会社辞めて焼き鳥屋やりたいから、行きつけの店の秘伝のタレを盗むことにした
「お前は本当に使えんな! 新人の方がよっぽど使えるぞ!」
毎日のように会社で怒られる。周囲からもクスクスと笑われる。後輩にさえもだ。
もううんざりだ。
俺ははっきりいって無能だし、この仕事は向いてないんだ。
しかし、こんな俺にも特技ともいえる趣味はある。
それは焼き鳥を焼くことだ。
本格的な調理器具を買い、串に刺した肉を焼く。
長年やってるうちにどんどん上手くなり、知り合いからは「プロレベル」「店開けるよ」などと褒められるようになった。
やがて、俺の中にこんな夢が芽生える。
――会社辞めて、焼き鳥屋をやりたい。
そうすればもう二度と会社で怒られることはないし、しかも好きなことをして暮らせる。まさに焼き鳥で一石二鳥じゃないか。
あれこれ模索するうち、資金の目処はついた。
実力にだって自信はある。
だが、俺が焼き鳥屋を開くには最後のピースが必要だ。
それが――“タレ”だった。
焼き鳥をおいしく彩る極上のタレ。それさえあれば俺の焼き鳥屋は絶対繁盛する。
そんなタレを求めて俺はさまざまな焼き鳥屋を巡り、ついに見つけたのだ。俺の夢を叶えられるタレを。
……
裏町にひっそりとたたずむこの焼き鳥屋は、今夜も大勢の客で賑わっている。
この店にこそ、俺の求めるタレがあるのだ。
「いらっしゃい!」
俺を見るなり、大将が声をかけてくれる。
なんとかこの店のタレの秘密を聞き出そうと、足しげく通っているうちにすっかり常連になってしまった。
俺はカウンター席に座るとビールを頼み、適当に焼き鳥を何本か見繕ってもらう。もちろんタレで。
出てきた焼き鳥を食う。
うまい。
といっても、大将の焼き鳥の腕は悪いがそこまででもない。とにかくタレが絶品なのである。
このタレに俺の腕が加われば……と思わずにはいられない。
俺は大将に話しかける。
「今日も大将の焼き鳥は絶品だね!」
「ありがとうよ!」
「特にこのタレがやっぱりいいんだよね~」
「なんたってウチに代々伝わる秘伝のタレだからね。おかげで助かってるよ」
俺はこう切り出す。
「作り方、教えてくれないかな~」
「そりゃあダメだ。なんたって秘伝だからな。秘伝を教えちゃったら“秘”じゃないだろ?」
「確かにな~」
こうしてはぐらかされる。
今までに何度も繰り返したやり取りである。
大将はよく喋る人なのだが、秘伝のタレに関しては決して秘密を明かそうとしない。
俺は心の中で舌打ちする。
「そこにある壺の中にタレが入ってるんだっけ?」
「ああ、そうさ」
厨房の片隅に、いかにもという雰囲気の古い壺が置いてある。あの中に秘伝のタレがたっぷり詰まっているのだろう。
あれさえ手に入れば……。全部とは言わない。ある程度まとまった量を確保できれば、俺ならきっと味を再現できるはず。うらめしい気持ちになる。
「じゃあさー、ヒント! ヒントだけでいいから! タレ作りの秘訣を教えてよ!」
大将は少し考えてから、
「秘伝のタレを作る秘訣は悪い心と悲しみってところかな」
意味が分からない。
秘伝を独占する悪い心と、だけど本当は誰かに教えたい気持ちもあってそれが悲しい、みたいな意味だろうか?
