何、それ? 美味しいの?
イエール氏は店に入る前、黒蜜……ブラックシロップを使ったパンケーキを食べる私とデグランを見ていた。そして実に“いい雰囲気”に見え、「君たちは付き合っているのかね?」という発言につながった。
これには驚き、「そういうことではない」と慌てて否定しようとした。
ところが!
イエール氏がさらなる爆弾を投下するのだ。
「でも違うのか。彼の方が彼女を、見守るように感じられた。大切なものを温かく見つめている……これはあれかな、“片想い”というものか? よく学生でもいるんだ」
イエール氏によると、彼の授業において。
男子学生が、自身の前の席に座っている女子学生のことを、今のように見つめていることがあるという。
「一度や二度は目をつむる。だが頻繁だと、単位を落とすぞと注意することもある」
そこでイエール氏は笑うが、単位を落とす発言が、冗談なのか、本気なのか分からない。
あわあわした私が困ってデグランを見ると、彼はニコニコしているだけで、イエール氏に何も言わないのだ。
なぜ、黙っているのだろう……?
もしもここであからさまに「そんなわけないじゃないですか!」と否定したとしたら。それは「彼女に対し、女性として一切魅力を感じていません」と宣言することになる。仮にもし私がデグランに好意を持っていたとしたら、それは人前でバッサリその気持ちを否定することになるのだ。もし私がデグランに好意がなくても、彼から否定したら、「興味ないですよ、この女性には」となり、私に恥をかかせることになる。
つまり私に気を使い、何も言わないのでは!?
デグランは優しいし、配慮ができる。だから……。
「二人ともうんともすんとも言わないな。……やはり私は他人に興味がないから、人間観察もろくにできないようだ。まあ仕方ない。このカフェに通い、君たちと会話すれば、少しは私も変わるかもしれないからな」
イエール氏はそう言うと、扉を開け、店から出て行こうとしていた。
ここで何も言わないわけにはいかない!
「イエール先生、ご来店、ありがとうございます。まだ雨は降っていますが、お気をつけてお帰りください!」
「ああ、ありがとう。次回は君たちの名前を聞くところから始めよう」
「!」
そう言われると、イエール氏の名前を聞いていたが、デグランも私も名乗っていなかった。
でも、誰かの名前を知りたいと思う。それは他者に関心がないイエール氏からしたら、大きな前進だと感じた。「君」とか「彼女」「彼」と呼んでいたイエール氏が、他人の名前を呼ぶ。名前を知るために言葉を発する。
うん、ものすごい進歩だと思う。
「はい! また明日、お待ちしています」
カランコロンと音がして扉が閉まる。
「よかったな、ナタリーお嬢さん。カフェの常連客を一名ゲットだ。しかも金貨を渡して『お釣りはいらん』なんて上客だぞ」
デグランはいつもの口調で、カウンター席に残された空のお皿とティーカップの片づけを始める。
さっき、私と付き合っているのかとイエール氏に問われたのに。そのことをデグランが気にしている様子はない。
そっか。
そうよね。
私はそもそもそんな対象として見ていないから、気にする必要もないということ。
変に私が意識する必要なんてないのだわ。
すぐに私も厨房に入り、デグランの隣で片づけを始めた。
「常連客は一人ゲットですが、もう閉店時間までお客さんが来ない気がします。ティーアーンに大量に紅茶が残っちゃいます……」
デグランはこの雨だが、夜、店を開けると言う。
天災クラスの天気でなければ、酒飲みは雨でも、店にやって来るというのだ。
よってパウンドケーキやクッキーは、彼らが買ってくれるかもしれない。買ってくれなくても、こんな雨の日に来店してくれるなら、お土産として配ってもらっていいと思えた。
「ああ、ティーアーンの紅茶。それな。考えたのだけど、ティーフリーの理論を使わせてもらうことにした」
「?」
「つまり銀貨1枚で、紅茶割りのお酒を、お代わり自由にしたらどうかと思ったんだよ。こんな雨の日に来る客には、サービスしたくなる」
