面白い! 実に面白い。
「つまりご本人の意思とは関係なく、外的な要因により、恋愛しなければならない……というか、縁談話が出ているのですね?」
見たところ、イエール氏はアラサーぐらいだろうか。
独身貴族を貫いてきたのかもしれないが、弟や妹のいずれかで、結婚話が出ているのかもしれない。兄が先に婚約でもしてくれないと、結婚しづらい……という大義名分で、縁談話を受けるよう、両親に言われているのかもしれなかった。
「うん。君は頭の回転が速くて助かる。その通りだ。私は自分自身の研究に没頭したいと思っているし、嫡男ではない。跡継ぎは兄が結婚しているし、万全だ。だが弟と妹がいてね。弟は婚約者といよいよ結婚に、妹は婚約者が決まった。そうなると独身の私が目に付くようなったのだよ、両親は」
「なるほど。そのご両親のプレッシャーは相当なもので、縁談話も受けないといけない状況なのですね?」
イエール氏は「その通りだ」と頷き、言葉を続ける。
「まだ、縁談話が持ち込まれている状態だ。候補者数名とおいおい顔を合わせることになるだろうが、それはまだ先の話。とはいえ、こうも恋愛に興味がないわけだからな。どうしたものかと思ったのだよ」
それをこのカフェで相談するのですか!と思う気持ちがないわけではない。この悩みは恋愛相談以前の話。とはいえ前世では、結婚相談所に入会する前に、いろいろと相談されることはざらにあった。その悩みを解消するために婚活しましょう……になるわけなのだけど。
ともかくその経験を踏まえ、落ち着いて対処することにした。
「まず職場と屋敷の往復では、女性と会話する機会すらないと思います。女性以前に、人との接点が少ないわけですから、そこからだと思いました。即効性のある解決策なんて一つしかありません。それはイエール先生の意識改革です。『分かった。恋愛をしようじゃないか!』と気持ちを切り替えていただければ、解決。ですがそんな意識改革を、いきなりは無理ですよね?」
イエール氏は「当然だ」とばかりに頷く。
「即効性のある解決策はないので、お見合いの席にまで間に合うかは分かりません。ただ、やっていただきたいのは、社交です。人と会い、話す機会を作っていただけないでしょうか。そうは言っても、いきなり大勢がいる舞踏会。沢山の人に囲まれ食事をする晩餐会は、厳しいでしょう。ならば趣味で集うサロンに顔を出すところから始めるのでどうですか?」
「サロンか……。まあ、それも手であろうな。だがサロンに行っても無知な者とは話さないぞ。時間が無駄になる。そうなるとだんまりで過ごして、屋敷に帰るかもしれない」
少し皮肉めいた口調に、ため息が出そうになるが、それは呑み込む。
「つまりは強制的に話す場がないと、ダメということですね」
そこでパンケーキが登場。イエール氏は、これはすぐに食べた方がいいと分かっているのだろう。考え込む私を放置して、ナイフとフォークを手に取った。
イエール氏がパンケーキを食べている時間が、私に与えられたシンキングタイムだ。
そもそも他者への関心がなければ、会話の糸口を自分から掴むことなんて、しないだろう。そう言った意味でも、いくら趣味という共通項があっても、サロンで会話が弾む……は無理なのかもしれない。
それならば学会にでも出席した方が、よほど話をするだろう。
だが学会でいくら話しても、それは学術的な話。それでは意味がない。それに学会なんて都合よく、頻繁に行われているわけではなかった。
強制的に女性と話す機会。
「うん。これはすごいな。これは君がすごいというより、そこのシェフ。君のお手柄だ」
イエール氏に声をかけられたデグランは、まるで貴族のように、手を胸にあて、一礼する。
「確かにこのパンケーキを作ったのは自分です。ですがこのパンケーキのレシピの考案者は彼女ですよ。賞賛は自分よりも彼女に与えてください」
「ほう。君はできた人間だな。作ったのは確かに君なのだから、自分の手柄にできるだろうに」
その時。
珍しくデグランの顔から笑顔が消えている。
「……そういう手柄を横取りするようなやり方は、自分が最も嫌う方法です。お気に召したなら、それは自分が単純に、調理が上手かった、ただそれだけのこと。自分ではこの黄金パウダーも想像できませんし、それをパンケーキにかけることも思いつきません」
「なるほど。それは君の言う通りだ。お嬢さん。あなたが考案したこのパンケーキは絶品だ。このパンケーキであれば、毎日食べる価値があるだろう」
この言葉を聞いた瞬間。
私はひらめくことになる。
「イエール様、ぜひそうしてください」
「!?」
「アカデミーからこのカフェが近いなら、毎日通うこともできると思います。他にお客さんもいますが、通常レストランやカフェの貸し切りを毎回するなんて、王族くらいです。一般的にはどうしたって他にお客さんはいますから。そこは諦めてください」
イエール氏は驚き、固まっているところが気になるものの、とりあえず言いたいことは伝えてしまおう。
「毎日ここへ来て、私と会話し、このパンケーキを召し上がってください。そして興味はないかもしれませんが、恋愛相談の話が聞こえてきたら『ほう、こんな風に人は恋愛で悩むのか』と思ってください」
そこで一息いれ、決意する。
もう畳みかけよう!――と。
「これまで恋愛に全く興味がなく、他人に関心がない方が、いきなりお見合いの席につき、誰かを好きになれるかというと……無理ではないでしょうか。ですがイエール先生がなんとかしようと思う気持ちがあるなら、変わることができると思います。何よりもこのカフェに来たことは、大きな第一歩です」
私としては人類初の月面着陸くらい、意味のあることだと思えていた。
「他人に関心を持たないといけない。恋愛しなきゃいけない。そんな風に自分を追い詰め、無理をする必要はないのです。すぐに変わる必要はありません。のんびり、リハビリしましょう。この店は毎日開いていますから、まずは私と話すことから始めませんか。一応これでも女ですから」
ここまで一気に伝えた結果、イエール氏は……。
「面白い! 実に面白い。なんて興味深いんだ。女性とは、かくも面白い生き物なのかね、君!」
いきなりイエール氏にふられたデグランだが、落ち着いて応じた。
「自分が知る限り、彼女は特別だと思います。女性ということにこだわらず、尊敬できる方ですよ」
「そういう君も実にできた人間だと思うよ。……気に入った、君たち二人のことが! 来ようじゃないか、このカフェに。可能な限り、毎日。リハビリ――ああ、その通りだろうな。そうしよう!」
そこでイエール氏は懐中時計を確認し、席を立った。
「馬車を待たせているからな。今日はこれで帰る。お代はこれで頼むよ。釣りはいらん」
そう言って渡されたのが金貨なので、当然、驚くと。
「これから毎日来るたびに支払いは煩わしい。しばらくはこれで持つだろう? 足りなくなったら声をかけてくれ」
この金貨で何十回このパンケーキが食べられるか。咄嗟には計算できない。
既にスツールから立ち、自分で外套を着たイエール氏は帽子を手に取り、動きを止める。なぜかまじまじと私とデグランの顔を見比べ、尋ねた。
「ところで君たちは付き合っているのかね? このカフェに私が入る前、実に“いい雰囲気”というものに見えたが」