こんなヒント、なんの役にも立たない。
「いよっ、大将! 詩人!」
「へへっ、照れるねえ」
他の常連客が話に加わってきて、話題は秘伝のタレどころではなくなってしまった。
「近頃ヤマちゃん来なくなっちまったなぁ~」
「ああ、ヤマちゃんな。あいつも常連だったのに」
「へえ~、一度お会いしたいなぁ」と俺もグラス片手に話を合わせる。
結局この日もタレの秘密を聞き出すことはできなかった。
このままじゃ、いつまでたっても焼き鳥屋の開業はおぼつかない。辛い会社勤めを続けなきゃならない。
大将のあの様子からして、真正面から「焼き鳥屋やりたいからタレの作り方を教えて」と言っても無理だろう。ただでさえ飲食業界は競争が激しいのに、ライバルを増やすようなバカはいない。
となれば手段は一つしかない。
俺は秘伝のタレを盗むことにした。
……
月がなく、いつもより暗い夜だった。
俺はいつものように焼き鳥屋に入る。
「いらっしゃい!」
いつものように酒を飲み、焼き鳥を食べる。
常連客と雑談を交わす。
「会社が辛くってさ~」
「辞めちまえ辞めちまえ! そんな会社!」
そう、もうすぐ辞めるんだよ、と俺はほくそ笑む。
閉店間際、店を出る。
いつもならこのまま家に帰るところだが、俺は帰るふりをして外で待った。
月のない夜は、俺の姿を闇に覆い隠してくれる。
店を閉めた後も店長は明日の下ごしらえやら何やらをしているようで、なかなか明かりが消えない。
が、しばらくしてようやく電気が消えた。
俺は店の前に立つ。
もちろん、秘伝のタレを盗むためである。
店の入り口は引き戸になっており、俺はその鍵穴を密かにスマホで撮影していた。
そしてネット上で「この手の鍵を開ける方法」を調べると、どこにでも教えたがりというのはいるもので、方法や器具をレクチャーしてくれる輩がいた。
俺は指示通りに購入した針金のような器具を使って、ピッキングを行った。
あっさりと開いた。初めての泥棒とは思えないあっけなさだ。
もっともこの店は古いし、俺に泥棒の才能があるというより鍵が大したことなかったというだけの話だろうが。
俺は音を立てないよう戸を開け、スマホのライトで秘伝のタレの壺を探し当てる。
いつもの場所に置いてあった。
そして、俺は持参した水筒を手に持つ。
いくらなんでも壺をそのまま盗むのは重すぎるので、水筒にタレを入れて盗み出す算段だった。そして俺なら、ある程度の量さえあればそれを研究し、タレの再現ができると確信していた。
「これで……俺は焼き鳥屋を開ける……」
壺の蓋をゆっくりと開ける。
中には黒いタレが入っていた。いつも俺を魅了するあの匂いも健在だ。
あとはこれを盗んで帰ろう。なにも全部盗むわけじゃないし、大将の商売敵になるつもりもない。大将が困るようなことはないはずだ、と罪悪感を抑え込む。
俺は持ってきたおたまでタレをすくおうとする。
その瞬間、自分の目を疑う出来事が起こった。
中に入っていたタレが、俺に向かって飛び掛かってきた。
あまりに突然のことに声も出せない。
タレはまるでアメーバかなにかのように俺にまとわりつき、俺の体を包み込んだ。
「な、なにが起こっ……!」
口も塞がれた。
これでもう、俺は悲鳴を上げることすらできなくなった。
俺を包み込んだタレが、全身を締め付ける。
ものすごい力で、とても抜け出せそうにない。
骨が砕ける音が聞こえる。強烈な痛みが走る。両目もタレに覆われ、視界も奪われる。
不思議なことに、俺はこれから自分がどうなるのかなんとなく予想がついた。
俺はきっとこのままタレによって食われ、壺の中に引きずり込まれるんだろうな、と感じた。
まもなく俺の意識は――
***
朝起きて一階に降りると、店のドアが開いていた。
まさかと思い、秘伝のタレが入った壺に目をやる。蓋は閉じている。
蓋を開ける前に俺はある簡単な“儀式”を行う。
その儀式の内容をここで明かすわけにはいかない。なにしろ秘伝なのだから。
蓋を開けると、やはりタレの量が増えていた。
誰が食われたのか、だいたい予想がつく。何度も俺にタレの作り方を聞いてきたあの人だろう。そろそろやる頃だろうとは思っていた。
この壺の中には“怪物”が棲んでいる。代々伝わる“儀式”をやってから蓋を開ければただのタレでいてくれるのだが、それをせずに蓋を開けるとたちまち食われてしまう。
特に悪人が大好物で、タレを盗もうなどと企んだ人間を食すと非常に美味になってくれるのだ。
我が家は代々こうやって店を続けてきた。
今回また一人食われたおかげで、ますます焼き鳥の味は上等なものになるだろう。
このタレの正体がなんなのか、知る術はないし、知るつもりもない。こいつのおかげで俺は飯を食えているという事実だけで十分だ。
しかし、盗みを企んだとはいえ、常連だった彼に対する情もある。
もう二度と彼が店に来ることはないと思うと悲しい気持ちにもなる。
俺は夕方からの開店に向けて準備をしながら、こう独りごちた。
「悪い心と悲しみが、秘伝のタレを作る秘訣、か……」
完
久しぶりにホラー作品を書きました。
よろしくお願いします。