしょう。別のエリアへ移動しないといけないの。面倒よね」
そんな声を私は、この界隈で耳にしていたのだ。
さらに私はこのデグランのお店には、舞踏会の帰りに立ち寄ることもある、常連でもあった。よって私の提案を聞いたデグランは……。
「へえ、貴族のお嬢さんがカフェを、しかも恋愛相談ができるカフェをやりたいなんて。面白いじゃないか。どうせ日中は閉じている店だ。使ってもらって構わないよ」
デグランは同じモブ同盟、髪と瞳の色がモブ仕様なのだ。
彼の髪はアッシュブランで、肩下ぐらいの長さで、それはいつも後ろで一本にして結わいている。サーファーみたいな健康的に日焼けした肌で、体格もいい。いつも髪色と同じズボンに、デニムを思わせる風合いのシャツを着ていた。瞳は焦げ茶色で、笑顔が爽やかなナイス・ガイ・モブだった。
「ちゃんと掃除をして、水道光熱費を出してくれるなら、賃料なんていらないさ。ただし条件がある。カフェだろうが看板メニューは重要だから、それを作るんだ。で、俺はその看板メニューを、いつ来ても無料で食べられるようにしてくれ」
「え、それでいいのですか?」
「貴族だって言っても、未婚の令嬢が自由に使えるお金なんて、実はそんなにないんだろう? 今の店にあるものはなんでも使ってもらって構わないが、俺が店で出す食い物なんて、ナッツとチップスぐらいだ。料理なんてしないからな。ティーカップもティーポットも置いていない。いろいろ揃えるのに入用だろう。まあ、大繁盛したらな。そん時はなんか考えよう。今のナタリー嬢から賃料なんてとれないよ」
デグランは平民だけど、貴族嫌いというわけではない。貴族も多く通うお店をやっているのだから、それは当然のことかもしれないけれど……。彼がフレンドリーで良かったと心から思う。
「デグラン様の言う通り、親から自立したくてカフェを始めようと思ったのです。いつか繁盛したら……勿論、その時はちゃんと御礼をさせてください!」
「親から自立!? これは驚いたな。いずれかの素敵な令息と結婚するつもりはないのか?」
「それは……ないと思います」
これは面白いことを聞いたと、デグランは口笛を吹く。
そこでとびっきりの笑顔になり、こんな風に言ってくれた。
「貴族のお嬢さんでここまでの気概があるなんて珍しい。気に入った。俺もできる限りの協力をするぜ。……夜、店に来ている客に宣伝すれば、客は来るだろう」
「あ、でしたらショップカードを用意します」
「ショップカード?」
表面には夜のパブリック・ハウスの営業、裏面に恋愛相談カフェの営業を告知するカードを作ると言うと……。
「そのカードは売るのか?」
「いえ、無料で配ります。珍しいし、話のタネにしてもらえると思います」
当然だがこの世界にショップカードなんて存在していないので、面白いとなった。
「俺のダチで絵描き目指していた奴がいるから、ソイツに描かせるか?」
「いいですね! お願いします」
こうしてショップカードはデグランの友人に任せ、私はこれまでの貯金といくつかの宝石を質屋にいれ、まとまったお金を手に入れることができた。このお金でティーセット、お皿などを手に入れようと思ったのだけど……。
いいことを思いついた!
それは陶芸家の卵を訪ね、彼らの作品を店で使い、気に入った方にはそのまま買い取りいただくというもの。有名陶器メーカーのティーセットを使うのは、どこのカフェでもやっていること。でも私のカフェでは、ここにしかないティーセットと一期一会で出会える……としたかったのだ。
陶芸家の卵は常にパトロンを探しているものの、無名の彼らの作品を貴族が見てくれる機会なんてそうはない。皆、喜んで私の提案を受け入れてくれた。
この時、同時進行で考えることになったのは、看板メニュー。
カフェの顔となるスイーツとして私が考えたのは……。
お読みいただき、ありがとうございます!
【新作公開】
蕗野冬先生描き下ろし表紙絵付きの新作を公開しました!
『運命の相手は私ではありません!~だから断る~ 』
涙が出そうなくらいの神絵です。
3月までアニメも見ていたので感動もひとしお~
あらすじ:
気づけば読んでいた小説の世界に転生していた。
しかも名前すら作中に登場しない、呪いを解くことを生業とする、解呪師シャーリーなる人物に。さらにヒロインが解くはずの皇太子の呪いを、ひょんなことから解いてしまい、彼から熱烈プロポーズを受ける事態に!
この世界は、ヒロインと皇太子のハッピーエンドが正解。モブの私と皇太子が結ばれるなんて、小説の世界を正しく導こうとする見えざる抑止力、ストーリーの強制力で、私は消されてしまう!
そこで前世知識を総動員し、皇太子を全力で回避しようとするが……。
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