これには二つの意味で「ナイスアイデア!」だった。
まず、酒好きにとって、銀貨1枚で飲み放題なんて、夢のような話だろう。
何せ彼らは浴びるように飲むのだから。
サービスとして最高だった。
そしてティーアーンの紅茶は屋敷に持ち帰ることもできるが、それでも私が寝るまでに飲む量は、微々たるもの。残りは残念だが廃棄となる。さすがに明日、温めなおして使うことは、お客さんに対して失礼でできない。味だって当然落ちる。
それならば紅茶割りで使ってもらえることは、前世のSDGs(持続可能な開発目標)にもつながる。
でも……。
「紅茶を使ったお酒の飲み方なんて、そんなにあるのですか?」
「あるさ。簡単なのはウィスキーの紅茶割り。ブランデーででもできる。赤ワインに紅茶でフルーツを加えて冷ませば、紅茶のサングリアも作れるぞ。白ワインと紅茶にオレンジも加えれば、それこそティーワインだ」
「すごいですね。どれも美味しそう!」
するとデグランが濡れた手をタオルで拭き、そして自然な動作でその手を、私の頭にぽすっと乗せた。
「ナタリーお嬢さんも参加するだろう?」
この人懐っこい爽やかな笑顔。ずるいなぁと思う。
「! そ、そうですね」
「良し。これで最低でも客は一人確保だ。紅茶のサングリアは冷ます時間も必要だから、ティーアーン一つ、もう下げてもいいか?」
「あ、もちろんです」
ティーアーンを取りに行こうと動くと、デグランもそうしようしていたようだ。
お互いの体がぶつかり、でもここは女性である私より、男性であるデグランの方がしっかりしているわけで……。
思わずよろけ、その体をデグランに支えられた。
その腕と胸は想像以上に逞しい。
しかもパンケーキを作っていた名残で、エプロンから甘い香りを感じた。
「あ、あの、ごめんなさい」
「……いや、大丈夫」
見上げたデグランの頬がうっすら赤くなっているように思えて、心臓が大きく反応する。
カラン、コロン、コロン
扉につけた鐘の音に、別の意味で心臓が飛び跳ねる。
「も~、雨、すごいですね。ちょっとの距離なのに、びしょびしょ~」
入って来たのはロゼッタだ。
雨避けの黒い外套はびしょびしょだが、なんと中のドレスは膝ぐらいまでたくしあげていたようだ。ドレス自体は濡れていなかった。
私は慌ててデグランから離れると、モップとタオルを手に、ロゼッタのそばへ行く。
「どうしたの、ロゼッタ!? こんな雨だから、こっちは閑古鳥が鳴いている状態なのに」
「でもデグランはこんな雨の日でも、絶対にお店開けるから! まかない狙いです!」
扉を開け、外套の雨をはらいながら、ロゼッタはウィンクをする。
「全く、ロゼッタ。お前はまだ酒が飲めないんだから、こんな雨の日は家で大人しくていればいいのに」
「もうデグランは意地悪いなぁ~。あれ、そのティーアーン、どうするの?」
「ああ、これか? もうカフェには大挙して客は来ないだろう? だからこのティーアーンで紅茶のサングリアを作る」
デグランはカウンターから厨房の方へ、ティーアーンを運んでいた。
「紅茶のサングリア? 何、それ? 美味しいの?」
「女性は好きだろうな」
「ふうーん。どうやって作るの~?」
ロゼッタは外套をラックにかけると、厨房へ向かう。
私は床にできた水溜まりをモップで拭きながら、窓の外を見る。
さっきまでは車軸を打つような雨だったのに。
雨脚が弱まってきていた。
もしかしたらカフェがクローズする頃には、雨、止むんじゃないのかしら?
この私の予想は大当たりで、その後、雨は止み、天気は急速に回復する。
デグランがパブリック・ハウス「ザ シークレット」をオープンする頃には、夜空を覆っていた雲は途切れ、星空や月さえ見えるようになっていた。
天気の回復を喜んだお客さんが、店に押し寄せる。そして紅茶割りのお酒のお代わり自由プランに乗っかった。おかげで店は大盛況、ティーアーンも空になり、私も久々に酔っ払いで帰宅した。
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